第2章 始まり 第3話
食事が終わり、全員の胃が落ち着いた頃、再び地図を広げて、話を始めた。
「この地図が明治殿のいう「日本」と違うということは、やはり明治殿は南蛮から来たのではないか?」
「南蛮?」
不思議そうに聞き直した明治に、光姫が補足する。
「南蛮とは、我々と違って、金色の髪に、青色の目をした人々のことです。彼らは、遠い地より海を越えて、ここまで来たようで、我々にさまざまなものを伝えました」
「例えば?」
「そうですね。それは、種子島と呼ばれる鉄砲だったり、日本の仏教や神道とは違う信仰だったりと様々です。尾張の織田信長殿は、そういう南蛮渡来の物を集めるのが好きだと聞いたことがあります」
「織田信長!?」
聞いたことのある名前に、明治が突然反応した。
「織田信長って、あの有名な武将の?」
明治の過剰とも言える食いつきに、腰を引かせながらも隆宗が答えた。
「そ。そうだ。「尾張のうつけもの」と呼ばれている武将だ。俺は一度、あ奴に会ったことがあるが、中々どうして、頭の切れる奴だった。それに、あ奴のつれておった部下の、木下藤吉郎とかいう奴も、油断ならん奴だな、っておい。明治殿?聞いているか?」
明治が突然反応しなくなったので、隆宗が明治の様子を見ると、どうやら明治は途中から話を聞いていなかったらしく、焦点の合わない視線を正面に向けながら、ぶつぶつと何事かを呟いていた。
「…な、あり…」
「明治殿?おーい」
明治は、よほど精神的ショックを受けているようで、目の前で隆宗が手をひらひらさせても、呆けたままだった。
その様子を見て、心配になった隆宗と光姫は、慌てたように明治を揺すり始めた。
「明治!しっかりしろ!おい!」
「明治殿。しっかりしてください」
明治は、しばらく二人にゆすり続けられた挙句、最終的に何度も頬を叩かれて、ようやく我を取り戻したが、その顔は青褪めて見えた。
「…隆宗さん、今は何年の何月ですか?」
明治の質問に、隆宗は不思議に思いながらも答えた。
「何だ、唐突に。…まあいいか。今は確か…、永禄三年1560年の五月だったか」
「永禄…?」
聞きなれない元号に、明治はとある疑惑が浮かんでくるのを感じた。
「あの、ここ最近で、何か大きな事件とかありました?」
「大きな事件?そうだな…、それならこの間、桶狭間で合戦があったな。織田軍と、今川軍の戦だったそうだ」
隆宗の話を聞いて、明治は、自分が信じられない状況に陥っていることを理解した。
「何か分かったみたいだな」
明治が何かを理解したことに、
隆宗たちも気づいたようで、明治に話を促した。
明治も頷いた後、自分自身を落ち着けるように深呼吸を一つしてから、話し始めた。
「僕自身も信じられないような話なんですが、どうやら僕は過去に来てしまったみたいです」
「「過去に来た?」」
「僕は、今から数百年後の未来の人間なんです」
隆宗と光姫は、互いに顔を見合わせた後、慌ただしく明治に近寄った。
「変な格好をしておると思ったら、変なことまで言う。もしかしたら、助けた時に頭を打ったのではないか?」
「そうかもしれませんね。薬師医者を呼びましょう」
急に慌てだした二人に、明治は待ったをかけた。
「待ってください。僕は頭は打ってませんし、言ってることも本当のことです。信じられないのは分かりますけど…」
何せ、自分自身すらも信じられないような出来事なのだ。他人に話したとしても、おいそれと信じてもらえないだろう。
しかし、現実に起きてしまったのは確かなことなので、それが何者の手による、どのような意思によるものでも、受け入れるしかないのだ。
そしてそれは、隆宗と光姫も分かっていた。
格好は違えども、明治の話す言葉も、見た目も、さほど自分たちと違うわけでもない。であれば、やはり明治は南蛮や明みんの人間でないことは確かなことだった。
では、なぜ先ほど二人とも慌てて、薬師を呼ぼうとしたのか。
それは、簡単には信じられなくて、明治が頭を打ったと疑ったという理由が半分、残りの理由は、単純にその場のノリという何とも言えないものだった。
明治は、場を改めるために軽く咳払いをしてから、話を続けた。
「とにかく。これからどうしたらいいのか…」
過去に来てしまった原因がわかるのであれば、それを応用して、元の時代に帰ることもできるだろうが、明治にはその心当たりがなかった。
「俄かには信じられない話だが…。何か、未来から来たということを証明できるか?例えば、未来の持ち物とかは?」
「すいません、この服以外は何も…」
「そうか…」
隆宗はしばし何かを考えた後、
「そうだ、それならこれから起こる事件で、何か分かることはあるか?」
隆宗の質問に、明治は自分の記憶を探った。もともと、学校の歴史の選択授業では、日本史を選択していたので、思い出すのに、さほど時間はかからなかった。
「えっと、大きな事件は、室町幕府が滅びたり、織田信長が本能寺で明智光秀の裏切りに遭ったり、豊臣秀吉が太閤になったり、徳川家康が江戸に幕府を開いたり」
「それは、いつ起こることだ?」
「えっと、室町幕府が滅びるのが一五七三年です。本能寺の事件は一五八二年で、秀吉が太閤になったのが一五九一年で、江戸幕府が一六〇三年です」
「千…って、ちょっと待て。永禄の時代がそんな千何百年も続くのか?というか、人はそんなに生きることはできないぞ?人生五十年がせいぜいだ。織田殿が千年も生きるはずがない。それとも、同じ名前の奴がいるのか?」
隆宗の言葉に同意するかのように、光姫も隆宗の隣でこくこくと頷いている。
いまいち話が通じていない様子に、明治はしばし不思議そうにしていたが、やがて、はっと、その原因に思い付いたようだった。
「そうか。この時代に、西暦はまだないんですよね。和暦では覚えていないからなぁ。どうしよう」
明治は必死に和暦での出来事を思い出そうとしたが、そもそも学校での授業は、基本的に西暦で習っていたので、どうしようもなかった。
「先日、桶狭間で合戦がありましたけど、そこから何か分かるのでは?」
「「なるほど」」
光姫のふとした言葉に、明治と隆宗は同時に、ポンと手を打った。
そして、明治は、そのヒントをもとに、歴史上の出来事が、今から何年後に起こるのかを導き出した。
「確か、桶狭間の戦いが一五六〇年だから、室町幕府が滅びるのは、今から十三年後ですね。で、本能寺の変が二十二年後です」
「少なくとも十三年も先のことか。もっと近い未来、例えば、明日とか明後日とか、数日後のことは何かないのか?」
隆宗にとって、十年以上も先の未来のことを言われても、それを今確かめるすべはなく、実際にその出来事が起こった時には、きっとこの会話のことなど忘れているだろうから、近い未来のことを尋ねるのは当然のことだった。
隆宗の期待にしかし、明治は申し訳なさそうに、首を振った。
「すいません。僕らの時代に伝わっている歴史では、そこまで詳しくないんです」
「そうか。それなら仕方ないな」
隆宗は、少し残念そうにしたが、やがて気を取り直すように立ち上がると、
「明治。しばらくはこの城にいるといい。書物庫に行けば、お主が帰る方法が何か分かるかもしれんし、どうせ行く当てもないのだろう」
「いいんですか?」
「なに、問題はないよ」
「ありがとうございます」
明治は、素直に礼を言って、頭を下げた。
「そうと決まれば、まずは城を案内したほうがいいでしょうね。幸を呼んでください」
光姫が部屋の外に声をかけると、その場に控えていたのだろう、小僧が足早に去っていった。
しばらくして、襖を軽くたたく音ともに、幸が顔を出した。
「奥方様、お呼びでしょうか?」
「幸、明治さんに城を案内してちょうだい」
「分かりました。では、明治様、こちらへ」
幸の堅苦しい呼び方が気になりつつも、明治は幸について、部屋を出て行った。
それを笑顔で見送った隆宗と光姫は、二人が見えなくなると、真剣な表情になった。
「お光。お主はどう思う?」
「明治さんのことですか?」
「うむ。敵方の間者の可能性は?」
「それはないでしょう。それが分かっているからこそ、あなたもしばらく城にいるように言ったのではなくて?城の案内にも反対しませんでしたし」
「分かっておったか」
「ええ。ただこれだけは確かなことですが、明治さんが未来から来たというのは…。何とも言えませんね」
「そうだな。一応これから起こることは知っておるようだが、それが本当のことなのかどうかは、今の俺たちには判断できないからな」
「そうですね。ただ、あの子は少々気が弱そうではありますが、いい子だと思いますよ」
「それもそうだな。幸とも同世代で、気が合うかもな」
二人は、微笑ましいものを見るように目を細めながら、自分たちの部屋へと戻っていった。
一方明治は、幸に連れられて、城の中を見て回っていた。
明治も現代に残っている城の見学を何度かしたことはあったが、それはあくまでも資料を参考に復元されたものであったり、一部の部屋のみであって、実際にすべてを見ることになるとは思ってもみなかった。
そのため、幸に城を案内されている間中、明治はずっと感心しっぱなしであった。
「はぁ。本当にすごいですね。こんなにたくさんの部屋があって、こんなにたくさんの人が働いてるなんて知りませんでした」
そんな明治の様子を見て、幸はおかしそうにくすくすと笑う。
「そんなにすごいですか?」
笑われたことが恥ずかしいのか、明治は誤魔化すように話題を振った。
「えっと、ここにはどれくらいの人がいるんですか?」
「私も詳しくは知らないですけど、大体、二千人くらいだと聞いています」
「そんなに?」
「はい。でも、この城は割と小さいですから、これでも少ないほうだと思いますよ?」
「へぇ。僕のいた時代では、城なんて誰も住んでなくて、ただ歴史的資料としてしか残ってないですよ」
「「僕らの時代」って?」
明治の言葉に、幸が不思議そうに聞き返した。
「そうか。言ってませんでしたね。…信じられないかもしれないけど僕は、未来から来たんです」
言いながら、未だに自分自身でも信じられないかのように、明治は肩を落とした。
「本当ですか?」
幸が疑うような視線を、明治に向けてきた。
「うん。まあ信じられないですよね。言ってる本人が一番信じられないんだし」
困ったように笑う明治を見て、幸は慌ててパタパタと手を振った。
「ご、ごめんなさい。別に、変なことを言う人だなとか、頭を打っておかしくなっちゃったのかなとか、そういうことは全然思ってませんから」
「うっ」
幸の言葉に、明治は胸にぐさりと来たようで、胸を押さえて呻いてしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
突然のことに慌てた幸は、心配そうに明治を覗き込む。
「大丈夫です。平気平気」
「それならいいのですけど」
「だから、案内を続けてもらえますか?」
明治はごまかすように笑って、幸に続きを促し、後ろを着いていった。
そして、ある部屋を通り過ぎようとした時、明治はふと部屋の中が気になって、足を止めた。
「この部屋は?」
言いながら、明治が部屋の戸をあけて、中を覗いてみると、何やらさまざまな道具や、武器のようなものが乱雑に散らばっていた。
「ここは、侵入者を撃退するための罠を作ったりする部屋です」
「侵入者?」
「はい。戦の直前に、敵国の間者が、天守閣の弱点を探りに来たり、盗賊が、城の宝物を盗みに来たりするときがあるので、その対策です」
「へぇ。そういうことって本当にあるんですね…」
明治は、感心しながら部屋の中に入り、手近にあった、明治と同じくらいの大きさの箱に手を伸ばした。
「あっ!触ったら…」
幸が警告しようとしたが間に合わず、明治は箱に触れてしまった。
瞬間、
―ズドン!
何かが、明治の横を掠めながら、重い音を立てて、床に突き刺さった。
明治がゆっくりと、音がしたところを見てみると、そこには大きな斧が、深々と刃を床に埋めていた。
「それは、盗賊撃退用に作られたもので、正式な手順を踏んで開けないと、罠が動いてしまうんです」
明治は、困ったように笑う幸を振り返ると、
「も、もう少し早く言ってほしかった」
若干涙声になりながら、その場にへたり込んでしまった。
その様子があまりにもおかしかったからだろう。幸は、我慢できないといったように、唐突に噴出した。
「ぷっ。あははは」
そして、幸の笑いは、明治にも伝染し、明治も一緒に笑い始めた。
それからしばらくして、ようやく笑いが落ち着いた二人は、再び城の案内に戻った。
そんな中、明治はふと自分の変化に気づいた。
最初は、幸がそばにいたり、幸に話しかけられたりしてもうまく喋ることはできなかったが、原因は分からないが、いつの間にか、自然に会話しているのだ。
そして、その変化は、明治にとって、とても心地いいものに感じられた。