もっと大きく強い弓にせい
翌朝。――
オレは目覚めると顔を洗い、着替えて庭に出た。
よく晴れた空いっぱいに、セミの鳴き声が響き渡っている。
兄・上総御曹司は、なるほど豪傑である。昨晩浴びるように飲んでいたのに、一晩眠ればケロリとしていた。長旅の疲れもどこへやら、既に弓の稽古場に居り、片肌脱いで弓を抱えていた。
「お早うございます」
オレは御曹司に頭を下げた。
「おう。遅いぞ。早う、そこの弓を持て」
オレは傍らの壁に架かっている弓を、一本掴み、矢を数本抱えて御曹司の脇に控える。
「儂が先に手本を見せるゆえ、よう見ておけ。まず、足はこうじゃ」
両足をハの字に開き、的を左目で睨みつつ、立つ。
「弓手(左手)は、こうじゃ。して、馬手(右手)はこうじゃな」
御曹司が弓をひょうと射ると、矢は心地よい唸り音を立て空を切り、ズバリと的の真ん中近くに刺さった。
(スゲぇ!!)
近くで見ていると実に迫力がある。
「お見事!」
オレはちょっと感動し、手を叩いた。
「ほれ。お前も同じようにやってみよ」
御曹司に促され、オレも的に向かって立った。初めての体験である。
(リクツからすれば、足は矢の軌道と並行に立つべきやろなあ)
オレは的の位置を良く確認し、慎重に立ち位置を決める。
(足は多分、肩幅位に開くんやろな)
バッターボックスに立つイメージを意識した。
(いや違う。肩幅よりちょい広め、か)
こちとら仮にも、頭脳派体育会系である。
バスケ部所属ということは、同じく体育館の片隅で細々と頑張っている卓球部や剣道部の技まで多彩に習得しているものだ。ちょっと貸せや、と連中に割り込んでそれらの奥義を極めつつ、スポーツのセンスを磨く。だからこそ何となく、未経験な種目であってもコツが解る気がする。
オレはイメージ通りに足を開いて立ち、左手に弓を構えて矢をつがえ、右手で弦をキリリとひいた。
途端に、バキっと派手な音を立てて弓が弾け壊れた。
わっ、と声を上げつつ、慌てて身をかわす。
「おいおいおい。どういう事だ? 武家ともあろうに弓の手入れもまともにやっておらぬのか!?」
御曹司は呆れ顔である。
オレは慌てて壁に駆け寄り、別の弓を手にすると、慎重にスタンスを決め弓を構えて矢をつがえた。
で、弦を引き絞ると、またもや同じように弓がバキっと音を立てて壊れた。
思わず、その場にしゃがみ込んでしまった。
「怖っ」
「何事ぞ!?」
御曹司はすっかり呆れ、そばに控える重季さんに、
「おいっ! 郎党共に、弓の手入れをしっかりやれと厳しく申しておけ。武家の弓が斯様な有様では、話にならぬ!!」
と叱りつけた。
「面目ござらぬ」
と重季さんはすっかり恐縮し、御曹司に頭を下げる。
「八郎。儂の弓を貸すから、もう一度やってみよ。……三人力の弓ゆえ、ちとお前には強過ぎるかもしれぬが」
オレは立ち上がると御曹司の弓を受け取り、また慎重に立ち位置を決め弓を引き絞り、射た。
矢はしっかりと的に向かって飛び、ギリギリ左端にズバッと刺さった。
(おっしゃぁ……。イメージ通りや)
「ほう。初めてにしては、筋が良いな。その調子でもう一度射てみよ」
御曹司は嬉しそうに、オレに声をかける。オレは頷き、弓を構え矢をつがえると、無造作に弦を引き絞った。
そして、……またまた弓が弾け壊れた。
「おいおいおい」
御曹司も重季さんも、目を丸くした。
「そうか。お前の腕力が強くて、弓の方が耐えられぬのか」
呆れ顔である。
「いや、良い良い。むしろ目出度い事じゃ。まことにお前は、精進すれば将来大物に成るぞ」
御曹司は破顔し、早速郎党を遣わして弓の職人を呼び寄せた。
「儂の弓を作れ。それから、此奴の弓もじゃ。儂の弓は、四人力の強弓にしろ。此奴は儂より上背があるから、もっと大きく強い弓にせい」
と、職人に発注した。
その傍らで、重季さんは何やら思案顔である。
「まさか……」
時折オレの顔を眺めては、小声で呟いている。
気になったが、どう声をかけていいやらよく分からない。
なにしろこちとら、転生後数日の身。何者とも知れぬ八郎君一一歳とやらのふりをしつつ、恐る恐る日々を送っている。妙な発言をしてどんなボロが出るとも限らない。
敢えて何も気づかぬふりをする。
と、御曹司が声をかけてきた。
「よし。今日の稽古は仕舞だ。重季、お前はこの場の始末をつけてから、来よ」
御曹司の強弓まで壊れてしまった以上、稽古にならない。ふたりは井戸端へ行き汗を流すことにした。
御曹司と共に井戸端で裸になる。
さすがに音に聞こえた豪傑だけあり、御曹司はよく鍛え上げられた、筋骨隆々の見事な体をしていた。いや、まあオレだって身長は御曹司よりずっと高いし、万年補欠とはいえ長年バスケで鍛えているからさほど負けてはいないと思うが。
……などと考えていると、御曹司はオレの下半身に目をやり、突如驚きの声を上げた。「何と……。お前、もうシモの毛がボウボウではないか!!」
あちゃあ。しまった。
オレ、只今八郎君一一歳の設定やったわ。どないしよ。……
遅れて井戸端へやって来た重季さんまで、オレのイチ○ツに目を丸くして固まっていた。
「やはり、は、八幡太郎義家公が……」
ん!? どういうこと?