Day10「突風」
デートから数日後、須藤造園さんにヒマワリを持って行く。
やっぱり夏はヒマワリ。明るい黄色を見ているだけで、気持ちが浮き立つ。
……デートのあと、初めて藤乃さんに会うから、浮かれてるだけかもしれない。
駐車場に車を止めて、台車に箱を乗せていたら声をかけられた。
「花音ちゃん!」
「藤乃さ……、えっ!?」
振り返ったら、藤乃さんだったけど……予想外に、かっちりしたスーツ姿だった。
すごすぎて、心に嵐みたいな突風が吹き抜ける。
濃いグレーのスーツにワインレッドのネクタイ、白いシャツ。
細いストライプのスーツが、背の高い藤乃さんをさらにすらりと見せていた。
いつも下ろしている髪も、今日はワックスできれいに流していて……。
「花音ちゃん? 大丈夫?」
「ダメです。それは、ダメですよ、藤乃さん……」
「えっ、ダメ?」
「かっこよすぎて……ちょっと、見られません。失礼します」
返事も聞かず、台車を押して小走りでお店へ。
……当たり前だけど、すぐに追いつかれた。
お店に着くころ、後ろから台車の持ち手をそっと掴まれた。
「花音ちゃん……?」
「……はい」
後ろから、耳元で囁かれてそわっとする。
おそるおそる顔を上げると、藤乃さんが優しい笑顔で覗き込んでいた。
「ちゃんと、見て欲しいな」
「む、無理です~……」
でも私の後ろはお店の裏口で逃げられない。
藤乃さんの手が顔の横に置かれて……壁ドン、だ。
キスされちゃうの? それはそれで……いや、ちょっと待って。私、何考えてるの。
近すぎて、目を合わせられない。
「花音ちゃん?」
「は、はい」
「……ごめん」
藤乃さんが、ふいに離れた。えっ、どうして……?
恐る恐る顔を上げると、藤乃さんが真っ赤なまま、そっぽを向いていた。
「えっと……?」
「ごめん、やり過ぎた。これ以上やると歯止め効かなくなるから、止めとくね。それ、持ってきてくれたんでしょ? どうぞ」
早口で言って、藤乃さんはお店の裏口を開けた。
気づいたら、スーツの袖口に手を伸ばしていた。
「……歯止め、効かなくていいです」
「んえっ!?」
「す、すみません……こちら、納品書です。ご確認お願いします」
「あ、はい、確認します。母さんー?」
藤乃さんがお店に向かって声を上げる。
中から、
「ママさん、いないよー」
と葵さんの声がした。
「じゃあ葵、バケツに水張って!一番大きいやつ」
「はあい。あ、花音ちゃん、来たんだね。……二人とも真っ赤だよ」
「外、暑いし! 花音ちゃんだって台車運んでたし!」
「そういうことにしとこうね」
顔を真っ赤にして声を張る藤乃さんに、葵さんは微笑んで、バケツを取りに行ってしまった。
藤乃さんが箱からヒマワリを取り出して、茎を切っていた。
……スーツ姿の男の人と花って、こんなに似合うんだ。知らなかった。ポストカードにして売ってほしいくらい。
「花音ちゃん?」
「はい?」
「見過ぎ」
「す、すみません。かっこよくて……」
藤乃さんは苦笑しながら、ヒマワリをバケツにそっと入れていく。
葵さんがバケツを持って戻ってきたことにも、全然気づいていなかった。
「そうだなあ」
藤乃さんが呟いて、一番小さいヒマワリを手に取る。そのままカウンターを出てお店からいくつか花を取ってきた。かすみ草、スターチス、ユキヤナギの枝、それから……。
「どうかな」
「……素敵、です」
藤乃さんの手の中で、花たちがふわっとまとめられて、夏らしい爽やかなブーケができあがった。
「少し持っててもらえる? 顔の少し下、向こうに向けて」
「はい?」
ブーケを受け取ると藤乃さんがスマホを取り出した。
「葵ー、これ」
「はいはい」
すっ飛んできた葵さんがスマホを受け取る。藤乃さんが私の隣で肩を寄せた。
「えっ」
「はい、ひまわりー。ふふ、可愛い。花音ちゃんはぽかんとしてるし、藤乃くんは顔ゆるみすぎ」
葵さんは笑いながら藤乃さんにスマホを返した。
「しょうがないじゃん。うん、ありがと」
ぼんやりしていたら、私のスマホが震えた。
「送っておいたよ」
「えっ……、わ、ほんとだ……」
スマホを開くと、ヒマワリのブーケを持った私と、満面の笑みの藤乃さんが並んで写っていた。ちょっと間抜けな顔の自分じゃなくて、藤乃さんだけの写真が欲しかったなあ。
ブーケは店頭に並べるそうなので、葵さんに渡した。
受領書を受け取ってお店を出ると、藤乃さんも着いてきた。
「……写真、今度撮りなおさせてください」
「ごめん、嫌だった?」
「せっかく藤乃さんと撮るなら、ちゃんと可愛い格好で、可愛い顔で写りたかったです」
「……その発言がもうめちゃくちゃかわいいけど……うん、でも、わかった。いきなり撮ってごめん。消したほうがいい?」
藤乃さんが、ちょっとしょんぼりした顔になってしまった。
「そこまでしなくていいです。……じゃあ今、一枚、撮らせてください」
「喜んで」
車の窓を借りて、少しだけ顔を整えてからスマホを取り出す。藤乃さんが構えてくれたので、心持ち近寄る。
「もう少し寄ってもいい?」
「だ、大丈夫です」
嘘だけど。近すぎて、心臓が騒がしくて、ぜんぜん大丈夫なんかじゃない。でも、それくらいの見栄は張っていたい。
「撮るよ、笑って?」
「ひゃ、ひゃいっ」
カシャッと鳴ってスマホが返される。やっぱりちょっと変な顔の私と、溶けそうな笑顔の藤乃さんが写っていた。
「大丈夫?」
「……大丈夫です。これはもう、私の元がダメですね……」
「何が?」
藤乃さんが首を傾げている。
もともと顔立ちの整ってる人には、きっと分からないのかも。しかも男の人だし。今日はスーツでちゃんとしてるから、なおさら。
「もっと、顔がかわいければよかったんですけど……」
「十分かわいいよ?」
「……藤乃さんはいつもそれ言いますね」
「いつも思ってるから。あの日市場で花束ごと飛び込んできたときから、花音ちゃんかわいい! って思ってる」
笑顔が少しだけ消えて、穏やかなまま真剣な顔で言われた。
それが冗談じゃないってことくらい、私にも分かる。
分かるけど、そんなの、なんて返せばいいの……?
私だって同じ事思ってる。
あの日、受け止めてくれて、迷子だった私を瑞希のところへ連れて行ってくれたときから、ずっと、かっこよくて、素敵な人だって思ってる。
「……あ、あの……私も、似たようなこと思ってるんですけど……その、初心者なので……お手柔らかにお願いします」
「お手柔らか……? とりあえず、さっきの写真送ってもらってもいい?」
「あ、はい」
写真を送ったら、藤乃さんはスマホを見て、写真と同じ顔をして笑った。……もう、恥ずかしい。
「ところで、どうして今日はスーツなんですか?」
「これ? 今度、駅周辺の改修があるんだけど、緑地帯の整備を頼まれてね。メインは親父だけど、俺も手伝うから、一緒に打ち合わせに行ってたんだ」
「すごい」
「近いうちに使う花の相談を、瑞希と親父さんにしに行く予定だから、都合が合えば花音ちゃんも来てほしい。ほら、この間のバラ、評価良かったでしょ? ああいう華やかな花を置きたいって話になってさ」
「だから」と、藤乃さんがニコッと笑った。
……さっきまでの甘い笑顔じゃなくて、ブーケがうまくできたときや、納品した花が気に入ったときの、あの職人の顔だ。
「“すごい”に花音ちゃんも入ってるんだよ。他人ごとじゃない。由紀さんは、俺たちが一番信頼してる農家さんの一つなんだから。楽しみにしてる」
「……がんばります」
顔を引き締めて頷いた。
こんなにかっこいい人と一緒にいるなら、私もちゃんとしなきゃ。
「よろしく。引き留めちゃってごめんね」
「いえ、こちらこそ。面倒なこと言ってすみませんでした」
「なんか言ったっけ?」
「……写真、撮りなおさせてほしいって」
今さらだけど、ちょっとワガママで、子どもっぽかったな。
密かに反省していたら、藤乃さんは、さっきまでとは違う、少し困ったような笑顔を見せた。
「俺、ガサツだし、気が利かないし、他人の気持ちに疎くて嫌な思いさせちゃうから、そうやって言ってくれるほうが助かる。もう一枚写真撮れたし」
なんて返せばいいか分からなくて、無言のまま車に乗り込んだ。
藤乃さんが、ひらひらと手を振ってくれた。。
エンジンをかけて、窓を開ける。
「また来ます」
と言うと、藤乃さんが目を細くした。
「俺は花音ちゃんに我慢させたくないし、嫌な思いもさせたくない。だから、これからもちゃんと言ってね。大事にしたいんだ」
「……ありがとうございます……」
ゆっくりと走り出す。
手を振ってくれているのは分かってたけど、ミラーで確かめる余裕はなかった。
スーツ姿で、少し切なそうな顔して、そんなプロポーズみたいなこと言わないでほしい。
……さすがに藤乃さんが、本気でそういうつもりじゃないのは分かってるけど! それにしたって破壊力が強すぎる!
いつもより慎重に運転して、家に帰った。
畑にいた父に、藤乃さんの話をすると、
「さっき須藤から電話きたぞ。来週来るって言ってたから、うちで出せる苗の一覧、作っとけ」
と指示がでる。
「わかった」
仕事に戻ろう。
突風はまだ吹きやまず、荒れ狂っているけれど、のみこまれないように、手を動かそう。藤乃さんの隣に行くためにも。
その日の夜、ベッドに転がってスマホの写真アプリを開いた。
画面の右下に並ぶ、あの二枚を見つめる。
昼間、藤乃さんと撮ったツーショットだ。
ここに私の顔いらないでしょ……。
どちらの写真でも、藤乃さんは溶けるように微笑んで、私の肩にそっと寄り添っている。
私も、あんな顔ができたらよかったのになあ。
「好きで好きでたまらないんです」って顔、できたらよかったのに。
……それって、ちょっと図々しいのかな。
写真をそっとタップして拡大する。……やっぱり、かっこいい。
私はもう、藤乃さんのことが好きで好きでたまらない。
藤乃さんも、同じ気持ちだったらいいなあ。……それだけで、すごく嬉しいのに。
次の週末、藤乃さんと須藤さんのご主人が家に来た。
母が二人をリビングに通すと父が「来たか」と立ち上がる。
「よお、須藤。終わったら飲んでくだろ?」
「おうよ。これ、持ってきた」
須藤さんが酒瓶を掲げて、父は目を輝かせていた。何しに来たのか分からなくて、ちょっと呆れながら振り返ると、藤乃さんと瑞希もなにか話していた。
「藤乃は? 飲んでく?」
「帰りの運転しないといけないからパス」
「じゃあ、お前の分も飲んどくわ」
「うぜえ……。あ、花音ちゃん! お邪魔してます。お義兄さん、お茶出してください」
「い、いえ……」
「お前さあ、ほんとにさあ……!」
瑞希が藤乃さんを蹴飛ばして、私が出していたお茶を配った。
ていうか、“お義兄さん”って……それ、どういうつもりなの。
私がソワソワしているうちに、四人は仕事の話を始めた。
メインで話をしているのは須藤さんで、それを父が頷いたり、質問したりしている。さっきまでとは空気ががらっと変わっていて、思わず見入ってしまう。
藤乃さんも、ときどき質問に答えたり、逆に質問したりしていて、やっぱりかっこいい。
「花音」
「は、はい!」
いきなり瑞希に話しかけられてびっくりした。四人が、私を見ている。
「アベリアとシャリンバイ、いくつ用意できる?」
「えっと……すぐにご用意できるのは、これくらいです。工期の後半までお時間をいただければ、こちらの数もご用意できます」
慌てて答えたけど、大丈夫だったかな。
四人は軽く頷いて、また話に戻った。藤乃さんも真剣な顔で話していて、それがもう、本当にかっこいい。
私も、ちゃんとしよう。
背筋を伸ばして、ボールペンを持ち直す。
仕事の話を終えてテーブルを片付けたら、父がグラスを出してくる。瑞希が冷蔵庫からおつまみを出してきて、四人はわいわいと飲み始めてしまった。
ちなみに母はちらっと顔を出しただけで、あとは「好きにして」と引っ込んでしまった。私もそうさせてもらおう。……藤乃さんが飲むなら、一緒に飲みたいけど。さすがに父や兄の前で、あの甘い顔をされるのはちょっと恥ずかしい。
もちろんいつも恥ずかしいけど!
「花音ちゃん」
自分の夜ごはんを持って廊下に出たら、藤乃さんが追いかけてきた。
「うるさくしてごめんね。たぶん二時間くらいで切り上げると思うんだけど、おばさんにも、迷惑かけてるって伝えておいてもらえる?」
「大丈夫です。父も須藤さんがいらっしゃるの楽しみにしてましたし」
「花音ちゃんは飲まないの?」
「藤乃さんが飲まないなら、今日はやめておこうと思って」
そう言うと、藤乃さんの眉が下がった。別に、そんなに気にしなくてもいいのに。本当は別の理由なんだけど、それを説明するのはちょっと恥ずかしい。
「えっと、代わりに今度、一緒にごはん行きませんか? あ、そうだ。藤乃さん、デートに誘ってくれるって言ってましたよね? だから、いい感じのお店で、お願いします」
「ハードル上がったなあ。でもわかった。じゃあ、また連絡するね」
藤乃さんはニコッと笑ってリビングに戻っていく。
その背中を見送ってから、自分の部屋に戻った。
机にごはんを置いて、ベッドに倒れ込んだ。
「もう、かっこよすぎる……好き……っ」
しかも、まだふんわりだけど次の約束もできた。楽しみだな……。
結局須藤さんと藤乃さんが帰ったのは三時間後だった。須藤さんと父はすっかり酔って、顔を真っ赤にして笑っていた。それを藤乃さんと瑞希が、苦笑しながら介抱している。
「ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、家の人もはしゃいじゃって、まったく」
頭を下げる藤乃さんに、見送りに出てきた母が呆れたように笑っている。
瑞希が父を寝室に転がして、あまり飲めなかったとぼやいた。
「今度は外で飲もう。おっさん共がうるさくて全然飲めねえ」
「瑞希とだと車だから結局飲まねえじゃん。この辺、店ねえだろ」
「じゃあ、お前んちの近くかな。そんでお前んちに泊めて。また連絡するから」
「はいよ。花音ちゃんも遅くまでごめんね。また」
「はい、また」
「ナチュラルにいちゃつくんじゃねえよ……」
「ごめなさいね、お義兄さん。彼女できました?」
「さっさと帰れ!」
藤乃さんは笑いながら須藤さんの腕を引いて、外へと出ていった。
瑞希はまたぶつくさ言いながらリビングの片付けをしにいく。
……私も片付けを手伝って、兄に便乗してちょっとだけ飲もうかな。
冷蔵庫からビールを二本取り出して、そっとリビングへ向かう。




