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Day6「重ねる」

 藤乃さんと展覧会に行く約束をした日の朝。

 私はクローゼットをひっくり返していた。


「……ない。デートに着ていける服が、全然ない……!」


 わかってたんだけど……先週約束してからずっと忙しくて、なんとかなるって思ってた。

 “なんか”って何? あるわけなかった……。


「ほんと、ないんだよね……」


 ないものは、ない。

 ……藤乃さんは、私の服が可愛くなかったからって、幻滅するような人じゃない……そう思いたい。

 結局、せめてスカートだけでも……って思って、ちょっとタイトな濃い色のロングスカートに、白くてゆるい七分袖のシャツを選んだ。二の腕に筋肉ついちゃって、ちょっとたくましく見えるから……隠しておきたい。

 そんな感じでなんとか服を決めて、いつもひとつにまとめてる髪も下ろして、オイルをつけて整えて、化粧もちゃんとして……。

 なんとか支度を済ませて昼をかき込んだら家の呼び鈴が鳴る。

 本当は私が出たかったのに……先に来ていた瑞希が、玄関で藤乃さんと話してた。

 どんな顔をして出ればいいのか、全然わからなかった。


「あ、あの……お待たせしました」

「ううん、今来たばかりだよ。……行こっか」


 藤乃さんは、少し間を置いてから玄関を出ていった。私もあとを追おうとしたら、瑞希に腕を引かれた。


「藤乃から、離れんなよ」

「え?」

「藤乃のトラウマだからさ」

「なに、それ」

「ま、行けばわかるよ」


 腕が離れて、背中を軽く押される。ひらひら手を振る瑞希に小さく手を振り返して、藤乃さんのあとを追った。

 藤乃さんは約束通り車で迎えに来てくれたから、助手席に乗り込む。


「今日は、よろしくお願いします」

「こちらこそ。……花音ちゃんの服、かわいいね」

「えっ、そ、そうですか……? 可愛い服がなくて、なんとか形になったって感じなんですけど……。須藤さんも、かっこいいです。いつもかっこいいけど、今日はまた少し違って……」


「……ありがとう。じゃあ、行こうか」


 そういえば、藤乃さんが運転するのを見るのは初めてだ。

 ギアを操作する筋張った手の甲も、ミラーを確認するときの目元も、すごくかっこいい……。だめだ、つい藤乃さんばっかり見ちゃう。


「そういえば、展覧会に何かあるんですか?」

「んー……、なんで、そう思ったの?」

「なんでだろう……すごく人気なのに、『行けない』じゃなくて『行かない』って言ってたので。お誘いしたときも、あんまり乗り気じゃなかったですし……」


 そう言って、藤乃さんは「花音ちゃんは鋭いねえ」と、いつもより落ち着いた低い声で言った。


「隠してても仕方ないし……言っちゃうけど、この展覧会をやってるSUZUって、俺の従姉妹なんだ。チケットも、本人が持ってきたんだよ」

「えっ、そ、そうなんですか……?」

「うん。会場で使ってる花の、半分以上は俺が選んだ」


 さらっと言ってたけど、すごいことだよね……?

 SUZUさんって、年に一度は個展を開いてて、テレビにも時々出てるくらいの有名なフラワーアーティスト。その花の半分を、藤乃さんが……?

 藤乃さんは信号が変わったのを見て、静かにアクセルを踏み込んだ。


「……俺が小学生から中学生くらいの時に、SUZU……鈴美の父親が俺を目の敵にしててさ。会うたびに怒鳴られてたんだ。十年いかないくらいかな。鈴美と比べて出来損ないとか、不出来な愚図ってさ。母親が気づいて、もう会わなくなったけど……まあ、好きにはなれないよね」


 ……私、なんて声をかけたらよかったんだろう。

 だから瑞希は、“トラウマ”って言ったんだ……。

 そこからどうなって、展覧会のチケットを受け取ることになったんだろう。

 私、この人のこと……本当に何も知らなかった。


「……ごめんなさい。私、何にも知らなくて……余計なこと、言っちゃって……」


 でも藤乃さんは、さっきと同じ落ち着いた声で、ゆっくりと答えてくれた。


「ううん、いい機会だったし……でも、たぶん鈴美に会ったら、俺ちょっとイラつくと思うからさ。花音ちゃん、隣にいてくれる? いてくれたら、たぶん大丈夫」

「私でよければ……ずっと一緒にいます」

「ありがと」


 いつの間にか、車はゆっくり駐車場に入っていた。混んでたけど、なんとか空きを見つけて止める。

 車を降りて歩き出すと、藤乃さんが私のほうを振り返った。


「ごめんね、かっこ悪いとこ見せちゃって」

「大丈夫です。藤乃さんのかっこよさは、それくらいじゃ変わりませんから」

「……花音ちゃんのほうが、ずっとかっこいいよ」

「かっこいいより、かわいいって言われたいです」

「いつもかわいいよ。今日の服もかわいいし、いつもの作業着もかわいい。会うたびにかわいくてびっくりしてる。写真撮って待ち受けにしていい?」

「……だ、ダメです」


 やっと藤乃さんが少し笑ってくれた。

 並んで展覧会の受付にチケットを出す。

 会場の中は、花の香りでいっぱいだった。


「わあ……っ、すごい……」


 正面には大きなアレンジが飾られていて、いきなり圧倒されてしまった。

 色使いが派手というか、豪華で、こちらに向かって飛び出してくるみたいだ。


「……うん」


 それきり藤乃さんは黙ってしまった。

 ゆっくり、順路通りに見て回る。

 どれも色味がはっきりしていて、力強くて、まるで爆発みたい。でも、静かに風にそよぐようなアレンジがぽつんと置かれていて、そのギャップに思わず息を呑んだ。

 藤乃さんは、一つひとつを静かに見ていた。

 時間をかけて、葉の先までじっと真剣な顔で見つめていた。

 展覧会を見に来たっていうより、宿題に丸をつけてる先生みたいな顔だった。

 どうしてそうしたのかを、ひとつひとつ、確認している。

 そんなふうにゆっくり回って、ようやく最後の展示室までたどり着く。

 そこには、天井近くから大きな藤の花が垂れ下がっていて、小さな日本庭園が再現されていた。藤の花を通して、やわらかい光が差していて、幻想的だ。

 静かな空間で、藤乃さんと二人で立ち尽くしていたら、突然大きな声がした。


「ふっくん! 来てくれたんだね!?」


 パタパタと、華奢な女の人が駆け寄ってきた。SUZU――鈴美さんだ。

 小柄で華奢で、まるで少女みたいにかわいらしい人だった。チケットに書いてあったプロフィールだと、藤乃さんよりも年上だったと思うけど。


「やっと来てくれた! ね、どうだった? 私が作ったお花たち。ふっくんが選んでくれたから、一番きれいに見せたくて、がんばったの! この部屋もそうなの! ね、ふっくんは……」


 そこまで言って、藤乃さんの隣にいる私に気づいて、鈴美さんは引きつった顔で口を閉じた。


「……ふっくん、こちらは……?」

「お前には関係ない。花は見た。……良かったと思う」


 藤乃さんは、私が思わず身を引くくらい低い声で答えた。

 鈴美さんは、引きつった顔で私と藤乃さんを見比べた。


「やっと来てくれたと思ったのに、他の女の子と一緒なんて……」


 ……それで、気づいてしまった。この人も、私と同じ気持ちなんだ。


「ひどいよ、ふっくん。待ってたのに」

「なんの話だ。俺はお前を待たせた覚えはないし、待って欲しくもない。言っただろ、関わりたくないって……」


 思わず、藤乃さんの手を握ってしまった。

 鈴美さんの気持ちが分かってしまったから、それ以上は言わないであげてほしい。

 藤乃さんは黙ったまま、私を見た。

 そっと首を振ると、藤乃さんの手が、少しだけ握り返してくれた。

 藤乃さんはゆっくり鈴美さんに視線を戻す。


「……悪い。とにかく、展示してあったアレンジは良かった。俺が選んだ花をちゃんと生かしてくれて嬉しかった。じゃあ」


 それだけを早口で言って、藤乃さんは私の手をぎゅっと握って踵を返した。

 去り際に鈴美さんに軽く会釈をすると、睨まれたけれど、その顔は泣き出しそうだった。

 エントランスまで早足で出てくると、藤乃さんは窓際のベンチに、崩れるように腰を下ろした。


「……ごめんね、花音ちゃん」

「いえ、私は平気です。ちゃんと最後まで見られましたから」


 つないだままの手に、そっともう片方の手を重ねた。藤乃さんは背中を丸めて、黙ってうつむいている。


「……はー……かっこ悪いなあ。でも、ありがと。いてくれて。花音ちゃんがいてくれたから、ちゃんと最後まで見られたし……鈴美にも、作品は良かったって言えた。最後は……ちょっとイラついて、逃げちゃったけど」


 藤乃さんが、ゆっくりと顔を上げた。少しやつれて見えるけれど、表情はどこか明るかった。


「ごめんね。せっかく誘ってくれたのに。花音ちゃんとの初デートだから、ほんとはかっこつけたかったんだけど」

「で、デート……ですか?」

「違った?」


 ちょっと笑ってそんなことを言う藤乃さんは、なんていうか、ずるい。

 そんなふうに言われたら、違うなんて言えないよ。


「違くないです。私も、藤乃さんとのデートだと思って、朝から頑張って服を選んだり、お化粧してきました」

「ああ、だからいつもよりかわいいんだ。ありがと。嬉しい」


 どうしてこの人は、そういうことをサラッと言えるんだろう。慣れてるのかなあ……。

 ……でも耳も頬も真っ赤だし、目がちょっと泳いでいるから、もしかしたら頑張って言ってるのかもしれない。

 かわいくて、ついじっと見つめていたら、目を逸らされてしまった。そして、すっと立ち上がる。


「じゃあ、ちょっとおやつでも食べて帰ろうか。近くに美味しそうな甘味屋さんがあるらしいんだけど、花音ちゃん、和菓子好き?」

「はい、好きです!」

「良かった。じゃあ、行こうか。近くだから歩いていってもいい?」

「はい!」


 藤乃さんは、つないだ手をそのままに歩き出した。

 何か言おうかと思ったけど、せっかくだからつないでおく。藤乃さんの手は、大きくて、少しかさついていて、硬い――男の人の手だった。私の手もバレーをやっていたこともあって、女としては大きい方だけど、藤乃さんには敵わない。


「えへへ……」

「どしたの?」

「須藤さんの手、大きいですね……」

「……あ、ごめん、つないだままで……」

「大丈夫です。デートなんですよね? だったら、歩いてる間はつないでたいです」


 そう言って顔を見たら、さっきよりずっと真っ赤になっていた。

 やっぱり、かわいい人だ。


 展覧会の会場を出て、のんびり歩く。天気のいい初夏の夕方。少し蒸し暑いけれど、風が吹いているし、隣で藤乃さんと手をつないで歩いているから、気分はすごくいい。


「あ、ここだ」


 十分も歩かないうちに藤乃さんが立ち止まった。

 和の雰囲気が漂う店構えで、かき氷ののぼりが風にはためいている。

 店内はそこそこ混んでいたけれど、窓際の二人席がちょうど空いていて、すぐに案内された。

 藤乃さんは流れるように奥の席を勧めてくれるし、荷物を入れるカゴも、当たり前のように私に向けてくれる。

 ……そういうふうにされたことがあまりないから、ひとつひとつ、どう反応すればいいのかわからない。


「何食べる? ここのおすすめはあんみつらしいんだけど……暑いからね」


 メニューを向けられて悩む。……メニューもさらっと二人で見やすいように横に向けつつ、ちょっと私の方に寄せてくれている。

 やっぱり、慣れてるのかなあ……。


「そうですね……じゃあ、ソフトあんみつにしようかな。でも、季節限定の氷小豆もおいしそうです。昨日から始まったばかりって書いてありますね」

「じゃあ、それ両方頼んで半分こしようか」

「……須藤さんって、こういうの慣れてるんですか?」

「なにが?」


 思わず聞いてしまったら、藤乃さんはきょとんと首をかしげた。……しまったなあ、これ、ちょっと面倒な女みたいだ。


「すみません、なんだか……全部がスマートだから、女の子と出かけるのに慣れてるのかなって……」

「そう見える? 女の子と出かけるの、初めてだよ。手汗びっしょりだし、このお店も、花音ちゃんが誘ってくれたから一生懸命探したし」

「えっ、そうなんですか……?」


 藤乃さんが手のひらを私に向けてくる。たしかに、じっとり汗をかいていた。


「うん。車もね、女の子を隣に乗せたの初めてだから、めっちゃ緊張しながら運転してた。助手席のドア、開けてあげればよかったなーって、ずっと後悔してたし」

「そ、そうだったんですね……」


 何て言っていいかわからなくて、返事に詰まっていたら、タイミングよく店員さんが注文を取りに来てくれた。

 藤乃さんが注文して、あんみつもかき氷もすぐに出てくる。


「おいしい! おいしいです!」

「こっちもおいしい。久しぶりに食べたけど、あんみつって、やっぱうまいね」


 二人であれこれ言いながら、楽しく食べる。半分ずつ食べて、途中で交換して、もう一つの味も楽しんだ。

 おいしいのはもちろんだけど、向かいで食べてる藤乃さんの口が大きくて、なんだかドキドキする。一口の量が私とぜんぜん違う。

 瑞希も同じはずなのに、なんで藤乃さんだとこうなるんだろ……。

 食べ終わって店を出ると、すっかり外は夕方で、空がオレンジ色になっていた。


「じゃあ、車に戻って帰ろっか」

「はい。あの……車まで、手、つないでもいいですか?」

「……俺、手汗すごいけど?」

「大丈夫です。自分で言っといてドキドキしてますから」


 そう笑って見せたら、藤乃さんはやっぱり赤い顔で手を差し出してくれた。

 恋人同士っていうより、園児が手をつないでるみたいな感じだけど、それでも重なるところは温かくて、そわそわする。

 いつもよりちょっとゆっくり歩いて展覧会の建物まで戻る。


「ちょっと寄り道してもいい?」

「なんでしょう?」

「展覧会の目録買っておきたいんだ」


 ちょっと意外だった。あれだけ鈴美さんと揉めたのに、それは買うんだ。

 売店には目録の他に押し花のしおりや、一輪挿しなんかも売っている。散々悩んで結局買わなかった。

 ……見るたびに鈴美さんのことを思い出して、モヤモヤしちゃいそうで、買えなかった。

 目録を買ってきた藤乃さんと合流して、また手をつないで車に戻った。

 車に乗り込むと、藤乃さんが目録を差し出した。


「二冊買ったから、一冊あげる。センスをよくするには、『上手だと思う作品をちゃんと見る』って言ったし。俺も好き嫌いせずにちゃんと見るから、付き合って」

「……はい。あの、じゃあこれを誕生日プレゼントにしてください。初めてのデートで、その記念も兼ねて」


 そう言うと、藤乃さんは目を丸くした。

 それから視線をさまよわせて、下を向いてしまう。


「うん、花音ちゃんがそれでいいなら」

「ありがとうございます」


 シートベルトを締めて、目録を膝に乗せた。

 さっき言われた「付き合って」を耳の中で反芻する。……いや、そういう意味じゃないのはわかってるけど。録音しておきたいくらい、素敵な響きだった。

 ゆっくり車が動き出す。街灯が流れるのを見ているうちに、家に着いた。

 駐車場に車が止まって、エンジンが切られたタイミングで藤乃さんの方を向いた。


「今日はありがとうございました。一緒に行けてよかったです」

「こちらこそ。いつかは行かなきゃって思ってたから、誘ってくれて嬉しかった」


 車を降りてなんとなく並んで家に向かう。玄関の少し手前で立ち止まり、藤乃さんの手に自分の手を重ねた。


「……また、どこか行きましょう」

「うん。次は俺から誘うから」

「はい。楽しみにしてます」


 重ねた手をそっと握って離す。離れた瞬間、また掴まれた。


「……ごめん。ちょっと別れがたかった」


 玄関から少し離れていて、暗くて藤乃さんの顔は見えない。見えないけど、たぶん私と同じような表情をしている気がした。


「私もです。次は来週クレマチスとアジサイをお持ちします」

「うん、楽しみにしてる」


 一瞬間を置いて、手を離した。

 玄関に入ると母さんが出てきて、藤乃さんと少し話していた。


「じゃあ、今日はありがとう。おやすみ」

「こちらこそ。おやすみなさい」


 藤乃さんは私と母さんに頭を下げて、出て行った。


「どうだった?」


 母さんが目をキラッキラにしてこっちを見ている。……ちょっとは遠慮して欲しいけど、浮いた話のない娘がデートしてきたらテンション上がるのはわかる。

 でも、私もまだ整理できていない。


「……須藤さんが、すごく気を遣ってくれてた」


 それだけ言って、洗面所に逃げた。

 抱えたままの目録が、汗でしんなりしていた。

 たぶん、藤乃さんの目録もしんなりしているんだろう。


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