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恋の主語は、いつも君で

作者: 江藤ぴりか
掲載日:2026/06/18

明美あけみってさ、本当に優しいよね」

「ええ? なに言って――」

「だって、達実たつみくんに告白したのも、明美からなんでしょ?」


 そうだった。

 いつも私からはじめているんだ。


「そうだけど……でも、達実くんは私に合わせてくれているだけだし」

「違うよ、臆病なだけなんだって。なんでも相手に合わせりゃ優しいってわけじゃないでしょ」


 痛いところを突いてきた。

 私は口ごもり、紙パックのストローを噛んだ。


「私はなんていうか、押しが強くて。彼は優しく受け止めてくれて。えっと……」

「それだけじゃ、達実くんが明美のこと本当に好きかなんて、わかんないじゃん」


「男なんだからって言いたくないけど、好きって一方通行の恋じゃなくて、あんたたち、付き合ってるんでしょ? なんか〝証明〟が欲しくならない?」

「う……。そりゃ、まぁ」


 一度目のデート、ってか放課後だったけど、あの時もなんて言ったんだっけ。

 そうだ、下の名前で呼んで、タメ口で話そうだったな。


『う、敬語はなんか、そのうち直すんで、今は明美ちゃんでいいかな』


 あの時の、赤くなった顔を見て、私は達実くんの遠慮を許したんだよね。


 思い出していると、予鈴が鳴り、友だちの香瑠かおるは自分のクラスに帰ってしまう。


「いいから、明美からも達実くんに言ってやんなよ? そんなんじゃ、どっかに行っちゃうかもって」



 古文の授業は退屈だ。


「さて、今日は万葉集の相聞歌そうもんかについてです」


 もう長谷川の言葉は右から左だった。

 古文の長谷川がメガネのフレームを上げる。

 そして、チョークで小難しい日本語の羅列を書いていく。


『あしひきの 山道やまぢを越えて 行く人の 行き過ぐまでに 妹寝いもねざるべし』

『命あらば 逢ふこともあらむ かしこみの いかしき国を 払いかねてふ』


 ……意味がわからない。昔の人はこんな風に話してたんだろうか。

 長谷川が読み上げ、現代語訳をする。


「これは大原今城いいはらのいまき狹野弟上娘子さののおとがみのいらつめへの返歌です」


「……二種目は、生きてさえいれば、いつかまた会えることもあるだろう。天皇のお咎めが厳しいこの土地の因習や状況を、払うことができずにいる。といった意味になります」


「つまり、彼は彼女を嫌っているのではありません。自分を取り巻く状況や性格の不器用さのせいで、どうしても一歩踏み出せず、身動きがとれない思いを綴ったのです」


 環境と性格、か。

 彼もそうなのかもしれない。

 勇気が出ないだけで、動かないわけじゃないんだ。

 ただ、私が『彫刻の君』に一目惚れして、暴走しただけで。

 ……迷惑じゃ、なかったかな。

 私は右斜め前の彼に視線を向ける。

 やっぱり、横顔がきれいで。

 私なんかじゃ相手にされないくらい、俗っぽさがない。


 気づいては、くれないよね。

 耳をかけて、板書を写す彼の手は意外と男らしかった。

 あの手で頭を撫でられたなら。

 もしくは肩を抱き寄せてくれたのなら。

 今は夢でも、私は待ってみよう。




   ◆◆◆


 いつも彼女からだったっけ。

 左斜め後ろから、明美あけみちゃんと友だちの香瑠かおるさんが話している声が聞こえた。


「だって、達実たつみくんに告白したのも、明美からなんでしょ?」


 放課後デートの時に、タメ口で下の名前で呼んでほしいって言われて、僕は舞い上がっちゃって。

 喉が締まって、声が上擦ってしまったんだ。

 そして、逃げた。

 思い出しても、今読んでる小説の内容が頭に入らない。

 主人公の名前さえも飛んでしまっている。


 そばだてた耳は明美ちゃんの声ばかり拾ってしまう。

 予鈴が鳴って、香瑠さんが僕にやいばを突き立てた。


「いいから、明美からも達実くんに言ってやんなよ? そんなんじゃ、どっかに行っちゃうかもって」


 そう、だよな。こんな臆病な男じゃ飽きられてしまうかもしれない。

 明日の土曜のデートはどうしようか。

 僕は彼女と別れたくない。

 だって教室でカラカラ笑う『光の君』を手放すなんて、考えられないから。



 古文の授業は楽しい時間だ。

 古代の人も今の僕のように悩んで生きた証が、そこにあるからだ。


 長谷川先生がメガネをクイッと上げて、万葉集の相聞歌そうもんかを紹介してくれる。


「今回、紹介する万葉集の歌は激しい感情を込めたものになります。それだけ彼らではどうにもできない想いを、誰になんと言われても彼女が彼に贈ったのです」


 まるで明美ちゃんみたいだな。

 僕が読んでる小説を自分も読んでくれたり、赤くなった頬を冷ますように両手を添えるあの仕草も。

 大原今城おおはらのいまきは見ることはなかったかもしれないけど、彼女が言葉で行動で示してくれるところは同じだと思った。


 先生が板書する歌は、まるで明美ちゃんと僕が詠んだかのような歌だった。


『あしひきの 山道やまぢを越えて 行く人の 行き過ぐまでに 妹寝いもねざるべし』

『命あらば 逢ふこともあらむ かしこみの いかしき国を 払いかねてふ』


「一首目は、険しい山道を越えて行くあなたが無事に通り過ぎるまでは、私は一睡もせずに無事を祈り続ける。という意味ですね」


「つまり、行く側の彼を、ただじっと待つしかない彼女の、張り詰めたような切なさが表れています」


 そうだ、僕はいつも彼女に負担させてばかりで。

 ああ、振り向いたら睨まれているのかも。

 僕はホントは明美ちゃんのことが好きなのに。

 彼女ばかりに言わせてばかりで、情けない。


 明日は変われるように、手汗で滲んだ文字をそのままにしておいた。




   ◆◆◆


 翌日のデートは動物園だった。

 秋の入り口。寒くもなく暑くもないこの時期は、達実たつみ明美あけみにとって、いい思い出になった。

 スマホのフォルダには動物と寄り添った自撮り写真が並んでいる。


 歩いたら暑かったとソフトクリームを買ってみたり、食べ終わったら寒いとカーディガンを羽織ってみたり。

 そんな日常の時間を共有できることが二人にとっての幸せだった。


「はぁー、遊んだ、あそんだ!」

「明美ちゃん、そっちは危ないからこっちに寄って……ください」


 ぎこちなく、彼が車道を避けるように誘導し、左手を差し出す。

 彼女はその様子に、思わず吹き出してしまう。


「達実くん、もう五回目のデートなんだから、敬語は控えめにね」

「うう、だって……」


 達実が俯いたら、メガネが夕日でキラリと光る。

 明美にはそれが心のバリアに感じられた。


「あ、明美ちゃん家の途中に公園あったよね。……あ、信号渡らなきゃか」


 彼女は意外そうな顔をする。


「ん? なんか用なの? いいよ、寄ってこ」

「……ありがと」


 夕暮れの赤信号は、茜色。

 青くなったら、進んでみよう。



 小さな公園には一台だけベンチがあり、規模もあってか誰もいなかった。

 夕暮れがさよならして、群青のベールが街を包んでいる。

 カチカチリと公園の街灯が点いてベンチを照らす。


「暗くなっちゃったね。てか、達実くんが寄り道なんて、珍しいね」


 ふと、彼女の手に達実の手が触れる。


「えっ? ああ、ごめん。近すぎちゃったかな」


 明美は驚きをそのまま言葉にし、距離を取ろうとした。

 が、達実がそれを許さなかった。


「わざと、です。明美ちゃん――」


 心臓の音で自分の声の反響さえ、聞こえない。

 それでも達実は言葉にした。


「あ、明美ちゃん。キス、していい……ですか?」


 相変わらず、たどたどしく、声がひっくり返ってしまった。

 明美は目を丸くし、お腹を抱えた。


「あっはっは。ごめん、笑っちゃって」

「だ、めだった……?」


 彼はオロオロとし始め、手を離す。

 明美はグッと距離を詰めて、彼の耳元でささやく。


「ううん、嬉しい」


 首に抱きつき、彼女が正面を向くと、目を閉じた。

 達実が意を決して目を閉じて、唇を重ねる。


 彼は震えていた。

 それ以上に熱くなった彼女の柔らかい唇の感触に、足の先からじんわりとあたたかな気持ちを噛み締めていた。


 ほんの少し小鳥が触れ合うような短いだけの、けれど確かな熱を持った抱擁。

 唇が離れた後、達実は少し視線を泳がせた。

 そして、彼女の肩をそっと抱き寄せ、その頭を優しく撫でた。


「もう、行こっか」

「……うん」


 繋いだ手に少し力を込める。

 彼女がそれに気づいて、嬉しそうに握り返してくれた。

 その手の温かさだけで、もう言葉はいらなかった。


 今度は僕がその手を引いて、二人でゆっくりと歩き出す。

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