第2章 始まり 第2話
「…に、面…」
「もし…て、…人じゃ…」
がやがやと騒がしい雰囲気に、明治はゆっくりと目を開けた。途端、目に飛び込んできたのは、明治を覗き込む人々とやけに高い、明治の知らない天井だった。
「起きた!起きたよ!」
「本当だ!起きた!」
「誰か、お館様を呼んで来い!」
明治が目を覚ましたことに反応して、あるものは誰かを呼びに廊下を走り、あるものはより一層明治を見ようと、近づいて来たりと野次馬たちが一斉に動き出した。老若男女さまざまだが、皆一様に着流しや簡易的な着物といった和装だった。
明治が呆然としていると、野次馬の一人の老人が恐る恐るといった様子で、声をかけてきた。
「あんた、一体何者じゃ?なんで、そんな面妖な格好をしておる?」
「…?」
何が何だかよくわかっていない明治が、質問に答えあぐねていると、老人は諦めたようにため息を吐いた。
「なんじゃ?言葉が通じておらんのか?つまらん」
老人はくるりと踵を返すと、そのままどこかへと立ち去って行った。それを受けて、明治を囲んでいた野次馬たちも、徐々に引いていき、やがて、一人の少女を除いて、誰もいなくなった。
明治は混乱しながらも、状況を確認しようと、残っていた少女におずおずと声をかけた。
「あの~。すいません」
「ひゃっ、ひゃい」
唐突に声を掛けられたことに驚いたのか、少女は飛び上がらんばかりに驚き、慌てて襖の陰に隠れてしまった。
明治が唖然としていると、少女は隠れたふすまからそっと顔をのぞかせた。
「……」
「……」
明治と少女の間で、気まずい空気が流れた。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていたが、どたどたと響く足音が、沈黙を破った。
「客人が目を覚ましたと聞いたが、幸ゆき、お主は何をしているのだ?」
幸と呼ばれた少女は、驚いたように振り返ると、慌ててその場に平伏した。
「お、お館様!あ、あの。お爺様じじさまが、言葉が通じないとおっしゃっていましたので」
平伏したまま、慌てて弁解する幸に、男はあきれたように笑った。
「それで、どうしようかと迷って、ふすまに隠れておったのか?全く」
「申し訳ありません。お館様」
「別に責めていない。もう良いから、お主は茶を入れて参れ」
「はい」
幸が立ち去っていくのを確認して、改めて、お館様と呼ばれた男が姿を見せた。
「全く。皆にも呆れたものだ」
やれやれと言いたげに肩をすくめた男は、明治のそばに胡坐をかいた。
年のころは、およそ二十代後半だろう。髪をポニーテールのようにまとめ、いたずらっ子のような目つきで、明治を見つめている。その目つきのせいか、見方によっては、明治と同年代にも見える。先ほどまで、明治を囲んでいた野次馬たちと同じような、着流しに身を包んでいる。
明治が、じっと観察していると、男がずいっと手を出しながら、自己紹介を始めた。
「俺は、山辺隆宗やまのべたかむね。この八洲やしま城の城主にして、八洲の国の領主だ、ってお主に言葉は通じておるのか?」
「やしまのくに?国ってここは日本じゃない?」
「おおう。なんだ。言葉は通じていたのか。それならそうと言わんか」
驚いて目を丸くしていた隆宗は、軽く咳払いをしながらも、明治に文句を言った。
が、明治は、それを無視して、隆宗に詰め寄った。
「教えてください!ここはどこなんですか!日本じゃないんですか!」
「だから、ここは八洲の国と言っておるだろう」
隆宗は、明治をまるで馬に対するみたいに「どうどう」と宥めすかす。
しかし、明治にとっては、重大な問題だからだろう、隆宗が宥めてもまるで効果がなく、より一層興奮しているようだった。
明治が興奮して詰め寄り、隆宗がそれを宥めながら逃げるという奇妙な追いかけっこは、それから五分ほど続いたが、お茶を持ってきた幸と、一人の女性の登場によって、終わりを告げた。
「あなたたち、何をやってるんです?」
その声に振り向いた隆宗は、助かったとばかりに顔を輝かせた。
「光みつ。ちょうど良いところに。助けてくれ!」
光と呼ばれた女性は、仕方ないとばかりにため息を吐くと、いまだ興奮している明治の手をそっと取り、自分の手で、優しく包み込み、明治に優しく微笑みかけた。。
「あなたも落ち着きなさい。ここには、何も怖いものなどありませんよ。さあ、目を閉じて、ゆっくりと息を吸って、吐いて。そう、いい子ですね」
まるで赤子をあやす母親のように、明治の背をポンポンと叩く。
すると、先ほどまで興奮しきっていた明治が、徐々に落ち着きを取り戻し始めた。
全てを包み込むような、光姫の素晴らしい母性のおかげだといえるだろう。
さて、光姫のおかげで落ち着きを取り戻した明治は、気恥ずかしくなり、顔を赤くしながらも、光姫に「ありがとうございます」とお礼を言った後、幸の持ってきたお茶を飲みながら、改めて隆宗に現状の確認をした。
「さっきも聞きましたけど、ここは日本じゃないんですか?」
「さっきも言ったが、ここは八洲の国。お主がいう日本ではないな」
「そうですか…」
隆宗の答えを聞いて、明治はがっくりと肩を落とす。
と、そこへ光姫が、ふと思ったことを口に出した。
「あなたの言う、その日本ですけど、どこにあるのか、わかるかもしれませんよ?」
明治と隆宗が勢いよく、光姫に振り返った。
「ど、どういうことだ?お光よ」
若干どもりながら聞いてくる夫に、光姫は苦笑しながら答えた。
「お客人の髪の色も、目の色も、肌の色も私たちと一緒です。ということは、少なくとも南蛮の人たちとは違うということですよね。そして、しゃべる言葉も一緒。ということは、そう遠くない国ということになりませんか?」
明治と隆宗は、お互いに顔を見合わせ、同時に納得した。
「「なるほど。言われてみれば…」」
その様子があまりにもおかしかったのか、光姫は口元を隠してくすくすと笑う。
「そういうことなら、地図で探せばいいのでは?お客人も、自分の国の位置くらいはわかるでしょうから」
光姫は、そういいながら、お茶を出したまま、その場に控えていた幸を振り返る。その動作だけで、光姫が何を言いたいのか分かったのだろう。幸は、軽くうなずくと、どこかへと立ち去って行った。
光姫は、再び明治たちのほうへ向きなおると、明治に微笑んだ。
「今、幸が地図を取りに、書庫まで行っていますから、お待ちください」
「ありがとうございます」
明治は頭を下げた。そうして、三人でお茶をすすりながら和んでいると、光姫がふと思い出したように、明治に聞いてきた。
「そういえば、お客人のお名前は?」
「「あっ」」
明治と隆宗が同時に声を出す。
先ほどのドタバタで、二人とも明治の自己紹介をすっかりと失念していたのだ。
その様子を見た光姫は、苦笑するしかなかった。
明治は、恥ずかしいのか、顔を若干赤くしながら、居住まいを正すと、改めて自己紹介をした。
「僕は、安部明治といいます。年は現在十六歳で、日本の加我根かがね県、前陸さきおか市に住んでいます」
「「かがねけん?さきおかし?」」
明治の言葉に、隆宗と光姫が顔を見合わせて、きょとんとする。
隆宗が混乱する頭を抱えながら、明治に質問する。
「その、かがねけんとか、さきおかしというのは、一体なんだ?」
「えっと、日本を四十七の都道府県に分けて、その一つが加我根県です。で、前陸市というのは、その県のうちの一つの地域ですけど?」
明治の答えに、隆宗と光姫は、顔を突き合わせて、ひそひそと何かを話していた。どうやら、明治の説明がうまく伝わっていないようだ。
隆宗が混乱する頭を押さえながら、手を突き出してきた。
「どうも、お主の言っていることはよくわからん。とりあえず、幸が地図を持ってくるまで、その話は後回しにしよう」
光姫も同意しているのだろう、こっくりと頷いた。
隆宗と光姫は、気を落ち着けるように、お茶をすすると、ようやく一心地ついたようだった。
「ふう、話は変わるが、お主。なぜそのような、見たこともない格好をしておるのだ?」
「見たことない?この服が?」
いくらここの人が和装でいても、ちょっと外に出れば、洋服なんてみんな着てるだろうに、それを見たことないとは、どういうことだろう。
明治は、自分の格好を眺めながら不思議に思う。
「もしかして、あなたの国では、そういう格好が普通なのですか?」
「え?は、はい」
不思議そうな顔の光姫の質問に、明治は戸惑いながらも肯定した。
どうも、お互いの常識が異なっているようで、いまいち要領を得ない会話だった。
と、そこへ、
―トントン
襖を軽くたたく音とともに、幸の声が聞こえてきた。
「お館様、光様。地図をお持ちしました」
「おお、入れ」
「失礼します」
すっと襖を開け、巻物を手にした幸が、しずしずと歩み寄ってきた。
「どうぞ」
幸が、巻物を隆宗に手渡して、その場を去ろうとした。
しかし、隆宗がそれを引き留める。
「ちょっと待て。どうだ、幸?お前も、安部殿の住んでいる場所を知りたくはないか?」
「は、はあ」
幸がどう返事をしたものか困っているところを、光姫が後押しをした。
「せっかくだから、見ていきなさいな。勉強にもなるでしょうから」
「…分かりました。そこまでおっしゃるのでしたら…」
立ち去ろうとして、立ち上がりかけていた幸は、そう返事をした後、明治の隣に正座して、明治に笑いかけた。
今まで、女の子とあまりしゃべったこともなく、ましてや、コンビニの店員のような営業スマイル以外の笑顔を向けられたことのない明治としては、緊張するしかなかった。
その様子を幸に見られて、くすくすと笑われた故の羞恥心か、あるいは女の子がすぐそばにいるという状況に照れたのかは分からないが、明治は自分の顔が赤くなるのが分かった。
そんな微笑ましい光景に、少しの間、場の空気が和んだが、隆宗が空気を改めるように、軽く咳払いをして、巻物を床に広げた。
バサッと気持ちよく広がった巻物から現れたのは、墨と筆で描かれた日本地図だった。
しかし、明治の記憶にある日本地図とは、若干形が違う。明治の知っている日本地図は、現代に多く広まっている、細かな部分まで精緻に再現されている一般的なものだが、この巻物に描かれた日本の形は、大まかな形こそ同じではあるが、細かな部分が曖昧に描かれている。
そして、なにより大きな違いは、北海道や沖縄がどこにも描かれていない。更によく見れば、四十七の都道府県に分けられているのではなく、明らかにそれ以上の分割がされていた。そして、その中に、甲斐、信濃、近江、尾張、三河など明治の知らない単語が書かれていた。
記憶と違う地図に混乱している明治を余所に、隆宗が伊豆半島の南の辺りを指さした。
「ここが、今俺たちがいる場所、すなわち八洲の国だ。陸側の守りさえしっかりしてれば、後は海で囲まれた、守りやすい、いい国だ」
「それだけじゃなくて、領民たちの気性も穏やかだし、海に接しているから、お魚も新鮮なまま食べることができますよ。私は、この人に嫁いでから、初めてあんなに新鮮なお魚を食べました」
明治は、隆宗のお国自慢と、光姫の暢気な補足など、まったく耳に入ってこなかった。
全体の形は、明治の知る日本と同じなのに、書かれている内容が違う地図。そこから、導き出された結論を明治は、恐る恐る口に出そうとした。
「あの、山辺さん?」
明治に声を掛けられて、隆宗は少し不思議そうにした。
「俺のことか?あまりそう呼ばれるのは慣れてないから、気楽に隆宗と呼んでくれ」
「は、はあ。それじゃあ、隆宗さん」
「何だ?安部殿」
今度は、明治が仰天した。
「あ、安部殿?」
「どうした?お主の姓は安部ではなかったか?」
「いや、そうなんですけど…、そう呼ばれるのは、僕も慣れていないので、僕も明治と呼んでください」
「そうか。明治殿か」
「で、できれば、その「殿」も外して、呼び捨てでお願いします」
例え、明治でなくとも、殿を付けて呼ばれることに慣れている人は、あまりいないだろう。
しかし、隆宗にとっては殿を付けるほうが自然だったらしく、呼びにくそうに、口の中でもごもごとしていた。
その様子を見ていた光姫が、呆れたようにため息を吐いて、助け舟をだした。
「とりあえず、慣れるまでは、呼び捨てでなくてもいいんじゃありません?」
「う、うむ。そうだな」
隆宗が頭をポリポリと書きながら同意し、思い出したように、話を戻した。
「話が逸れたが、明治殿。何か聞きたいことがあったのではないか?」
「ああ、はい。この地図ですけど。間違っていませんか?」
「「「間違っている?」」」
明治の言葉に、その場にいた三人が、一斉に首をかしげた。
そして、地図を持ってきた幸が、おずおずと答えた。
「それは、確かに領地の大きさなんかは、正確じゃないかもしれませんが、それでも間違いではないと思いますよ?」
隆宗は、頷きながら補足する。
「今は、常に戦が起きていて、領地同士が争っておるからの。だから、常にこの地図も変わってはいる。そういう意味では間違いかもしれん」
明治は困った顔をしながら、自分の言葉の補足をした。
「いえ、そういう意味での間違いではなくて。この地図全体のことです」
「全体とは?」
隆宗の疑問に、明治は地図の北のほうを指さしながら説明する。
「ここには、北海道があるべきなのに、この地図には存在しません」
明治はそのまま、指をスライドさせて、今度は南を指し示す。
「後、ここには沖縄があるはずなのに、同じようにこの地図には書かれていません」
地図から顔を上げた明治が見たのは、先ほどと同じように首をかしげた三人だった。
「「「ほっかいどう?おきなわ?」」」
どうやら、彼らには聞き覚えのない単語らしく、しきりに首を捻っていた。
その三人の様子を不思議に思いつつも、明治は話を続けた。
「まあ、そんな感じで多少違ってはいますが、この地図は僕の知っている日本のはずなんですが」
「お主の言う、ほっかいどうやら、おきなわとやらは分からぬが、結局お主は南蛮渡来の者ではなく、我らと同じく、日の本の人間だったか」
明治の言葉を完全には理解していないようだが、隆宗たちも自分の中でどうにか折り合いをつけたようだった。
「それにしては、お主の言う、「かがねけん」とやらも「さきおかし」とやらも載っておらぬな。お主の年が十六ということは、少なくともこの地図になければおかしいはずだが」
「そうなんですよね」
隆宗と明治は、二人して頭を悩ませてしまった。
と、そこへ、
―ぐぅ~。
それまでのシリアスな空気をぶち壊すかのように、明治の腹の虫が盛大に騒ぎ立て、その場の全員の視線が、明治に集中する。
「あ、あは、あははは」
頭をぽりぽりとしながら、明治はごまかし笑いを浮かべた。そして、
「「「「…、ぷっ」」」」
その場の全員が一斉に吹き出し、たちまち部屋は爆笑の渦に巻き込まれた。
「くはははは」
「ははははは」
「あはははは」
「だはははは」
どうやら、全員共通のツボに入ったらしく、しばらくは笑いが収まらなかった。
やがて、笑いが収まった時には、全員が息も絶え絶えといった様子で、ぐったりとしていた。
「仕方ない。一度、昼飯を食べよう」
笑いすぎて痛くなった腹をさすりながら、隆宗が提案した。顔が微妙に歪んでいるところを見ると、どうやら、油断すれば再びこみあげてくる笑いを、必死にこらえているらしい。
そして、それはほかの三人も同じことのようで、三人は、隆宗の提案に無言で頷いただけだった。
その後、昼食を取りに行った幸が、数人の女性とともに、お膳を持って現れた。そして、隆宗、光姫、明治の前に配膳を済ませたところで、幸たちは立ち去って行った。
メニューは、シンプルに焼き魚と、お浸し、みそ汁とごはん、といった内容だったが、調理の仕方が良かったのか、空腹のためなのか、とにかくその美味しさに、明治は感動したようで、無言で食べ続けたのだった。