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藤次が清五郎の下を訪ねてきたのは、「処刑人」の打ち明け話が行われてから半月ばかり経過したある日のことである。清五郎は相変わらず賭場の用心棒を務めつつ、雪と二人で穏やかな日々を送っていた。もう少しまっとうな仕事で、もう少し稼ぎがよければ申し分なし、と言ったところであろう。
「清五郎様」
寝ようというところで名を呼ばれ、清五郎は体を起こした。そして隣で身じろぎした雪に声をかける。
「心配いらない。寝ていてくれ」
「はい」
雪は素直に返事をした。鋭い女が何も感じていないはずはないが、ひとまずのところは夫への信頼感が勝っているといったところであろう。そんな妻を探るような一瞥をしてから、清五郎は戸を開けて外に出る。
「戸締りをしておけよ」
そう言い残す。雪は先に寝ていろと言って、先に寝ていた試しがない女なのだ。おそらく今回も清五郎が戻るまで、起きて待っているだろう。なるべく早めに戻ってやりたいところだ。
清五郎が顔を出すと藤次は顎をしゃくり、黙って歩き出す。清五郎は誰にも見られていないことを確認し、その後に続く。
藤次が向かった先は、源蔵が賭場を開いている、町の外れの家屋だった。清五郎が藤次の後に入ると、中は火が点いた蝋燭が五本並べられている。源蔵以外にも弥助がいるものの、他は見覚えのない顔が三つあった。
「そいつが新入りかい?」
「ああ」
四十歳くらいの商人のような風体の男が低い声で尋ね、源蔵が短く答える。
「信用できるのか?」
そう尋ねたのは二十歳をすぎたくらいの、町人風の男であった。
「ああ。わたしらに手を貸す理由はあっても、裏切る理由はない」
またしても源蔵が答える。それ以上、清五郎に関する質問はされない。清五郎ではなく、源蔵が信用されているのだろう。質問が終わったと見るや、それまで黙っていた三十代の女が口を開く。
「で? 今回の仕事は?」
源蔵は説明を始めた。
今回の標的は四人の浪人である。彼らは裏長屋に住み、大店を強請ったり、通りすがりの老若男女から金を巻き上げている日々を送っていた。
(思ったより小悪党だな)
今のご時世ではそう珍しくもない種類の輩である。清五郎はそう思ったのだが、それは早計だった。それだけならば、ことなかれ主義を貫かれていたかもしれない。
だが、彼らは人気のない場所に若い娘を連れ込んで乱暴し、止めようとした男を殺した。若い娘も自害した。
「今回の依頼人は、娘さんと若者の遺族からでしてね。依頼料は金銭四枚。これで何とか仇討ちをとのことです」
遺族達はたまたま目撃した者達から事情を聞き、激怒したものの相手は剣を差したならず者達である。自分達では返り討ちにあうだけだと考え、悩んだ果てに売れる物を売り払って依頼料を作ったそうだ。
源蔵はそう言い終えると皮袋を懐から取り出し、四枚の金銭を見せる。
「元締め」
声を出したのは女である。
「標的は四人。こっちは新入りも含めて五人。どうするんだい?」
もっともなことに一同の視線は源蔵に集中した。源蔵は予期していたかのようによどみなく答える。
「私はやらない。変わりに清五郎様に引き受けてもらいたいですな」
「腕試しといったところかな」
清五郎がつぶやくと源蔵は頷く。
「そのようなものです。私が見届け人になりましょう」
そう言うと清五郎を除いた者達は、一様に驚いた顔をした。
(見届け人?)
聞き慣れぬ言葉に清五郎は首をかしげる。声に出して問うたところで、答えがあるとは限らぬ。「見届け」と言うあたり、おそらくはこの仕事を見守る、あるいは監視する役目なのだろうと推測した。もしかすると金を持ち逃げする輩がいないか、見張る為なのかもしれぬ。
「じゃ、仕事料は一人金銭一枚でいいんだな」
若い男がそう言い、右手で金銭を一枚つまむ。次に中年男、女の順で金銭を受け取る。そして最後の一枚が清五郎に差し出された。
「銀銭で受け取るわけにはいかぬのか?」
清五郎はそう尋ねる。仕事がないはずの己が金銭を得て帰っては、雪にどう弁明すればいいのか、とんと見当がつかぬ。一度、二度であればともかく、不定期である以上、続く可能性もあると見ておいた方がよい。そんな清五郎の立場を察した源蔵は、にこやかに頷く。
「よろしゅうございますとも。後で銀銭百枚、お渡しいたします」
それを聞いて清五郎は安堵する。
「何だい? 金銭を持てないなんて、ケツの小さい男なのかい?」
女が失望したような、小馬鹿にしたように言う。中年男は表情を変えなかったが、若い男の方は女と同じような顔で清五郎を見る。
「うむ。俺は小心者なのでな」
清五郎は特に気にもせず、あっさりと首肯した。それに毒気を抜かれたのか、女と若い男はそれ以上は何も言わずに出て行く。中年男は金銭を受け取ると清五郎に一瞥をくれてから歩き出す。そして後には清五郎、源蔵、弥助、藤次らが残った。
「源蔵以外は、処刑人ではなかったのだな」
清五郎はそう言う。他の者達の態度から察するに、源蔵以外は源蔵の手足となって働く立場なのだと見当がついた。源蔵は頷いてから藤次らに目配せをする。藤次らはそれぞれ懐から銀銭を出しあい、計百枚となったところで清五郎に差し出した。
「かたじけない」
清五郎は銀銭を財布に入れ、懐にしまうと源蔵に尋ねる。
「段取りを決めていなかったようだが、どうするのだ?」
源蔵が言ったのは標的と依頼理由くらいのものだ。まさかあれだけで、後は独断というわけではあるまい。
「詳しい指示は見届け人が出すことになっています。こういう集まりは、短い方が安全ですからな」
用心に用心を重ねているらしかったが、謎は消えなかった。
「見届け人と一緒のところを見られても構わぬのか?」
清五郎の問いかけに源蔵は頷く。
「私や藤次と清五郎様のように、接点があってもおかしくはない者を選んでいますからな」
そう言われて清五郎は一応納得した。「処刑人」の選出基準など、不明な点はまだあるものの、あれこれ訊いても答えてもらえる立場ではあるまい。
「了解した。それで俺はどう動けばよい?」
清五郎は直接的に問う。
「歩きながら説明いたしましょう」
源蔵は藤次達に目配せをし、それを受けて藤次達は黙って出て行く。それを見送ってから源蔵は清五郎の目を見て、ゆっくりと歩き出す。清五郎はその小さな背中を追った。
「標的である浪人達は、夜になると長屋で酒を飲むか、岡場所で遊ぶかすることが多いようですな。そして傾向からして、今日は岡場所で遊んでいるでしょう」
「……まさか遊んでいる最中は狙うまい。帰り道あたりか?」
「ええ。長屋もひょんなことから目撃者が出ないとは限りませんからね」
源蔵はどこまでも慎重な姿勢を見せる。もちろん、どれだけ用心を重ねても危険は皆無にならないが、それは裏稼業の宿命というものであろう。夜道ならば、定期的に巡回している夜番人に気をつければ、岡場所や長屋で狙うよりもずっと安全だ。
「なるほど」
そう判断した清五郎は納得したように頷く。
(それにしても素浪人とはな)
清五郎がぼんやりと予想していたのは、最近騒ぎになっている強盗の件であった。尻尾を掴んだからこそ、味方戦力を強化する意味で己を一味に加えたのでは、と予想していたのである。ただ、世の為、人の為にならぬ類の輩のようだから、始末することに異論はない。この手の者を野放しにしておいては、いつか雪が襲われるかもしれぬ。それだけは避けたい清五郎であった。
清五郎と源蔵は、月と星の明かりを頼りに歩いている。裏家業で人を襲うのだから、提灯を持って歩くわけにはいかぬ。
「手はずですが、人家に標的の声がとどきにくい場所で待ち伏せします。そして清五郎様には、第一撃をお願いしたく存じます」
「心得た」
清五郎は即答する。己が一番手なのは、腕を見ると同時に、もししくじっても他の者達が尻拭いをしやすいように、ということであろう。岡場所の帰りだと四人一緒の可能性は高いし、誰かが襲われたら反撃してくるか逃げるかするに違いない。そう考えれば、新入りには一撃目というのは理に適ったことなのかもしれぬ。
清五郎が神経を研ぎ澄ませると、一見人気がない道に気配を殺して潜む者達が数人いることを把握できる。先ほどの会合にいた者達の気配であった。皆、気配を消す技量に関してはなかなかである。もっとも、清五郎の腕が鈍っているのやもしれぬ。
清五郎達も他の者にならい、道の脇へと寄る。すると前方から提灯の明かりが見えてきた。清五郎が軽く体に力を入れると、源蔵が制する。
「物見に行った者達から連絡がございませぬ。おそらく人違いでございましょう」
「そうか」
清五郎は力を抜く。提灯の明かりが近づいてくるのに合わせ、物陰に隠れた。気づかれたり顔を見られたりすれば、台無しである。そう思うと清五郎は、己の心臓の鼓動が大きくなった気がした。二つの足音がはっきりと聞こえてくる。
「おや?」
男の声がして足音が止まった。
「どうかしましたか?」
別の男の声が聞こえる。さきほどの男のものよりはだいぶ年が若いようだ。
「いや、何か動いたような気がしたのだが」
「猫か何かでは?」
「そうかもしれんな」
元より本気で疑っていたわけではなかったのか、男はあっさりと納得して再び歩き出す。提灯の明かりが遠くなるのを見届けてから、清五郎は安堵の息を吐いた。
「危なかったな」
「ええ。勘の鋭い御仁がいたようで」
源蔵の声にもほっとしたものが混じっている。「処刑人」は人目を忍ばねばならぬ稼業だし、「悪人の処刑」を謳っている以上、無関係の者を手にかけるわけにはいかぬ。誰にも知られることなく標的を抹殺するのは、清五郎が頭で描いていたよりも、かなり難しそうであった。
しばしの間、静寂が訪れる。源蔵は何も言おうとはせず、ひたすら沈黙を貫く。いつ標的が現れるか分からない以上、当然であろう。清五郎も舌を動かす気にはなれぬ。この手の仕事で大切なのは「待つ」という行為なのだろうから。清五郎にとっては、物陰に身を隠して標的の出現をひたすら待つという行為など、大したことではない。
源蔵はそんな清五郎の様子を、頼もしげに見ていた。彼の経験によると、剣士は意外とこらえ性がない生き物だったりする。刀を構えて対峙している時はそうでもないが、こうしていつくるか分からぬ相手を待つという行為は苦手とする者が大半であった。まして清五郎のように自然体でとなると、他にいるのかどうか。
(どのような過去があるかは知らぬが、なかなかのものだ)
清五郎と雪が何やら訳ありなのは自明の理である。金銭数枚は下らぬ刀を差せる剣士が、若い妻だけを連れてよその地から流れてくるなど、よほどのことがあったとしか思えぬ。
もっとも源蔵とて裏稼業を長くやっている身だ。すぐに意識を切り替える。どうでもよい事をあれこれ考えているようでは、すぐに物言わぬ屍と化してしまうような、過酷な稼業なのだ。
清五郎がさりげなく体を動かす。何者かが足音を殺して近づいてきている事を察知した為である。
「頭」
そっと呼びかける者がいる。
「せせらぎ」
「清き川の流れ」
源蔵の言葉に答えが返ってきた。仲間でなければ言えるはずがない暗号である。
「標的は?」
清五郎の問いは短い。
「こっちに向かっています」
「御苦労」
源蔵がそう言うと、仲間は一礼して去っていく。彼の役目はあくまでも標的の接近を知らせる事のみ。後は清五郎の領分である。
聞こえてくる足音は二つ。提灯の明かりがぼんやりと揺れている。標的は何も知らずにゆっくりと近づいてきていた。
明かりが一つしかないのは、主人と従者という関係だからであろう。
明かりとそれに伴って二つの人影が前を通り過ぎていく。一度やり過ごし、背後から襲うのが清五郎のやり口なのである。明かりがある以上、前から行けば警戒されやすいのだ。
足音を殺して小走りに近づく。音を立てずに素早く動くというのはなかなか難しい技術なのだが、剣士として鍛錬を積んできた清五郎は完璧に会得していた。
そして距離を詰めて一閃、一人は声を出す事もなく絶命して倒れ込む。その拍子に明かりが地面に落ちた。
「な、何だ?」
残された一人にしてみれば、突然倒れたようにしか思えなかったのだろう。驚いて固まり、提灯を拾おうとする。
だが、清五郎にとっては狙いやすくなっただけであった。
男が提灯を拾って彼の方にかざした時、必殺の一撃は再び放たれる。
標的は己の死を知る事なく絶命した。
清五郎はそのまま足早に立ち去る。いつ誰がやってくるのか分からないのだから。後で源蔵が検分するのである。
あちこち道を変え、誰にも尾行されていない事を確認して清五郎は妻が待っている場所へと戻った。聡明な彼女は、彼が何をしているのか、うっすらと察してはいるだろう。
それでも何も言わない。ひたすら彼が無事帰る事だけを祈っている。そんな女だ。だからこそ、清五郎としては、是が非でも生きて帰らねばならなかった。
「花ィ、花ィ」
昼、遠くから花売りの声が聞こえてきて、清五郎はそちらに足を向ける。
「アイビーはあるか? 妻に買ってやりたいのだが」
清五郎がそう言うと、花売りはにやりと笑った。
「そりゃ仲睦まじいことで。アイビーならございますよ。銅銭二十枚になりやす」
「一輪、もらおう」
「毎度ありー」
清五郎は見事に咲いているアイビーを受け取る。アイビーの花言葉は「永遠の愛」であり、夫婦や恋人への贈り物に好まれるのだ。妻に大したことをしてやれぬが、せめてこの花を贈り、改めて変わらぬ愛を誓う。清五郎はそう思い長屋へ帰った。