Day20「包み紙」
ある日の夕方、温室で苗の成長を記録していたら、外から声がかかった。
振り返ると、藤乃さんが手を振っていた。慌てて温室を出る。
今日の藤乃さんは薄手のウインドウシェルに黒いスラックス。中には白いワイシャツを着ているんだと思う。花屋さんのときの制服だ。
「こんにちは。いかがなさいましたか?」
「こんにちは。駅前の改修で街路樹と花壇を任されてるって言ったよね? あれの説明会が明後日でさ、由紀さんのところで用意できる花を確認しに来たんだ。親父さんに聞いたら、苗は花音ちゃんが管理してるって言うから、来ました」
「はい、えっと、ちょっと待ってくださいね」
手元のタブレットで、須藤さんから依頼されていた花の一覧を表示する。
「こちらの温室です」
種類が多いから、この温室をまるごと専用にしてある。藤乃さんを案内して、リストと照らし合わせながら、依頼されていたものが全てあるか、一緒に確認していく。
「うん、全部そろってる。ありがとう。説明会が終わって承認が下りたら、正式に発注するね」
「はい、お待ちしてます」
「それと……これは、仕事とは別の話なんだけど」
藤乃さんの顔が真面目なものから、少し照れたみたいな顔になった。
そのまなざしがどこか熱を帯びていて、息をのんだまま言葉が出なかった。
「来週辺り、デートしませんか? その……夏が終わる前に」
「はい、行きましょう。行きたい場所はありますか?」
「ここなんだけど……」
藤乃さんがスマホの画面を差し出してきた。そこには、隣県にあるガーデンカフェのサイトが映っていた。
「花音ちゃん、ハーブが気になるって言ってたでしょ。ここ、ハーブ系のメニューが豊富で、ハーブ園も併設してるんだって。苗を買うこともできるらしいんだけど……どうかな」
スマホから目を離し、思わず藤乃さんを見上げた。
……あのとき言ったこと、ちゃんと覚えてくれてたんだ。
それで、こんな場所までわざわざ探してくれたんだ……。
「ありがとうございます。行きたいです」
「……良かった。じゃあ、日程はいつがいい?」
二人でカレンダーアプリを開いて相談する。それぞれ予定を登録して、藤乃さんを見送る。
「……楽しみにしてます」
遠ざかる背中に向かって呟いた。
三日後の夕方、藤乃さんが須藤さん――藤乃さんのお父さんと一緒に、うちにやってきた。
スーツ姿の二人が、畑の隅で父と瑞希、そして私を呼んでいた。
「おう、須藤……酒、用意してくるわ」
「……凹んでんね。花音一晩貸そうか?」
「何言ってるの二人とも。……大丈夫ですか?」
父と兄がそれぞれ目を丸くして須藤さんと藤乃さんに声をかける。
……須藤さん親子は、ふたりともそっくりなしょげ顔をしていて、思わず笑いそうになった。でも、それ以上に悲しそうで、不安のほうが勝ってしまった。
「えっと、とりあえず家に行きましょう。私、先に行ってお茶を用意してきますね」
「すまんね、花音ちゃん。由紀は……日本酒とつまみ、よろしく。イカの塩辛が食べたいな……」
「お前、凹んでると図々しくなるよな」
藤乃さんも瑞希に何か言ってるけど、走りだした私には聞こえなかった。
家で仕事中だった母に声をかけて、一緒にリビングを片付けた。
お茶を全員分用意したところで父達が追いついた。
「なに、うまくいかなかった?」
席につくなり、父が笑いながら聞いた。
「いや……異動で担当が変わってさ、今までとまったく違うことを言い出されたんだ」
「……おお」
瑞希が引きつった顔でお茶を飲む。
藤乃さんが少し唇を尖らせた。
「これまでの担当の方とは、こまめに連絡を取って方向性のズレが出ないようにしてたんですけど……新しい方の好みに合わなかったみたいで、全部却下されてしまって」
「えっ、ええ……?全部、ですか?」
須藤さんと藤乃さんは、そろって渋い顔で頷いた。
父と兄も同じような顔をしている。
……どうしよう。苗はもう揃えてあるし、今から種をまいても間に合わない。
「とはいえ、急に方向転換されてもこっちも困る。それに、こっちから聞くまで何も言ってこなかったんだ」
「まあ、最悪はうちが撤退。お役所と揉めるのは避けたいですしね。いちばんいいのは、今の提案がそのまま通ること……です」
藤乃さんは静かな声で言って、お茶のグラスを手でぎゅっと握っている。
「まあ、今回は俺たちの説明不足もあったよな。今までのことは伝わってる前提で動いちゃってた。でも、新しい担当がどこまで事情を知ってたかはわからないし……手間だけど、またちゃんとすり合わせよう」
須藤さんはそう言うと、お茶を一気に飲み干した。
「由紀んとこの花を無駄にはしたくなくてな。悪い、まだ確定してないのに愚痴だけ言いに来ちまって」
「いいよ。酒飲もう!」
「親父……」「お父さん……」
瑞希と私の呆れ返った声が重なった。
父はそんなことお構いなしに台所へ向かっていく。……畑の片付け、まだ終わってないけど?
「片付けは俺がやっとく。藤乃は……」
「あ、俺は畑手伝うよ。……体動かさないとモヤモヤしちゃうから」
「ジャケットは置いてけよ。花音、ハンガー出してやってくれ」
「はい!」
スーツ用のハンガーを持ってきて、藤乃さんからジャケットを受け取る。すると、少し疲れた笑顔を見せてくれた。ネクタイをほどく指は太くて、ごつごつした手の甲が男の人らしかった。
「ごめんね、迷惑かけて」
「とんでもない。すぐに相談に来ていただけてありがたいです。それに……」
周りを見回して誰も近くにいないことを確認する。
藤乃さんの耳元に口を寄せた。
「スーツ姿の藤乃さん、かっこいいから、見せに来てくれて、嬉しかったです」
「……花音ちゃん、あんまり煽らないでって言ったでしょう」
「すみません、言いたくて。あ、夜ごはん食べていきますよね? 片付けが終わるまでに用意しておきます」
そう言ったあと、藤乃さんのネクタイを持つ手が私の方へ伸びてきて……触れる寸前で止まった。
だから私は、ネクタイごと藤乃さんの手を取った。
「私には結果を聞くことしかできませんが、藤乃さんと須藤さんが納得できる話し合いになるよう、陰ながら応援しています」
「……うん。ありがとう。ごはんも楽しみにしてる」
藤乃さんは少しだけはにかんで、出て行った。
さて、夕飯は何にしようかな。
酒盛りを始めた父と須藤さんの横を抜けて、台所へ向かった。
夕飯を出すと、それまで賑やかだった父と須藤さんが、急に真面目な顔で周囲を見回した。
瑞希と藤乃さんも背筋を伸ばしている。
「とりあえず、これまでの経緯とか、予算、工期を再確認再説明しないといけねえから、明日、先方に連絡して時間をもらう。その上で、うちが出した造園の提案にどれだけご理解いただけるか、だな」
須藤さんが酒瓶を片手に持ったまま、淡々と話す。
「藤乃は今までの経緯がわかるようにまとめといて。あと担当補佐の人に根回しも。由紀は、今回追加で向こうが使いたいって言い出した低木と花のリスト渡すから、金額と用意にかかる時間、出しといて」
「わかった」
「あいよ。母さん、頼む」
「はあい。使う可能性はどのくらい?」
「できる限りゼロに近づけたい。でもまあ、そのうちの金額的に予算内に収まるものや、すぐ出せるものだったら譲歩してやらんこともない、くらい」
「わかりました」
母さんは小さく頷いて、また箸を動かした。
私が手伝う出番はなさそう。……藤乃さんは、さっきのようなしょんぼり顔もすっかり消えて、瑞希と話しながら夕飯を食べている。私も、さっさと食べちゃおう。
食べ終えて、片付けようと立ち上がったら、藤乃さんが台所までついてきた。手には父たちの食器が乗ったお盆を持っている。
「洗い物くらい手伝うよ」
「でも……」
「この前、うちでごはん作ってくれたよね。俺もお世話になったし、これくらいさせてよ」
「……じゃあ、お願いします」
一歩下がって、洗い物を任せる。
振り返ると、父と須藤さんは上機嫌で飲んでいて、母さんと瑞希はテレビに夢中になっていた。……最近二人でハマっている推理ドラマだ。
「花音ちゃんもテレビ見ておいでよ」
「テレビより、藤乃さんの隣にいる方がずっといいです」
「……そっか」
藤乃さんは困ったように笑って、視線を逸らした。何か変なことを言っただろうか。
「あのドラマ、母と瑞希は好きなんですけど、私は全然見てないからわかんなくて」
「あー、そっか。そうなんだね。俺もドラマは全然みないからわかんないや」
隣に立って、水を一口飲みながら藤乃さんの横顔を盗み見る。額に少し汗が浮いていて、首筋に髪が張り付いていた。
触れたいけれど、ぐっと我慢する。
……私たちはまだ、気軽に触れ合える関係じゃない。
藤乃さんもそう思って、さっき触れる前に手を止めたのかなあ。
……好きだな、やっぱり。
翌日の夕方、藤乃さんからスマホにメッセージが届いた。
『役所側との打ち合わせが来週に延期になった。ごめん。デートはまた今度、お願いします』
私は静かに画面をなぞって、「大丈夫です。頑張ってください」と送信する。
電話じゃなくて、本当によかった。
喋ったら、きっと藤乃さんにはすぐ気づかれてしまう。
「仕事なんだから」
藤乃さんの仕事は、私の仕事にもつながってる。応援しないでどうするの。
スマホをポケットにしまって、温室へ足を踏み入れる。
結局、打ち合わせは、それなりにうまくいったらしい。
どうやら向こうの新しい担当者が独断で藤乃さんたちの提案を却下していたらしく、打ち合わせでは上の人が何度も頭を下げてきたそうだ。
打ち合わせが終わってすぐ、藤乃さんから電話がかかってきた。
『どうも、俺たちのことを下請け扱いだと思ってたみたいでさ。新しい担当になって、ガツンと言ってやろうとしたらしいんだ』
「……たとえ下請けだとしても、そんなふうに言うのはよくないのでは? こちらに非があるわけではないのですから」
『そうなんだけどね。あんまり相手の面子を潰すのも良くないし、できれば恩も売っておきたいからさ。担当者の意見も少し取り入れて、一部の色味や配置を調整することで落ち着いたよ。お騒がせしました』
「いえ、電話をありがとうございます。でも、今日はスーツ姿を見せに来てくれないんですか?」
『このあと、作業を一緒にやる業者さんとの打ち合わせが入っててさ。ごめんね。俺も本当は花音ちゃんの顔、見たかったんだけど』
「わ……そうだったんですね。すみません、わがまま言っちゃって」
『そんなの、わがままのうちにも入らないよ。俺だって会いたいんだから。じゃあ、そろそろ行かなきゃ』
「はい、お電話ありがとうございました。あ、明日、花屋さんにうかがいますね」
『わかった。楽しみにしてる』
通話が切れたのを確認して、スマホをそっと置き、立ち上がる。食べ終えた食器を片付けていると瑞希が昼を食べに来た。
「藤乃、なんだって?」
「打ち合わせうまくいったって。……なんで藤乃さん?」
「鏡見ろ」
言われて洗面所の鏡を覗き込むと、自分でも呆れるほど顔がゆるんでニヤけていた。
……恥ずかしい!!
次の日の夕方、台車を押して花屋さんの裏口の扉を叩いた。
すぐに藤乃さんが出てきて、箱を運んでくれる。
「ありがとう。ごめんね、今日はスーツじゃなくて」
「いえ、いつもかっこいいから大丈夫です」
「藤乃の彼女?」
聞き慣れない声がして、慌てて探したら、藤乃さんの向こうにスーツ姿の男性がいた。藤乃さんと同じくらいの年頃に見える。
藤乃さんより頭ひとつ分ほど背が低く、恰幅がよくて、柔らかい雰囲気の人だった。
「まだ彼女じゃないよ。告白しようと思ってデートの約束してたんだけど、この前の打ち合わせで流れちゃってさ。花音ちゃん、この人、俺と同じ大学で……え、なに? 友達?」
「と、友達だろ! ラーメン奢ったし、カラオケも合コンも行ったじゃねえか!」
「合コン?」
「ち、違うからっ! 大学の時に、人数合わせで無理やり連れて行かれただけで!」
聞き返すと、藤乃さんは珍しく焦った顔で首を振った。別に気にしてないけど、大学のときのことならもう十年近く前の話だ。
「お前な、花音ちゃんの前でそういうこと言うなよ。ラーメンはお前のバイト先に食べに行っただけで、ちゃんと金も払ってるし。こいつ、役所勤めでさ、駅前改修の担当補佐なんだ。だから、新しい担当が何考えてたか、こいつに教えてもらったんだよ」
「あ、なるほど」
私が頷くと、その男性も柔らかく微笑んでうなずき返した。
「この間は悪かったね。あの人も根は悪くないんだけど、ちょっと気負ってたみたいでさ。……お詫びに、これあげる」
そう言って男性が差し出したのは、包み紙にくるまれた細長い封筒だった。……なんだろう、チケットか金券かな。
「なにこれ」
「水族館のチケット。使う予定がなくなったから、あげるよ」
男性はふと視線を落とした。
……あまり、詮索しない方がよさそうだ。
「ふうん。いくら?」
「別にいいよ。元々仕事でもらったやつだし。ていうかアレだね、花音ちゃんって言うの? 藤乃の好みドストライクだね」
「呼ぶな、見るな、減るから」
「減らねえよ。そういうこと言うなら、チケット返してもらうぞ」
藤乃さんは楽しそうに話しながら手を動かしている。瑞希といるときとはまた違う雰囲気で、新鮮な感じ。
……ていうか、そっか。私、藤乃さんにドストライクなんだ……。
「藤乃、大学の時から背が高くてキリッとした感じの女の子好きって言ってたんだ。でも、藤乃くらいの女子ってそうそういねえし」
「……そうですね。藤乃さんの身長って、いくつなんですか?」
「183センチ」
「そうそういねえよ、そんなに背の高い女子。でも藤乃にはいたんだ。良かったね。俺にはいなくなっちゃったけど……」
「聞かないでやったのに……」
うなだれる男性を、藤乃さんが笑いながら慰めている。
バケツに花を移し終えて、受領書にサインをもらった。
男性は仕事の途中だからと帰っていく。
「今、母さんいなくて店を空けられないから、送れないんだ。ごめんね」
「大丈夫です。あとで水族館にいつ行くか、相談しましょう」
「うん。楽しみにしてる。花音ちゃんも……楽しみにしててくれると嬉しい」
「はい。すごく楽しみです」
藤乃さんに見送られて花屋を出ると、思わず早足になった。
水族館、久しぶりだな。
鼻歌交じりで車に向かった。
今、あの包み紙と同じ模様を見たら、たぶんニヤけてしまうと思う。




