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Day21「海水浴」

 八月も終わりが近いけど、日差しは相変わらず容赦がない。

 朝からジリジリと照りつける暑さのなか、俺は助手席に花音ちゃんを乗せて車を走らせていた。

 海沿いの道だから本当は窓を開けたい。でも、湿気がひどくてそれどころじゃない。年々暑さが増してる気がする。


「これから行く水族館ってシャチいるんですよね?」

「うん。イルカみたいにシャチがショーするんだってさ」

「楽しみです」


 花音ちゃんは窓の外を眺めたり、ふと俺に微笑みかけてくれたりする。

 今日も変わらず、世界で一番かわいい。


 水族館の駐車場に車を停めてドアを開けたら、潮風が吹き抜けていい匂いがする。

 並んで歩き出したら花音ちゃんが俺の方を見た。


「藤乃さん、これはデートですか?」

「……デートです」

「じゃあ、手をつなぎましょう。デートですから」

「お願いします」


 そっと手を取る。指を絡める勇気はないし、花音ちゃんがどんな顔をしているのか、ろくに見ることもできない。

 入り口でもらったチケットを渡して中に入ると、薄暗い建物の中に入っていく。

 花音ちゃんの手に、少しだけ力がこもる。

 少し歩くと幻想的な青い光が広がっていた。


「これは……クラゲでしょうか?」

「そうみたい」


 壁いっぱいの水槽に、クラゲがふわりふわりと漂っている。

 ふと隣を見ると、青白い光に照らされた花音ちゃんが、目を丸くしてクラゲを見つめていた。


「綺麗ですねえ」

「……そうだね。花音ちゃんも、いつ見ても綺麗だ」

「く、クラゲの話です!」

「花音ちゃんしか見てなかった」


 そう言ったら、花音ちゃんは頬をぷくっと膨らませて歩き出してしまった。

 手は繋いだままだから、結局そのまま俺も引っ張られていく。

 クラゲの水槽の先は外だった。

 正面に浅い、砂浜を模した水槽があって、亀が泳いだり日向ぼっこをしたりしている。

 椰子の木やハイビスカスなんかが周囲に植えられていて、南国みたいな雰囲気だ。


「わ、海みたいです!」

「向こう側が海岸になってるんだね。夏の早い時期は海水浴もできるんだってさ」


 亀の水槽の前に立って、説明書きに目を通す。

 海水浴か……花音ちゃんの水着姿、きっと似合うんだろうな……。

 亀を通り過ぎたら大きなショー用の水槽があって、ぐるりと座席に囲まれている。

 外から覗いたらイルカが練習をしながら餌をもらっている。


「ショーは……まだ先みたいですね」

「向こうにシャチのショー用の水槽あるよ。そっちが先かな」

「行ってみましょう!」


 花音ちゃんが笑顔のまま、俺の手を引いて歩き出す。

 ……こういう場所だと、こんなふうにはしゃぐんだ。知らなかったな。

 次は動物園とか遊園地、プラネタリウムだとどんな顔を見せてくれるんだろう。

 俺はどれも行ったことがないから、花音ちゃんよりはしゃいじゃうかもしれない。

 水族館だって、ちゃんと来るのは初めてかもしれない……いや、幼稚園の遠足で来たような記憶がある。アルバムにそれらしい写真があったっけ。

 連れて来られた先の水槽では、シャチがイルカと同じように、餌をもらいながら練習していた。

 シャチのショーもまだ少し先みたいで、水槽の脇でしばらく練習を眺める。


「藤乃さん、シャチ見てますか?」

「見てない。花音ちゃんばっか見てる」

「もー、水族館に来た意味ないじゃないですか」

「そんなことないよ。こんなにはしゃぐ花音ちゃん、なかなか見られないから。来てよかったよ」


 そう言うと、花音ちゃんは恥ずかしそうに目を逸らした。逸らした先ではシャチが軽々と跳ねている。高々と跳ね上がり、俺たちのすぐ横に着水して――。


「うわ、危ない」


 勢いよく水が飛び散る。

 夏の日差しに水がキラキラと舞い散って、慌てて花音ちゃんを抱きしめる。一瞬遅れて頭から水が降ってくる。


「びっくりした。花音ちゃん大丈夫? 濡れてない?」


 腕をゆっくりほどくと、花音ちゃんが目を丸くして動かない。


「どうしたの……?」

「あの、藤乃さん、今水からかばってくれました……?」

「う、うん……ごめん。余計だった?」

「いえ……あの、嬉しくて。ありがとうございます」


 花音ちゃんの手が、そっと俺の胸に当てられる。

 赤く染まった頬と、潤んだ瞳に、どうしていいかわからない。


「そんなに……?」

「かっこよかったです。なんですか、それ。もうダメですよ……藤乃さん、すごく自然にときめかせてきますよね。狙ってるんですか? でも、お父さんもそんな感じでしたし……あれって素なんですか? だとしたら、ちょっと怖い……」


 花音ちゃんが顔を真っ赤にして、そろそろと後ずさった。

 ……なにこれ、俺はどうリアクションすればいいんだ。


「あのさ、それ、いろんな人にも言われるんだけど……親父に似てるって。そんなに似てる?」

「似てます。……シャチのショーの観覧席、行きませんか? この体勢、ちょっと恥ずかしくて……」

「ごめん」


 歩き出したとき、花音ちゃんがそっと俺の手を取った。堪らなくなって指を絡めると、ぎゅっと握り返されて、心臓が爆発しそうになる。

 観覧席の後ろの方に並んで座る。指は絡んだままで、花音ちゃんはそっと俺の腕にもたれかかってきた。

 ……距離、近すぎない?

 緊張し過ぎて言葉が出ない。えっと、何か話そうって座りに来たはずなんだけど。


「藤乃さんは顔はお母さんに似てますよね」

「そうだね。間違いなく母親似だと思う」

「でも、しゃべり方とか表情はお父さんにそっくりです。お二人が並んでると、まるでコピーみたいに同じ顔になるときがあって……」


 ……心当たりがないわけじゃない。

 まず、じいさんと親父が似ている。顔じゃなくて、喋り方と表情が。

 つまり、俺もってことなんだろう。

 それを花音ちゃんに言われたのが恥ずかしいというか……俺のこと、見過ぎでしょ。


「花音ちゃんと瑞希も、けっこう似てるよね」

「はい。瑞希と私は母似なんです。でも最近、瑞希がどんどん父に似てきてて……なんていうか、ちょっとおじさんになってきたというか」

「うん、それ……ちょっとわかるかも」


 でも、それ、俺にも地味に刺さる。俺も二十八歳。そろそろ三十が見えてくる。

 花屋に来る子どもに「お兄さん」って言うの、そろそろ厳しいかもしれないな。

 そのとき、アナウンスが流れて、シャチが水槽に現れた。気づけば観覧席もそこそこ埋まっている。


「あ、始まるみたい」

「藤乃さん、ちゃんとシャチを見ててくださいね」

「難しいかも」

「藤乃さんと感想を言い合いたいので、ちゃんと見てくださいね」

「そう言われちゃうと……努力します」

「もー……」


 でも、ショーは本当にすごかった。

 シャチがばっしゃばっしゃ跳ねて、輪っかを飛びくぐったり、順番にジャンプしたり。

 前の方に座ってるお客さんと、ボールの投げ合いなんかもやっていた。


「すごい」

「ね、楽しかったです」


 ショーが終わって、また歩き出す。花音ちゃんは何のためらいもなく俺の手を握って、そのまま指を絡めてきた。

 アシカとペンギンも見たら、いったんお昼ごはん。

 シャチの水槽の裏がレストランになっていて、泳ぐ様子を見ながら食事ができる。……まあ、俺はニコニコしてる花音ちゃんしか見てなくて、また軽く怒られたけど。

 食べ終えたら海鳥を見に行く。海鳥も亀と同じように海に面したブースにいるから、すごく広い場所にいるみたいに見える。


「藤乃さん、なんか……天気、崩れてきましたね」

「そうだね。海、白波が立ってる」


 花音ちゃんが空を見上げる。空にはいつの間にか厚い雲が集まりはじめていて、海の色も心なしか暗くなっていた。


「早めに切り上げたほうがいいかもしれませんね」

「そうかも。花音ちゃん、天気の変化に敏いよね」

「毎日、畑にいますから」


 そう言ってこっちを見上げる花音ちゃんは、どこか自慢げで、やっぱりかわいかった。

 でも切り上げるなら、そろそろタイミングを見たほうがいいかも。


「じゃあ、そろそろ出口のほう行こうか」

「そうしましょう。あ、お土産も買いましょうね」

「うん。何か欲しいのある?」

「シャチの大きいぬいぐるみ、ほしいです」

「売ってるやつ、全部買おうか」

「一個でいいです。あ、やっぱり二個買っておそろいにしましょう」

「すっ……なんでもない……」


 のんびり歩いて、クラゲの水槽の建物に入る少し前、アナウンスが響いた。


『台風が進路を変え、北上していることが気象庁より発表されました。○○市では防災対策といたしまして、道路、路線の計画封鎖を行う旨が発表されました。電車でお越しのお客様はバスでの輸送を行いますのでバス停へお越しください。車でお越しのお客様は申し訳ありませんが国道○○号線は封鎖となりますので当ホテルをご利用いただくか……』

「……マジか」


 花音ちゃんが、すぐスマホを取り出して天気を確認しはじめた。

 覗き込むと、台風は西から北へと進路を変えていた。


「どうしようかな……バスが出るって言うから、それについて走って……」

「それだと山を通る道になりますよね? 台風のときに、慣れてない山道は危ないです」

「でも、畑のこと、心配じゃない?」

「台風の備えはしてありますし、父と瑞希なら、多少のことは大丈夫です。藤乃さんの家は大丈夫ですか?」

「うちは大丈夫。今日は花屋の定休日だし、じいさんも通院で仕事は入れてないから、今ごろは家にいるはず」


 花音ちゃんは、少し頬を赤らめてうつむいていた。

 ……お互い、帰れなくても問題ない。

 アナウンスによれば水族館併設のホテルを割引して使わせてくれるらしい。

 まだ付き合ってもいないのに、外泊って……していいんだっけ?

 風がゴウゴウと音を立てて吹きはじめる。

 雨はまだだけど、散らばっていた黒い雲がどんどん集まってきている。


「花音ちゃん」

「は、はい」

「ホテル、行こうか。部屋なくなったら困るし」

「そうですね。とりあえず部屋、取っておかないとですね」


 不安そうな花音ちゃんの手を、そっと強く握って、そのまま早足でホテルへ向かった。

 入り口は混んでいたけど、少しずつ列が進んで、やっと順番が回ってきた。


「二名で、ツインの部屋ってありますか?」

「申し訳ありません、ツインは全て埋まっておりまして、二名様ですとダブルのみとなっております」

「えっと、それは……」

「じゃあ、それでお願いします。あの、このぬいぐるみプランって、まだ使えますか?」

「はい、可能でございます。後ほどお部屋に届ける形になりますが、よろしいでしょうか?」

「はい、それと……」


 花音ちゃんが、きっぱりと言い切って、てきぱきと手続きを進めた。

 俺が鍵を受け取ると、花音ちゃんは黙って俺の手を引いてエレベーターへと向かう。


「あの、花音ちゃん?」

「あそこで揉めても意味ないですよ。ないものはないんですから」

「……はい」

「とにかく、部屋に荷物を置きに行きましょう」

「……はい」


 言葉はきびきびしてるのに、花音ちゃんは下を向いたままで、髪のすき間から見えた耳が真っ赤だった。

 たぶん俺の顔も真っ赤なんだけど。

 部屋につくなり、花音ちゃんはぱっと顔を上げた。


「売店に行きましょう。化粧品と、替えの下着を買いたいです」

「は、はい」


 なんかもう、さっきから「はい」しか言えてない。

 あ、でも一個だけちゃんとしなきゃ。

 再びエレベーターに乗って、花音ちゃんの顔を見る。


「部屋に戻ったら、それぞれ家に電話しよう。由紀さんと話させて」

「それは構いませんが」

「由紀さんに不義理なことしたくないからさ」

「……藤乃さん、ほんと真面目ですね」

「嫌?」

「いいえ、嬉しいです」


 花音ちゃんが微笑んで、そっと俺の腕にもたれかかってきた。

 ……平静を装ってるけど、緊張しすぎて、正直ちょっとお腹が痛い。


 売店でいろいろ買って部屋に戻ると、外はすっかり嵐になっていた。


「うわ……無理に帰らなくて正解だった……」

「大荒れですね。温室大丈夫かなあ……」

「電話、しようか」


 窓際のソファに座って、荒れ狂う海を眺めながらスマホを取り出す。

 窓から見下ろす水族館には、亀も海鳥も姿を見せていなかった。

 それぞれ自分の家に電話する。

 家にかけると母親が出て、


『頑張ってね! あんまり待たせると捨てられるわよ、あんた』


 母親が頑張れとか言うなよ……!


「うるさいな……とにかく、明日の昼までには帰るから!」


 電話を切って向かいのソファを見ると、花音ちゃんと目が合う。

 スマホを差し出されたので出たら瑞希だった。


「花音ちゃんから聞いた? 親父さんいる?」

『そこまで気い遣わんでも』

「それくらいはちゃんとしときたいんだ。俺の信用にも関わるし……ほら、親の目が光ってると思えば、俺も変なことしないで済むし」

『してもいいだろうに。まあ、代わるよ』


 由紀さんはすぐに出てくれて、謝罪と、さらに謝罪と、それからお詫びを重ねたら、笑われた。


『瑞希も言ってたけど、そんなに気を遣わんでいいよ。藤乃ちゃんも花音も、もう三十前でしょ。俺なんてその頃には結婚してたし……瑞希、もう生まれてたかな。まあとにかく、藤乃ちゃんが花音を大事にしてくれるのは分かってる。ちゃんと責任取って、死ぬまで幸せにして、下にも置かぬくらいに大事にしてくれたら、それで十分』

「そ、それは……はい。ちゃんとします」

『須藤が桐子さんを大事にしてるみたいに、花音のことも大切にしてくれたらそれでいいよ』

「それ以上に、大切にします」

『そうかい。花音に代わってくれる?』


 スマホを花音ちゃんに渡すと、彼女は二言三言だけ話して、


「余計なお世話です!」


 と花音ちゃんが怒って電話を切った。


「もー……お父さんったらもう! 藤乃さん、余計なこと言われませんでした?」

「言われてないよ。……『死ぬまで大事にしてくれたらそれでいい』って」

「そ、それ、完全に余計なことですよね!」

「……余計なこと、じゃないと思う」


 言うなら今なんだろうなあ。

 つばを飲み込む。

 きょとんとしていた花音ちゃんが、ぱっと真っ赤になって、まっすぐ俺を見つめてくる。

 口を開きかけた、そのタイミングで――部屋の呼び鈴が鳴った。


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