為朝
今年の冬は暖かい、と誰もが言う。オレも風邪一つひかず、学問や武芸の稽古に励んでいるうちに、年が明けた。久安七(一一五一)年である。
幸い館中、誰一人欠けることなく元旦を迎えることが出来た。
なにしろ医療が未発達で、死亡率の極めて高い時代である。こういう年は珍しい、という。
「大層めでたい」
新年を迎え、皆一斉にひとつ歳を重ねたことを、共に喜び合った。
(なるほどなあ……)
前世の人々……つまり平成令和を生きる人々がすっかり忘れてしまった、正月が何故めでたいのかという意味を、オレは改めて認識させられた。
六条堀川の源氏ヶ館には、一族郎党がこれでもかと言わんばかり、大勢集まった。日の出前に崇徳院へ参勤した父、六条判官為義が館に戻るなり、大広間で年賀の挨拶が次々に交わされる。それらが一段落すると、午後には正月料理が並べられ、日が沈むまで大人数で酒を酌み交わすのである。
この正月は、八郎君にとっても特に大きな意味を持つらしい。即ち元服である。
清和源氏の実質的本流たる我が河内源氏の男達は、八幡太郎義家公以来、館から北西五里(二〇キロ)弱にある石清水八幡宮にて元服式を行うのが慣例だという。朝早く出発して現地で式を行い、夜遅く館へ戻る。
ところが一〇年ばかし前、その石清水八幡宮が火災を被り、社殿を失った。そのため、我が源氏ヶ館の一角にある六条左女牛若宮(若宮八幡宮社)に石清水八幡宮が遷宮された。なので今は、兄達もそこで元服式を行っているらしい。
正月二日、オレの元服式が、その六条左女牛若宮の拝殿にてとり行われた。
既に誰もが目をそばだてる六尺の偉丈夫、文武に秀でし大器……と、大いに噂が広まっている。一族郎党はもとより、館内の下男下女や周辺の野次馬まで集まり、社殿を遠巻きに取り囲んでちょっとしたお祭り騒ぎとなった。
オレはこの日のためにしつらえられた特大サイズの黒い武官束帯を身に着け、式に臨む。
髪を剃り烏帽子を被せられ、
――為朝
という名を、あらためて父より賜った。今後オレは、
――八郎為朝冠者
と呼ばれることになるらしい。ちなみに冠者というのは、官位官職を持たない成人に対する敬称である。
というわけで、ここに至って漸く、転生者たるオレの素性が判明した。
ただし困ったことに、歴史なんて大学受験レベルの知識程度しかないため、“源為朝”と言われても誰の事だか全く分からない。
(もしかして、頼朝とか義経の叔父さんちゃう!?)
と思った。
(そういえば、源義経は八男だから本来“八郎”と名乗るべきやってんけど、名高い豪傑やった叔父さんと同じ名を名乗るのはおこがましい……っちゅうて“九郎”にした、とかいう話を聞いたような気が)
と、あやふやな記憶を掘り起こす。しかしその、肝心の八郎為朝叔父さんについては知識ゼロである。
(ええいっ。もうエエわ)
八郎君が何者なのかをリサーチするのは、きっぱり諦めた。当世としては恵まれた体格、スキルを活用し上手いこと生きていけば良い。前世より人生を謳歌出来るなら、それで充分である。
まあ確かに、転生者としてのオイシいアドバンテージは半減かもしれないが。……
大勢に囲まれ、未聞の盛大な元服式を上げて貰いつつ、オレはそう決意した。
武家の元服式では、新たに成人となった男児の武芸を披露する。
当宮はいわゆる邸内社であり、社殿敷地はさほど広くない。武芸を披露するには狭過ぎる。
なので馬の早駆けや、流鏑馬を披露するわけにはいかない。そこで、弓の披露のみを行った。館敷地の参道入口に的をしつらえ、拝殿前から的に向けて射つのみである。その距離、五〇m程だろうか。
(つまらん。簡単過ぎちゃう?)
オレは束帯の両袖をまくり上げると、おもむろに弓を構え、三連射した。唸るように飛ぶ三本の矢は、狙い違わずズバズバと鋭い音を立て、束になって的のど真ん中に突き刺さる。
歓声、いや、どよめきが上がった。
――なんぞや、今の早業は!
オレの周囲ではそのような声が上がり、的の周辺では、
――見事っ!
――なんたる神業……
といった驚嘆の声が上がった。その声に驚いた鳥達が、社殿周辺の木々からバタバタと一斉に飛び立つ。
(わははは。意外と盛り上がったな)
アンコールに応え、三度披露する羽目になった。一族郎党や館周囲の者達は皆、オレの強弓の唸る音や射撃の正確さに、目を丸くしている。武芸披露は上々、と言えるだろう。
式が無事終わると、皆ぞろぞろと大広間やその庭先に移動し、あらためて元服祝いの宴が始まった。
翌、三日。――
オレは朝から、略式の正装にて馬を飛ばし、師匠円空の庵へと向かった。
重箱一杯の正月料理に数々の手土産を携え、円空に年賀を述べる。
最近何故か不在がちなお鶴も、今日はさすがに姿を現した。相変わらず質素な服装ながら、珍しく薄化粧をしており、それだけで見惚れる程艶やかであった。
円空より一刻ばかし“孫子”の講義を受け、それから三人で正月料理に舌鼓を打つ。元日、二日と慌ただしかったが、漸く穏やかなひとときを過ごした。
長居するのも失礼だろう……と陽が落ちる前に館へと戻ると、朝から酒を飲み赤ら顔で上機嫌の父、六条判官が、
「おう、八郎。戻ったか。こっちへ来よ」
わっはっはと大広間の上座で高笑いしつつ、オレを手招きするのである。
「実はな、崇徳院様がお前の噂を聞いたらしく、ひと目見たいと仰せじゃ」
「左様でございますか……」
「近々儂が、お前を連れてゆくことになるだろう。そのつもりでおれ」
「はあ……。わかりました」
師匠円空に以前尋ねたのだが、崇徳院様とは崇徳上皇のことらしい。何やら聞き覚えのある……ような気のする……名である。




