とことん、やったるわい
信西。――
藤原南家筋の出である。代々学者であり、いわゆる高位を世襲する家系ではない。
しかも彼は幼少の折、遠戚にあたる高階家の養子となった。高階氏は元々皇族だが、本家は断絶し、その一族も中下級貴族の地位に甘んじている。信西自身はそこから己が才覚ひとつでのし上がった。
そういう成り上がりにありがちな、周囲の空気に敏感かつ自己顕示欲の強い性質である。
小童とバカにした相手から逆にやり込められ、周囲の冷笑を浴びる状況に、カっとなった。プライドを大いに傷つけられ、頭に血がのぼった。
「ふんっ。多少はやるようじゃの……」
努めて冷静を装いつつ、
「弓の達人は、勿論弓を避けるのも上手かろうな」
と、オレを挑発するように言うと、
「式成っ、則員っ。此奴に弓を射かけろ!! いや、達人を自称する童ゆえ、遠慮は要らぬ」
瀧口の武士二人に命じた。二人は、はっ、と畏まると弓を片手にさっと小走りに駆け、五〇メートルばかし斜めに離れた位置に、移動した。
（はぁ～っ!?）
いやいや。オレ、達人だと自称したことは一度もないねんけど。……
信西の言葉に驚いたのは、居並ぶ人達である。左大臣頼長は大慌てで、
「これ信西殿、よさぬか。御前であるぞ。場をわきまえよ。もしやの事があってはならぬ。止めい、止めい!!」
と信西を制する。しかし信西は、
「式成っ、則員っ。さあやれっ!!」
手招きするように、遠方の二人に命じた。
信西は、オレが驚いてみっともなく詫びを入れる、と想像したらしい。しかしオレは怯まない。
（冗談じゃねえぞ!! そっちがその気なら、とことんやったるわい）
二人の方を向いて立ち上がる。と同時に、二人が弓を構え矢を射た。
さすが瀧口の武士（内裏の警護を担当する武士）である。二本の矢が唸るような音を立て、狙い違わず真っ直ぐに、オレの方に飛んで来た。オレはカッと目を見開いたまま、それを避けもせず、両手でそれぞれを掴んだ。
しかしその時には既に、次の矢が二本、オレに迫っていた。両手の塞がっているオレは、一本を狩衣の左手の袖で払い、すかさずもう一本を右手の袖で、敢えて大きく右上に払い飛ばした。
矢はくるくるとプロペラのように回りながら、縁側に立つ信西の鼻先まで飛び、すとんと地面に落下した。
「ひっ」
信西はヘロヘロ矢に腰を抜かして縁側に尻もちをつき、後退りして末席にいた武士の肩に後頭部をぶつけ、止まった。
その頭から冠が落ち、縁側をコロコロと転がる。
（うわぁ。なにビビっとんねん。当たるわけないやろ）
ヘタレやなあ、と呆れた。お前の逆恨みから、オレにこれだけの仕打ちをしたのだ。多少、恥を晒すくらいの罰は受けてしかるべきだろう。
「これは失礼つかまつった」
オレは悠々と元の場所に戻り、わざとバカ丁寧に平伏する。広間に再び、
「ほぉ～っ!!」
という驚嘆の声が満ち満ちた。
信西は呆然と、少し先に転がった己が冠に目をやり、それから我に返ったかのように飛びついてそれを引っ掴むと、真っ赤な顔で座敷から逃げた。
ちなみに後で知った話なのだが。――
当世の人々は冠なり烏帽子なりを取った頭を他人に晒すのは、大変な恥辱にあたるらしい。どうやら現代において、フリチンで路上を走り回るようなものだ、と。
（わはははは。ざまぁ見ろ♪）
図らずしてオレは、ク◯ムカつく時の権力者・信西を痛烈に遣り込めたことになる。
そういうわけで、騒動から半刻の後、オレは父と共に崇徳院を退出した。
一本の扇子が下賜された。その表面には、
――武勇、比類なし。
と書かれていた。崇徳上皇の直筆だという。
「名誉な事ぞ。誇って良い」
鼻息荒く、父は言う。オレと父は面目を保ち、意気揚々と館へ引き上げた。
この噂もまた、あっという間に京中に伝わった。
そのため逆に面目を失ったのが、少納言信西である。
遣り込めようとして、逆にとことん遣り込められた挙げ句醜態を晒した、と。オレの名がますます上がると共に、ヘロヘロ矢ごときに腰を抜かした信西のヘタレっぷりが、世間の失笑を買っているという。
「あまり状況がよろしゅうないのう……」
数日の後、父、六条判官が苦い顔で、オレに言うのである。
「よからぬ噂が流れておる」
師匠の円空も、オレの顔を見るなり同じことを言い出した。
