Day15「解読」
朝三時、目覚ましの音で目を覚ました。
外はうっすら明るくなっていて、大きなあくびをひとつしてからベッドを出た。ぬるま湯で顔を洗い、歯を磨いてから部屋に戻って着替えた。
棚に飾ったチューリップがふと目に入り、一気に目が覚めた。
「……そうか、今日だったな」
今夜は花音ちゃんとビアガーデンに行く約束をしている。
楽しみだ。……もしかして、少しは距離を縮められたりするかな。
それが具体的にどういう関係なのか、彼女がいたことのない俺にはまだ想像しきれないけれど。
「藤乃ー! 遅れるよー!」
「今行く!」
一階から母親の声が響く。
慌てて部屋を出て、階段を駆け下りた。
市場に着いたら母親と手分けをして花を仕入れる。
お盆前なので、菊やカーネーション、リンドウを少し多めに仕入れる。スターチスと、そろそろハスも入れた方がいい。ケイトウも欲しいけど出てるかなあ。
地域によっては七月中にお盆をやる地域もあるから、帰ったら仏花用のブーケをいくつか作っておきたい。
最後に由紀さんのところに行くと、今日は親父さんと瑞希がいた。
「おはよ。ケイトウとワレモコウ、ある?」
「どっちも、まだねえな。ひと月くらいしたら出せる。花音が明るい色のを育ててるから、できたら藤乃も見てやって」
「もちろん。楽しみにしてる。じゃあ、こっちのトルコキキョウちょうだい」
「あいよ」
台車に花を積んでいると、母親がやって来て、あたりを見回した。
「花音ちゃん、今日は来てないのね」
「今朝は畑の水やりしてます。花音が育ててる種が発芽したから、様子を見たいって」
瑞希が言うと、母親が振り返った。
「……藤乃、知ってたの?」
「……まあ」
母さんと瑞希が、同時にニマッと笑ってこっちを見る。
……野次馬は勘弁してくれ。
去り際に瑞希が耳元に顔を寄せてきた。
「花音、昨日から服選びしてたぞ」
「……俺も同じことしてたって、伝えといてくれ」
「ウザ……。あ、頼まれてた苗、昼過ぎでいいか?」
「いいよ。来る前に連絡くれ」
「あいよ」
台車を押して車に戻る。
助手席に乗り込むと、母親が朝ごはんを手渡してくれた。
おにぎりをかじりながら、仕入れた花のリストを母親のものと突き合わせて、店の在庫に追加して……。
家についたら花をバケツに移して倉庫に移動する。
それが終わったら着替えて親父と合流する。
「親父ー、俺の鋏、どこ?」
「俺の道具差しに入れっぱなしだ。昨日借りた」
「親父の鋏、買い換えろよ」
「研いだらまだ使える」
「じゃあ研げよ」
準備ができたら運転席へ。親父が乗り込んだら車を出す。
今日は一日駅前の街路樹と花壇の手入れだ。
夕方には終わる予定だから、シャワーを浴びて着替えて、花音ちゃんとの約束に備えよう。
しばらく走ったところで親父が顔を上げた。
「そういえば今日、商店街の青年会があるんだ。藤乃、来れる?」
「無理。約束ある」
「由紀んとこの……花音ちゃんか。なら仕方ないな。たまには顔出せよ」
「ていうか、そういうのはもっと早く言ってくれよ」
「俺も行きたくねえから、ギリギリのまで忘れてんだよ」
「飲み会嫌いだもんね」
「飲むなら、気心の知れた相手と一緒のほうが楽しいだろ」
「それはわかる」
駅前に着いたらまずは雑草を刈り取る。
俺が大まかに刈って、親父が細かいところを丁寧に仕上げていく。
汗が止まらなくて、メガネがずり落ちる。それでもコンタクトにはしない。怖くて、無理。
子どもが使ってるような、後ろでゴムで止めるバンドを試してみるか……。見た目はイマイチだけど、メガネが邪魔なのも事実だし……。
雑草を片付けたら街路樹を刈り取る。落ちた枝を捨てて、次に低木も同じように形を整えて午前中はおしまい。
周りを掃いていたら、警察官に話しかけられた。
「藤乃」
「朝海か。どうしたんだ?」
「どうもしないが、見かけたから声をかけた。そうだ、ついでにこれを」
渡されたのは防犯ポスターだ。隣りにいる婦警さんがたくさん抱えているから、これを貼り出してるところだったらしい。
「了解。店の前に貼っておけばいい?」
「頼む」
「了解。今後ともご贔屓に」
そう言って仕事に戻ろうとしたとき、朝海がなんとも言えない顔をした。なんだ?
「……私が一人で店に行くと、お前との“カップリング”で推してくる客がいるから、一人では行くなと、葵に言われた」
「……は?」
意味が分からなくて首をかしげたら、隣の婦警さんが吹き出した。
「……どういう意味か、分かるのか?」
朝海が聞くと婦警さんは口元を押さえる。
「わ、わかりますけど……すっごいわかりますけど……今説明したくないです。お二人共背が高くて、顔がイイから……なるほど……」
婦警さんは大きく頷いていたけれど、結局どういう意味なのかは教えてもらえなかった。
今度葵に聞こう。
朝海と婦警さんを見送って、ゴミを片付けたら午前中は終わり。
車で親父と弁当を食べてたらスマホが鳴る。
「あと三十分くらいで由紀さんが苗持ってきてくれるってさ」
「親父のほう?」
「そうみたい」
「由紀、ビール持ってきてくれねえかな……」とつぶやく親父は無視して、瑞希にスタンプを返しておいた。
三十分後に車から降りると、すぐ後ろに由紀さんの車がやって来る。
「須藤ー、お前、今日の青年会行く?」
「なに、由紀も来るの?」
「行く行く。美園と坂木も来るってよ」
「……じゃあ、行くか」
「どれだけ嫌なんだよ。……あ、藤乃ちゃん、これ、花音から預かってる」
そう言って差し出されたのは保冷バッグ。中には、プリンが三つ入っていた。
「ありがとうございます。……死ぬまで大切に保管します」
「いや、食えよ。藤乃ちゃんがそう言うかもって、花音が保冷バッグと容器は持ち帰れって言ってた。あと一個は俺のだからな」
「……そっか」
「藤乃ちゃん、こういうとこ須藤にそっくりで、気持ち悪いな」
「瑞希にも言われます」
プリンを二口で食べて容器を返す。
「すごく美味しかったです。ありがとうございます」
「本人に言えって。藤乃ちゃんに誘われたって、浮かれまくってたからな。式には呼んでくれよ……」
「よ、呼びますよ。新婦の父親じゃないですか。……いや、そもそもまだ付き合ってもいないですけど」
親父と由紀さんもペロッと食べて、三人で苗を運ぶ。
由紀さんを見送ったら、親父と手分けして花壇の花を入れ替えていく。
普段の手入れは地域の園芸サークルの人たちがしてくれているから、花壇はいつもきれいに整っている。
汗を拭きながら作業をしていたら、若い男女の二人組に声をかけられた。
「こんにちは、藤乃くん」
「お仕事中ですか?」
「よお、葵、理人。学校帰り?」
「うん。図書館に行くところ。グループワークのレポート書かないといけないんだ」
葵は少しうんざりしたように肩をすくめた。
「学校の図書館使わねえの?」
「僕らが二人でいると、妬みとやっかみとで落ち着けないんです」
理人が微笑んだ。でも、言ってることはまったく笑えなかった。
「ああ……そう……。ていうか、グループワークなのに二人だけなんだ?」
「うん。グループの女子が、『菅野さんと江里くんのお邪魔しちゃ悪いし〜』って言って帰っちゃった」
「男子も似たようなものです。『江里の引き立て役なんてゴメン』と」
「理人に『そんなことないよ』って言ってもらうの待ちしてたから、『わかった、完成したら連絡するね☆』って二人で出てきた」
相変わらず、この二人は顔が良すぎて、周囲とうまくいかないことがあるらしい。どっちの気持ちも、わからなくはないけど。
「なあ理人、こいつ友達いる? 大丈夫?」
「いますよ。今回は出席番号順でグループが決まっただけで、普段は菅野さんも僕も、それなりにうまくやってます。ただ今回は、多勢に無勢で少し面倒でした」
「ねー」
相変わらず言葉遣いが小難しい理人に、葵は軽く頷いた。
「こういうの、小学生の頃からずっとだもん。大人になったら、なくなるのかな?」
「なくならない。でもお友達ごっこはしなくてよくなる」
「そっか。それだけで、十分かもね」
二人は「またね」と手を振って並んで歩いて行った。
俺は再び、苗を一つずつ花壇に植えていった。
夕方、家に戻って片付けをする。
親父と交代でシャワーを浴びて着替えて、また家を出た。
今度はバスで駅まで向かい、それから電車に乗った。
目的の駅で改札を出たとたん、その姿がまっすぐ視界に飛び込んできた。
「花音ちゃん!」
「藤乃さん、お疲れさまです」
振り返った花音ちゃんは、今日もやっぱりかわいい。
白いシャツにカーディガン、細身のデニム。飲みに行くからか、髪はふわっとしたお団子にまとめられていて、うなじがきれいだし、華奢なネックレスがキラッと光っている。
「今日もかわいいね、花音ちゃん。写真、撮ってもいい?」
「えっ、ダメです……。……あ、やっぱり撮りましょう。でも、藤乃さんも一緒に写ってください」
「ね?」とスマホを片手に俺を見る花音ちゃんは、ほっぺがほんのり赤くて――正直、持って帰りたくなった。
「うん。お願いします」
並んで写真を撮ってもらう。花音ちゃんが少し恥ずかしそうに笑った顔を見て、俺の頬も自然とゆるんだ。
「じゃあ、行こうか。ここの屋上だからエレベーター乗っちゃおう」
歩き出した瞬間、シャツの裾がきゅっと引かれた。振り返ると、人混みに押されて花音ちゃんが流されかかっていた。
「ごめん、早かったね。はぐれると困るから、手、つないでいい?」
「……お願いします」
花音ちゃんが微笑みながら、そっと手を差し出してくれた。
そっと握って今度こそ歩き出す。
……この子、俺のこと、どう思ってるんだろう。嫌われてはいないと思うし、それなりには好かれてる……はず、だけど。
少し前、車の窓越しに花音ちゃんが何か言っていたのが、ずっと気になってる。でも、俺はいまだに聞けずにいる。
女の子の気持ちを解読するのは、どうにも俺にはハードルが高すぎる。
エレベーターは仕事帰りらしき人たちでいっぱいで、奥までぎゅうぎゅうに詰まっていた。
花音ちゃんに体重がかからないよう、壁に手をついたけど、完全に距離を取るのは無理だった。
「藤乃さん、もうちょっと体重かけて大丈夫ですよ」
「重いでしょ」
「私が普段どれだけ重い土を運んでると思ってるんですか」
「それに、その……顔、近すぎて……なんか、余計なことしそうでさ」
だから、必死で上の方を見てる。花音ちゃんの顔が近すぎて、直視したら正気を保てそうになかった。
「藤乃さん、耳貸してください。……そういうの“事故チュー”って言って、少女漫画だと定番なんですよ。だから、大丈夫です」
「全然大丈夫じゃないんだけど!?」
「藤乃さん、首太くてかっこいいですね」
「やめて!? ……するなら、ちゃんとしたいんだから」
「えっ……。その、はい……すみません……」
そんなやりとりをしているうちに、エレベーターは屋上に到着した。
入り口でチケットを見せて中に入る。
案内されたのはフェンス沿いのカウンター席で、夕日がゆっくり沈む様子が見えた。
「とりあえずビール!」ってことで、二人でビールを取りに行った。ついでに枝豆やサラダなどの軽いおつまみも取ってきて、カウンター席に並んで腰を下ろした。
「かんぱーい!」
「えへへ、おいしいです」
「ねー、昼間汗だくだったから、うめー」
「今日は、どんなお仕事を?」
「親父と一緒に、駅前の街路樹の手入れしてたんだ」
ビールを飲みながら枝豆をつまみつつ、今日の出来事や最近のあれこれを、とりとめもなく話す。
花音ちゃんも、最近育てている花のことや、うまくいったこと、いかなかったことを、ずっとニコニコしながら話している。
なんていうか……こういう時間が、幸せってやつなんだろうな……なんて、じいさんみたいなことを思った。
蒸し暑い夜風が吹く中、手元には冷えたビール。隣では、大好きな女の子が笑ってる。
「花音ちゃん、今日もかわいいね」
「……藤乃さん、酔ってます? まだ一杯目ですよ」
「いつも思ってるよ。いつも言ってるでしょ」
「いつも言ってますけど。言われ慣れてないから、ソワソワします」
「慣れるまで言い続けるよ。慣れても、ずっと言う」
「もー……」
そう言いながら、花音ちゃんはジョッキを傾けて、サラダをひと口つまむ。
最初に取ってきたつまみがなくなってきた。
「俺、お代わり取ってくるわ。なんか食べたいものある?」
「じゃあソーセージと焼き鳥と……お肉系、お願いします」
「了解」
ビールのお代わりを注いで、つまみを皿に載せて戻ると、数人の男たちが花音ちゃんに話しかけていた。
近づいた瞬間、花音ちゃんが困った顔をしているのが見えて、胸の奥で心臓が強く鳴った。
「花音ちゃん、お待たせ。こちらは?」
「あ……藤乃さん」
気まずそうに顔を曇らせる花音ちゃんを見て、俺は思わず男たちの方へ視線を向けた。
スーツ姿の男たちのうち、一人がへらへら笑いながら口を開いた。
「あれ、マジで男連れ? あのデカ女がさ、ウケるわ」
「……失礼ですが、どなたですか?」
「俺、こいつの高校んときのクラスメイトなんすよ。女かどうかもわかんないゴリラだったのが、いっちょ前に色気づいてたからさ、ついな」
あまりに無礼な言葉に、どう反応すべきかわからなかった。
拳を握りかけたそのとき、背中の裾がきゅっと引かれて、我に返る。
「……そうですか。ウッドスロープの社員の方々って、そういう民度なんですね」
「え? は?」
男の首に下がった社員証をちらと見て、できるだけ穏やかに微笑んだ。
「坂木さんにはいつもお世話になっております。須藤からよろしくとお伝えください。それとも、江里の方からご挨拶差し上げたほうがよろしいでしょうか?」
男たちと同じように、花音ちゃんもぽかんとした顔で固まっていた。
「花音ちゃんの親父さん、今日地域の青年会に出てるでしょ? それ、うちの親父とウッドスロープ社長の坂木さんも参加してるんだよ。ウッドスロープが入ってるビルの持ち主の江里さんも出てるんじゃないかな。あ、理人のおじいさんね」
「あ……そうだったんですね……?」
「まさか、地域密着を掲げる企業の方が、地元の地主にこんな無礼を働くなんて……そんなこと、ありませんよね?」
とどめに穏やかに微笑むと、彼らは顔を見合わせた。
「や、その……知った顔がいたから、ね。ちょっと挨拶にと思って……。し、失礼します……」
「一昨日いらしてくださいね」
男たちが去るのを確認してから、立ったまま花音ちゃんの顔を覗き込んだ。
「花音ちゃんのジョッキも空だから、お代わりを取りに行こう」
「……はい」
ビールを一緒に取りに行って、ついでに甘いデザートも皿に乗せる。
席に戻って料理を並べると、テーブルが溢れそうなくらいに賑やかになった。
そっと花音ちゃんの椅子を引いて、先に座らせる。そのまま俺は椅子を花音ちゃんが座る椅子にくっつけた。
「隣、座っていい?」
「は、はい……どうぞ……」
わざと遠慮なく、ぴったりと身体を寄せて座った。そっと、くっついている方の手を、膝に置かれていた花音ちゃんの手の甲に重ねた。
「花音ちゃんの手、ちっちゃくて、やわらかくて、あったかいね」
「……そんなこと」
「あるよ。俺の手より、ずっと小さいよ」
「そ、それは……藤乃さんと比べたら、そうですけど……」
ぴったりくっついたまま、そっと花音ちゃんの顔を見やる。その気になれば触れられそうな距離だけど、ぐっと堪えた。
「肩幅も、身長も、なにもかも俺より小さくて、やわらかい。……それでも、ダメ?」
「……ダメじゃ、ないです」
花音ちゃんの肩がかすかに震えた。思わず一緒に泣きそうになるけど、奥歯をぎゅっと噛みしめた。
「何度も言ってるけど、俺は花音ちゃんのこと、かわいくて素敵な女の子だと思ってる。そもそも俺、同じくらいの身長の子が好みなんだよね。できればハイヒール履いて、俺より大きくなってくれると嬉しいくらい」
「……十センチくらいのヒールを履けば……たぶん、藤乃さんより高くなれます」
「そう? じゃあ俺の誕生日プレゼント、それがいいな。一日中、お姫様みたいに扱うから」
「……そんなの、いつもしてくれてますよ」
「するよ、そりゃ。花音ちゃんは俺の大事なお姫様だから。ね、もう一回乾杯しよう。仕切り直そう」
ポケットを探ると、少しくたびれたタオルハンカチが出てきた。
家を出るときに突っ込んできたやつだから、汚くはないはず。
身体を花音ちゃんの方へ向けて、ハンカチをそっと顔に当てた。しばらくしたら顔を上げてくれて、目が赤いけど、涙は止まっている。
「食べ物いっぱいあるからさ、一緒に食べよう。俺一人じゃ食べきれない」
「……はい。ありがとうございます」
「どういたしまして」
タオルをしまって、少しだけ身体を離しながらジョッキを手に取った。
花音ちゃんもおずおずとジョッキを向けてくれた。
「乾杯」
「……かんぱい」
ビールをぐいっと半分ほど飲んで、ソーセージをかじる。ハムやベーコンももしゃもしゃかじっていたら、花音ちゃんもゆっくり食べ始めた。
「これ、おいしいね」
「ほんとだ。こっちも美味しかったから、どうぞ」
「ありがとう」
まだ少しぎこちないけど、花音ちゃんがふっと笑ってくれた。
良かった。
花音ちゃんにしょうもないことで泣かないでほしかった。くだらないことで傷ついてほしくなかった。
皿が全部空になったから、最後にもう一杯ずつ飲んで締めくくることにした。
また手をつないでエレベーターに乗ったら、今度は誰もいなかった。
「藤乃さん、ありがとうございました」
「いーえ。またどこか行こうね」
「はい。ぜひ」
花音ちゃんはちょっと赤い顔で、微笑んでいる。
ぎゅっと手を握ると握り返されて心臓が騒ぐ。
ああ、キスしたい。
でも、事故みたいにじゃなくて。
ちゃんと、俺がこの子を好きだから、キスしたい。
「藤乃さん」
「うん?」
「ありがとうございました。……藤乃さんは、私にとってずっと王子様です。だから、藤乃さんが王子様なら……お姫様は私がいいです」
「……うん?」
えっと、それって……俺は、なんて返せばいいんだろう。
どんな意味の言葉なんだろう。
酔った頭が、うまく回らない。
……女の子の言葉って、どうしてこんなに難しいんだろう。
ぼんやりしてる間にエレベーターは地上に降りた。
手をつないだままバスロータリーに向かう。
「帰り、遅くなっちゃいますよ?」
「うん。瑞希にちょっと用事があって」
「そうなんですか……?」
不思議そうに首をかしげる花音ちゃんに、そっと微笑んだ。
花音ちゃんは目を丸くして俺を見つめたあと、
「……一緒にいられるなら、理由なんて何でもいいです」
と小さく笑って前を向いた。
由紀さんの家に着くと、玄関からお袋さんが顔を出した。
「あら、わざわざ送ってくれたのね」
「いえ、瑞希にちょっと用事があって。花音ちゃん、またね。今日は一緒にいてくれてありがとう」
「こちらこそ。誘ってくれて嬉しかったです。おやすみなさい」
花音ちゃんと入れ替わりで瑞希が出てきた。
瑞希は俺の顔を見て、首を傾げる。
「どした? 藤乃がそんな怒ってんの珍しいね」
「あのさ、親父さんたち迎えに行こう」
「……わかった。母さん、親父の迎え、俺が行くわ」
何も説明していないのに、瑞希はすぐに頷いてくれた。こういうときに、瑞希はすごくいいやつだって実感する。
「そう? じゃあ、お願いしようかしら」
瑞希と一緒に車に乗り込む。
「悪いね、俺飲んじゃってて運転できないんだけど」
「それはいいけどさ、何があったの?」
「んー、実はさ……」
ビアガーデンでのことを話すと、瑞希は特に何も言わなかった。
「ふうん。で、どうすんの?」
「迎えに行くだけだよ。もともと坂木さんは親父の友達だし、そろそろ俺も顔出させてもらいますって挨拶してくるだけ」
「……お前、大人になったねえ」
「どうかな……。ただ、すぐに怒れなくなっただけだよ」
青年会の飲み会は地元の居酒屋でやっている。
瑞希と顔を出すと、由紀さんと親父がゲラゲラ笑いながら手を振ってきた。
「花音ちゃんとのデート、どうだったー!?」
「花音、誘われた日からずーっと楽しみにしてたよ!」
「うるせえ……」
うるさいおっさんたちに、瑞希がげんなりした顔になる。
「花音さんは無事お送りしました。遅くまでご一緒してしまって、申し訳ありません」
由紀さんに愛想よく頭を下げたら、親父さんはゲラゲラ笑い出した。
「見ろよ坂木、美園! 藤乃ちゃん、須藤にそっくりだな! 桐子さんの血、ちゃんと入ってる……?」
「は、入ってるだろ!目つきとか、いざってときの胆力は桐子さんだろ!!」
桐子さんは俺の母親だ。親父は、俺が二十歳になったときに「もう“母さん”じゃなくて名前で呼ぶよ、俺は」と言い出して、それ以来ずっと桐子さんと呼んでいる。
……じいさんといい、親父といい、うちのおっさんたちは嫁さんに甘い。俺が花音ちゃんに甘いのは、母親の言うとおり完全に血だ。
「坂木さん、美園さん、ご無沙汰してます」
「おお、でっかくなったな、藤乃ちゃん」
「どうしたの、親父さん引き取りに来た?おい、須藤、金だけ置いてって」
「わざわざ花音送ってから顔出したの?マメだね!」
「親父……ちょっと、実はさ」
瑞希が半笑いで由紀さんに耳打ちする。聞き終えたらしい親父さんがまた笑った。酔いすぎだろ。
「ほんと、須藤にそっくり! でもありがとね。で、式はいつ?」
「……まだ、付き合ってません」
俺の言葉に、坂木さんは「はー」と大きく息を吐いた。
「桐子さんみたいに大事にしてくれるなら、娘のひとりやふたりやりたくなるわな。まあ、うちに娘いないけど。え、それで? 好きな子のために、こんなおっさんの集まりに顔出したの?」
「はい。いずれは須藤の家の者として青年会にも顔を出すつもりでしたし、それが早まっただけです。俺が地域の仕事をちゃんとやることで、彼女を守れるなら、いくらでもやります」
「……桐子さんの面影、感じたわ」
「わかる! このドスの効いた感じ……完全に桐子さんだ……!」
なぜか由紀さんと美園さんが真顔になった。この人たちの中で、俺の母親はどんな人なんだ……?
「須藤、藤乃ちゃん、うちにちょうだい。跡取りにするからさ」
「え、やだよ。ここまで育てるの、大変だったんだから! あ、でもそれなら次から青年会とか地域の活動は、お前が出てよな」
「出るけど、せめて早めに言って。親父、いつも当日の朝まで言わないし」
そう言うと由紀さんが笑った。
「じゃあ、うちもそろそろ瑞希を出すか。そしたら瑞希経由で情報回るだろ」
「……げえ」
とばっちりを食らった瑞希は、嫌そうな顔をしながらも拒否はしなかった。どちらにしろ家業を継ぐなら避けては通れないし、こういうところで愛想良くして地盤を固めるのも必要なんだ。
「じゃ、話もまとまったし帰ろっかな。須藤も帰るっしょ」
「そうしよっかな。瑞希ちゃん、乗せてくれる?」
「そのつもりで来ました。藤乃は走って帰れ、ほんと」
「乗せてくださいよ、お義兄さん」
「……うざ」
挨拶をして店を出る。車に戻ると由紀さんと親父がさっさと後ろに乗り込んでしまったので、俺は助手席に座る。
「悪いね、付き合わせちゃって」
「いいよ。どっちにしろ迎えは必要だったし」
「それだけじゃなくてさ」
車が動き出す頃には、由紀さんと親父の寝息が聞こえてきた。三十年後には、俺と瑞希もこんなふうになってるのかもしれない。
……瑞希と飲んで帰って、花音ちゃんが呆れ顔で出迎えてくれたら最高だな。
そんなことを考えているうちに家に着く。瑞希にお礼を言って、親父を担いで家に入ると、母親が想像通りの呆れ顔で出迎えてくれた。
親父が母親の両手を取ってニコニコしている。
「桐子さん、ただいま。家に桐子さんがいるって最高だなあ」
「かれこれ三十年いるのよ。藤乃、お風呂入ったら、栓抜いておいてね」
「はいよ」
両親がいちゃついてるとこなんて見たくないから、さっさと浴室に向かった。
風呂を終えて、ベッドに倒れ込む。
スマホを見ると、花音ちゃんからメッセージが届いていた。
『今日はありがとうございました。さっき別れたばかりなのに、早く会いたいです』
その一文が頭から離れなくて、なかなか眠れなかった。
ねえ、どういう意味なの。
君は、俺のことをどう思ってるの。
たったこれだけの言葉なのに、俺にはさっぱり解読できない。




