Day13「牙」
雨の静かな夕方、店で母親とブーケやアレンジの予約伝票を整理していたら、見慣れた顔が入ってきた。
「藤乃、今いいか?」
「今日、葵いないけど」
「だから、今日来たんだ」
愛想も素っ気もなく傘を閉じるのは網江朝海。葵の王子様だ。
片付けを母親に任せて、カウンターを出た。
朝海は、まっすぐな背筋と、喋るときにちらりと見える八重歯が牙みたいでかっこいい――と、葵から何度も聞かされている。
そのせいで、つい話すときに口元に目がいく。
……確かに、あの八重歯は牙みたいに鋭くて。見てると、毎回ちょっと痛そうに思ってしまう。
「どした?」
「葵の誕生日のブーケを依頼に来た。あれの好きな花なら、お前が一番詳しいだろう」
臆面もなく言い切るこの男は、無愛想だし目つきも悪いし、どこが王子様なんだよって思う。でも、それを言ったところで、全部跳ね返されるのは目に見えてるから黙ってる。
葵がこいつを王子様だと言ってるし、こいつが葵のことを大事にしてるのは知ってるから、俺が口を挟むことじゃない。
「悪いけど、俺は葵の“好きな花”って、ちゃんとは知らないんだ。葵が気に入るのは、俺が俺の感覚で作ったブーケなんだよ」
「……殴っていいか?」
「お前もそうやって、ちゃんと嫉妬するんだな。だからこそ、お前が“葵に似合うもの”を選んでやってよ。俺は、その手伝いをするからさ」
朝海は無表情のまま軽く頷いて、静かに花を見始めた。
この天気じゃ客足も鈍いし、来たとしても“彼女のために花を選ぶ無愛想な(認めたくはないが)イケメン”がいるって話になれば、たいていのお姉様方は微笑ましく見守ってくれる。だから放っておく。
ちなみに、俺は葵の誕生日に花を贈ったことがない。だいたい飯を奢るか、買い物につきあってカフェに入るか。そのあたりは瑞希も、花音ちゃんに似たようなことしてるって言ってた。
今年は、どうしようか。
店先の雨水を箒で掃き出しながら、ぼんやり考える。
「朝海、お前、甘いもん平気?」
「好き嫌いはない」
「じゃあ、葵の誕生日にホテルのスイーツブッフェ予約しとくから、一緒に行ってやってくれ。俺からの誕生日プレゼントってことで」
「藤乃が行けばいいだろう」
「朝海と行くほうが喜ぶだろ」
朝海が菊を見ていたので、それは仏花だと教えて、タチアオイを見せる。
「藤乃と一緒でも喜ぶだろうに」
「……お前は嫌じゃねえの?」
「何が? 葵から見て、私とお前が違うことくらい承知している」
「ほんと、かわいげねえな。年下のくせにさ」
「私にかわいくしてほしいのか?」
「……いや、もういいや」
朝海と初めて会ったのは、葵の卒業式のひと月くらい前だった。
その時期の花屋はとにかく忙しくて、母親と延々とブーケやアレンジを作りまくっていた。
そんな慌ただしい時期に、ふらっと現れて、
「ここが、葵の話してた花屋か?」
なんて言うもんだから、何事かと思った。
話を聞いたときは、こんな繁忙期にかよ……って思った。でも「葵に贈りたい」なんて言われたら断れないし、無愛想だけど悪い奴でもなさそうだったから、なんとか卒業式当日に間に合わせて、でっかい花束を用意してやった。
もちろん、その時期はとっくに予約でいっぱい。だから繁忙期特別価格、ってやつで。
その夜、葵から『花束、ありがと』ってだけメッセージが来て、ああ、ちゃんと俺が作ったってわかってくれてたんだな……って思ったら、ちょっと泣けた。
数日後、二人でそろって店に来て、葵から改めて紹介された。
そのとき二人そろって花束のお礼を言ってくれて、俺はやっぱりカウンターの奥でちょっと泣いて、母親に笑われた。
それから二年半くらい。朝海はときどき葵を迎えに来るけど、一人で来たのはあの卒業式の前以来だ。
「でも、葵の誕生日に花を贈るなんて初めてじゃないか? どういう風の吹き回し?」
「いや、去年も一昨年も花を贈っている。忙しくてネットで注文して贈っていた」
「今年はそうじゃねえんだ?」
「単に、今年は仕事が落ち着いているだけだ。……それに、葵はお前の感覚で作った花が好きらしい」
さっきの一言を、意外と気にしてたらしい。
……なんだ、こいつも案外かわいいとこあるじゃん。
「そうかよ。売り上げに貢献してくれてありがたいね。タチアオイ、ピンクと赤なら、どっちが好み?」
「……赤?」
「じゃあ、赤のタチアオイをメインにしよう。一緒に入れるなら、ピンクかオレンジのバラ、それとカーネーション……。グリーンは、これとこれならどっちが好き?」
あれこれ合わせながら、朝海の好みを聞いていく。
迷いながらも、首をかしげつつ、一生懸命選ぼうとしていた。
「よし、じゃあこれで行こうか」
選んだ花を見ながら、注文書にひとつずつ名前を記していく。仕上げた花束は軽くほどいて、他の花と合わせてミニブーケに仕立て、店先の花瓶にそっと並べた。
朝海に注文書を書いてもらおうとしたら、裏口から控えめなノックが聞こえた。
開けるとそこにいたのはびしょびしょに濡れた花音ちゃん。
「花音ちゃん!? ……びしょ濡れじゃん、どうしたの。タオル、使って!」
急いで台車ごと店の中に入れてタオルをかぶせる。
いつもはピンク色のほっぺたと唇が青くなっている。
「ありがとうございます。でもすぐ戻りますし、レインコート着てますし大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないって、その顔色。ちゃんと拭いて。お茶と……バケツも……」
「バケツは私がやるから、藤乃はタオルとお茶を用意しなさい」
「わかった」
母親に促されて、花音ちゃんにタオルを渡す。それから冷蔵庫の麦茶をレンジで温めて、紙コップを出した。
「あ、ごめん朝海。注文書、書いてくれた? 花音ちゃん、お茶どうぞ。ちょっとだけ待ってて」
「私は大丈夫ですので、お客様を優先されてください」
そんな顔で、それでも微笑まれると、何も言えなくなる。
胸の奥が、締めつけられるみたいに痛くなる。
朝海の書いた注文書を確認して、控えを手渡す。
「じゃあ、作っておくからこの日に取りに来て」
「わかった。では失礼する。……ところで」
「うん?」
朝海の視線が俺の後ろに向く。振り返ると静かにお茶を飲んでいる花音ちゃんがいた。
見られていることに気がついた花音ちゃんがパッと顔を上げた。
「……っ、えっ、な、なんでしょう?」
「その女性が、花音か?」
朝海の言葉に、花音ちゃんが目を丸くする。面白くないので視線を遮るように横に動く。
「そうだけど、いきなり何だよ」
「葵がお前のお姫様なのだと言っていた」
「そういうのは本人の前で言うな!」
後ろで母親の吹き出す声が聞こえる。本人どころか親までいる前で言うなよ……!
「これだけわかりやすいのに、進展がなくてじれったいとも」
「それも言うなって! ……俺には俺のペースがあるんだよ。突っ走る葵とは違うんだから」
「葵の結婚式は、お前より後がいいとも言っていただろう?」
「なんでそんなことまで知ってんだよ……! もういいから、帰れ帰れ! 花束はちゃんと作っとくから!」
カウンターを出て、朝海の腕を引っぱった。
「ごめん花音ちゃん。こいつ追い出してくる……。母さん、笑いすぎだって」
「はあ……」
「だって、ふふ、みんな思ってるけど言わないことを、全部……ふふっ」
ぽかんとする花音ちゃんを置いて、母親は無視して、朝海を店先まで連れて行った。
傘を開くのを待って、手で軽く帰れと合図する。
「無愛想で気づかなかったけど、葵と朝海って、案外似てるんだな」
「そういうものだろう。まったく違うから惹かれるし、同じ部分があるから共にいられるんだ」
「そっかよ。まあ、とにかく依頼は受けた。葵には内緒にしとくから」
「ああ、頼む」
朝海は最後まで表情を崩さず、背筋を伸ばしたまま颯爽と帰っていった。
ああやって、まっすぐ立っていられるところは、きっとかっこいいんだろう。
……余計なことさえ言わなければ、完璧なのにな。
急いで振り返ってカウンターに戻ると、花音ちゃんがお茶を飲み終えたところだった。
母親はまだ笑いながら納品書に目を通している。
「今の方、網江さんですよね?」
「うん。葵の誕生日にブーケ注文しに来た。お茶のお代わりいる?」
「あ、もう大丈夫です。ありがとうございます。誕生日にブーケですか……」
「ご要望があれば、世界一でっかいブーケだって用意するよ?」
「いえ、私は……藤乃さんが祝ってくれるだけで、十分嬉しいです」
「……そっか」
そんなふうに言ってくれるのは、すごく嬉しい。けど、それでも俺は、やっぱり何かしてあげたくなる。
花音ちゃんが持ってきてくれたアンスリウムをバケツに移す。ハイビスカスの鉢も一緒に持ってきてくれたので、そのまま店頭に並べた。
母親が受領書にサインして返すのを見届けてから、裏口に向かった。
「車まで送るよ」
傘を手に取ると、花音ちゃんが「そういえば」と俺を覗き込んだ。
「藤乃さんはお誕生日はいつなんですか?」
「四月一日だよ」
「わ、早生まれなんですね」
「そうそう。いっそ四月二日がよかったんだけどね。しかも、母子手帳見たら夜の十一時とかでさ。あと一時間遅ければ……って、当時ちょっと恨んだよ」
「ふふっ、“藤”だから、てっきり五月生まれかと」
裏口を開けて傘を広げ、台車を押す花音ちゃんに向けてそっと傾けた。
足元は水たまりと泥だらけで、油断したらすっころびそうだ。
「名前の由来は……なんだっけな。昔、授業で親に聞いてこいって課題があって聞いたんだけど、忘れちゃってさ。納得できる理由だった気はするんだけどね」
「私のは……なんだったかな。たしか、“花開いてほしい”とか、そんな意味だったと思います」
「かわいいし、よく似合ってると思う。……いい名前だよ。ずっと呼んでいたくなる」
つい口にしてしまって、花音ちゃんが困ったように見てくる。
「そうですか……? あっ、藤乃さん、肩が濡れてますよ」
花音ちゃんの手が傘に触れて、その拍子に俺の指先にもふれた。あやうく傘を落としかける。
「俺はすぐに店に戻るから大丈夫だよ」
「藤乃さん、私が濡れたら心配するでしょう? 私だって、藤乃さんが風邪をひいたら嫌です」
「……うん。えっと、じゃあ、濡れないように、もうちょっと寄ってもいい?」
「……どうぞ」
少しだけ寄ると、花音ちゃんは口をきゅっと結んで歩き出した。
嫌だったかなあ……。
そわそわしていると、花音ちゃんの片手が台車から離れて、俺のシャツの脇あたりをそっとつかんだ。
「もうちょっと、大丈夫です」
「……ありがと」
車までのわずかな距離を、寄り添って歩いた。近すぎて、俺の騒がしい心臓の音が聞こえてるかもしれない。うるさくて、ごめん。でも、どうしても静かにできなかった。
やっと車について、花音ちゃんが台車を片付ける間、傘を傾ける。車に乗り込んだので傘を引こうとしたら、花音ちゃんがぱっとこちらを見上げて口元に手を当てた。
「あの、耳貸してください」
「なに?」
傘を差したまま屈んで、花音ちゃんの口元に耳を寄せる。
「あのですね」
ふっと当たる息があたたかくて、くすぐったい。飛び退きそうになるのを、なんとかこらえた。
「ずっと、呼んでもらって大丈夫です」
「えっ?」
「私の名前……呼んでもらっていいです。私も、呼びますから。藤乃さんのこと……ずっと」
「……ずっと?」
「はい。……ずっと、です」
やばい。なにそれ……もう、ほとんどプロポーズじゃん。
衝撃が強くてしばらく動けなかったけど、ザアザアと打ちつける雨音で我に返った。
慌てて身体を起こして傘を引くと、花音ちゃんはそっと車のドアを閉めた。
「えっと、では、また」
「う、うん。お疲れさまでした。あ、雨だから運転気をつけてね」
「はい、失礼します……」
一歩下がるとエンジンがかかった。ゆっくりと走り出すのを見送る。
深く息を吐いてから店に戻ると、母親が誰かと喋っていた。
「ただいま……って、朝海!? なんで戻ってきたんだよ」
「先ほどのタチアオイのブーケ、もらいに来た。デスクに飾る」
「素敵ねえ。恋人と同じ名前の花を飾って……。葵ちゃんが王子様って言うのもうなずけるわ」
母親がニコニコしながらタチアオイとローズマリー、小ぶりなバラのブーケを包んでいる。俺が作ったのとは色が違ってて、そっちの方がセンスいい気がして、悔しい。
「藤乃も先ほどの女性を雨だからと傘を差して送っていったのだろう? 十分、大事にしているように見える」
「あら、雨じゃなくても毎回送ってるわよ。なんでくっつかないのかしらね? 甘いことは散々言うくせに、肝心なことは言わないところがお父さんそっくり」
「そうなのか」
「ええ。この子のお父さんも……」
「言わなくていいから! 朝海はもう帰れって! ……ったく、俺には俺のペースがあるんだよ」
放っておいたら延々と喋ってそうな母親を止めて、朝海を追い出す。
帰り際に見えた朝海の八重歯は、確かに牙みたいだったけど、たぶん、そんなに尖ってはいないんだと思う。




