どういう風の吹き回しだ?
ある日、突如として梅雨が明けた。
天気予報など無くとも、直ぐに解った。天候一変、快晴となり、一斉にセミが鳴き始めた。
前世と異なり木々が多い分、セミの数も多いのだろう。猛烈にうるさい。
早速、師匠の下へ出向かん……と馬に飛び乗ったところで、門の方が騒がしくなった。件の招かれざる客である。
「八郎為朝は、戻っておるか?」
おいおい。呼び捨てかよ。……
郎党も心得ており、
「まだでござる」
と応じている。
連中は素直に帰ったようだ。
(少し時間をおいてから、出発するか)
そう思い、一旦馬から下りた。厩に引き返し、手綱を柱に結びつける。
座敷に戻ると、今度は別の客が来た。声に聞き覚えがある。頼政さんではないか。
「ちょっと表を見てきてくれ。何人、来ているか」
そばに居た下男に声をかける。下男はすぐに戻って来て、西洞院六条の頼政様でござる、供は三騎、と言う。オレはすかさず、表に出た。
「おお。やはり戻っておったか」
頼政さんはどこぞの腐れ公家とは異なり、勝負の負けを潔く認めた人だ。そればかりか便宜を図ってくれた。供が少ないのだから、来訪の意図は読める。
(少なくとも、オレに不利な事はせんやろ)
と予想する。
「先日はお世話になりました」
オレは丁重に頭を下げつつ、頼政さんを空いた座敷に招き入れた。
二人、向かい合って座る。
「馬の調子はどうじゃ?」
譲ってもらったシルビアの事である。
「はあ。まだ、名馬とも駄馬とも見分けがつきませぬ」
「わはははは。左様か。儂も数日しか乗っておらぬゆえ、よう判らぬわい」
「まあ欠点らしい欠点も見当たらないので、もう少し追い込めば、使えるようになるでしょう」
そんな会話をしていると、づかづかと足音を立てて父・為義もやって来た。
「頼政か。まさか、儂のせがれを捕まえに来たのではあるまいな」
「心配は要らん。それなる為朝とは先般、勝負して派手に負けてしもうたわ。捕まえに来たところで、また儂が負けてしまうだけじゃ」
わはは、と父と頼政さんは笑い合う。
「少納言様の様子を伝えに来ただけじゃ。やはり、ほとぼりは冷めておらぬ。むしろカンカンに怒っておられるぞ」
「左様か」
「(平)忠正が何度か来たじゃろう? こ奴を、どうする?」
頼政さんは、父とオレの顔を交互に見る。
父はしたり顔で、
「せがれは数日中に、九州へ向かわせる。表向きは『勘当した』という事にして、じゃ」
「おう。それがよかろう。伝手は……家遠か?」
「ああ。……それしか心当たりが無い」
尾張権守家遠、という人物らしい。それを頼れ、というのだが、縁が薄いためどのような人物なのかはほとんど分からないのだとか。
ちなみに権守とは、国司の代行だという。いわば都道府県の副知事、といったところか。
「縁が薄うてちと頼りないな」
頼政さんは首を捻る。しばらく思案の後、膝を打つ。
「そうじゃ。今すぐ、家遠宛に書状を書け。儂も署名してやる。我ら連名であれば、多少は効き目が増すじゃろう」
「おお、それは助かる。……じゃが、どういう風の吹き回しだ?」
首を傾げる、父・為義。頼政さんは、いわば父のライバルであり、普段は然程、仲が良いわけではない。
「いやいや。此奴とは直に勝負し合った仲じゃ。その力は充分承知しておる。確かに義家公以来の傑物じゃろう。九州で潰れてしもうては、源氏全体の損失よ」
うわ。やっぱオレ、ムッチャ過大評価されてるやん。……
逃げ出したくなるオレをよそに、父は手を打って郎党を呼び、紙と硯を取り寄せた。
たちまち、
――倅、八郎為朝を預けるので宜しく。
といった内容の書面を書き上げ、そこに父と頼政さんの名前が黒々としたためられた。
よし、と立ち上がった頼政さんは、
「達者で暮らせ」
とオレに声をかけ、去って行った。
オレは頼政さんに頭を下げつつ、その姿を見送ると、外に駆け出し馬に飛び乗った。師匠の庵へと向かう。
はたして円空師匠は在宅だったが、お鶴はまたもや、不在だった。
彼女はどこに居るのか、いつ頃帰って来るのか……と円空に尋ねたかったが、硬派なオレ(異論は認めない)としては躊躇ってしまい、口に出せない。
「こちらにお邪魔するのも、今日が最後となりそうです」
そう伝え、いよいよ最後の講義を受ける。
途中、オレの持参した握り飯を二人で食べたが、お鶴の居ない食事は実に味気なかった。しかしそんな気持ちを顔に出さないよう、努める。
午後も孫子の講義が続いた。駆け足気味ながらも濃い、“行軍篇”の解説に耳を傾ける。
地形を考慮し有利な位置取りを狙え、だとか、敵味方の疲労度や士気をよく見ろ、といった解説が続いた。
例えば、物資の補給について。
「唐土は広うございますから、物資の運搬、即ち補給に気を使わねばならぬそうですな。我が国は行軍距離も短く、短時間で決着する戦が多うございます。故にさほど、気を使わずとも良うございましょう」
う~ん……。
(よう分からんわ)
短期決戦であれ、補給は大事ではないかと思うのだが。
これは実戦を積みつつ、都度、検討すべきか。
兵糧などは、荷駄車でも導入すれば早く運べそうだ。甲冑や武器も重いから、さっさと全て荷駄車で運搬し、現地で着込んだ方がラクそうだし。……
(そもそも当世は、荷物を運搬するのに荷駄車を使わへんよなあ。なんでやろ?)
丁度陽も落ちかけた頃、九巻“行軍篇”が一通り終わった。
区切りの良いタイミングだが、しかし円空は講義を止めようとしない。さりとて次の、一〇巻“地形篇”に取り掛かるでもない。正月以来やってきた箇所のおさらいが始まった。
そろそろこちらから、いとまを告げるべきか……と思案しているうちに陽が落ち、
「ただいま戻りました」
と、ふいにお鶴が庵に帰って来た。




