ゆるりと過ごせ
「ほうほう。そなたが八郎冠者か。よう来はったの」
出迎えてくれたのは、父・六条判官為義をちょろっと若くしたような男である。
父が五〇を過ぎ、既に老人の風貌なのに対して、当・伏見殿の主である源光基は、
(平成令和の世は、平均寿命が伸びとるからなあ。あっち基準で言えばアラフィフっちゅう感じやけど、こっちやったら実年齢はもっと若いやろ)
立派な壮年といった印象ながら、せいぜい三〇代だと見当をつけた。
「そなたの噂は、ここまで響いておるぞ。正月に元服したばかりじゃと聞いておるが、なるほどデカいな」
父同様、多数の郎党を束ねる将とでも言うべき貫禄を感じさせられる。
「恐れ入ります。今宵は世話になります」
「おお。構わん。ゆるりと過ごせ」
好意的に受け入れてくれた。
同じ源氏といえど随分と分家が多いそうだが、重季さん曰く、我が河内源氏とは血が近いらしい。そのせいか、宿の交渉も二つ返事で了承してくれたそうだ。
ちなみに先程、重季さん、重澄さんらが宿泊交渉中、
「宿代は、どうすれば良いのか?」
と郎党達に尋ねた。中年の旅慣れた郎党が言うには、
「百姓家など民家に分宿する時は、コメを渡すが慣例でござる。当・伏見殿のように大きな館であれば、ゼニを渡すも良いでしょう」
だそうだ。
なるほど。前世でも戦後しばらくは、宿代と言えばコメや野菜だった、と聞いている。
(だから、コメを担いで来たのか)
旅の支度は重季さんらに全て任せたが、下男達にかなりの量のコメを担がせている。郎党達の馬の鞍にも、多少括り付けてある。あれは、そのためだったのかと腑に落ちた。
尤も、今後の宿代全てをコメで……となると荷物が嵩張り厄介だ。なのでゼニで済む場所であればゼニで済ますらしい。
当世のゼニと言えば、宋銭である。相場も郎党に確認し、重季さんらが戻って来るまでに、小袋に入れて準備済だ。
その小袋を館の主、光基さんに渡す。
「宿代、しかと受け取った。ん!? ちと多いのではないか?」
少々思うところがあり、実は相場の倍ほど入れている。
「初めてお会いしますからね。お近付きの印ということで、お受け取り願います。なにしろ京と伏見ですから、今後、何かと厄介になることも御座いましょう。その際は何卒よろしゅう」
「わははは。若い癖に、よう気が回るようじゃのう。解った。今後何かあれば、遠慮なく儂を頼れ。出来る限り、力になってやろうぞ」
「ありがとうございます」
固い挨拶はここまでじゃ、まずは旅の垢を落とせ、と風呂を勧められた。
オレは頭を下げ礼を言い、
「ちとその前に……」
と、一旦外に出ると門まで引き返し、高台の下を見回す。
(なるほどな……。これが本来の、武家の館なんやろなあ)
源氏ヶ館は洛中にあり、普通の武家の館とは趣が少々異なる。戦国江戸の世で例えるならば、平城のようなものだ。いや、それは言い過ぎか。多少、塀を高めに築いてあるだけで、堀もないし防衛力ゼロに等しい。
対する、当・伏見殿は、言わば平山城といったところだろうか。何かあれば一族郎党で守りを固め、砦としての機能を果たすのだろう。
(オモロいわ~)
近い将来、京で保元の乱が起きるのを見据えつつ、眼下の景色に目をやる。
オレには高校の受験日本史で教わった程度の、まさに一般的な歴史知識しか無い。
当世、京で近々戦乱が起こることだけは、辛うじて推測出来ている。それこそが保元の乱である。
その際、ここ伏見の地で何が起こるかなど、全く知識が無い。
とはいえこの地が歴史的に重要な役割を果たしている事は、多少ながら知っている。応仁の乱しかり、鳥羽伏見の戦いしかり。秀吉が伏見に城を築いたのも、この地の重要性に気付いていたからだろう。
日も傾き、薄闇迫る空の遥か向こう――北方向――にぼんやり、京の街並みが見える。
前世とは異なり、見渡す限り田んぼや空き地だらけだ。だから市街地は判り易い。そのど真ん中、比較的起伏の少ない平坦な位置に、ここまで真っすぐしっかりした街道が走っている。
ここから右前に向かって進めば、琵琶湖の方に出るらしい。
オレ達は明日、右手前側の道を行く。奈良に向かう。
逆に、左へと宇治川沿いを進むと、やがて淀川に合流し大阪方面――当世においては摂津国難波――へ抜けるという。
(せやから尚更、重要な地なんやろなあ)
当館の主・光基さんに、少々多めに銭を渡した理由は、そこにある。即ち多少なりとも相手への心象を良くしておけば、近い将来の戦乱において、加勢をして貰えるかもしれない、と。
勝ち戦において、敵勢力を逃さぬよう食い止める。或いは負け戦となり、オレ達が京から逃げ延びる羽目に陥ったとすれば、逃亡の手助けをして貰う。
(どっちにしろ、助けて貰わんとな……)
オレは眼下の地形を、しっかり目に焼き付けた。
その後、庭から風呂に回ると、旅装を脱ぎ捨て中に入る。
家人が多いからだろう。源氏ヶ館と似たようなサイズ感だ。そこに、意外な先客が居た。光基さんである。
「おう。ええ身体しとるのう。ほんに、元服したばかりの齢一二か。信じられぬわいな。丈は?」
「六尺を超えました」
「ほう六尺超えじゃと!? そりゃ大したものよ。六条判官殿の鼻息が荒いのも、よう解るわい」
「あははは」
笑って誤魔化すしかない。
当世の風呂は、いわゆる湿式サウナである。蒸気を充分に浴び皮膚の垢を浮かせ、最後に湯を浴びてその垢を落とす。オレは腰に手拭いを巻き、光基さんの傍らに座った。
「近頃の、洛中の様子を聞かせい」
光基さんは言う。京から微妙に離れているせいで、情報に飢えているらしい。どんな些細な話でも良いから、とせがまれる。
オレは、知っている限りの情報を伝えた。少納言信西を遣り込めた話に至っては、
「どわっはっは。痛快、痛快」
と、転げ回るように笑っていた。
しかし、京で近々、大きな戦乱が起きるかも知れないという推測を明かすと、一転、真剣な表情となり、
「なるほどのう。まあ儂も、それは感じておる」
父と同じ反応を示した。
「いや、そなたは聡いのう。ここまでの語りぶりで、よう分かるわ。噂に違わぬ」
「はあ……。ありがとうございます」
「まことに、いずれ八幡太郎義家公に勝るとも劣らぬ、ひとかどの武将となろうぞ」
彼は何を思ったのか、ここでいきなり、
「よし、儂の娘をやろう」
と光基は騒ぎ出した。
(ちょっ! それはちょっと、気が早過ぎちゃう!?)
驚き、思わずズッコケそうになったオレの腰から、邪神封印――注:手拭い――がハラリと落ちた。慌てて拾い上げたが、オレのキングコブラが露わとなった。
それを見て、光基さんは目を丸くした。
「な、なんぞそれはっ!! 世にも稀なる、ずるム◯巨魔羅ではないか! いや、いかんいかん、いかんっ。儂のカワイい娘のほとが壊れてまうわ!」
今の話はナシじゃ娘はやれん、と狼狽える光基さんに、オレは何と言って宥めて良いやら分からず途方に暮れた。




