第三章 親友と仇敵 第3話
それからしばらくして、明治たちが城に戻り、夕食を食べ始めたころ、隆宗が唐突に話を切り出した。
「明治。明日、俺と一緒に鷹狩に行かないか?」
「鷹狩ですか?」
「うむ。聞けばお主、ここの所、ずっと勉強や訓練ばかりしておるそうではないか。だから、偶の気分転換にどうだ?」
「…、そういうことでしたら、お供します」
「そうと決まれば、明日は早めに出かけるぞ。馬でしばらく走ったところに、いい鷹狩の場所があるんだ」
「それじゃあ、今日は早く寝ないとですね」
そして、それまで微笑ましそうに、二人の会話を聞いていた光姫が、何故か嬉しそうに会話に参加し始めた。
「そういうことなら、明日はお弁当がいりますね。でしたら、今日のうちにおさねさんにお願いしておかなければ」
それを聞いて、隆宗と光姫に強引に食事の席に同席させられた幸も、何故か嬉しそうに、
「だったら、私が用意いたします。アキ君、私腕によりをかけて作るから、楽しみにしててね!」
「う、うん。楽しみにしてます」
「そうだ!どうせなら幸。お主も一緒に来ぬか?」
「いいんですか!?わぁ、私鷹狩なんて見るの初めてです!」
戦国時代に来て、一月が経過した明治だったが、未だにこの城の人たちのノリの良さには、時々ついていけなかった。
もはや、既に諦めていた明治は、一人もそもそと食事を再開させた。
そんな明治を余所に、三人は会話に花を咲かせていたが、突然、幸が思い出したように手をポンと打つと、隆宗にこっそりを耳打ちをした。
「そういえば、お館様。お願いがあるんですけど…」
「ふむ。お願いとな」
耳打ちする理由は不明だが、幸が明治をちらちらと見ながら、話しかけてくるところを見ると、明治に聞かれてはまずいことなのだろうと、鋭い洞察力を発揮させた隆宗は、一つ頷いて、
「では、後程、俺の部屋で聞こう」
と言いながら、意味ありげに幸に片目をつぶったのだった。
「?」
何となく、自分に関係することだろうと予想はついていたが、意味不明なやり取りに、明治は肩を竦めた後、そのやり取りを聞かなかったことにすることを決めた。
その後、食事も終わり、明治が部屋に戻ったのを確認した三人は、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、そそくさと隆宗の部屋へ入っていった。
最後に、隆宗が部屋の外に誰もいないことを確認して戸を閉めた後、そのまま話を始めた。
「それで?幸よ。お願いとはなんだ?」
「はい。実は、アキ君のことなんですけど…。アキ君、戦に出るのを嫌がってると思うんです」
「ふむ。それは確かにそんな節があるな」
光姫も概ね同意しているようで、隆宗の言葉に頷いた。
「そこで、私のお願いなんですけど…。私、一度でいいからアキ君の鎧姿を見てみたいんです。だから、アキ君の鎧を用意してもらえませんか?」
隆宗は、顎に手を当てて考え込む。
実は、隆宗は明治の教育が一通り終わったら、戦に出てもらおうと考えていた。しかし、明治は、戦に出るのを嫌がっているため、どうしたものかと考えていたのだ。
そこに、この幸のお願いである。これ幸いにと、明治に鎧を着せてしまえば、後は騙すなりなんなりして、戦に出すこともできるだろう。
隆宗は顔を上げると、悪戯っぽい顔をしながら、了承した。
「いいだろう。俺も、ちょうどあいつに鎧を着せたいと思っていたところだ」
「本当ですか?」
「では、早速明日から、あいつの採寸をして、鎧を発注しよう」
「それじゃあ、明治さんの刀も用意しないといけませんね」
「そうだった。お光ありがとう。忘れるところだった」
「うふふ。じゃあ、明日さっそく商人に発注しておきましょうか」
「いや。それよりも直接城下の職人に注文したほうが早いな」
「でも、採寸はどうするんですか?」
「それは、俺に任せておけ」
幸のもっともな疑問に、隆宗はにやりと笑う。何かいい策があるのだろうと考えた二人は、黙って頷いて、その日の秘密の会合は、解散になった。
翌日、まだ外が薄暗い夜明け寸前の時間帯に、幸が明治を起こしに来た。
「アキ君。今日は鷹狩に行く予定だよ。だから早く起きて」
戦国時代に来てからは、未来にいたころでは考えられないほどに早起きになった明治と言えど、さすがにこの時間に起きるのはきついようで、中々起きようとせず、挙句意味不明な言葉を口走り始めた。
「…うーん。…鷹狩、…狩り、…カリントウ、……」
「(…ぷっぷぷぷ)」
目覚め直前特有の、思考回路が正常に働いていない人間の発言は、聞いていて面白いもので、その例にもれず、幸も必死に笑いをこらえて、しばらく続きを聞くことにした。
一方、当の明治は、そんなことは露知らず、意味不明な言葉をしゃべり続けた。
「…むにゃ。…肉、…森、…森の木陰でどんじゃらほい」
「ぶふっ!」
ここで笑いをこらえるのも限界を迎えたらしく、とうとう幸は吹き出してしまい、そのまま爆笑してしまった。
さすがに半分は寝ていた明治でも、すぐそばで爆笑されては、起きざるを得なかったようで、明治は顔をしかめながら、のそりと起き上がり、ゆっくりと周りを見渡した。
やがて、未だに爆笑の余韻でぴくぴく震えている幸を見つけると、何度か瞬きをした後、
「…おはようございます」
「ぶふっ!」
その様子があまりにおかしかったのか、幸は再び吹き出した。
その後、どうにか笑いの連鎖から立ち直った幸は、大きく咳払いをして気分を入れ替え、本来の用事を済ませるため、改めて明治に向きなおった。
「おはよう。アキ君。もうすぐ鷹狩に行くから、ご飯食べて準備しよ?」
「そうか。今日は鷹狩にいくんだっけ?」
「そうそう。少し遠いところみたいだから、早く出発するんだって」
「分かりました」
二人で協力して、布団を仕舞うと、明治は洗顔と着替えをしに、幸は朝食を取りに行った。
やがて、二人で朝食を食べている最中、幸が先ほど明治が寝ぼけて発言した内容について聞いてきた。
「そういえば、アキ君。「どんじゃらほい」ってどういう意味?」
「?どんじゃらほい?なんですかそれ?」
いくら発言した当人だからと言っても、さすがに寝ぼけていた時のことを覚えている人間は、そうはいない。
幸は気になって仕方なかったが、本人が覚えていないのでは、聞いても意味ないだろうと思い、結局あきらめることにして、食事を再開させた。
しばらくして、明治と幸の準備が終わり、門の近くで待機していると、同じく準備を終えた隆宗が数名の小姓と鷹を連れて、明治たちのところへやってきた。
「へぇ。これが鷹狩に使う鷹ですか?」
「うむ。俺の相棒で、名前を飛爪丸とびつめまるという。格好いいだろう?」
明治は、初めて鷹を見て、しきりに感心していた。
明治が、鷹に触ろうと、恐る恐る手を伸ばすと、鷹は鋭い目つきで明治を睨みつけ、翼を広げて威嚇した。
「うわぁっ!」
明治は、咬まれそうになった手を慌ててひっこめた。
「あー。びっくりした」
「はっはっは。こいつは少し気性が荒いところがあるからな。気を付けろよ」
そう言いつつ、隆宗は慣れた手つきで、鷹を宥めた。
それからしばらくして、一行が鷹狩の場所に着いた頃には、既に日が高く上り、昼に近い時間になっていた。
そこで、まずは腹ごしらえとばかりに、城の女中たちが作ってくれた弁当をその場に広げた。
やがて、昼休憩が終わり、明治がわくわくしながら見守る中、鷹狩が始まった。
鷹狩とはまず、一緒に連れてきた犬を放して、獲物を追い立て、タイミングを見計らって、鷹を放し、獲物を捕らえる方法だ。この時、鷹が捕えた獲物をそのまま食べないように、エサと獲物をすり替えるのがコツである。
犬に追い立てられたウサギが、空から急降下してきた鷹に捕まる。鷹は獲物を主人の元へ持ってこないので、小者が慌てたように走って、捕えた獲物を隆宗のもとへ持ってきた。
「へぇ。見事なものですね」
「私も鷹狩は初めて見ました。なんかすごいですね」
初めて鷹狩を見た明治と幸は、その豪快な狩りに感心してばかりだった。
その後も、何度か狩りを続けて、そろそろ鷹が疲れ始めた頃合いを見計らって、
「そろそろ終わりにするか」
隆宗の一言で、その日の狩りは終了し、一行は城へ戻ることになった。
そして、城へ帰る途中、領内にある美作村みまさかむらという小さな村に差し掛かった時のことだった。
明治と幸が乗っていた馬の前に、突然、一人の少年が飛び出してきた。
「うわぁっ!」
いきなり手綱をひかれた馬は、しかし忠実に明治の命令に従い、間一髪で少年を踏みつけることを回避できた。
明治は、慌てて馬から降りて、少年に駆け寄った。
「だ、大丈夫?怪我はない?」
「は、はい」
明治は、少年を引っ張りおこしながら、
「駄目じゃないか。急に飛び出してきたりして」
「すいません。ちょっと急いでいたもので…。痛っ!」
どうやら、少年は足を捻ってしまったようで、足首を押さえて、蹲ってしまった。
少年は、どうにか立ち上がろうとしたが、かなり痛むらしく、またすぐに蹲った。
明治は、少年に肩を貸して立ち上がらせると、
「お館様、僕、この子を村まで送っていきます。だから、先に帰っててください」
「ふむ。そうか?別にかまわないが、馬はどうする?」
「あ、そうか。…幸さん、一人で馬に乗れますか?」
「え?ええと、走らなければ、大丈夫だと思うけど…」
「じゃあ、馬をお願いします」
「大丈夫?私も一緒に行こうか?」
心配そうにする幸に、明治は首を振った。
「大丈夫です。幸さんは、城の仕事もあるでしょ?」
「う、うん」
「それじゃあ、お館様。お願いします」
「うむ。了解した」
隆宗の了承を合図に、一行は明治を置いて、城へと戻っていった。
明治は、それを見送ると、少年い肩を貸しながら、歩き始めた。
明治と少年の間に、気まずい沈黙が流れる。
「……」
「……」
少年は、明治と自分の間に身分の差を感じているのだろう、何かを言いたげにしてはいるが、気安く声をかけることが躊躇われるようで、先ほどから明治の顔をちらちらと見ていた。
「……、あのぉ」
とうとう気まずい沈黙に耐えかねた明治が、愛想笑いを浮かべながら、少年に声をかけた。
「そういえば、君の名前は?」
「は、はい!」
声を掛けられたことに動揺したのか、少年は肩をびくりとさせながら返事をした。
明治は、そんな少年に苦笑する。
「そんなに緊張しなくていいよ」
「え、いや、でも、あの。お侍様だから」
「もしかして、身分を気にしてる?だったら、別にそんなの気にしなくていいよ。そんなに偉いわけでもないし。もっと気楽にしてよ。年も近そうだし、敬語もいらないよ」
少年は、少し困り顔をしながらも、どうにか納得してくれたようだった。
「じゃあ、改めて聞くけど、君の名前は?」
「俺は…、矢矧やはぎ…です」
「年は?」
「今年で十六…です」
「へぇ。僕と同い年じゃん」
「え?そうなん…ですか?」
矢矧と名乗った少年は、頑張って敬語を抜きでしゃべろうとしているようだが、やはり落ち着かないのか、妙なしゃべり方になっていた。
明治は困ったように頬をポリポリと掻いた。
「変な喋り方になってるから、自分の喋りやすいように喋っていいよ。その代り、慣れてきたら、敬語は抜きだからね。実は、敬語を使われると、背中の辺りがむずがゆくなるんだ」
「分かりました」
それからしばらく、二人は歩きながらお互いのことを話続け、その甲斐あってか、矢矧は明治に敬語抜きで話せるようになり、二人は友達と呼べるほどにまで打ち解けた。
やがて、矢矧がとある一軒の家の前で足を止めた。
「ここが、俺の家」
その家は、板葺の平屋で、城や明治が暮らしていた未来の家に比べると、だいぶ見劣りしていた。
「母さん!ただいま!」
矢矧はおもむろに戸をあけて、中に声をかけた。
「お帰りなさい」
はつらつとした声とともに、奥からふくよかな女性が顔を出した。
「おやおやまあまあ。お客さん…かい?」
矢矧の母親は、明治の顔を見るなり、目を丸くして固まってしまった。
そして、唐突に我に返ると、矢矧の頭をぽかりと殴った。
「このバカ!お侍様をなんで、家に連れてくるんだい!」
「って~!」
殴られた矢矧は、頭を押さえて蹲る。
それを無視して、矢矧の母親は明治に向きなおって、慌ててぺこぺこと頭を下げた。
「申し訳ありません!お侍様!家の倅が失礼をしたようで!どうか!どうかご容赦のほどをお願いします」
そういって平謝りしていた母親は、とうとう土下座まで始めてしまった。
生まれて初めて土下座を見た明治は思わず後ずさりする。
「あ、あの。別に謝る必要はないですよ。僕は矢矧君が怪我をしたので、連れてきただけですし」
それでもなお、頭を下げ続ける矢矧の母親に業を煮やした明治は、髪をがしゃがしゃとかき乱した。
「ああっもう!土下座も謝るのも、もういいですから!とにかく顔を上げてください!これじゃあ、まったく話が進みません!」
「はあ。お侍様がそうおっしゃるなら…」
何故か会話だけで疲れた明治は、ぐったりと肩を落とした。
「できれば、敬語もやめてほしいです」
「それは…、慣れたらそうします」
とりあえず、母親の謝罪が終わったところで、明治は話を進めた。
「えっと、とりあえず矢矧君の怪我は、足を軽くひねった程度なので、安心してください」
「はあ、でもなんでそもそも怪我を?」
母親に突然視線を向けられて、矢矧は焦りながら、
「そ、それは、その」
自分に非があるからか、矢矧はうつむきながら、ぼそっと答えた。
「…俺が馬の前に飛び出したから」
矢矧の言葉を聞いた瞬間、母親が爆発した。
「あんた!一体何考えてるの!お侍様馬の前に突然飛び出すなんて!このバカ!」
再び矢矧の頭を叩きながらも、母親の説教は続く。
「全く!あんたって子は!仕事も手伝いもせずにいつもいつも!挙句の果てにお侍様の馬の前に飛び出して、怪我したなんて」
矢矧の困った視線を受けた明治は、とりあえず母親の説教を中断させようと、恐る恐る声をかけた。
「あの、お説教はその辺にしておいてあげてください。とりあえず、今日は休ませてあげた方が…」
矢矧の母が、明治の弱気な説得にどうにか応じてくれたので、明治と矢矧はほっとした。
「それじゃあ、今日のところは帰ります。また、明日城から薬を持ってきます」
明治の申し出に、矢矧の母親は慌てて手をパタパタと振った。
「そ、そんな滅相もありません。家なんかのために、わざわざ薬はいただけません。こんなのは放っておけば治りますから」
「一応、僕にも非がありますから、それくらいはさせてください。でないと、僕も気が済まないというか何というか…」
「は、はあ。そこまでおっしゃるなら、分かりました」
明治は、玄関の戸をスラッと開けてから、
「それじゃあ、お邪魔しました」
「何のお構いもできませんで。失礼いたしました」
「いえいえ。お構いなく。矢矧、また明日」
「おう。気を付けて帰れよな!」
ぐっと親指を立てる矢矧の頭を、三度母親の拳骨が襲った。
「あんた!お侍様に何て言葉遣いなの!」
「いってぇなぁ。別に、それでいいって言われたんだからいいじゃねえか」
「おだまり!」
もはや当たり前のように、母親の拳骨が、矢矧の頭に落下した音を聞きながら、明治は外へと出て行った。
そして、記憶を辿りながら、矢矧と出会った道まで戻ってきたが、そこで明治の足が、ぴたりと止まってしまった。
「……、参ったな。城への道がわからないや」
どうにか道を思い出そうと、しばし黙考していた明治だったが、やがて、諦めたように深くため息を吐いた。
「仕方ない。誰かに聞くか」
一人呟いて、辺りを見回してみたが、通るのはせいぜい野良犬や野良猫で、誰ひとり道を通りがかる人はいなかった。
明治は自棄になって、目の前を横切っていく野良犬に声をかけた。
「なあ、お前。城への帰り道分かる?」
そんなことを尋ねても、当然犬に人語を理解できるはずもなく、野良犬は明治を、無視してどこかへと立ち去って行った。
野良犬に完全に無視された明治が落ち込んでいると、突然、後ろで誰かが噴出した。
驚いて振り返ってみると、そこには杖をついた矢矧が立っていた。
どうやら、さっきの犬とのやり取りを見られていたらしく、矢矧は爆笑していた。
「ぷくくく。くっくっく。ぶはっはは。い、犬。犬に…道を…、ぶふっ!」
明治の行動が完全にツボに入ったらしく、矢矧は笑いすぎて苦しそうにしている。
対する明治は、羞恥心で顔を真っ赤にした。
「見てたなら声をかけてよ」
「ごめんごめん。…ぶふぅ」
矢矧は必死に笑いを止めようと頑張っていたが、一度ツボに入ったら、そうそう簡単に止まるものではなく、それからしばらくの間、矢矧の爆笑が止まることはなかった。
「で?わざわざ杖をついてまで、僕を追いかけてきた理由は?」
矢矧の笑いが収まったのを見計らって、明治が話を切り出した。
「ああ。まあ、大した理由じゃないけど、ここは割と辺鄙な村だから、帰り道わかるかなと思って。そしたら、思った通り」
「そういうことか。それで?」
「ん?」
「だから、城への帰り道は?」
「わからん?」
「は?」
てっきり道を教えてくれるものだと思っていた明治は、矢矧の予想外の答えに、思わず目を点にする。
明治は、額に手を当てて少し唸った後、もう一度訊きなおした。
「城への帰り道は?」
「だから、分からん」
どうやら、明治の聞き間違いではないらしく、矢矧は先ほどと同じ答えを返した。
明治は肩をわなわなとふるわせながら俯いた。
「…ふ…ふ、ふふ…」
「ふ?」
「ふざけるなー!!」
明治のそう丈夫ではない堪忍袋の緒が、「ブチッ」と音を立てて切れた。
その後、矢矧はどうにか明治を宥めすかし、帰り道を一緒に聞くことにしたが、如何せん、割と辺鄙なところに存在する美作村である。
いくら、村の近くの一番大きな道とはいっても、街道でもなければ、大きな宿場町が近くにあるわけでもないので、滅多に人が通ることはない。偶然通りがかる人も、近隣の村の人や、美作村の人たちくらいだ。当然、そんな彼らは、一度も城を訪れたことはなく、明治や矢矧が道を尋ねても、首を横に振るだけであった。
空高く舞う、鳶の鳴き声がむなしく響くなか、二人の間に、何とも言えない沈黙が流れ、明治はがっくりと肩を落とした。
「はあ、なんとなく予想してたけど、まさかここまで人が通らないとは…」
「あ、あははは。これじゃあ、城に帰れないね」
明治を助けるつもりだった矢矧は、散々な結果に、笑って誤魔化すしかなかった。
明治は、既に暮れかけた空を見上げながら、
「参ったなぁ。お館様に、後から追いかけるって言っちゃったのに」
「そうだね。せめて村に城の道が分かる…ひと…が…、…ああっ!」
突然、ポンと手を打った矢矧に、明治は疑問の視線を向ける。
「そういえば、家の隣の家の親父さんが、この間城に呼ばれてたんだった」
「なに~っ!!」
唐突に発覚した衝撃的な事実に、明治は思わず叫び、矢矧の肩を掴んで、がくがくと揺さぶった。
「何でそれを早く言わないんだ!」
「い、いや。い、いま、ま、ま、ま…」
矢矧は、手を合わせて謝ろうとするが、明治に揺さぶられたままなので、うまく喋れない。
ひとしきり矢矧を揺さぶって気が済んだのか、矢矧はようやく解放された。
揺さぶられた衝撃で、いまだにぐらぐらする頭を抱えながら、矢矧はさっきの言葉を言い直した。
「今の今まで忘れてたんだよ」
「まったく。まあいいや。それじゃあ、その親父さんのところに案内してよ」
城へ帰れると期待した明治は、早速矢矧に案内を頼む。
「あ、それ無理」
頼みをあっさりと拒否されて、明治は思わずそのまま固まってしまった。
どうにか復活した明治は、勢いよく矢矧に詰め寄った。
「何でだよ!」
「だって、隣の親父さん、まだ城から戻ってないもん」
平然と言い放つ矢矧に、明治はがっくりと肩を落とし、深いため息を吐いた。
「その親父さんはいつ戻るの?」
「多分明日だと思うけど?」
そうして、結局明治は、その日のうちに城へ戻る手段がなくなったため、矢矧の家に泊めてもらうことになったのだった。