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Day5「三日月」

 初夏の朝、じいさんと松の根を処理していたら、名前を呼ばれた。


「藤乃ー、今いいー?」


 呼んだのは瑞希で、花を持ってきてくれたらしい。


「今はムリ! あと五分だけ待ってくれ!」

「お、由紀のとこの小僧か。こっち手伝え!」

「相変わらず須藤のじいさんは人使いが荒いな……」


 瑞希は文句を言いながらも、ちゃんと縄を引いて松を固定してくれた。


「これ、どうすんの?」

「駅向こうのホテルの、庭木の入れ替えするんだ。今日処理して、明日交換して、明後日には入れ替えた松の補修」

「あー、じゃあ厳しいかも」

「え? なに?」

「松、傾いてるぞ! しゃべってないで、手ぇ動かせガキ共!!」

「「すんません!!」


 俺と瑞希で松を支えて、じいさんが根っこの長さをそろえる。根をそろえたら麻布で巻いて、そのままトラックに積み込んだ。


「つ、疲れた……」


 結局瑞希は松をトラックに積み込んで、毛布と縄で固定するところまで手伝ってくれた。まあ、まだあと二本残ってるんだけど……。

 じいさんは荷台に腰を下ろして麦茶を飲んでいる。


「若いのに、すぐバテやがって」


 瑞希は荷台にもたれかかって笑った。


「体力、あるつもりだったんすけどね。畑仕事と使う筋肉が違ってしんどいっす。…… 藤乃は元気そうだな。ヒョロガリメガネのくせに」

「まあ……慣れてるからな。俺だって、そこまでガリガリじゃねえし。お前とは、ついてる筋肉の場所が違うんだよ」


 ……たぶん、だけど。

 思わず腕と腹をさすった。筋肉は、ある……はず。


「それより瑞希はなんか用?」

「あ、そうだ。明日、花音の誕生日って知ってた?」

「知らないけど!? 言えよ!!」

「だから、わざわざ言いに来てやったんだって」

「ああ、そうだった。ありがとう、お義兄さん。……それはそれとして、松あと二本あるからよろしく。俺、花音ちゃんのプレゼント買いに行ってくるわ」

「ふざけんなよ、こっちだって仕事残ってんだよ!」


 瑞希は「自分でなんとかしろ!」と言って、行ってしまった。

 えー……マジでどうしよう……。

 途方に暮れてたら、じいさんが荷台から降りてきた。


「由紀の娘っ子は、仕事ほったらかした男からもらった贈り物に喜ぶような女か?」

「……違うと思う」

「そりゃ、いい女だ。ばあさんもそんなことされたら、怒鳴り込んでくるぞ」

「そうだね……てか、じいさんだって、ばあさん出てっちゃってるでしょ」


 祖母は俺が中学までは一緒に住んでいたけど、高校に入る前に俺と伯父……父の兄弟の長兄で揉めて、それから伯父の家に越してしまった。


「それがいいんだよ。ばあさんとは今、遠距離恋愛中ってやつでな」

「遠距離恋愛!?」

 祖父母が遠距離恋愛……しかも現在進行形……意味わかんねえな……??

「気づかなかったか? ケンカして別れたわけじゃねえし。ちゃんと月一でデートもしとる」

「……え、なにそれ。めっちゃいいじゃん……」


 俺だって、花音ちゃんと月一でデートしてみたい……いや、付き合ってすらいないんだけど。


「なんにせよ、惚れた女に会いに行くんなら、胸張って行けや。ほれほれ、仕事仕事! 手ぇ止まってんぞ!」

「へいへい、働きますよっと」


 松をあと二本仕上げなきゃいけないし、花壇用の花も積み込まなきゃ。

 日も高くなって、汗が止まらない。でも、立ち止まってる暇なんてない。



 翌日。じいさんと親父、それに俺の三人で、いつもお世話になってるホテルの庭木を植え替えた。

 親父が昨日のうちに古い松を掘り起こしておいたので、それを新しい松と入れ替える。じいさんと親父で土を埋め直して支柱を立てている間に、俺は周囲の花壇の植え替えをする。

 昨日、瑞希が持ってきてくれた花だ。

 ……花音ちゃんの誕生日、今日なんだよな。

 帰りに、寄れたらいいんだけどな……。

 ふと気づいて、花のポットとポットの間に挟まっていた手書きの花一覧を手に取る。……瑞希の字じゃ、ない。


「……これ、花音ちゃんの字だ」


 一覧の左下、なにかが重なって見えて、ひっくり返したら、「うちの花をよろしくお願いします」って、丁寧な字で書いてあった。


「……ちゃんと、やらなきゃな」


 息を吸って、吐く。

 音ちゃんは、仕事を抜けて祝ったって、きっと喜ばない。

 そんな花音ちゃんが育てた花を、気持ち入れずに触るなんて、したくない。

 今は、仕事に集中しよう。



 結局、片付けが終わったころには、すっかり夜になっていた。

 空の端に三日月が浮かんでいて、プレゼントを買いに行くどころか、会いに行くのももう無理な時間。そもそも一日中外で働いて、汗まみれだし……。

 帰って片付けて、シャワーを浴びる。

 それから夕飯を済ませて、ベッドに倒れ込んだ。


「……全然、わかんねぇ」


 二十代半ばの女の子が喜んでくれて、彼氏でもない男からもらっても引かれない……そして、あの子が笑ってくれるようなもの。

 ぼんやりスマホを眺めていたら、突然震え出して、誰からかも確認せずに、うっかり取ってしまった。


「はい……瑞希?」


 瑞希の名前が見えたから、そう聞いたら、ちょっと間があった。

 なんだ……?


『あ、すみません……えっと、花音です』

「は……? えっ、花音ちゃん……!? うわっ、いった……!」


 びっくりしすぎて、ベッドから転げ落ちた。

 いってぇ……なにこれ、どういうこと……?

 スマホを見ても、画面には瑞希の名前が出ている。

 慌てて起き上がって、なぜか正座してからスマホを耳に当てた。


「ご、ごめん。びっくりしちゃった。えっと、どうしたの?」

『すみません、こんな時間に。しかも瑞希のスマホから……。その、瑞希が電話しろってうるさくて』

「……ああ、そういうことか。えっと、誕生日おめでとう。今日、だったよね?」

 瑞希のお節介に、今回は素直に甘えさせてもらう。


 持つべきものは、好きな子を妹に持つ友達……。


『は、はい、そうです。あ……瑞希ですね。余計なことを……。でも、ありがとうございます。須藤さんにお祝いしてもらえるなんて、嬉しいです』

「もうちょっと早く知ってたら、ちゃんとプレゼント用意できたのに。ごめん、まだ何にも用意できてない。でも、絶対何か贈るから。待ってて」

『祝ってもらえただけで、十分ですよ』

「俺が、贈りたいんだ。なんか欲しいもの、ない?」

『すぐには思いつきませんけど……。少し、考えてもいいですか?』

「もちろん。ゆっくり考えて」


 ふわっとあくびが出て、時計を見ると、もう日付が変わっていた。


「ごめんね、明日早いから、もう寝るね。電話くれて、ありがと」

『あ、すみません、こんな遅い時間に。……わ、もう日付変わってる。じゃあ、今年の誕生日の最後に話したのは須藤さんですね』


 そういうこと、言わないでくれ……電話、切れなくなるし、会いたさが爆発しそう。


「……来年の誕生日は、一番に『おめでとう』って言いたい」


 思わず口に出た。でも、もう仕方ない。言いたくなったんだから。

 スマホの向こうは、しんと静まり返っていた。

 言わなきゃよかった。なんとか誤魔化して通話を終えようとしたとき、花音ちゃんの声が聞こえた。


『じゃあ、それを誕生日プレゼントにしてください』

「えっ? ……それって、来年のプレゼントになっちゃわない?」

『あー、たしかに……。でも、今はそれがいいんです。えっと……おやすみなさい』

「……うん。おやすみ。……誕生日、昨日になっちゃったけど、おめでとう」


 名残惜しさで胸がいっぱいだったけど、なんとか通話を切った。

 ……これ、プレゼントもらったのは俺のほうじゃん。

 枕に顔を埋めて、変な声が出るのを必死でこらえた。




 花音ちゃんの誕生日から数日後、俺の浮かれ気分は一瞬で吹き飛ばされた。


「ふっくん、ひさしぶりー!」

「……帰れ!」


 その日の夕方、満面の笑みで店にやって来たのは従姉の鈴美だった。

 ふわふわした服で気が強そうに笑っている。

 好きか嫌いかで言えば大嫌いな従姉。


「相変わらず冷たいなー、ふっくん。あたし、お得意様なんだよ?」

「客って言うなら、さっさと花選んで、とっとと帰れ!」

「つれないなー。来月末の品評会に出すから、ふっくんお花選んでね。それとこれ、来週からの展覧会のチケット。観に来てよー」


 ぺらっと差し出されたチケットを受け取る。もう十年くらい、毎年もらってるけど、一度も行ったことはない。

 毎年、理人か葵に渡してるし、今年もそうする。


「どうせまた理人くんか葵ちゃんに渡せばいいって思ってるんでしょ! もー、たまにはふっくんが来てよ!」

「アラサーが“もー”とか言うな。鬱陶しい。目の前で破り捨てないだけありがたく思え」


 鈴美はむくれ顔でこっちを見上げる。……ほんと鬱陶しい。

 このしつこさ、本当に苦手だ。バサバサのまつ毛でバチバチ見てくるの、やめてくれ。

 ていうか、いつまでも俺に構ってないで、彼氏でも友達でも作れよ……ほんとに。


「とにかくこれ、欲しいお花のリストね。よろしくー」

「自分で選べ」

「だって、ふっくんが選んだ花のほうが、評判いいんだもん……」

「自分の見る目のなさを反省しろ。その甘さでプロ面すんな、図々しい」

「……うるさいなあ、もう。そういうとこがダメなんだってば」


 鈴美はぷいっとそっぽを向いた。

 それからもう一度、じっと俺を見上げてきた。鬱陶しくて睨み返すと、


「……ばか」


 と呟いて帰っていった。

 ほんと、勘弁してほしい……。

 チケットは事務所の机に置いて、渡された花のリストに目を通す。たまに「色はふっくんにお任せ」とか書いてあって、読むだけでイラッとする。


 ……鈴美が中学生のとき、フラワーアートで大きな賞を取った。そこから、俺ら従兄弟は親戚中に「鈴美を見習え」「鈴美みたいに頑張れ」「鈴美ちゃんはすごいわね。で、藤乃くんは?」なんて、やたらと比べられるようになった。

 俺は鈴美の五つ下で、親父が鈴美の父親の一番下の弟ってのもあって、とにかく比べられた。鈴美と比べてどれだけダメか、才能もない、役立たずって、伯父は延々説教してきた。

 俺が高校に上がる頃、母がやっと気づいて、ブチ切れた。それからは伯父の家には寄りつかなくなった。

 その母のブチ切れがきっかけで、祖母も家を出たけど……それはまあ、置いとく。

 その三年後、俺が大学生のときにまた伯父と母が揉めて、鈴美が母に謝って、とりあえず鈴美だけは、たまにうちの店に顔を出すようになった。


 でも、だからって、はいそうですかってわけにはいかない。

 十年以上、顔を合わせるたびに罵倒してきた伯父を、今さら許す気なんてない。多かれ少なかれ、それが鈴美のせいだってこともわかってる。


「あー、ほんとやだ……」


 リストに目を通しながらぼやいてたら、店の裏口で物音がした。顔を向けると、扉のすき間から花音ちゃんがひょこっと顔を出していた。


「すみません、遅くなっちゃいました」

「全然大丈夫。……来てくれて、嬉しい」


 ホッとしすぎて、泣きそうになった。

 花音ちゃんが、ふと首をかしげて納品書を差し出してきた。


「バラをお持ちしました」

「ありがとう。取りに行くよ」

「ふふ、そう言うと思って、今日は最初から台車に乗せてきたんです」


 いたずらっぽく笑って、花音ちゃんは扉を開ける。そこには台車にバラが積まれていた。


「かっこつけ損ねたな……。確認するよ」


 花音ちゃんに椅子とお茶、それからお菓子を勧めて、バラを運ぶ。

 全部水に浸けて戻ったら、花音ちゃんが顔を上げた。


「須藤さん、これって……」

 覗き込むと花音ちゃんの手にあったのは鈴美が置いていったチケットだった。

「これ、SUZUさんのですよね。フラワーアーティストの……。行かれるんですか?」

「あー、いや、もらったけど、俺は行かないから、誰かにあげようと思ってたんだ」

「えっ、そうなんですか? すごく人気の展覧会ですよね。チケット、なかなか取れないって聞いてました」

「……花音ちゃんが行くなら、あげるよ。それ」


 そう言うと、花音ちゃんは目を丸くして、俺とチケットを交互に見る。それから少し考えて、口を開いた。


「もしよかったら、一緒に行きませんか? 須藤さん、『センスをよくするには、上手だと思う作品をちゃんと見ること。あとは、いろんな作品を見ること』って言ってたじゃないですか。だから……それだけじゃないんですけど、どうでしょう?」

「……うん」


 好きな女の子に誘われて、行きたくないわけがない。でも、行けば鈴美が待ち構えてて、絡んでくるだろう。それを花音ちゃんに見られたくなかった。

 それでも、花音ちゃんに誘われたら頷いちゃうんだよなあ……!


「あの、無理にとは言わないんですけど……」


 俺の反応が微妙だったからか、花音ちゃんが困ったような顔になる。

 情けないな俺は。手を握りしめて、それからゆっくりほどく。


「いや、行く。行きたい。でも……たぶん、めちゃくちゃかっこ悪いとこ見せちゃうと思う」


 今の時点で相当かっこ悪い。うまく説明できてないし、ぐだぐだだし。


「そうですか? 今まで須藤さんの“かっこ悪いところ”を見たことがないので、なんとも言えませんが……。新しい一面が見られるってことですよね? 楽しみにしてます。これ、来週から来月いっぱいまでですけど、いつがいいですか?」


 さらっと流されてしまった。

 ……まあ、それならそれでいいか。

 鈴美に何を言われたって、花音ちゃんが隣にいてくれるなら、そんなに取り乱さないだろうし。


「ありがとう。来週のこの日が定休日なんだけど、大丈夫そう?」


 壁にかけてあったカレンダーを指さしたら花音ちゃんはすぐに頷いた。


「はい、その日なら大丈夫です。時間なんですけど――」


 約束をして、花音ちゃんを車まで送る。

 空は既に暗くなっていたけど、雲が多くて月は見えない。

 でも、目の前にいる一番星みたいな女の子が笑顔で


「来週、楽しみにしてます」


 って言ってくれるから――俺は、ちゃんと前を向いて歩いて行ける。


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