第1章 願い 第2話
夕暮れに染まる街の中を、明治は、とぼとぼと歩いていた。
結局、不良たちのパシリをさせられた後、屋上でずっと寝てしまっていたため、朝食を食べて以来、何も口にしていない。だからだろう、先ほどから、腹の虫が盛大に騒ぎ立てていた。
「早く帰って、なんか食べよう」
よし、と気合を入れて、明治は足を速めた。
そして、ある曲がり角をまがった瞬間だった。
―ドン!
誰かと思いっきりぶつかってしまい、その人の荷物が、ばらばらと散らばる。
明治は慌てて謝り、急いで散らばったものを拾い集めた。
「す、すいません」
「いやぁ、こちらこそ。申し訳ありません」
のんびりとしながらも、丁寧な言葉遣いで、相手も謝る。
やがて、散らばったものをすべて拾い終わり、明治はようやく相手をしっかりと見た。
かなりよれたパーカーを着て、下に穿いているズボンも、ところどころに穴が開いている。顔は、フードが目深にかぶっているため、見ることはできないが、先ほどの声の印象からして、まだ若い男だろう。そして、特徴的なのは、その人が背負う荷物だった。昔の薬売りの人が背負うような、大きめの木箱を背負っていたのだ。
明治は、改めてもう一度相手に頭を下げた。
「すいません。僕があわてて角を曲がったから」
「いやぁ。大丈夫ですよ。気にしないでください。お互い、怪我もなかったんですから」
ぶつかった相手の言う通り、明治があまり気にしすぎるのもよくないだろう。
「わかりました」
「そうそう。素直が一番ですよ」
「はあ」
「おやぁ?あなた…、」
いきなり顔を近づけられて、思わず明治はのけぞった。
「うわぁ!」
「ほうほう、ふむふむ」
「ち、近い!顔近い!」
明治が猛然と抗議するが、相手は無視して、さらに顔を近づけてこようとする。そして、明治の顔をガシっとつかむと、なぜか無理やり自分に近づけようとしてきた。明治は、慌てて相手の肩を掴み、引きはがそうとする。
その攻防は五分ほど続き、明治の我慢はとうとう限界を迎えた。
「いい加減にしろ!」
明治は顎を引いて、顔を掴まれたまま頭を突き出して、相手に頭突きをした。
―ゴツ!
明治の額が、見事に相手の鼻をとらえた。相手は鼻を押さえながら蹲り、明治は荒く息を吐いた。
「一体何なんだよ、あんた。突然人に顔を近づけてきて…」
「ずびばぜん」
相手の男は、何度か鼻を押さえて、鼻血が出ていないことを確認すると、理由を話した。
「いやぁ、あなたは珍しいオーラをお持ちのようでしたので、つい…」
「おーら?」
「はい。人には、それぞれ生命エネルギーの流れが存在します。それが体の表面から放出され、オーラとなるのです」
「はあ?」
突然、電波を受信したようなことを言われて、明治の頭はついていけていない。しかし、男はそんなことはお構いなしに、話を続ける。
「私は生まれつき、オーラを感じる感度が人より鋭いのです。そして、あなたのオーラは大変珍しい。きっとこの先、誰も経験できないようなことが、あなたを待ち受けているはずですよ?」
男は、まるで舞台で演劇を披露するかのように、大げさな身振りでお辞儀をした後、唐突に背負っていた荷物をおろし、ごそごそと探り始めた。
「時にあなた。何やら自分は不幸だって顔をしていますねぇ」
突然、話が変わり、明治は呆れるしかなかったが、とりあえず、あいまいに返事をしておいた。
「はあ。そうかもしれないです」
「そんなあなたに!」
「うわ!」
男が急に振り返ったので、明治は再びのけぞった。何だか、この男には驚かされっぱなしのような気がする。
そんな明治の心境をよそに、男は手に持った何かをずいっと、明治に差し出した。
「これはお守りです。あなたを不幸から守ってくれる、まあ一種の厄除けみたいなものですね」
差し出されたそれをよく見てみると、ピラミッドを上下にくっつけたような形をしたそれは、少し汚れたガラスのように見える。
「どうぞ。差し上げます」
「え?でも、お金持ってませんよ?」
明治が受け取れないと手を引くと、男は手に持ったそのお守りを、明治の手に握りこませた。
「お代はいりません。先ほど荷物を拾うのを手伝っていただいたお礼とでも思ってください。私の商売は、お客様に喜ばれてなんぼですので」
「はあ、それじゃあ」
明治は、手に握られたお守りをじっと見てみた後、せっかく貰ったのだからと、お守りをポケットの中にしまいこんだ。
「それでは、私は急ぎの旅がありますので、これにて…」
そう言って、男は再び大げさなお辞儀をしたあと、どこかへと歩き去ってしまった。
明治は、男が去って行った方向を少しの間見ていたが、やがて、携帯電話がメールの着信を告げたので、慌てて我に返り、メールの内容を確認した。
―今日は遅くなります
―夕食は作ってあるので、電子レンジで温めて食べてください
―母より
メールの内容を確認した明治は、自宅へと歩きながら、ため息を吐いた。
「「今日は」じゃなくて、「今日も」だろう」
母親に了解のメールを返信した後、明治はふと先ほど奇妙な男からもらったお守りを取り出した。そのお守りは、最初少し汚れたガラスかと思っていたが、改めて手に取ってじっくりと観察してみると、それはガラスではなく石の質感で、夕日に照らされて不思議な光を放っているようだった。
やがて、自宅に着いた明治は、制服を着替えた後、どさっとリビングのソファーに座りこんでしまった。メールで分かっていたことだが、母親はまだ帰ってきていない。キッチンのテーブルには、明治の分の夕食がラップに包まれて、鎮座していた。
テレビもつけていないので、家の中は静まり返っていて、時計の秒針の音だけが、やけに大きく響いている。
そんな静かな空間が、明治はとても気に入っていた。自分を煩わせるものもなく、嫌な気分になることもない。何も考える必要もない。そういう場所でぼうっとすることが明治の唯一の楽しみだった。
明治は、それからしばらくソファーに寝転びながら、ぼうっと天井を見つめていたが、やがて、空腹を訴える腹の音に負け、もそもそと夕食を食べるのだった。
そうして、一人寂しく食事をした明治は、食器を片づけて自室へ戻り、今日出された課題(といっても、一時限の授業以外はサボってしまったのだが)を終わらせ、少し長めに風呂に入った後、まるで嫌なことは忘れて、さっさと夢の中に逃避したいとばかりに、高校生にしてはだいぶ早い時間に、布団へともぐりこみ、本日最後のため息を吐いた後、ゆっくりと目を閉じた。
怪しげな男に、奇妙な石を渡されるというイレギュラーこそあったものの、基本的には、これが明治の一日である。