Day17「空蝉」
陽射しがじりじりと照りつけるなか、俺は海沿いの公園にいた。
隣には花音ちゃんがいて、「今日もいい天気ですね!」とニコニコしている。
楽しいデート……だったらよかったんだけど、実際は今日も仕事。しかも、地域の子ども向けの花植えイベントの手伝いだ。
最近、瑞希と一緒に地域の青年会に顔を出すようになって、その流れで頼まれた。
「園芸サークルで秋向けに花壇を入れ替えるんだけど、せっかくだし若い人にも参加してもらって、地域の子どもたちに顔見せしといてよ。顔を覚えてもらえると防犯にもなるからさ」
……というわけだ。
最初は俺と瑞希の二人で参加する予定だったけど、園芸サークルの年配の人たちが、「若い男ばっかりじゃな……女の子は?」なんて言い出した。
「いますけど、そういうセクハラみたいなことを言う人のために女の子を差し出すようなことはしたくありませんね」
「藤乃、言い方。セクハラ野郎に直接そう言っちゃダメだろうが」
つい口にしたら、親父に怒られた。でも、由紀さんは、
「うちの娘を出してもいいけど、番犬つけといてね」
なんて言って、ニヤッと笑った。
……そんな流れで、今は花音ちゃんと花屋の制服を着て並び、花の苗を配っている。
「苗の茎を持ってね、そう、土ギリギリのところ」
「花壇は深めに掘って……」
「優しく土を被せてね」
そんなふうに声をかけながら、花壇の間をゆっくり歩いて回る。
花音ちゃんが小学生の男の子たちを手伝っていたから、さりげなく様子をうかがった。
「お姉さん、でっかいねー。何食べたらそんなにでっかくなるの?」
「好き嫌いしないで、なんでも食べたら大きくなるよ」
「大人はみんなそう言う」
「みんながそう言うってことは、それが正攻法なんだよ」
「そっかあ……」
……花音ちゃんは、子ども相手でも手を抜かない。
いつだって真面目で、丁寧に応える。
……やっぱり、好きだな。
いつか花音ちゃんが母親になったら、あんなふうに優しいお母さんになるのかな。由紀さんのお袋さんも、穏やかな人だし……瑞希にそう話したら、無言で目を逸らされたけど。
気を取り直して、他の子どもたちの様子も見て回る。
穴を掘るのに苦戦している女の子たちを助けに行く。
「いきなり掘ると大変だから、少しずつ崩していくといいよ」
「ありがとうございます!」
「……お兄さん、彼女いますか?」
「え、あのお姉さんが奥さんでしょ?」
「でも、指輪してないよ?」
「土いじりのときは邪魔になるから、外してるだけかもよ」
……今どきの女の子はませてるなあ……。あれこれ言い合う女に子たちにたじたじしつつ、口元に人差し指を当てる。
「あの子ね、俺の奥さんでも彼女でもないけど、そうなってもらえるように頑張ってるところだから、見守っててね」
「きゃー……」
なぜか、黄色い声が上がった。
おかしいな……静かにしててほしかっただけなんだけど。
「じゃあじゃあ告白とかするの?」
「プロポーズは!?」
「指輪、用意してる? ダイヤの!」
「ほらほら、手を動かしてね……」
はしゃぎ出した女の子たちをなだめながら、植え替えを続けた。
他の子供たちの様子も見て回って、花音ちゃんと合流する。
「藤乃さん、女の子にモテモテですね」
「花音ちゃんだって。俺、ちょっと妨害しそうになったよ」
「子供じゃないですか」
「そうだけどさ」
しゃがんで苗の入っていたカゴを片付けていると、十歳に満たないくらいの男の子がやってきた。
ニヤニヤしながら、手を背中に回している。
「お姉ちゃんに、今日のお礼あげる」
「なあに?」
花音ちゃんがふわりと微笑んで、男の子に手を出した。
男の子が、ぱっと両手いっぱいのセミの抜け殻を乗せた。
「わっ……!」
花音ちゃんがよろけて、俺は慌てて体を支える。
「大丈夫?」
「はい、びっくりしただけです」
「大人のくせに、そんなんで転げてダッセエの!」
ゲラゲラ笑いながら男の子は走り去る。
俺と花音ちゃんは言葉を失って、とりあえず彼女の手を取って立たせた。
「なんだったんでしょうか……?」
「さあね」
なんて誤魔化したけど、たぶんあの男の子、花音ちゃんのことが気になってたんだろうな。
好きな子に意地悪しちゃうタイプ、なんだと思う。
気になる女の子のすぐそばに男がいたから、つい余計なちょっかいを出したんだろう。
もちろん譲らないけど。
「男の子って、蝉の抜け殻好きですよね。昔から、たまにもらいます」
花音ちゃんは落ち着いた様子で起き上がると、蝉の抜け殻を無言でゴミ袋に放り込んだ。
たまに、って……?
「え、花音ちゃん、昔からこういうことあるの?」
「ありますよ」
何でもなさそうに花音ちゃんは頷く。
「小学生の頃は、セミとかヘビの抜け殻をよくもらってました。中学以降は“大きい”とか、いろいろ言われるようになりましたけど……」
「こんなにかわいいのに。あ、今度、小学校から高校までの卒アル見せてよ」
「嫌です。でも私も藤乃さんのアルバムは見たいです。高校のは瑞希見せてもらいます。帰ったら出してもらおう」
「ず、ずるい!」
……つまり、花音ちゃんは無自覚なまま、けっこうモテてたってことだ。
わかるよ。かわいいから。
それに中学生高校生の男子が、好きな子に素直にかわいいかわいいと言えないのもわかる。
問題は、それで花音ちゃんが傷ついて、自信をなくしているということなんだけど。
一通りの苗の植え替えを終えて、子供たちは帰っていく。
「お兄さん、プロポーズがんばってね!」
「結果教えてね!」
女の子たちはキャアキャアとはしゃぎながら走って行った。
……元気だなあ。なんだか自分がおっさんになったみたいだ。まだ二十代だし、お兄さんでいたいんだけどなあ……。
地面にこぼれた土を掃き、残ったポットやカゴを片付けた。
市の園芸サークルの人たちと花壇を見回り、問題がないことを確認して解散となった。
「お疲れさま。うちに戻ろうか」
朝一番で花音ちゃんがうちに来て、花屋の制服――白いシャツに黒いスラックスとエプロンに着替えてもらった。
それからうちの車で、公園まで苗を運んできた。
だからイベントが終わったら、一度うちに戻らないといけない。
……いつか、花音ちゃんに言いたいな。「うちに帰ろう」って。
ふと、さっきの女の子たちの言葉が頭をよぎる。
――「じゃあじゃあ告白とかするの?」
思わず花音ちゃんの顔を覗き込んだ。
「……どうかしましたか?」
「いや……なんでもない。車に戻ろう」
荷物を全部まとめて、車へと戻る。
昼飯を食べてから帰ってもいいかもしれない。
「花音ちゃん、よかったら昼ごはん、一緒に食べない?」
「はい!ぜひ!」
「何がいいかな。海際のカフェか、家に向かう途中のファミレスとかか……」
「今から移動すると混んでるかもですから、カフェ行きませんか?」
「そうしよっか」
また車から降りて海の方に歩く。
公園内には芝生広場があって、海沿いにはキャンプ場やバーベキュー場も並んでいる。
それらを抜けた先は海水浴場になっていて、海の家代わりのカフェがある。
夏場で混んではいるけど、広い場所だから席にはまだ余裕がある。
席を確保して、カウンターへ注文しに行く。
「何食べようかな。藤乃さんどれにしますか?」
「何がいいかな。カレー食べたいけど、制服にこぼしたら嫌だしな」
「紙エプロンありますよ」
「じゃあカレーにする。この夏季限定スパイスカレー、気になってたんだ。花音ちゃんは?」
「んー、あ、パスタにします。レモンとバジルとトマト……おいしそう!」
それぞれ受け取って席に戻る。
向かいに座る花音ちゃんが、嬉しそうにパスタを頬張っていて、それだけで胸がいっぱいになる。
「藤乃さん、食べないんですか?」
「……食べるけど、花音ちゃんがかわいくて、それだけでお腹いっぱい」
「もー、またそういうこと言う。そういえば、藤乃さんも子どもの頃、セミの抜け殻集めたり、女の子にあげたりしてたんですか?」
「あんまりかな。瑞希は虫カゴいっぱいに集めてたけど。俺は雑草集めてた」
「……二人とも、イメージ通りです」
花音ちゃんがふふっと笑う。
「それに、俺はそういう“宝物”をあげたい相手もいなかったし。そういう意味では、花音ちゃんが初めてかも。自分で集めたものを、ちゃんと誰かに渡したのって」
「そうなんですか……? その、葵さんにも?」
確かに葵にはブーケやアレンジ、リースなんかをたくさん渡してきたけど、どれも試作だったり練習用だったりで――結局、余り物を欲しがったから渡してただけな気がする。
「ないなあ。欲しがられたら渡してたけど……。たぶん、自分からあげたいって思ったのは、花音ちゃんにあげたシャクヤクだけかも」
「……そっか。そうなんですね。あ、藤乃さん、そのカレー、辛いですか?」
「ちょっと、ピリピリするくらい。食べる?」
「ください!」
一口分すくってスプーンを差し出すと、花音ちゃんはためらいもなく口に運んだ。
……この娘は、俺のことどう思っているんだろう。
もし告白して、「付き合ってほしい」って伝えたら、頷いてくれるんだろうか。
それとも、困った顔になってしまうのだろうか。
こんなやりとりすらできなくなったら……つらい。考えただけで、胸が苦しくなる。
「うー」
「え、どしたの」
気づいたら花音ちゃんが口を押さえて震えている。
水を渡したら一気に飲みほした。
「辛いですっ!!」
「そう? 花音ちゃん、辛いの苦手だった?」
「そんなことはないはずですけど……。まだちょっとヒリヒリします」
「水、おかわり取ってくるね」
「スミマセン……」
水を差し出すと花音ちゃんは受け取って飲み干してから、やっと笑った。
「ありがとうございます。藤乃さんもパスタ食べますか?」
「ありがとう」
花音ちゃんが手元でフォークをくるりと回すと、パスタがきれいにまとまって、そっと差し出された。
「……おいしい。バジルだよね。いい匂いだ」
「ですよね。ハーブも気になるんですけど、なかなか手が出なくて」
「育てるのはそんなに難しくなさそうだけど、他の植物との兼ね合いがあるからね」
「そうなんです!育てるなら、専用のプランターとかもちゃんと用意したいなって……」
花音ちゃんは熱心に、ハーブや花の話を続けている。このままずっと、その声を聞いていたくなる。
やっぱり俺はこの娘が好きだ。
会うたびにそう思ってる気がする。
食べ終えたあと、一度うちに戻って、花音ちゃんの着替えを待つ。駐車場まで見送って、花屋に向かうと葵が花の補充をしていた。
「藤乃くん、おかえりー」
「ただいま、葵。あのさ、聞きたいんだけど」
「なあに?」
葵は手元のタブレットに花の在庫数を入力している。
俺はカウンター内のパソコンで午前中の売れ行きを確認する。
「好きな人と、ずっと一緒にいたいって思ったら……やっぱり、それをちゃんと伝えなきゃダメなんだよな」
「はあ?」
葵が顔を上げる。
「花音ちゃんに告白したいって話?」
「まあ、たぶんそう。なんていうか、自分が好きって気持ちばかりで……その先を、ちゃんと考えてなかった」
「……藤乃くんの恋愛力が高いとは思ってなかったけど……小学生みたい。付き合いたいなら、ちゃんと言葉にしないと。ね、ママさん」
「は?」
葵が花屋の入り口に顔を向ける。
そこには、箒を脇に抱えた母親が、両手で顔を覆って肩を震わせていた。
いたのかよ……気づかなかった……!
「ふふっ、おかしい……藤乃、あんた、そこから……ふふ、あははっ……」
「わ、笑いすぎだろ!!」
恋愛相談を母親に聞かれるなんて、恥ずかしすぎる……!
しかし母親は爆笑したまま、動けなくなってるし、葵も呆れた顔で作業を続けている。
「まあ、好きならそう言って、お付き合いを申し込んでらっしゃいな。うちも由紀さんも今さら反対なんてしないから」
「それもうプロポーズじゃん」
「藤乃くんももうすぐ三十なんだから、先のことを考えずに付き合うのはどうかと思うよ」
「葵までかよ! じゃあ、お前は朝海とそういう話してるの?」
「してるよ」
葵はしれっと微笑んだ。
タブレットを俺に返してからカウンターのリボンを片付ける。
「私が朝海くんと同じ警察官になるって言ったときは、めちゃくちゃ反対されたけど、ちゃんと説得したし。今は公務員試験の勉強、見てもらってるの。試験に受かって、警察学校出て、配属先が決まって落ち着いたら――私が三十になる前くらいに結婚できたらいいねって、そういう話してるよ」
「マジか……。まあ、あいつ、真面目そうだもんな」
「うん。朝海くんがちゃんと考えてくれてるから、私も中途半端な気持ちではいられないよね」
……花音ちゃんは、どうだろう。
俺が真剣に話したら、きっとどんな答えでも、ちゃんと真剣に返してくれる気がする。
「よし……頑張るか」
そうつぶやいたら葵が、
「ないと思うけど……もし振られたら、理人と一緒に焼き肉おごってあげるよ」
「そうねえ、私もないと思うけど……振られたら、ひと月くらい休みあげるわ。ないと思うけどね」
「縁起でもないこと言わないでくれよ!」
……なんなんだよ、うちの女たちは。
マウスを置いて、椅子から立ち上がる。
ちょうどお客さんが入ってきたので、気持ちを切り替えて、笑顔を向けた。




