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いつもの日々と、少しの秘密  作者: オセロ


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1/1

【教室の出来事】

はじめまして、お久しぶりです。

生きてます。

シリーズです。たぶん。

白瀬成美×赤羽美羽(改稿版)


×××


 目を開けると、白い光が世界を包んでいた。


 太陽に温められた机から上体を起こす。


「ふぁ~。よく寝た~」


 目を細めて窓の外を眺める。高く青い空、中天より少し西に傾いた太陽が燦々と照りつけていた。開けられた窓から入る風が頬を撫でる。


「あれ?」


 外では血気盛んに部活動に励む生徒たちの姿が見えた。素振りを繰り返す野球部。パス回しをするサッカー部。校庭を周回する陸上部。若いエネルギーがまっすぐスポーツへ向かう様子に少し眩しさを覚えながら、両腕を目一杯伸ばして体をほぐす。


「そっかそっか」


 と、間の抜けたあくびがひとつ。


 滲んだ視界を、一羽の鳥が横切った。白くて小さい鳥だ。種類はわからないが、動くそれは成美の視線をいたずらに引っ張った。高く、低く、右へ、左へ。大きく旋回して楽しそうに飛び回る。


 目で追うにちょうどいい速さで、ぼんやり眺めているだけで頭が少しずつ冴えてくる。


 冴えてきた頭で、視線を前に落とす。そこには四百字詰め原稿用紙が二枚。横にシャープペンシルと消しゴムが無造作に転がっていた。


 一行目に「今年の目標」。

 二行目に「二年A組 白瀬成美」。


「あーあ、寝ちゃったか~」


 視線を再び黒板に向ける。


 四月二十日、月曜日。

 静まり返った教室に、時計の音だけが五月蠅く響いていた。針は十五時を少し過ぎている。


 私が通う私立瀬戸高校は、毎月第三月曜日に教員会議があるらしい。そのせいで、この日はたいてい午前授業になる。


 今朝の予定どおりなら、午前の授業をまっとうに受けて、帰宅してご飯を食べて熟睡。起きたらノートも見直さずゲームか漫画に没頭する――そんな無駄のない完璧な一日を送るはずだった。


「はぁ~」


 重たいため息とともに、真っ白な現実を直視する。


 昨晩、「今年の目標」という宿題を無視してオンラインゲームに没頭していた。寝る前、モンスターを狩りながらふと浮かんだ言葉を、そのまま書いて眠ってしまった。今朝それを提出したら、ホームルーム後に呼び出され、担任から無慈悲な一言――「再提出」――をいただいたのだ。


 あのときは三十分もあれば終わると高を括っていた。けれど、一度「これで完成」と脳が決めてしまったものはなかなか覆せず、頭の中でまとめてから文字にしようと、何度も何度も同じところをぐるぐる回った。


 考えれば考えるほど腹が減り、食堂が閉まる前に何か入れておこうと思い立った。肉うどんとおにぎりを平らげて教室に戻り、いざ集中、と再びペンを持ったところで記憶が途切れている。


 最後に覚えているのは、出汁の効いた濃厚なスープと、コシのある太めの麺の喉ごし、ふっくら握られた昆布おにぎりの食感だけだった。


 なぜ自分が教室にいるのか思い出し、成美は再び深いため息をついた。


「やっちゃった~」


 外に目をやると、さっきの鳥はもうどこにもいなかった。


 肘をついて原稿用紙を見下ろす。シャープペンシルの芯を出しては戻し、出しては戻し、


「大体……この課題自体、間違ってるって」


 思わず愚痴がこぼれる。


「今年の目標って何? 二年生の目標ならわかるよ。でも、今年はもう四か月も過ぎてるし。あと十日もすればゴールデンウィークだよ。もう五月だよ。こういうのは新年に書かなきゃ意味ないって」


 さっきの白い鳥をうろ覚えのまま紙の端に描いてみる。


「はぁ~。私の貴重な時間が~」


 たった三十分で帰れるはずだったのに、二時間近くも眠ってしまった。頭を抱えながら落書きの仕上げをしていると、何かがきしむ音がした。


 担任かと思い、恐る恐る顔を向ける。


 そこには制服姿の少女が一人、文庫本を見つめて立っていた。


 思わず目を奪われる。


 肩まである長い黒髪は手入れが行き届き艶やかで、桜色の唇は少しふっくらしている。普段はかけない黒縁眼鏡越しのつり目は近寄りがたい威圧感を放っているのに、それすらも絵になっていた。膝丈まできっちり揃えたチェックのスカートの下には黒のストッキング。肌を隠しながら、脚のラインだけはしっかり主張している。


「み、み~ちゃん、いたの」


 恐る恐る名前を呼ぶと、美羽は目を閉じ、本に栞を挟んでから眼鏡を外した。冷たい視線をこちらへ向け、小さく頷く。


「い、いつから?」


「あなたが眠っている間に」


「ということは」


「先ほどの、恥ずかしいくらい大きな欠伸もしっかり目に焼き付けたわ」


「えぇ!」


 顔が熱くなる。誰もいないと思って口元を隠していなかった。まさか見られていたとは。


「可愛かったわよ。普段は見られない貴重なシーン。待ち受けにでもしようかしら」


 スマホを右手に持ち、ちらちらと振ってみせる。


「……と、撮ったの?」


「大丈夫、私だけの秘密の保存フォルダに入れておいてあげる」


「今すぐ消して」


「ダメ。お宝だから」


「恥ずかしいから、今すぐ消して」


「冗談よ、成美。私の記憶にしっかり刻まれただけ」


「だけって」


「本当は寝顔を撮りたかったのに、あなたがずっとうつ伏せで寝てたせいで撮れなかったし」


「……」


「? どうしたの」


「み~ちゃんの意地悪」


 羞恥に耐えきれず、そっぽを向く。


「ごめんって、成美」


「ジュース」


「え?」


「いちごね」


「わかった」


 反省の証にジュースを奢れ、という意味だ。


「それより、その顔、どうにかしたら?」


 そう言うと美羽は私の元へ来て、ポケットからコンパスを取り出し開いた。


 大きく見開かれた瞳、幼さの残る顔立ち。額には確かに机の跡が残っている。肩甲骨まで伸びた癖毛は、そろそろ美容院で手入れしようと心に決めた。


「ど、どうしよう、み~ちゃん。しばらく外歩けないよ」


 跡のついたおでこを手で押さえながらうろたえる。


「どうしようって言われても……。とりあえずマッサージでもしてみたら?」


「マッサージ?」


 初めて聞く対処法に、きょとんとした顔で見つめる。


「跡がつくってことは、皮膚に皺が寄ったってことでしょ。だから内側から伸ばしてみるのもありって話」


「へ、へぇ~」


 聞いたこともない雑学に思わず感心する。


「本当は蒸しタオルの方がいいんだけど、学校で用意するのは難しいし。化粧水も持ってきてないし」


「わかった。やってみる」


 両手をこすり合わせ、跡のついた箇所を内側から外へ引っ張るように押さえる。数分もすると、跡は目立たなくなった。


「ありがとう、み~ちゃん。これで帰れるよ」


 荷物をまとめだす成美を、美羽が言葉で引き留めた。


「それより、なんで残ってるの? まじめに勉強? そんなに授業についていけないの? 軌道修正は早い方がいいと思うよ。来年は受験もあるんだし。学歴なんて要らないって言う人もいるけど、それは一部の天才の話で……」


 美羽の目が、だんだんと悲哀に満ちていくのがわかった。


「違う、違う。課題の再提出」


 手を止め、簡素な机の上を見せる。


「ああ、今朝の。でも、ちゃんと提出したんじゃなかったの?」


「したよ。でも、なんかダメだって」


「ダメ? 目標なんだから、よっぽどのことを書かない限り大丈夫でしょう。一体何を書いたのよ」


「これ」


 机の中からくしゃくしゃに丸まった紙を取り出し、丁寧に広げる。


 現れたのは原稿用紙一枚。紙いっぱいに大きく書かれた「無病息災」の四文字――病気にかからず健康であるように、という意味だ。


「あなたねぇ……」


 それを見るなり、美羽は頭を抱えて呆れた声を漏らした。


「だって、大事だと思わない?」


「そうだけど……。普通こういうときは、新学年になったので〇〇を頑張ります、みたいなことを書くものじゃないの」


「だから、新しい気持ちで健康に気をつけようっていう意味で……」


「なら、せめて文字数を合わせなさいよ。四文字を大きく書いたって一枚は埋まらないの。二枚指定なら最低一枚半は書かなきゃ。小学生でもわかることよ」


「っう!」


 正論に言葉が詰まる。


「テーマが決まってるなら、さっさと書けばいいのに……」


「テーマじゃなくて……」


 目標、という言葉を思い出してほしくて口を挟んでみるが、美羽は構わず続けた。


「大体、こんなバカらしいことは適当に済ませて、あとは有意義に時間を使ったら? ほら、好きなんでしょ、あの酔いそうになるゲーム。それか、たまには学生の本分をまっとうしてみるとか」


「FPS? あれ、ちゃんと視点移動できたら別に酔わないって。今度一緒にやってみる?」


「いいわよ。素人をぼこして楽しみたいだけでしょ」


「私、そんなひどい人間に見える?」


「初心者狩り、っていうんでしょ。知ってるわよ。ちょっとかじって上手くなった人が、上に行くにつれて勝てなくなって、自己肯定感が下がるから、初心者を負かして優越感に浸る行為」


「うげー。み~ちゃんって私のことそう見てたんだ。ふーん。私はただゲームを布教したいだけなのに」


「ち……違うわよ」


「でもね、私、今FPS禁止されてるんだよね」


「え? なんで」


「興奮しすぎて、日夜問わず大声出してたみたいでさー」


「なんとなく想像できるわ。負けず嫌いだもんね」


「そうなのー。だから最近できてなくて」


 母親が仕事で不在の日中に、こっそりやってしまおうかという考えが、少しだけ――いや、それなりに頭をよぎっていた。


「あなたも大変ね。好きなこともできなくて」


「そういう、み~ちゃんだって何で残ってるの?」


「勉強」


 美羽は先ほどまで座っていた席に顔を向けた。つられて成美もそちらを見る。あるのは文庫本が一冊と、黒縁眼鏡が一個。


 まさか、あの文庫本が教科書代わりだとでもいうのだろうか。ノートの一枚も見当たらないのに。


「嘘。全然勉強してないじゃん」


「嘘じゃないよ」


「机の上、本だけじゃん」


「本を読むことだって立派な勉強よ」


「ちなみに、どんな内容?」


「主人公が貝になって、食べられそうになる話」


「面白いの、それ」


 貝になった主人公がどう物語を進めたのか、少しだけ気になる。


「まあまあね。でも、もう二度と読まないけど」


「それ、面白くないって言ってるようなものじゃ……」


「出版社も大手で、ネットのレビューも高かったのよ。アイディア自体は斬新で面白かったわ。でも、タイトルが『転生したら貝になっちゃった』だったから、もっとメルヘンチックな話を予想してたのに……。お好み焼きって言われて、関西風じゃなくて広島風が出てきたくらいのショックよ」


「ちょっと何言ってるかわからない」


「もっと簡単に言うなら、人類には早すぎた題材ってこと。はっきり言って、面白くない」


「ほら、やっぱり面白くないって言ってる?!」


「人類には早すぎた題材なのよ」


 美羽は踵を返し、カバンを漁りだす。


「どこ行くの? 帰る? なら私も帰るけど」


「あなたはそれを完成させなさい。私はジュース買ってくるから」


 そう言って財布を取り出し、美羽は教室を出た。


 ひとり残された教室で、私はシャープペンシルを持ったまま、しばらく手を止めていた。


  ――ん?


 何かがおかしい。


 そもそも、美羽はどうしてここにいるんだ?


 私は課題の再提出を食らったから残っている。これはわかる。


 でも、美羽は?


 さっき本人は「勉強」と言っていた。


 けれど、机の上にあったのは文庫本一冊だけ。教科書もノートも筆記用具もない。


 どう考えても勉強をしていたようには見えない。


「……なんで残ってたんだろ」


 ぽつりと呟く。


 美羽は基本、無駄なことをしない。


 掃除当番だってさっさと終わらせるし、寄り道もほとんどしない。用事がなければ、授業が終わった時点で帰るタイプだ。


 そんな美羽が、理由もなく学校に残るとは思えない。


 じゃあ、何のために?


 シャープペンシルの先を顎に当てる。


 考えてみれば、私が起きたときから美羽は教室にいた。


 しかも、私が寝ている間ずっと。


 ……いや。


 まさか。


 ふと、開けっぱなしの窓へ目を向ける。


 校庭では、まだ部活動が続いていた。


 野球部の掛け声。

 サッカー部の笛。

 陸上部の足音。

 遠くでは吹奏楽部の演奏まで聞こえる。


 成美の頭に、一つの可能性が浮かんだ。


 ――もしかして。


 美羽、誰かを見てたんじゃない?


 そう思った瞬間、妙に納得できてしまった。


(そうだよ、絶対そうだ)


(だから「勉強」なんて誤魔化して、窓際からこっそり眺めてたんだ)


(文庫本はカモフラージュ。だってページ、全然めくってなかったし)


 そこまで考えると、急に楽しくなってきた。


(でも、誰?)


 野球部?


 それともサッカー部?


 まさか吹奏楽部?


 美羽って、クールな顔してるくせに、ああいう一生懸命な人に弱そうなんだよなー。


 帰る前に問い詰めてやろう。


 絶対、面白い話が聞ける。


 そう決めたところで、私再び原稿用紙に向き直った。


×××


――変な顔、してなかっただろうか。


 廊下を歩きながら、美羽は成美の寝顔を思い出していた。あどけない寝顔。寝起きの、まだ焦点の合わない瞳。跡を隠そうと困り顔になったかと思えば、すぐに直って天真爛漫な笑顔に戻る。そのどれもが、正直なところ愛おしい。


「よし、大丈夫ね」


 思い出しても表情に変化らしい変化は見当たらなかったので、コンパスを閉じてポケットにしまい込む。


 ――我ながら、どうかしている。


 クラスでの美羽は「赤羽さん」だ。誰に対しても丁寧で、隙がなくて、少し近寄りがたい。それを保つのに、正直なところ体力を使う。相槌のタイミング、笑い方の角度、言葉を選ぶ順番。全部、無意識のうちに調整している。


 でも、成美の前でだけは、その調整をわざわざしなくていい。悪態も、意地悪も、素で出したところで壊れない。むしろ面白がって返してくる。


 いつからだろう。素のままでいられる相手が、成美一人になっていたのは。


 午前とは違い、静まり返った廊下だった。垣間見える教室はどこもぬけの殻だ。


 教室から自動販売機のある食堂までの最短ルートは、教室を出て突き当たりまで真っ直ぐ進み、階段を降りた先の出入口を抜けた先にある。


 薄暗い通路の扉を開けて外に出た瞬間、世界が白く染まった。


「まぶし」


 咄嗟に右手で影を作る。


 食堂前の自動販売機はパックジュース専用のものだ。コンビニでも買えそうな定番から、あまり見かけないパッケージまでが並んでいる。オレンジ、アップル、パイナップル、いちごオレにコーヒー牛乳といった定番に加え、ココナッツミルクやシークヮーサー、スポーツドリンクの類も見える。


 その前で、長考している少女が一人いた。


 まだ体に馴染んでいない真新しい制服。肩までの色素の薄い茶髪は、これから始まる高校生活で何かと苦労しそうな予感がする。ブレザーの裾から覗く薄ピンクのシャツは、今年リニューアルされたばかりのものだ――つまり後輩に違いない。


 邪魔しては悪いと、少し離れた場所で空を眺めながら待つことにした。校舎の隙間から、ゆっくりと流れる雲が見えた。


 一分、二分――そろそろ終わっただろうかと視線を戻すと、まだ少女はそこにいた。


 さすがに長すぎる、と観察してみると、違和感に気づく。少女はずっと一点を見つめたまま、ガラス面を触っているだけだった。時間が経つと、投入したお金が自動的に戻ってくる。少女はそれを拾ってはまた入れ、そのたびに慌てふためいていた。


「はぁ~」


 頭を掻きながら、美羽は歩み寄った。どうやら、お金を入れて右下のパネルに欲しいジュースの番号を打ち込むだけ、という手順がわかっていないらしい。


 一歩離れたところから、できるだけ優しい声をかける。


「何が欲しいの?」


 少女が振り向いた。その拍子に茶色の髪が揺れ、陽光を弾いた。整った鼻筋、長い睫毛、縁取られた大きな瞳、艶やかな唇――すべてがどこか作り物めいて整っている。同学年の男子はきっと彼女に釘付けだろう。


「え、え~っと……いちごの、やつです」


 半ば申し訳なさそうに指さす。


「じゃあ、お金を入れて、その下の番号をパネルで押してみたら」


「え? あ、はい」


 時間切れで戻ってきたコインを拾い、もう一度入れる。パネルに「7」と入力すると、機械が動き出し、取り出し口にジュースが落ちる。少女はそれを拾い上げ、


「あ、ありがとうございます」


「よかったね。これで覚えた?」


「は、はい。本当にありがとうございます」


 深々と頭を下げて、少女は立ち去った。


 美羽は口角をきちんと上げたまま、それを見送る。よそ行きの笑顔は、もう慣れたものだった。


 ――こうやって「ちゃんとした先輩」をやるたび、たまに思い出す。


 入学してすぐの頃だ。クラス替えの自己紹介で、美羽は無難に「読書が好きです」とだけ言った。本当は人の名前と顔を覚えるのが苦手で、愛想笑いの角度を間違えないようにするだけで精一杯だった、なんて誰にも言わなかった。


 そんな中、隣の席になった成美が、休み時間のたびに話しかけてきた。最初は正直、面倒だと思った。


 転機は、席替え前の最後の日直の日だった。日直日誌に「今日のクラスの様子」を書く欄があって、美羽はいつものように当たり障りのない一文を書こうとした。すると、成美が横から覗き込んで、


「え、つまんない。もっと本音書きなよ」


 と、悪びれもせず言ったのだ。


 美羽はむっとして、「本音なんて誰も求めてないでしょう」と返した。すると成美は、


「私は求めてるけど」


 あっさりそう言って、また窓の外を眺め始めた。それだけだった。


 その日、美羽は日誌に、少しだけ本当のことを書いた。「クラスの雰囲気は悪くないが、慣れるまでもう少し時間がかかりそうだ」。誰かに見せるには、まだ足りないくらいの本音だったけれど、それでも美羽にとっては大きな一歩だった。


 次の日、日誌を読んだ担任が「素直な感想だね」と一言だけ添えて返してきた。美羽はその一言に、思ったよりずっと安堵している自分に気づいた。


 あのとき、たった一言で美羽の中の何かを緩めたのが成美だったことを、成美自身はきっと覚えていない。


 それからだ。成美の前でだけ、愛想笑いの角度を計算しなくてよくなったのは。


「さてと」


 思考を振り払うように、美羽は財布からコインを取り出した。


 コインを投入し、いちごオレの列を探す。棚には二本、並んで残っていた。


 左下の番号――「7」をパネルに入力すると、機械が動き、下の取り出し口に一本落ちてきた。


×××

「遅~い」


 開口一番そう言い放ち、成美は美羽の手からいちごオレを奪い取り、勝手にストローを挿す。


「時間かかりすぎでしょ。何してたの」


「先客がいてね」


「先客?」


「ほら、あそこの自販機、種類多いから悩むのよ。私だって一年の頃はさんざん悩んだし」


「ふーん。まあいいけど。それより帰ろう。もう疲れたよ、私」


 原稿用紙一枚を埋めただけで、すっかり満足したような顔をしている。


「あんた、本当に自由ね。あと半分、頑張りなさい」


「えぇ~、もう無理~」


「あと少しでしょうが」


「ケチ~」


「私が許しても、城月先生が許さないわよ」


「はぁ~。仕方ない……書くか」


 がっくりと肩を落とし、ペンを持って机に向かう。


 その背中を見つめながら、美羽はふと、さっき廊下で思い出していた寝顔のことを――そして、まだ言葉にしていない胸の奥の何かを、そっと胸の内にしまい込んだ。


「ねえ、みーちゃん」


 案の定、数十秒で集中は途切れたらしい。


「何? さっさと……」


「好きな人いるでしょう」


「はぁ⁈ 何言ってるの、急に」


「別に。ちょっと気になっただけ」


「そんなのいると思う?」


「いると思うよ、私は」


「それってlike? love?  どっち?」


「さあ、どっちでしょう。自分に聞いたら?」


「あなたね」


「まあまあ、怒らない怒らない。可愛い顔が台無しになるよ」


×××

見てくださりありがとうございます。感想お待ちしてます。

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