第2章 始まり 第4話
やがて、城の案内が終わり、部屋に戻った明治が何をするでもなくぼうっとしていると、幸が、控えめに戸を叩いて、顔をのぞかせた。
「明治さん。夕食の支度ができました。お館様が一緒にお食事したいとおっしゃっていたので、ご案内いたします」
「分かりました」
明治が、幸の後ろについて歩いていると、突然、幸が話しかけてきた。
「そういえば、明治さんは、今いくつなんですか?」
「僕ですか?僕は今、十六歳です」
それを聞いた幸は、嬉しそうに明治を振り返った。
「あら、じゃあ私のほうがお姉さんですね」
「?幸さんはいくつなんです?」
「私は十七です」
「一つしか違わないじゃないですか」
ツッコミを入れながらも、明治はむず痒そうに口を開いた。
「僕より年上なら、僕のことは呼び捨てでいいですよ。あ、あと敬語もいいです」
「そう?それじゃあ、ためしに、明治……さん」
どうやら、幸は敬語抜きにしゃべることはできたが、うまく明治を呼び捨てにできないらしく、それから何度も呼び捨てにしようとしたが、そのたびに失敗していた。
その様子を見て、明治は苦笑しながら、提案した。
「もう、呼び捨てはいいです。幸さんの呼びやすいようにしてください」
それを聞いた幸は、何故か嬉しそうに破顔した。
「じゃあ、「アキ君」て呼ぶね」
「はぁ、もうそれでいいです」
あまりに嬉しそうに、幸が言うので、明治は訂正を求めるのをあきらめることにした。
一方、幸は何がそんなに嬉しいのか、しばらく、明治の名前を連呼していた。
「アキ君、アキ君、アキ君、アキ君、アキ君、アキ君、アキ君、アキ君、アキ君」
さすがにそこまで連呼されると、例え明治でなくとも恥ずかしくなるだろう。事実、明治も、恥ずかしくなってきて、幸に懇願した。
「あの、さすがに連呼するのはやめてもらえませんか?恥ずかしいので」
「恥ずかしい?そんなに?」
「はい」
「そう。それじゃあ、仕方ないね」
何故か上機嫌に笑いながらも、幸が連呼するのをやめてくれたので、明治は安堵のため息を吐いた。
そうして話しているうちに、食事が用意されている部屋に着き、幸が軽く戸を叩いて、声をかけると、隆宗が待ちきれないといった様子で戸を開いて、明治を中に引っ張り込んだ。
「待っていたぞ、明治」
幸は、主の子供のような行動に苦笑しながらも、部屋から立ち去ろうとしたが、隆宗がそれを呼びとめた。
「幸、待ちなさい。お前も今日は一緒に食べないか?」
「は?え?」
基本的に主たちと食事を共にしない幸は、主の突然の申し出に戸惑って、光姫に助けを求める。
しかし、光姫はただ微笑んでいるだけで、何かを言おうとはしなかった。
幸は、しばし思案した後、諦めたようにため息を吐いた。
「分かりました。私の分も含めて、食事をお持ちしますので、少しお待ちください」
そういうと、幸は一旦部屋を出て行った。
明治の疑問に満ちた視線を感じた隆宗が、笑いながら説明した。
「何、単純に幸とも一緒に食事をしたいと思っただけだ。加えて言えば、幸にもお主の未来の話を、聞かせてやりたいと思ったのだ」
「はあ。そういうことですか」
明治は、よくわからない顔をしながらも、一応は納得したようだった。
やがて、数人の女中と一緒に、幸が食事を持ってきてしばらくしたころ、隆宗が話をきりだした。
「明治。未来の話を聞かせてくれないか?」
「未来?これから起こる事件のことですか?」
「そうじゃなくて、お主が住んでいた時代のことだ。お主が普段、どんな風に過ごしていたのか、それを教えてくれないか?」
明治は少し考えた後、「あまり面白い話でもないですけど」と前置きをしてから、話し始めた。
「まず僕らの時代は、こことは全然違います。国同士の争いはなくて、みんな平和に暮らしています」
「ほう。それは、誰かが天下統一を果たしたということか?」
「うーん。微妙に違いますね。僕らの時代では、民衆から代表を選んで、その選ばれた人たちが、法律…掟みたいなのを決めるんです。それで、決められたその掟をみんなが守ります」
「それを守れない輩はどうするんだ?」
「警察が捕まえます」
「「「けいさつ?」」」
明治の話を聞いていた三人が、一斉に首を傾げる。明治は、その光景に吹き出しそうになりながら、説明を続ける。
「うーん。何て言ったらいいかな。掟を破った人たちを取り締まる組織みたいなものです」
「そんなものがあるのか」
「はい。まあ、とにかくそんな感じでみんな平和に暮らしています」
「で?お主は普段どうしているのだ?」
「えっと、基本的には高校に行ってます」
「「「こーこー?」」」
先ほどと同じように、再び三人が一斉に首を傾げたので、明治は慌てながら説明を加えた。
「ええっと、高校とは、僕らが勉強するところです。ほかにも、小学校とか中学とかもあります」
幸は、何が何だか分からないようで、おずおずと明治に聞いた。
「そのこーこーというのと、しょう…なんとかと、どう違うの?」
「うーん。小学校っていうのは、小さい子供、確か七歳から十二歳の子供たちが一番基本的なことを勉強する場所で、中学が十三歳から十五歳まで、高校が十六歳から十八歳まで通う場所です。上に行くにつれて、勉強することがより高度になるんです」
「そこでは、どういうことを勉強してるの?」
「そうだなぁ。たとえば、漢字の勉強とか、生物の勉強とか、いろんな計算方法とか、英語…じゃなかった、南蛮の言葉とかかなぁ」
「じゃあ、アキ君は南蛮の言葉がしゃべれるの?」
「「アキ君?」」
とそこへ、隆宗と光姫が違うところに食いついてきた。二人の顔を見るとにやにやと笑っている。
「ほう。幸。お主、明治を「アキ君」と呼ぶようになったのか」
「まあまあ、すっかり仲良くなったみたいね」
「はい」
幸は、にっこりと笑っているが、明治は照れ臭いのだろう、顔を真っ赤にして俯いてしまった。そして、明治のその反応が、さらに隆宗と光姫を調子付かせた。本当にノリのいい夫婦である。
「あらあら、明治さんたら、顔を真っ赤にしちゃって。可愛いですね」
「そうだ。そんなに仲良くなったなら、いっそのこと、幸と明治で夫婦になればいいのではないか?」
「あら。それはいいですね。それじゃあ、ついでに明治さんは、私たちの息子にしてしまいましょう」
「それはいいな光」
隆宗と光姫は、本人たちをそっちのけで盛り上がっている。
二人は、さらにエスカレートして、将来の話などをし始めた。
「私、早く孫の顔が見たいですわ」
「うむ。それはいい。そのころには俺も引退して、明治に家督を継いでもらおう」
「明治さん。時々は子供を連れて遊びに来てくださいね?」
「そうだぞ。孫に向かって「おじいちゃんだぞー」と早く言ってみたいんだからな」
「あらあら。それじゃあ、私はおばあちゃんですね」
二人の妄想は止まる気配はない。それどころか、光姫に至っては、両手を頬にあてて、身悶えはじめてしまっている。
「私、やっぱり孫は男の子と女の子一人ずつがいいですわ」
「だ、だが。孫娘を嫁に出すなど、俺には耐えられんぞ」
「あらあら。そんな時がきたら、あなたは号泣しそうですね」
「どこの馬の骨とも知らん奴に、俺の大事な孫娘はやらん!」
二人の妄想は止まらずに、とうとう明治と幸の子供がすでに生まれ、婚姻が可能な年齢にまで成長したらしい。
そろそろ話の収拾がつかなくなってきたため、明治は顔を真っ赤にしたまま、二人の暴走を止めることにした。
「ちょ、ちょっと二人とも。話が飛躍しすぎです!いい加減、変な妄想はやめてください!」
明治が二人を止めようとするが、あまり効果はない。
「幸さんも、笑ってないで。二人を止めてくださいよ」
困り果てた明治が幸に助けを求める。
しかし、どうやら幸も、隆宗たちと同様にノリのいい性格をしているらしく、幸は隆宗たちを止めるどころか、ちょっとはにかんだように頬を染めながら、明治にすり寄ってきた。
「アキ君は、私と夫婦になるのが嫌なの?」
「え、い、いや、その…」
幸がすり寄ってきたことで、女性に免疫がない明治は、どぎまぎして、さらに顔を赤く染め、その様子を見た隆宗たちは、さらに明治をからかい始めるという悪循環に陥ってしまった。
「どうなんだ?明治?幸は、光には及ばないが、この城でも五指に入るほどの美人だぞ?」
「明治さん?幸に恥をかかせるおつもりですか?」
「私はこんなにあなたをお慕いしているのに…。およよよ」
幸は袖で目元を隠して、泣きまねを始め、それを受けて、隆宗と光姫が、明治に向かってああだこうだと言い立てる。
一方の明治は、パニックに陥ってしまい、何が何だか分からなくなってしまった。
「あ、わ、あ…、だあああー!」
そしてとうとう、食事中だということも忘れて、明治は叫びながら部屋を出て行ってしまった。
「明治!」
「明治さん!」
「アキ君!」
それを見た三人が、慌てて明治を追いかけたが、見失ってしまった。
城の人たちに聞き込みをして、どうにか明治を見つけ出せた三人は、明治に向かって土下座をした。
「「「調子に乗って、すいませんでした」」」
それを見たためか、城中を走り回ったためかは定かではないが、どうにか冷静さを取り戻した明治に、三人はどうにか許しを得ることができたのだった。
それからすぐに、全員が食事の最中だったことを思い出し、食事を片づけようとした女中に、全員で平謝りをすることで、なんとか事なきを得た。
そうして、全員が食事を終えたころには、すでに日が暮れてしまっていた。
「本当なら、もっと明治の話を聞きたいところだが、今日はもう日が暮れてしまったからな。続きは、また今度聞かせてもらうことにして、今日はもう休もう」
隆宗が少し名残惜しそうにしながらも、夕食の席を締め、光姫と幸もそれに賛同した。
唯一、明治だけは、不思議そうにしていた。
「まだ、日が暮れたばかりなのに、もう寝るんですか?」
明治の問いに、三人は当たり前のように頷いて、そのまま各自の部屋に戻ってしまった。
明治はしばらく不思議そうにしていたが、やがて諦めたように肩をすくめると、自分の部屋に戻っていった。
明治が自分の部屋の戸を開けると、女中がすでに用意してくれていたのだろう、布団が中央に一組敷かれていた。
未来から来た明治からしてみれば、まだ日が暮れたばかりのこの時間に寝てしまうのは、早すぎるとは思うが、他に何かやることがあるわけでもないので、仕方なしに、布団へともぐりこんだ。
しかし、未来でも例外を除いて、こんな早い時間に寝たことのない明治が、当然そのまま眠ってしまえるわけでもない。
そこで、明治は、今日自分が体験したことを思い出すことにした。
「今日は本当に変な一日だったな」
部屋で考え事をしていたら、「お守りの石」から放たれた不思議な光に包まれて、気が付けば、戦国時代にタイムトラベルをしていた。
これだけでも、大変な事件なのに、さらに、いきなり刀を持った武士に切り殺されかけて、かとおもえば、隆宗に助けられ、この八洲城に連れてこられた。
そして、ここが戦国時代だとわかって、隆宗たちに未来のことを話した。
今思い返してみても、異常としか言いようがない事態である。
こうして、一日を思い返しているうちに、明治は自分自身のとある変化に気づいた。
明らかに、戦国時代に来るまでの自分と、戦国時代に来てしまった今日の自分とで、性格が変わっているのだ。それも、「極短時間のうちに」である。以前の自分であれば、きっと今のこの状況を悲観するか、あるいはパニックに陥ってしまうか、どちらにしてもネガティブになって、状況を受け入れることができなかったであろう。
しかし、今の自分はどうしたことか、いつの間にか、過去へタイムトラベルしてしまったという、明らかに異常な状況を受け入れてしまっているばかりか、この時代に馴染もうとさえしている。
今までの自分からは、およそ想像すらつかないような変化に、明治は驚いた。
何がきっかけとなって、自分の性格が変わったのか、まったく心当たりがない。
そのきっかけが気にならないと言えば、嘘になるが分からないのであれば、考えても仕方ないことである。であれば、今は気にするだけ無駄だろう。
そこまで考えた後、明治はふと自分の時代にいる、母親のことを思い出した。
昨日までいた息子が、突然いなくなってしまったのだ。さぞかし、心配しているだろうし、もしかしたら、警察に捜索依頼を出しているかもしれない。
「未来に戻ることができたら、謝らないといけないかな」
そうつぶやいた後、明治はいつの間にか訪れた眠気に身を任せた。
そうして、明治のこれまでの人生の中で、最も波乱に満ちた一日は幕を閉じた。
翌日、相も変わらず質素な朝食を済ませた明治は、隆宗に呼び出された。
明治が、呼び出された部屋に入ると、そこには、十人ほどの武将が左右に並んで座っていた。
明治が軽く驚きながら、入り口で固まっていると、一番奥で座っていた隆宗が手招きをしながら、明治を呼び寄せた。
「明治。ここへ来なさい」
明治がおどおどしながら、隆宗の隣に置いてあった座布団に座ると、おもむろに隆宗が明治の肩に手を乗せて、その場にいる武将たちに紹介し始めた。
「一部の者は、既に聞いているだろうが、こいつは安部明治。信じられないようだが、数百年後の未来から来たそうだ」
隆宗の言葉を聞いて、その場が騒がしくなり、列席していた武将の一人が声を上げた。
「殿。それは真のことでございますか?その者の虚言ではないのですか?」
「疑う気持ちもわかるが、俺は、明治の言うことを信じることにした」
「信じるに足る証拠でもあるので?」
武将の質問に、隆宗は首を振って否定した。
「いや。残念ながら証拠はない。何せ、こやつから教えられた未来の情報は、早くても十年以上先のことだ。確かめようがないだろう?」
「ではなぜ、そのような怪しげな奴の言うことを信じるのです?」
別の武将が信じられないといった様子で声を上げるが、隆宗はそれににやりと笑って答えた。
「こやつの目が、嘘をついている奴の目ではなかったからな」
「そんな!それだけの理由でですか?」
ほかの武将たちも動揺したようで、先ほどよりも騒がしくなった。
さらに別の武将が、今度は手を挙げて発言した。
「そ奴が、敵方の間者である可能性はないのですか?」
「ふむ。それについては、俺たちも考えたが、可能性は低いだろう。なぜなら、間者であれば、未来のことを知っているなんてことは言わないだろう?それに、明治は、この国のことも、この国の内政も何も知らなかった。仮に間者であれば、ある程度は、事前に調べておく必要がある。それ故に、何も知らないふりをしたところで、会話のどこかで、必ずそれが分かってしまう。だが、明治にはそれが一切なかった。それに…」
「それに?」
「何より、光や幸が、明治を信頼しておる」
それが何よりの証拠だ、と言わんばかりに胸を張る隆宗に、家臣一同は、呆れるしかなかった。
おそらく、明治の素性について、隆宗にこれ以上聞いたところで、まともな回答は得られないだろうと、家臣たちは諦めて、本日自分たちがここに呼び出された目的を尋ねた。
「それで、殿。今日我々が呼び出された理由は?」
「うむ。それは、この明治を皆に紹介したかったのだ」
「はあ…」
「お前たちも、知らない者が城をうろついていたら、不審に思うだろうからな」
確かに、いくら城で働く人数が膨大だとはいえ、見覚えのない明治がうろうろしていたら、怪しまれるに違いない。
つまり隆宗は、明治を皆に紹介することで、明治が城を自由に歩けるようにしたのだ。
隆宗にぽんと背中を叩かれて、明治は戸惑いながらも頭を下げた。
「安部明治と言います。よろしくお願いします」
「というわけで、今日はこれまでにしよう。…解散」
露骨に不審そうに明治を見つめる武将もいたが、隆宗が会議を締めたことで、武将たちは、三々五々、自分たちの家へと戻っていった。
明治は、立ち去ろうとする隆宗を呼び止めて、
「隆宗さん。いろいろありがとうございます」
明治の礼に、隆宗はぽりぽりと頭を掻きながら、照れたように笑った。
「別に気にすることはない。お主の帰る方法が見つかるといいな」
明治は、豪快に笑いながら去っていく隆宗を見て、何かを決心したように、顔を引き締めた。
そして、大きく息を吸うと、隆宗を追いかけた。
「あの、隆宗さん!僕にあなたの手伝いをさせてください!」
隆宗が呆然とする中、明治は深々と頭を下げた。