そうそう、斯様な物もございましたわ
オレは頭痛と偽り、自室の布団の中で数日を過ごした。
やはり、オレは過去に転生したのだろう。よくよく周囲を見渡せば、電気のコンセントはおろか、家電製品が一切見当たらない。
空には飛行機の類も飛んでいない。車の通る音も、工場の稼働しているような音も、建設工事の音も、その他現代科学の存在を匂わすような騒音が全く聞こえないのである。
(つまりは……そういう事だよなあ)
いかに田舎であっても、平成令和の世ならばそれはあり得ない。やはり平安時代なり鎌倉時代なり、過去に飛んでしまったと考えなければ説明がつかないだろう。
身の回りの事は、重季さんや下男、下女達が何かと世話を焼いてくれるため、不自由しなかった。
しかし現代っ子たるオレとしては、無遠慮に飛び交うハエや蚊に閉口した。夜には黒光りする悪魔(注:ゴキ)が出現し、それを追う巨大なオニグモとのデッドヒートを散々見かけた。これが結構ツラい。ゾっとしてキン○マ(注:おいなりさん)が縮む。
もうひとつ、現代っ子として厄介なのは、便所である。
たとえ雨の中であっても、わざわざ外へ出なければ用を足せないのだ。おまけに原始的で汚いボットン便所であり、実に気持ち悪い。
驚いたことに――いや当たり前ではあるが――後始末をするペーパーが無い。木のヘラで、水戸の御老公様を拭い落とすのである。いや、こそぎ落とすと言うべきか。
これにはさすがに耐えられない。他の人々は何ともないのか!?
オレは用を足す度にコソっと井戸端へ行き、人目を憚りつつ尻を洗った。水は冷たく、毎回、睾丸がキュっと縮んだ。今は暖かい時期だから良いが、今後寒い季節になればどうなることやらと不安になる。
(元の時代に帰りてえ……)
何度も布団の中で弱音を吐いた。
今ならば、クラスメイトなりバスケ部員なりが、
「テッテレェ~っ♪ ドッキリでしたーーっ!」
とプラカードを掲げつつ突然登場したとしても、全て許して歓迎する自信がある。
なんなら感謝の証しとして、高校卒業まで毎日、オレのお手製弁当を捧げてもいい。白飯(比率八割)に毎日、お好み焼きソースででっかいハートマークを描いてやろう。いや異論は認めない。
(しかしまあ、元の時代でダンプにはねられて死んだからこそ、この時代に転生した筈だよなあ)
今更どうにかなるとは思えない。
(せや。何もせずゴロゴロしているから、落ち込むんや……。何かやっとれば、気が紛れるんちゃうか!?)
と思ったが、困ったことに、ここにはテレビもラジオもないのである。PC等は勿論のこと、雑誌やマンガすらない。吉幾三も真っ青の環境である。
「何か、本でもあったら貸して下さい」
重季さんを呼び、頼んでみた。彼が館中を走り回り、探し出して来た書物が、驚いたことにわずか三冊である。かなりデカそうな館なのに。……
一冊は、“論語”だった。
「あ。このタイトルは、確か聞いたことがあるぞ」
期待してページを捲ってみると、全て漢文で書かれていた。オレには全く読めない。
「これ、読めます?」
「いえいえ。さっぱり読めませぬ」
「ですよねえ……」
二冊目を手に取る。表紙に“大学”と書かれている。ページを捲ると、やはり全て漢文である。
三冊目は“春秋”と書かれている。これまた中身はオール漢文であった。国語の授業で漢文を少し習いはしたが、せめて辞書ぐらいは無いとまるで手が出ない。オレは溜息をついた。
「誰か読める方、いらっしゃいますか?」
「さあ……」
重季さんは首を捻る。
この時代の武士は……というか何時代なのか依然不明だが、武士って読書の習慣が無かったのか。
江戸時代の武士は、皆かなりの学問を積んだと聞いているけど。
本を読めば、この時代の事を知る手がかりになるかも……と思ったが完全に空振りである。
「そうそう、斯様な物もございましたわ。まだ八郎様には早うございますかな」
ニヤリと意味ありげに笑いつつ、重季さんは懐ろから別の書物を取り出した。表紙には、
――房中術
と書かれていた。
開いてみると、いわゆる春画だった。毛筆で閨房の秘術が大胆に描かれている。しかし現代っ子たるオレ的には、絵が下手過ぎてさっぱりだ。下腹部の相棒はピクリとも反応しない。
ふうっ、と溜息を付き、重季さんに礼を言い書物を全て返却した。
寝転がり、頭の後ろで腕を組みつつ再び考え込む。
(いつまでも、こないしとる訳にはいかへんよな……)
これ以上の状況確認、情報収集は期待出来そうもない。かと言って、長々と自室でゴロゴロしていると、そのうち他の人々まで心配し始め大騒ぎになるかもしれない。
(明日には起き上がるか)
そうハラを決め、目を瞑った。
それから一夜が明けた。――
その日は早朝から、館中が妙に騒がしかった。
オレは目を覚まし、下男から手拭いを一枚貰うと井戸端へ回った。素っ裸になり頭から水を被っていると、少し離れた場所で女性が三人ばかし、こちらを眺めつつ何やらヒソヒソと会話し始めた。