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第五章 罠と決闘 第3話

 一方そのころ、敵方の犀音側の陣では、盛大な酒盛りが行われていた。

 戦力、兵の練度ともに圧倒的に有利で、ほぼ勝ち戦であるが故に、余裕が出ているのだろう。

 その証拠に、本来戦の作戦準備などで忙しいはずの、犀音国領主の石原根政重も、部下の武将たちと一緒に、酒を飲んでいた。

「しかし、政重様。敵国とは言え、近隣の村から我らに祝い酒が届けられるとは、驚きましたな」

 ひげ面の武将に話しかけられた政重も、上機嫌に盃を傾けながら笑った。

「それだけ、我らの威光が優れているということだろう。聞けば、敵の大将、山辺隆宗は戦嫌いと聞く。そんな弱い領主では、民たちが我らに期待するのも無理はあるまい」

 部下たちの尊敬の眼差しに、ますます上機嫌になる政重の元へ、さらに近くの村から酒とつまみが届けられた。

 実は、この酒とつまみ、隆宗が相手を油断させ、正常な判断力を奪うための作戦として、近隣の村に言って届けさせたもので、桶狭間の戦いで、今川義元を破った、織田信長も同じ作戦を使ったと言われている。

 そんな事とは露知らず、部下たちに盛大に酒をふるまい、さらには自身も泥酔していた政重は、やがて酔いつぶれるように、その場で眠ってしまった。

 そして、その様子をこっそり見ていた、隆宗側の間者から、隆宗へと連絡され、ついに明治の初陣が開戦された。

 犀音国側に複数もぐりこんでいた間者たちは、作戦開始とともに、犀音国の陣に一斉に火を放ち、それと同時に、山辺軍の誘導部隊が犀音国の陣へと一気になだれ込んだ。

「ご報告いたします!」

 急に騒がしくなった本陣に、何事かと飛び起きた武将たちに、部下からの報告が入った。

「山辺軍が奇襲を仕掛けてきました!」

「何!?」

 政重は慌てて鎧を付けながら、伝令に命令を伝える。

「すぐに陣形を整えろ!各隊は敵を迎撃しながら本陣を円陣で守れ!火の手が上がっているところはすぐに消せ!」

「はっ!」

 伝令が各隊に政重の命令を伝えると、石原根軍の兵士たちは、直ちに命令を実行した。

 さすがに練度が高い兵士たちは、奇襲に成功して、陣内で暴れていた山辺軍の奇襲部隊を徐々に押し返した。

 対する山辺軍の奇襲部隊の隊長は、これ以上の戦闘は必要ないと判断し、自陣へと引き返していった。

 そのタイミングを見計らって、予め敵軍に潜入していた山辺軍の間者が政重に提言する。

「ご報告いたします!我が軍は敵の奇襲部隊の迎撃に成功し、敵部隊は引き返していきます!敵の本陣は奴らが向かう先にあると思われます!このまま奴らを追いかけて、本陣まで案内させた方が得策かと思います!」

 間者の提言に、石原根軍の武将たちは軽く打ち合わせをした後、山辺軍の奇襲部隊を追いかけることにした。

「総員、直ちに出撃準備を整えよ!これより、敵軍の本陣を叩きに行く!」

 兵士たちの雄叫びが、周囲の空気を揺らした。

「進軍を開始せよ!」

 一斉に動き出した約六千の兵士たちの足音が、地響きとなって轟いた。

 山辺軍の奇襲部隊は、敵軍が進軍を開始したことを確認すると、つかず離れずの距離を保ちながら、あらかじめ決められた道を進んで、敵軍を罠のある場所へと導いていく。


 そのころ、山辺軍の本陣では慌ただしく伝令が出入りして、状況を報告していた。

「現在、敵軍は予定通り奇襲部隊を追跡しながら、進軍しております!現在、予定箇所より距離およそ十八町―およそ二キロメートル―です!」

 伝令は連絡を伝え終えると、再び情報収集に出て行った。

「例の道までもうすぐか…」

 地図上に配置された駒を動かしながら、隆宗がぽつりと呟いた。

 明治は、徐々に迫りくる敵軍に、緊張を隠せず、恐怖で体が震えていた。

 それを見た隆宗が、優しく声を掛けた。

「怖いか?」

「…はい。お館様、本当に僕に戦えるでしょうか…」

 明治は縋るように隆宗に視線を向けた。

 隆宗は、考えるように遠くを見つめると、

「そうだな、最初は誰だって怖いさ。俺だって初陣の時は怖かった。でもな、明治、怖がってもいいけど、大切なのはいざっていう時に、躊躇わないことだ。そうしないと、戦場では生き残れない」

「躊躇わない…ですか?」

「ああ。相手は待ってはくれない。だから敵と対峙したら、刀を抜いて迷わずに斬れ。それまでは、好きなだけ迷ったり、悩んだりしてもいいけどな」

 隆宗の言葉を、明治は刻み付けるように、頭の中で繰り返した。

 そこへ、鉦定が明治の頭に手を置きながら、おどけた。

「ま、要は戦場で死にたくなかったら、必死になれってことだ」

 鉦定の、あまりに軽い言い方に、明治は思わず苦笑し、その場の重く張りつめた空気も少しだけ軽くなった。

 しかし、伝令が報告に来たことで、空気は再び緊張が走った。

「報告します!現在、奇襲部隊が「道」を通過しました!敵軍も間もなく到達します!」

 伝令の報告を聞いた全員が、一斉に隆宗に注目すると、隆宗は手にしていた軍配を高く掲げた。

「いよいよだ!全員、配置に付け!」

 隆宗の号令のもと、全員が自分の持ち場へと向かった。

 明治と、鉦定も担当の部隊に合流して、石原根軍が来るのを待っていた。

 そして、とうとうその時が来た。

―どぉぉおおん!

 まるで、花火のような腹の底に響く重たい音が聞こえた。

 森の木々が邪魔で見ることはできないが、恐らく道に仕掛けられた罠が作動したのだろうことは、想像に難くなかった。

 そして、それからさほど時間をおかずに、森の静寂を破るように、一発の花火が高く舞い上がり、黒い夜空を彩った。

 あらかじめ決められた、予定通り森に敵の先頭集団が入り込んだことを知らせる、奇襲部隊からの合図だった。

 その合図のすぐ後に、悲鳴や怒号、刀を打ち合わせる音などが響き渡り始めた。

 明治は、緊張した顔で、敵兵が来るのをじっと待っていた。

 そして、ついに明治の部隊のところへ、敵兵が現れる。

その瞬間、仕掛けた罠が作動し、左右から巨大な丸太が飛んできて、敵兵たちを薙ぎ払う。

 しかし、運よく罠から逃れた兵士や、後から遅れてきた兵士たちが、明治たちの部隊に襲い掛かってきた。

 鉦定たちは、刀を抜いて敵の迎撃をするが、明治は身体が固まってしまって、動くことができずにいた。

「明治!刀を抜け!」

 鉦定の怒声に、はっとした明治は、のろのろと自分の刀に手を掛けたが、手が震えているため、刀を抜けずにいた。

 鉦定と斬りあっていた敵兵が、一瞬の隙をついて鉦定を抜けると、明治に接近した。

「隙あり!」

 刀を大上段に振り上げて、敵兵が明治を切り殺そうとする。

 瞬間、明治の脳裏に、親友の矢矧が殺された時のことが蘇り、自分に迫ってくる敵兵の姿に、矢矧を殺した斑蜘蛛の姿が重なり、明治の視界が真っ赤に染まる。

「うわぁぁぁ!」

 明治は、錯乱したように大声を上げると、相手の刃が届くよりも早く刀を抜き放ち、そのまま斬りつけた。

「明治!」

 鉦定は、斬りあっていた敵兵を強引に切り伏せると、急いで明治へと駆け寄った。

「明治!しっかりしろ!」

 鉦定に二度声を掛けられて、ようやく意識が鮮明になってきた明治は、ゆっくりと自分の足元を見た。

 少し前に、自分を斬ろうとしていた敵兵は、今はうめき声をあげながら倒れていた。

 明治は眼を見開きながら、自分の刀に目を向けると、その刃は血に濡れて、未だにパタパタと血を滴らせていた。

 それを見た瞬間、自分の手に嫌な感触が蘇ってきた明治は、刀を落とすと、自分が今戦場にいることも忘れて、その場に蹲り、胃液を吐いた。

「ちっ!明治を守れ!」

 鉦定の命令で、部隊の兵士たちが明治を囲むように守りながら、襲いくる敵兵を迎撃した。

 刀を打ち合わせる音や、罠が人を薙ぎ払う音などが森中に響く中、明治は何もでなくなるまで吐き続けた。

 やがて、敵兵の迎撃がひと段落したころになって、ようやく明治はのろのろと立ち上がった。

 刀に付いた血を拭い終えた鉦定が、心配そうに明治を覗き込む。

「大丈夫か?明治」

 明治は顔を蒼白にさせながらも、どうにか頷いた。

「すいません。部隊長なのに情けないですよね…」

 今にも泣きだしそうな顔で謝る明治を、鉦定は優しく慰めた。

「初めて人を斬ったんだ。無理もない。それに初めての戦でこれだけの作戦を発案して、さらに実戦であれだけ動ければ上出来だ」

 鉦定に褒められて嬉しかったのか、明治の顔色が少しだけよくなった。

 しかし、そんな空気を壊すように、部隊の兵士が不満をぶつける。

「何で俺たちがこんな子供を守りながら戦わなくちゃいけないんだ!」

「そうだそうだ!」

 味方からの不満に、再び悲しそうに顔を伏せた明治を見て、鉦定は庇うように部下たちを一喝した。

「黙れ!貴様たちが初陣の時は、戦場の空気に飲まれて、碌に動けなかったことを忘れたか!それに、明治はこの作戦の立案と実行という、十分に立派な功績を立てている!貴様たちにそれができたのか!」

 鉦定に怒鳴られた兵士たちは、くやしそうな顔をしながらも一応は黙り込んだ。

 自分を庇ってくれた鉦定に、明治がお礼を言いかけた時だった。

―ブォォォォォォ!

 森の中に、戦の終了を告げるほら貝が轟き、それと同時に敵兵が敗走するのが見えた。

 それを見た兵士たちの間に喜びの声が上がり、戦を無事に乗り越えた喜びに浸った。

 鉦定と明治も、互いに顔を見合わせる。

「鉦定さん、終わったんですよね」

「ああ、詳しい状況は伝令からの報告待ちだが、終わったと考えていいだろう」

「僕たちの勝ち、でしょうか?」

「敵軍が敗走している以上、そう考えていいだろう」

 兵士たちの喜ぶ姿を見ながら、二人で話していると、どこからともなく、伝令が現れて、

「お館様からの伝令です!今回の戦は我が方の勝ち。状況を確認したいため、直ちに部隊をまとめ、本陣までお戻りください!」

 用件を伝え終わった伝令は、別の部隊に伝令を伝えに行った。

 明治は、伝令を見送った途端、その場にへたり込んでしまった。

「明治?大丈夫か?」

 鉦定が慌てて駆け寄ると、明治は誤魔化し笑いを浮かべた。

「すいません。急に緊張が解けたせいか、腰が抜けてしまいました」

 鉦定は苦笑すると、明治の手を引っ張って、強引に馬に乗せ、いまだに喜び合う兵士たちに命令を下した。

「お前たち!いつまでもそうしていないで、すぐに本陣に戻るぞ!」

 兵士たちは慌てて準備を整えると、先に行ってしまった隊長たちを追いかけはじめたのだった。

 やがて、山辺軍の全員が本陣に集結すると、天幕の中で、被害状況や敵軍の動向などの報告がされた。

「まず、今回の作戦ですが、概ね成功と言ってもいいでしょう。敵軍が道を通過した時に、戦力を三分割させて、先頭集団はその先の森で、中堅は道の上からの攻撃でそれぞれ撃破、残った部隊は撤退していきました。後続部隊に潜り込ませていた間者が、うまく敵軍を誘導できたようです」

「そうか。ご苦労だった」

 伝令に労いの言葉を掛けた隆宗は、作戦がうまくいったことに、ほっと胸を撫で下ろしながら、次の報告を聞いた。

「我が軍の被害状況ですが、死傷者がおよそ三百名、対して、敵軍の被害状況は、三千から三千五百程度と予想されます」

 被害状況を聞いて、武将たちがどよめいた。

 この被害の差は、地の利を活かし、かつ、罠や奇襲といった方法で戦ったからこその差であり、普通に正面からぶつかっていれば、山辺軍は壊滅していただろうことは想像に難くない。

「この戦で失われた命に、黙祷をささげよう」

 隆宗の言葉に、全員が黙って目を瞑り、冥福を祈った。

 そうして一分ほどが過ぎたころ、全員が黙祷を終えたことを確認した隆宗が、おもむろに宣言した。

「今回の戦は、これを以て終了とする!各自、退却の準備をせよ!」

 その言葉に、武将たちは三々五々、天幕を後にした。

 それからしばらくして、山辺軍は退却を始めたが、その道中の間に、明治はいつの間にか眠ってしまった。

 馬に乗ったまま眠ると、落馬してしまう危険があったので、鉦定はため息を吐くと、

「明治、そのまま寝ると、落馬するから、私の馬のほうに乗りなさい」

 明治は、寝惚け眼で鉦定を見ると、のそのそと馬を下りて、鉦定の馬に移った。

 鉦定は、明治が落ちないように後ろから支えながら、嘆息する。

 その様子を見ていた隆宗が、微笑ましいものを見るような顔で、鉦定に近づいた。

 それに気づいた鉦定が、隆宗に困ったような顔を向けた。

「まったく、子供ですね。これしきの事で、疲れて眠ってしまうなんて。明日からは、基礎体力の訓練もしないといけませんね」

 隆宗は明治が扱かれるのを想像して、可愛そうになったのか、明治をフォローする。

「初めての戦で、作戦を立案して実行したんだ。疲れるのも無理はなかろう」

「いや、甘やかしてはダメです。第一、お館様や奥方様は明治に甘すぎるんです。だから、教育係の私くらいは、厳しくします」

「…そうか、ほどほどにな」

 隆宗は明治に同情しながらも、そそくさと鉦定から離れたのだった。

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