義朝に負けず、お前も励め
前世のサブカルチャーにおいては、過去に転生した主人公が歴史知識を上手く利用して大活躍する……的なストーリーが流行っていたらしい。詳しい事は知らないが。
オレの場合、それが使えない。
源氏の有力家系の八郎君(当時一一歳)に転生したのだから、有名な人物として歴史に残っているかも、とは思った。
しかし受験日本史程度の歴史知識しかないオレの場合、八郎君改め八郎為朝様とやらについて、何も知らないのである。
まさか元服早々、九州に渡り独り立ちを迫られるとは。……
(人生いきなりハードモードやなあ、八郎君は)
本来の八郎君の事は何も憶えていないが、同情を禁じえない。
「少納言様に睨まれた以上、お前はもはや、京での栄達は望めぬ。儂のように、ここで長々と苦労するのは馬鹿げておる」
父は苦しげに、言う。
その通りなのだろう。詳しい事情までは知らないが、オレも転生以来、色々と父・為義の奮闘話を聞いている。だからこそ、オレがこのまま京に居座っても無駄だ、という意味は理解出来る。
しかし……。
「それがしが九州へ行くだけで、解決するのでしょうか。逃れたそれがしに代わり、父上が何らかの処罰を受けるのでは?」
「おう。じゃが、手はある。なにしろ似たような事例は幾らでもあるからのう」
「ほう。……して、如何様に?」
「表向き、お前を“勘当”した事にするのじゃ」
あくまで表向きじゃぞ、と父はニヤリと笑う。
「つまり、少納言信西様に先んじて、お前を九州に追いやる。さすれば少納言様といえど、よもや九州まで軍勢を差し向ける事はあるまい。儂が自ら息子を勘当した、と主張すれば、まさか儂まで連座となることもあるまい」
「はあ」
まあ、職を解かれる位のことはあるやもしれぬがのう、と父は溜息をついた。
郎党達も完全に黙り込み、オレ達親子の会話に耳を傾ける。
「つくづく、理不尽な話ですな」
「仕方あるまい。公家の社会は、大なり小なり理不尽じゃ。……前にも言うたが、儂はもう、公家との付き合いに愛想が尽きた。この歳ゆえ、今更栄達の見込みなぞ無い。いつでも職を捨て、壷井か関東で隠居する覚悟は出来ておる。この館は頼賢(四男)にでも継がせれば良い」
「……」
父は盃をあおり、もはや潮時じゃろう、と寂しげに言った。
が、すぐに顔を上げ、
「じゃが、お前は違うぞ」
と、いきなり声の音量を上げ言い放つ。
「お前はまだ、将来ある身ぞ。それも、ここにおる皆が期待せし、大器じゃ。梅雨が明けたれば九州へゆき、お前の才覚で彼の地に源氏の地盤を築け」
「はあ」
「義朝(上総御曹司)は幼き頃より関東に赴き、既に立派な成果を上げておる。次はお前じゃ。兄に負けず、九州にて己が実力を大いに見せつけよ。しばらくゴタつき力を落とした河内源氏を再興せい!」
それがお前の使命じゃ、と父は笑った。
「承知しました」
責任重大だ、と思う。なにしろ郎党達の命運を預かるのだ。
だがイージーモードで無双中のオレならば、その位どうにでも出来そうな気がする。
そりゃまあ、まだしばらくは京に居たい。
ビジネスも軌道に乗り始めたところだ。あれを全部捨ててしまうのは勿体ない。
とは言え所詮、半年足らずで築いたものに過ぎない。他所に移って一から出直したところで、大して惜しくもないような……。
そもそも難しい事はやっていないし、それで一度成功しているのだから、二度目はもっと簡単だろう。悩むまでもない。
「地方じゃ。地方でこそ、お前の素質が生きる。九州は平氏の強い土地ゆえ、焦らず次第次第にお前の地盤とせよ。兄の義朝に負けず、お前も励め」
「なるほど。分かりました」
どっ、と座敷中に歓声が沸き起こった。
そして次第に冠者コールへと変化し、しばらく続いた。オレは、皆の期待の大きさを実感した。かつ、背負うべき責任の重さを痛感した。
翌日。――
朝から雨が降っていた。
梅雨入りっぽい気がするが、何しろ天気予報など無いので実際のところは分からない。
館に籠もり隠れておれと言われたオレは、しかし雨の収まった頃合いを見計らい、師匠・円空の下へと馬を走らせた。
勿論、従来通り普通の馬に乗っている。頬っ被りし馬上で身をかがめ、なるべく目立たないようにはしている。無駄な努力かもしれないが。……
幸か不幸か昨日同様、天気が悪いせいで人通りはほとんど無い。ぬかるむ路を駆け、円空の庵へ辿り着いた。
「師匠。無事、戻りました」
「これはこれは冠者。久しゅう御座います」
馬の手綱を近くの木に繋ぎ、足を洗って庵に入った。
そして、首尾よく馬三頭を手に入れたこと、昨夜の父との会話を伝える。
「左様でございますか。いや噂は聞き及んでおりましたが、辛いご決断となりますな」
円空も残念そうに言う。
「お前様の御人柄は良くとも、あまりにも飛び抜けた器量をお持ちゆえ、いずれは周囲と齟齬をきたすじゃろうと思うておりましたわ。それゆえ準備を急いでおりましたが、間に合いませんでしたなあ」
彼曰く、この事態を何となく予感し、駆け足で講義を進めていたらしい。
オレ的には、特に駆け足という認識は無かったけれど。いやむしろ、やたら丁寧でスローペース、って感じだったけど。……
前世の学校教育と異なり、ゆったりと思考を巡らす間を与えてくれる。
思考する事こそが学問のメイン、といった感じがした。師匠の説明を一文ずつ聞き、一文ずつじっくり考察する余裕があった。身につくと感じたし、何より学ぶ楽しさをじっくり味わった気がする。充実していた。
「今日もやれる所まで進めましょう。“孫子”はお前様に差し上げます。九州に落ち着かれましたら、誰ぞ書を読める人物を探し、続きを学びなされ」
師匠の講義が始まった。
「支那の皇帝や王は、ただただ領土欲しさに軍をおこし戦を仕掛けます。兵士達にしてみれば、単に皇帝や王の私利私欲に付き合わされるだけですな」
「なるほど」
「つまり、元々兵士達の士気は低うござる。ゆえに、行軍の速度を早めるとますます士気が落ち、兵士も荷駄部隊の人夫も逃亡してしまうわけですな」
「あははは」
「そこで孫子は、一日あたりの行軍速度が何里であれば、何割の兵が残存する……と書き並べておられる」
「ほう。されば、兵士の士気に応じた速度で移動しろ、ということですか」
「左様。また悪路や悪天候での行軍も、士気が落ちる原因となりましょう」
彼の好意で、その日は遅くまで九巻“行軍篇”の講義が続けられた。
何故か終日、お鶴の姿を見かけなかった。円空の講義が終わると、オレは後ろ髪を引かれる思いで庵をあとにした。




