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Day18「交換所」

 夏の暑い日、私は早朝から汗だくで花を運んでいた。


「瑞希、ヒマワリの残り出して」

「はいよ。花音、ついでにトルコキキョウも持ってって。たぶん出ると思う」

「わかった!」


 今日は瑞希と二人で市場に卸に来た。お盆は過ぎたけど、お彼岸に向けて仏花はまだ出るから、忙しさは引かないまま。

 やっと客足が落ち着いて、残りが捌けたら店仕舞いかな……というころに、あの人はやってくる。


「お疲れさま。今日は何がある?」

「よーお、藤乃。今日は小さめのヒマワリと、残ってるトルコキキョウ、あとは……」


 先に声をかけたのは、今日は瑞希だった。

 藤乃さんが私を見つけたときに、ふっと緩むあの笑顔が好き。

 何ていうか……図々しいかもしれないけど、この人は私のこと好きなんだなって思えるから。

 藤乃さんは、瑞希と話しながら花を一つ一つ見ている。

 二人は幼馴染なこともあって仲がいいし、二人ともプロだから話のテンポが良くて聞いていて楽しい。……私も、いつかはあんなふうに話せるようになりたい。でも、まだちょっと遠い。


「花音、リシアンサスってもうない?」

「全部出たよ。明日……明後日なら出せます」

「それでいい? なら、持ってくけど」

「じゃあお願いしようかな。あとグラジオラスと、ダリアは何がある?」


 聞かれた瑞希が、ちらっと私に視線を向けた。

 藤乃さんもこちらを見たので、急いで思い出す。


「えっと、二重咲きとポンポン、それから内巻きがあります」

「じゃあそれも全部持ってきてほしい」


 藤乃さんが頷くと、瑞希が笑って肩をすくめた。


「ダリアは、藤乃が好きそうな品種を花音が揃えたんだ。良かったな、正解で」

「ちょっと、瑞希! 言わなくていいから!」

「そうなの?ありがとう、花音ちゃん」

「い、いえ……」


 藤乃さんがふわっと微笑んで、私の頬もつられてゆるんだ。

 にやけそうになるのをこらえながら、藤乃さんの注文をメモに取る。


「じゃあ、明後日伺うときに、こちらも持っていきますね」

「よろしく。あ、そうだ、花音ちゃんに聞きたいことがあって。ピアス、開けてたっけ?」


 急に話が変わって、ちょっと驚く。ピアス……?


「開いてないです」

「そっか。大学のときのクラスメイトが、花とか草を使ったアクセサリーを作っててね。うちの花を提供したから、試作を持ってくるって言ってて。でも、俺はアクセサリーのことわかんないし、花音ちゃんが使えそうならと思って」

「あ、それ、あれ? お前がブチ切れてた女子」


 瑞希が片付けながら、苦笑いしている。藤乃さんが怒ることなんてあるんだ……しかも、女の子に。


「よく覚えてるね。まあ、そうなんだけど。俺も大人になったし、向こうも引いたから、今は仕事だけの付き合いって感じ」

「それって、牽制で花音呼ぼうとしてる? まあ、俺はいいけどさ、花音にはちゃんと説明しとけよ」

「……うん。ごめん。俺が、ちょっとずるかった」


 藤乃さんが肩を落とした。そして花を抱えたまま、まっすぐ私に向き合う。


「片付けたら、一緒に朝ごはんどう? 瑞希も。そこで、少し話させて」

「はあ、構いませんが」

「煮魚定食、大盛りで。デザートもつけて」


 瑞希がすかさず口を挟む。藤乃さんはニヤッと笑って答えた。


「デザートは自腹な」

「妹のレンタル代だろ」

「それなら、花音ちゃんにデザートつけるよ」

「まあ、それでもいいか。花音も、何食いたいか考えとけよ。できれば高いやつで」

「高くてもいいけど、一口でも食べたら、俺の頼み事、聞いてもらうからな」

「聞くのは花音だから」

「すみません、藤乃さん。うちの兄、図々しくて」

「知ってるよ。いざってときには頼りにしてるから、お義兄さん」


 藤乃さんはニコッと笑って、「じゃあ、後で食堂でね」と言って花を抱えて行ってしまった。


「デザートくらいもらっとかないと割に合わないんだよな、藤乃の持ち込む厄介ごとって」


 瑞希はぼやきながら、片付けを続ける。



 片付けを終えて瑞希と食堂へ向かうと、藤乃さんが入り口で待っていた。


「お待たせしました」

「花音ちゃんのためなら、一日でも一年でも待つよ。あ、席取りはお義兄さんお願いします」

「ウゼえ義弟だなあ……」


 瑞希はあからさまに嫌な顔をして、それでも席を取りに行ってくれた。

 藤乃さんと二人で、三人分の朝ごはんを買って瑞希のところへ向かう。


「えっと……何て言えばいいかな。さっき話したとおり、大学のときの知り合いがアクセサリーの試作品を持ってくるから、それに感想がほしくて。俺にはよくわかんないし」

「はあ、それは構いませんが」


 藤乃さんは煮魚を箸でほぐしながら、視線を泳がせた。

 しばらく言い淀んでから、「それでね、」と続ける。


「その、持ってくる知り合いが……なんていうか、俺に気があるっぽいというか」

「元カノ、ですか?」

「花音さあ……言い方があるだろうが」


 瑞希が呆れたように口を挟む。藤乃さんはすごい勢いで首を横に振った。


「それは絶対にない。断じて違う。俺、ちゃんと断ってたし。……その、大学のときに俺と葵が付き合ってるとか言われてさ、タイミングも悪くて……思わずキレちゃったんだよね」

「はあ……」

「まあ、それはいいとして。一応、最低限の挨拶を交わすくらいの関係だったんだけど、卒業後にうちから花を仕入れるようになってさ。で、今もちょっとだけ話すことはあるんだけど……正直、苦手で。自意識過剰かもしれないけど、俺には花音ちゃんがいるから、距離を置いてほしいって、伝えたいんだ」


 ゴニョゴニョ言って、藤乃さんは小さくなってしまった。


「まあ、いいですよ」

「えっ、いいの!?」

「その代わりに、交換条件があります。私、ピアス開けてないので、藤乃さんに開けてほしいんです」

「重っ!!」


 突っ込んできた瑞希を睨んで黙らせた。

 藤乃さんはポカンと目を丸くする。


「俺は別にいいけど……痛くないの?」

「多少は痛いと思いますけど、大丈夫です。ピアッサーは私が用意します。その方、いつ来るんですか?」

「今週末って言ってた」

「わかりました。じゃあ、明後日ちょっと遅めに伺うので、閉店後にお願いします」

「う、うん」


 藤乃さんが頷いたのを見て、ようやくごはんに手をつけた。

 食べ終えたら二人が話していたので、その隙にスマホでピアッサーを検索する。


「藤乃さん、この中で、私に似合うのってどの色だと思います?」

「んー、その中なら、ピンクか明るい紫かな」

「わかりました。じゃあ、紫のほうが藤乃さんっぽいから、これにします。ファーストピアス」

「うちの妹、重くて怖ぇ……」

「うるさいな、瑞希。牽制でしょ? 全力でやりますけど」

「……ねえ、なんでお前ら、付き合ってないの?」


 瑞希の言葉は聞こえないふりをして、トレーを片付けに向かう。

 ……そんなの、私がいちばん知りたいよ!



 二日後、ピアッサーをポケットに入れて、須藤さんの敷地の端にある花屋さんの裏口をノックした。


「はーい、いらっしゃい。花音ちゃん」


 もう閉店時間を過ぎていて、お店の中は暗い。カウンターのこちら側だけに、灯りがともっていた。

 すでにバケツが用意されていたので、一緒に花を運び、藤乃さんの確認を待った。受領書にサインをもらい、そのかわりにピアッサーを差し出す。


「お願いします」

「……うん」

「すみません。勝手に決めちゃいましたけど、嫌なら断ってもらって大丈夫です」

「や、嫌ではないんだけど……人間の体に穴を開けるの、怖いよね……」

「じゃあ、自分で開けますね」


 そう言ってピアッサーを返してもらおうとしたけれど、藤乃さんは手をぎゅっと握りしめていた。


「花音ちゃんが、俺に開けてほしいって言ったんだし……やるよ。やらせて」

「……お願いします」


 勧められた椅子に座る。

 藤乃さんが私の正面に屈んだ。

 ピアッサーがそっと耳元にあてられる。耳たぶに、ひやりと冷たい針先が触れた。


「開けるね」


 息を潜めたような小声で、藤乃さんが囁いた。


「はい」


 思わず私まで声を潜めてしまう。

 ガチャン、と乾いた音がして、耳たぶに鈍い痛みが走った。


「だ、大丈夫……?」


 藤乃さんのほうが痛そうな顔で覗き込んでくるものだから、つい笑ってしまった。


「全然大丈夫です。反対側も、お願いします」

「うん……」


 不安そうな顔のまま藤乃さんはもう一つのピアッサーを私の耳に当てる。またガチャンと音が響いて、同じように耳たぶに鈍い痛みが走った。


「できたけど……本当に大丈夫?」

「大丈夫です。ただ、これって外せるまで一ヶ月くらいかかるみたいで……。だから、週末に新しいものをいただいても、すぐには試せないんです」

「そうなんだ? まあ、見た目とか、それっぽく言っておけば大丈夫じゃない?」

「わかりました。ひとつ、聞いてもいいですか?」

「なに?」

「その人に、大学のときでも今でも、ちゃんと告白されたら……付き合いますか?」

「ううん。絶対に付き合わない。その子の……無神経なところが苦手だし、今は好きな子がいるから」


 藤乃さんは屈んだまま熱っぽい瞳で、まっすぐに私を見上げている。

 それがどういうつもりなのかわからないほど、子供じゃない。


「藤乃さん」

「……うん」

「えっと……ちゃんと、言ってほしいです。何が言いたいのか、たぶんわかってます。でも……ちゃんと、言ってくれたら嬉しいです。断ったりしませんから」

「わかった。準備していい?」

「はい。楽しみにしてます」


 藤乃さんは立ち上がって、手を差し出した。私がそっと重ねると、優しく握り返された。


「車まで送るね」

「はい」


 手を引かれて、ゆっくりと立ち上がった。

 お店の裏口から出て、いつもより少しだけゆっくりと車まで歩いた。

 別れ際、特に言葉を交わしたわけではないけれど、名残惜しそうに手が離れて、それだけで私は十分幸せだった。



 週末の土曜日。今日は私服で、花屋さんへ向かった。お客さんの少ない昼時にと言われていたので、それくらいに行くと、藤乃さんがカウンターで作業していて、その奥では葵さんがお弁当を食べていた。


「こんにちは、花音ちゃん。ありがとう、来てくれて。今日もかわいいね」

「……こんにちは。変じゃないですか?」


 牽制ということもあって、少し気合いを入れて、黒のロングタイトスカートに白いノースリーブのサマーニットを合わせてきた。……最近は、藤乃さんとのデートに備えて、少しずつそういう服を増やしている。

 母が「イイと思う!」とお小遣いを出してくれるから、つい買いすぎてしまう。


「変じゃないよ。今日はスマートでかっこいいと思います。花音ちゃんは背が高いから、そういう細身の服を着るとかっこよくてとても素敵です」

「そ、そうですか……えへへ……」

「……私もいるんだけどな」


 げんなりした顔の葵さんが呟いて我に返った。

 葵さんは「藤乃くんにも、女の子を褒める機能があったんだね」なんて言いながら水筒を傾けている。

 ちょうどそのとき、後ろから声が聞こえた。


「お邪魔しまーす。須藤くん、いますか?」


 振り向くと、小柄な女性がニコッとかわいらしく微笑んでいた。

 直感的に、「あ、藤乃さんが苦手なタイプかも……」なんて、図々しくも思ってしまった。なんていうか……少し、鈴美さんに似ている。

 案の定というかなんというか、藤乃さんはこわばった顔で小さく頷いた。


「はい、いらっしゃい。えっと、アクセサリーの試作品だよね」

「うん。男性でも使えるようなものも持ってきたの。見てもらえたら嬉しいな。あ、でも、お客さんが先でいいからね」


 女性がチラリと私を見上げる。

 なるほど?

 私はにっこりと微笑んだ。

 私の顔は瑞希に似ている。瑞希はよく怒る前にニコッと笑う。

 怒っているわけじゃないけれど、背が高いぶん、笑顔にもそれなりの圧があるのは自覚している。だから、今日はちょっとその効果を借りさせてもらう。


「この子は、俺が呼んだんだ。アクセサリーのこと、俺じゃよくわからないから」

「私にも見せて」


 女性が返事をする前に葵さんがカウンターから出てきた。

 藤乃さんの前、私の隣に並んでエプロンを締め直している。


「藤乃くんのお花を使ってるんでしょ? だったら私にも見せてほしいな」


 正直に言って、本気で怖かった。

 あっ、美女が怒ると、こんなに怖いんだ! 私なんかがイラついて、ほんとすみませんでした……! って、謝りたくなるくらいには。

 女性も、少し引いたような表情を浮かべていた。


「えっと……はい。たくさんの方に見ていただけると嬉しいので、ぜひ、お願いします!」


 女性は引きつった笑顔のまま、小さなトランクケースをカウンターに置いた。ケースを開けると、生花を加工したらしいピアスやネックレス、指輪がきれいに並んでいる。


「わ、かわいい!」

「このヒマワリ、私が持ってきたものですか?」


 顔を上げると、藤乃さんが静かにうなずいた。


「うん。そっちのトルコキキョウとかケイトウもそうだね。へー、こんな風になるんだ……」

「はい。どの花も元の色がすごく鮮やかできれいだったので、それを生かせるように頑張りました! ……もしかして、こちらの方は花農家さんですか?」


 女性が目を輝かせて、ぱっと私を見上げてきた。


「はい。由紀農園です。えっと、あ、これ、名刺です」

「ありがとうございます! 私のも、ぜひお納めください」


 差し出された名刺を受け取ると、「ボタニカルアクセサリー作家」と書かれていた。……どういう職業なのかは、まだちょっとピンとこないけれど。


「ハンドメイド系のイベントを中心に出店していて、小さいながら自分の店もやっています。通販もたまにですが出しています。実家暮らしなので、なんとかギリギリ食べていけるくらいです」

「へー」


 正直、それがすごいことなのかはわからない。でも、自分で作ったもので暮らしているのは、きっとうちと同じだと思う。違うかもしれないけれど。


「色はどれもきれいですね。でも耐久性ってどうですか?」

「それは課題有りです。半年はいけますけど、なかなか……」

「あと、ちょっと重いかな。一日つけてると、耳痛くなりそう」

「そうなんですよね。生花にこだわるとそうなっちゃって……今は晴れの日用の特別なアクセサリーということで売り出してるので、そこまでその辺りへの言及はないんですけど……」


 葵さんが次々と質問して、女性は少し戸惑いながら答えていた。

 私は、並べられたアクセサリーの中から、藤の花が連なったようなピアスをそっと手に取った。

 華奢なデザインで、ゆらゆら揺れる藤の花がかわいらしい。

 横から手が伸びてきて、ピアスの金具を優しく摘まんだ。そのまま私の耳元にそっと添えられる。


「似合うよ」


 藤乃さんがふわりと微笑んだ。


「……そ、そうですか?」

「うん。こっちのケイトウもいいかも。花音ちゃんには、少し大きめのアクセサリーがよく映えると思う」


 ニコニコしながら藤乃さんはあれこれ私に当てていく。

 ……たぶん、牽制とかじゃなくて、純粋に思ったことを口にしてるんだろうな、この人は。

 女性と葵さんの視線が痛い。


「藤乃さん」

「なあに?」

「そういうところ、好きです」

「えっ、何、いきなり……?」


 藤乃さんが真っ赤になって黙り込んだ。

 葵さんは吹き出し、女性は唇をきゅっと結んで、目を細めた。


「はいはい、ごちそうさまでした。このためにこの方を呼んだの、須藤くん? 性格悪くない?」

「君に言われたくない」


 藤乃さんがすぐに言い返すと、女性は気まずそうに口をつぐんだ。


「……もう、わかりました。でも今日はありがとう。お二人の意見を参考にして、もっと使いやすいものにしてみせます。いつか、このお店にも置かせてね」

「俺がいいと思えたらね」


 そっけない藤乃さんの返事に、女性は苦笑いしながらトランクケースに手を伸ばした。


「須藤くん、彼女さんにはどれが一番似合うと思う?」

「これ。藤のピアスの大きい方」

「独占欲強すぎてちょっと引いちゃう。私には無理。じゃあ、これは彼女さんに差し上げます。お近づきの印ってことで」

「はあ……」

「そういうことなら断りたいんだけど」


 嫌そうに言う藤乃さんに、女性はにっこりと微笑んだ。……さっきの葵さんの笑顔に、少しだけ似てる。なんだか、強そう。


「由紀さんのお花が良い品なのを須藤くんから教えてもらったからね。お付き合いのほど、お願いしたく」

「……えっと、はい。ありがたく、いただきます」

「花音ちゃんがそう言うなら、俺は何も言わないけど」


 「面白くはない」とは言わなかったけれど、そんな顔をして藤乃さんは引き下がった。

 女性は、今度こそトランクケースを閉じて帰っていった。


「私にはくれなかったなあ」


 葵さんが唇をとがらせる。


「お前は朝海に買ってもらえ。花音ちゃんは車まで送るね。葵、ちょっとだけ店、頼むな」

「はあい。ママさん呼ぶ?」

「そんなにかかんねえよ」


 今日は、お店の正面から出る。

 藤乃さんは仕事中だから手はつなげないけれど、こうして並んで歩けるだけで、私は十分だった。


「今日はありがとう、花音ちゃん」

「いえ、お役に立てましたか?」

「もちろん。もらったピアス、つけたら見せてね」

「はい。一番にお見せします」


 車に乗って、少しだけ窓を開ける。藤乃さんを見上げると、丸い眼鏡の奥の目が、やさしく細められていた。


「じゃあ、また」

「うん。気をつけて帰ってね」


 本当は名残惜しかったけれど、結局、口にできたのは普通の挨拶だけだった。

 ……いつか、特別な言葉を交わせるようになれるのかな。

 それがどんな言葉かは、まだわからないけれど。



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