第1章 願い 第3話
翌日、いつものように体育館裏に呼び出された明治は、不良たちから暴行を受けていた。
「テメェ!オツカイもまともにできねぇのか!」
どうやら、明治がうっかりオツカイリストと違うものを買ってきてしまったらしく、明治は不良たちの激しい罵声と暴行に、必死で耐えていた。
やがて、気が済んだのか、不良たちは暴行を止めた。
その一部始終を見ていた財部は、地面に蹲っている明治の髪を掴むと、強引に上を向かせた。
「いいか?安部。今回はここまでにしておいてやるが、次はないぞ?わかったな?」
明治がやっとのことで頷いたのを確認した財部は、不良たちと一緒に立ち去って行った。
それからしばらくの間、明治は地面に蹲ったまま泣いていたが、やがて授業の終わりを告げるチャイムが響くと、立ち上がって教室に戻った。
明治が教室の扉を開けると、それまで喧騒に包まれていた教室の空気が一変した。
明治の怪我を好奇の視線が追いかける中、そそくさと自分の席に向かった明治は、無言で帰る準備をして、そのまま教室から飛び出していった。
校門を出るまでの間に教師に呼び止められることもなく、学校を抜け出した明治は、涙を流しながら、通学路を走る。
すれ違う人たちが唖然としながら、視線をよこしてくるが、今の明治にそんなことを気にする余裕はなかった。
そうしていつの間にか辿り着いたのは、近所の河原だった。明治は、ふらふらと土手に降りるとそのまま、その場に座り込んでしまった。
怪しい男に貰ったお守りに効果を期待した自分が馬鹿だったと、明治はいらだち、ポケットから石を取り出すと、ぎゅっと握りしめた。
「畜生、何がお守りだよ!これのせいで、今まで以上にひどかったじゃないか!」
明治は、八つ当たりに、その石を投げ捨てようと、握った手を大きく振りかぶった。
しかし、その石に、まだ未練があるのか、何か別の意思が働いたのかはわからないが、結局、明治はその石を投げ捨てることができなかった。
そして、そのまま強く石を握りしめると、明治は逆らおうともせず、おとなしく不良たちのいうことを聞いてはパシリにされ、何かあれば脅されて、虫のように扱われても何もできない自分の弱さが悲しくて、声を押し殺して、泣き始めた。
それから、しばらくして、ようやく涙が止まり、少しだけ目を赤くした明治は、泣いて少しは気が晴れたのか、無言で自宅へと帰っていった。
家に帰った明治は、キッチンのテーブルにある書置きを見て、深いため息を吐いた。どうやら、母親は今日も遅くなるようで、夕食が冷蔵庫に仕舞ってあるらしい。明治は無表情にその書置きを見た後、くしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱へ突っ込んだ。そして、苛立たしげに、自分の部屋にこもってしまった。
制服を着替えた明治は、そのまま倒れこむように、ベッドに横になった。
自分をいつも虐げる、財部たちが嫌いだ。相談にも乗ってくれない、教師たちが嫌いだ。自分がこんなに辛いのに、それに気づかない母親が嫌いだ。何より、弱い自分が一番嫌いだ。強くなりたくないわけではない。事実、一時期、強くなろうといろいろとやってみたけど、努力が辛くなって、結局中途半端に投げ出してしまった。
辛いこと、苦しいことからすぐに逃げようとするのは、自分の悪い癖だと思う。直さなくてはいけないと思う。けれども、結局その癖を治そうとする努力すらも投げ出してしまった。
きっと、このままでは、高校三年間、下手をしたらその先もずっと、財部たちの奴隷同然の生活を送らなくてはならないだろう。
「そんなのは、嫌だ」
自分以外誰もいない、静かな部屋の中で、明治はぽつりと呟く。でも、今の自分を変えることは、今のままの明治では、到底無理なことだろう。
「どうしたら良いんだろう」
電気をつけていない部屋の天井を見上げながら、明治は自問を繰り返す。
「強くなろうにも方法も分からないし、どうせ自分なんかがやったって無駄なんだ。だったら、あいつらの弱みを握る?先生でさえも何もできないのに、僕が?無理だ。じゃあ、誰か、強いやつを味方につける?どうやって?大体、誰が強いんだ?本当に味方に付いてくれるのか?」
考えていることがどんどんマイナスな方向になってしまっている。
明治はやがて、諦めたようにため息を吐いた。
「結局、あいつらが飽きてくれるか、新しいやつを見つけてくれるかしないと無理か」
今のところ、明治は財部たちにとって、都合のいい存在なので、手放そうとはしないだろう。
「神様は意地悪だ。才能にあふれた人がいるのに、どうして僕には何の才能もないんだろう」
信じてもいない神を恨んだところで、どうにもならないことくらい、さすがに明治も理解している。
明治は、さらにネガティブ思考を続けようとしたが、まるでそれを拒否するかのように、明治の腹の虫が騒ぎ立てた。明治は、そのことに深くため息を吐くと、とりあえず考えることをやめるのだった。
今にも雨が降りそうな中、明治はとある決意を胸に登校した。
そうして授業を受けていると、いつものように、財部から、脅迫まがいのメールが着信した。
明治は、自分の決意を確認して軽く頷くと、ゆっくりと席を立つと、クラスメイトが遠巻きに見つめる中、呼び出し場所まで向かった。
そして、
「やっと来たか安部。じゃあ、いつものように頼むわ」
不条理にメモを突きつけられる。ここまでは、いつもと同じ光景だったが、明治はその決意を実行に移した。 つまり、彼らに反抗を試みたのだ。
「…だ」
「あん?なんつった?今」
財部が明治を睨みつけながら、聞き返す。
「い、嫌だって言ったんだ!」
明治は、きつく手を握りしめると、震えながら、自分の胸の内を吐露した。
「い、いつもいつも、僕をパシリに使って。お金もいつも払ってくれないし。だから、もうパシリにはいかない」
今まで、従順に自分たちの言いなりになっていた明治が、突然反抗しだしたことに、財部を始め、その場にいた不良たちが唖然としていた。
明治は、そのままの勢いですべてを吐き出した。
「そもそも僕は、お前たちの奴隷じゃない!お前たちのいうことを聞く必要はないんだ。だから、今日からはもう、お前たちのいうことは絶対に聞かない!」
息を荒くしながら言い終えた明治は、財部の顔が引きつっていることに気づいて、はっとした。
「てめえ!何言って…」
「待て!」
不良の一人が、明治の胸を掴もうとした時、財部が一喝した。そして、不良たちが注目する中、財部は、ゆっくりと明治に近づき、
「お前は、俺たちにはもう従わない。そういったな?」
明治は、震えながらも、ゆっくりとうなずいた。
「そうか。言いたいことはそれだけか?」
どうやら、明治は財部の逆鱗に触れてしまったらしく、その証拠に、淡々と告げてきた。
「いくら爺さんでも、やりすぎたら庇うことはできないって言われて、今までは手加減してきたが、もうどうでもいい。今、ここでお前を徹底的にぼこぼこにしてやる!」
明治が気が付くと、いつの間にか、周りを不良たちに囲まれていた。彼らは皆一様に下卑た笑いを浮かべていた。
財部は、冷徹に笑うと、一言、彼らに命令を下した。
「やれ」
その瞬間、明治を包囲していた不良たちが、一斉に明治に襲い掛かってきた。
顔、頭、足、腕、腹、背中、所構わず殴られ、蹴られる。
明治は、思わず、頭を庇いながら地面に蹲った。しかし、不良たちは、そんな明治にさらに容赦なく暴行を加えていく。
「いっ、痛!やっ、止め」
明治が泣きながら、必死に懇願するが、それが聞き入れられることはなく、それからしばらく体育館裏には、肉と骨を殴打する音だけが響き続けた。
「おい、お前ら。もういいぞ」
財部のその命令で、ようやく不良たちの暴行が止まった。
しかし、そのころにはすでに、明治はすでに意識を失っていて、体中が泥と殴打の跡で、かなりぼろぼろになっていた。
財部が、明治の髪を掴んで、強引に上を向かせる。明治の顔も、あちこちを殴打され、醜くはれ上がっていた。そんな明治の顔を見て、財部が下品に笑い声をあげた。
「げひひひ。ざまぁねぇなぁ。安部。俺たちに逆らうからこうなるんだ。これに懲りたら、二度と俺たちに逆らおうなんて、バカなことは考えないことだなぁ!」
財部は、掴んでいた明治の髪を放すと、気を失った明治を放置して、不良たちとどこかへと去っていった。