どうせ弓の腕も、大したことはないのじゃろ
京の街は、前世で例えるならば途上国のようなものだろうか。大通りに面した家屋敷は比較的立派な構えだが、一歩細い路地に入ったり、外側へ向かうと一気にみすぼらしい家屋が続く。
元々オレは、京の地理に詳しくない。
ただ、周囲の屋敷がどんどん大きく、そして豪華になっていくのがよく分かる。つまり中心部へと踏み込みつつあるのだろう。
「元は、統子内親王の御所ぞ」
父は言うが、当然全く知識がない。父の後ろについて街なかを移動し、ここだと示されたひたすらデカい屋敷(?)に入った。
父が、門を守る兵士に名と用件を伝える。すぐに敷地内へと通され、長々と歩いた挙げ句、デカい建物へと父は消えた。オレは兵士に先導され、その庭へと回る。
(おいおい……)
現代っ子たるオレは、これが当世の慣習なんだと理解する。
崇徳上皇は座敷内、上座の御簾の奥におわし、お姿は見えない。
その両脇に偉い方々が座っている。ずらりと多数の人々が身分の順に並び、父・六条判官為義は縁側に近い、ほぼ末席に居た。そしてオレは……縁側下の地べたに平伏。
(まるで時代劇やんか)
下を向きつつ、苦笑する。
と同時に、オレは父のおかれている社会的立場を把握した。公家社会において、武家の棟梁として悪戦苦闘し齢五〇を過ぎた今もなお、ほぼ末席を温めるに過ぎないのである。
その八男たるオレの居場所は、庭の地べた。
これが平安末期と思われる当世の、武家の社会的地位をあらわしている。いやこれでも、
「崇徳院様にお目通り出来るだけで大変名誉なことなのだ」
と円空師匠に言われている。
「左大臣様。これに控えし者が、我が倅の八郎為朝にございまする」
父が声を張り、御簾のすぐ脇に座る人物にそう伝える。
(なるほど、円空師匠の言うとった通りやな。あの人に向かって喋ればええんか……)
参内を前にして父から仕入れた情報では、どうやらあの人物が左大臣藤原頼長らしい。それこそ次男義賢さんが、尻で仕えし御方……である。
「八郎為朝はこの正月に元服したばかりでございまして、まだ礼も作法も知らぬ若造にございます。多少の無作法は平にご容赦願いまする」
父の奏上に合わせ、オレも上座に向かい頭を下げた。
「噂通りの大男じゃな。どれ、面を上げよ」
左大臣頼長の言葉に、オレは作法通り、ははっ、と平伏。再度顔を上げろと促されるが、それでも、
――畏れ多うございます。
と、平伏する。実に面倒臭い。三度促され、漸く半分だけ顔を上げた。勿論、上皇や左大臣らを直視することは、失礼に当たるため許されない。
この時、御簾を挟んで左大臣頼長と反対側に座っていた人物が、急に立ち上がるなりづかづかと縁側に出て来た。
オレはわずかに顔を動かし、足音のする方をチラ見する。その人物はおそらく坊主頭なのだろう。冠から髪がはみ出ていない。
(この人が噂の、少納言信西さんか……)
身内贔屓の激しい、俗物と聞いている。
信西。博識を武器に、大いに出世したが、なかなか自らの望む官職に就けないため、周囲の制止を無視し出家を宣言した。
だから坊主頭である。ただし出家は単なるポーズに過ぎなかったようで、俗世にとどまり少納言を賜って現在に至る。
(なるほど噂通り、陰険なツラしてはるわ~)
密かにそう思ったが、実際にムカつく男であった。いきなりオレに対し、
「なんじゃ。確かに体こそ大きいようじゃが、まだ色白の童っぱではないか」
と小馬鹿にしたような声をかけてきた。
オレは一応謙遜し、
「恐れ入ります」
と頭を下げたが、なおも、
「賢そうなツラではないのう。どうせ弓の腕も、噂ほど大したことはないのじゃろ。なあ、小童よ」
とケチを付けるのである。
さすがにカチンときた。
(なんやねん、こいつ)
いかに身分差があるとはいえ、初対面の人間にそこまで言う理由は何なのか。
「信西殿、左様な物言いをするものではない。……いや六条判官殿、立派な息子ではないか。これは将来が楽しみであるな」
左大臣頼長がとりなすが、それでも信西は、
「それにしても噂とは実にアテにならぬものよ。当世第一の弓取りと言えば、やはり(平)清盛か(源)頼政であろうの。斯様な小生意気な童っぱの出る幕ではないわ」
と吐き捨てるように言った。
(ふ~ん……。つまり、知ったかぶりかよ)
平清盛にしろ源頼政にしろ、どちらも信西と比較的親しい間柄である。しかし両者が弓術に秀でているかどうかは大いに疑問で、日頃館内では噂にも上らない。
信西はおそらく、身近な武人を持ち上げつつオレをこき下ろすことによって、周囲に自己を顕示したいのだろう。
オレはこの手の「しょうもない男」が大嫌いである。早速やり返すことにした。
「その小童の使う弓が、こちらでございます。腕利きの職人に特注した当世第一の強弓にございますれば、是非、お手に取ってご確認なさいませ。さすれば、誰が真の当世第一か、たちどころに判明しましょうぞ」
オレは片膝をつき、弓を恭しく縁側の信西に差し出した。
わははは、ザマぁ見ろ。信西はあれ程オレをこき下ろした以上、素直に弓を受け取って触ってみるしかあるまい。――
はたして信西は渋々オレの弓を受け取り、構えて弦を引いてみた。案の定、弦はびくともしなかった。周囲から思わずといった失笑が漏れ、信西は赤面した。
「倅、八郎為朝の弓は五人力の強弓ゆえ、我が一族郎党の誰一人として扱えませぬ」
という悪意なき父のひと言が、信西に追い打ちをかけた。
当世の武士の優劣など知るべくもないのに、訳知り顔で論評などするからいけない。しかし当の信西は人前で恥をかかされたと逆ギレし、
「式成っ、則員っ。これへ参れ!!」
大声を上げた。
即座に二人の男がやって来て縁の下に控えた。どちらも名のある瀧口の武士……らしい。
信西が二人に何やら耳打ちすると、早速彼らは弓の的を用意し、内庭の外れに掲げた。稽古場の的の、二倍近い距離である。
「ほれ、小童。お前の腕前を崇徳院様にとくと披露せよ。さあ早う……」
信西はオレに、底意地悪い笑みを投げかける。
されば……、とオレは御簾の方に一礼して立ち上がり、弓を素早くキリリと引き絞ると、立て続けに三本の矢をぶっ放した。二本はピタリと並んで的のど真ん中にずばりと刺さった。三本目は行き場を失い、先発二本を正確にぶち抜きへし折った。
――ほぉぉ~~っ!!
たちまち広間に大きなどよめきが沸き起こった。




