お国のために玉を取ったTS魔法兵の前線日記
我が国における夏というものも誠に蒸し暑く、年寄りや赤子など、体力的に劣るものであれば日にあてられぬよう、十分に注意せねばならないものであったが……。
しかしながら、ここ南方はマルビの夏に比べれば、あれは天国であったといえるだろう。
何しろ、空気のじめったさといえば、これは肌に張り付いてくるかのごときであり、ちょっとした蒸し風呂のような様相を呈している。
加えて、基地の周囲がものの本でしか知らなかったジャングルに覆われており、母国では見たこともないような大きさの羽虫が飛び交っているのだから、これはおぞけが走るような不快さであった。
だが、何よりも不快さを感じさせるものはといえば、だ。
「なあ、ユイリちゃんよ。
減るもんじゃないし、キスしてくれよ?」
……エイガー一等兵のいつもと変わらない冗談を置いて、これは他にないであろう。
というか、基地の廊下で上官を呼び止めての言葉が、これとは……。
「それが准尉に対する口の利き方ですか、一等兵?」
彼の顔をじろりと見上げながら、注意する。
幼い頃から背丈に恵まれていた赤髪の一等兵であり、彼の顔を見るのに見上げることを必要とするのは、昔も今も変わらない。
ただ、見上げる際に要する首の角度は、TS措置を受けた現在の方が、より大きなものとなっていた。
ボクは、昔から目がいい。
そのため、エイガー一等兵の赤い瞳に映された自分自身というものも、よくよく捉えることができる。
……我ながらなんともまあ、小ぢんまりとしてしまったものだ。
実際の年齢は十八であるが、これでは、せいぜい十五か十四としか思えまい。
灰色がかった金髪は、男だった時と同様短いままにしているが、心なしか艶というものを増したかのようであり、肌もなんというか、柔らかなものへと変じていた。
何より、最大の差異は――胸部。
野戦服をなだらかながらにも突き上げる双丘が、確かに存在するのである。
なお、見えない範囲でいくとより大きな差異を股間部に有するが、そこは割愛するものとしよう。
どこからどう見ても、かわいらしい女の子。
だが、准尉という特殊な階級の階級章付き野戦服に身を包んだ女子であるからには、これは、昔日までの男性――現状のTS措置技術をかんがみれば、少年であると断定できた。
そう、ボクは生来、男だ。
だが、お国のために玉を切り、TS措置で女となったのである。
全ては、魔法を使えるようになるために……。
「わりいわりい、おめえはいつもかわいいからよ。
つい、昔みたいな口をきいちまう」
「昔のボクは男でしたよ?
一等兵は、男相手にキスをねだる趣味があるんですか?」
「いや、そいつは……ねえなあ」
苦笑いしたエイガー一等兵が、ポリポリと頬をかく。
でも、すぐにその苦笑いは、満面の笑みに変わったのであった。
助平な笑みともいう。
「でも、今はとびっきりのかわい子ちゃんだからさ。
キスしてくれたら、一生の思い出にしちゃう」
「馬鹿なことを。
まあ、かわいくなってしまったのは客観的事実として認めますが、そうだとしても、それはお国のためであることを理解してますか?」
「まあなあ……。
魔法を使えるのが女だけだからって、本物の女子を最前線に送り込むわけにもいかねえ。
それで、男にTS措置して、魔法を使えるようにしたわけだ。
准尉殿たちは、国のために一番大事なものを捧げた英傑である、と」
「分かってるじゃないですか」
腰に手を当て、あきれの溜め息をついてやる。
「でも、それと同時に、かわいい女の子でもある。
オレが思うに、かわいい女の子を見て口説かないのは失礼だね」
「上官にそんな口を利く方が失礼なんですよ。
もう、今のボクは弟分じゃないんですから」
そう言ってやると、だ。
対抗したわけではないだろうが、エイガー兄ちゃ……一等兵が、両手を腰にやって、胸をむんと張ってみせたのだ。
「まあまあ。
昔みたいに、ちゃんとオレが守ってやるからさ。
だから、景気づけにチューの一つでも」
「ぬかしてなさい。
どう考えても、これからはボクの魔法に守られる立場なんですから」
それだけ言い残して、振り返る。
馬鹿な話をしている間に、会議へ遅れそうになってしまっていた。
「イッパツの方でもいいぞー!」
そんなボクの背中に、エイガー一等兵はますますとんでもないことを言い放ち……。
振り返りざまに思いっきり中指を立ててやったのが、最後のやり取りとなったのだ。
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どうしてこのジャングルは、夕方になるといつも雨を降らすのか……。
ただでさえ不快極まりない気候だというのに、このようにされると、ますますそれが増してしまう。
何より今、憎らしいのは……。
抱きかかえたエイガー一等兵の腹から流れた血を、雨水がどんどん洗い流してしまうことだった。
そんなことをされると、まるで彼の命そのものが流れていくようで……。
「准尉殿。
もう死んでます」
背後から肩に手を置き、無機質な声で告げたのが軍曹だ。
指揮官は少尉殿だが、隊の母と呼ぶべきは彼であり、隊内での支配力は絶大なものがある。
「やむをえません。
置いていきましょう」
だから、彼にそう宣告されては、ボクごときに否と言えるわけもなかった。
「そう悔やむ必要はありません。
准尉殿は、立派にやられた。初陣とは思えません」
そう言いながら軍曹が見たのは、ボクの横合いに広がる光景……。
例えるなら、巨大なコルク抜きをジャングルの中に突っ込み、捻り上げたかのよう。
樹木という樹木が中途からねじ切られ、倒木しているのだ。
そして、もし、破壊の跡を覗き込んだのならば……。
腹や頭をねじり砕かれ、絶命する現地兵どもの死体を確認できることだろう。
――クウセンガ。
ボクが必死になって習得した風撃魔法であり……。
訓練の成果は、実戦においても正しく発揮できていた。
もっとも、犠牲は出たけども……。
「准尉殿」
「分かりました。
あと一分だけ」
「……一分だけです。
少尉殿」
「おう」
いつの間にか、少尉殿もこちらへ来ていたらしい。
軍曹から引き継いだ少尉殿が、隊のみんなを振り返る。
そして、クウセンガの轟音もあり、ヒソヒソと話す意味はないと悟ったのだろう。
あえて、堂々とした大声でこう告げたのだ。
「お前たち!
ここに残していくエイガー一等兵は、課せられた役割を立派に果たした。
すなわち、自らが盾になって魔法兵たるユイリ准尉を守ったのだ。
結果、准尉の魔法によって奇襲してきた敵は一掃された!
帝国兵かくあれかし!」
――応!
隊全員の敬礼が、ボクの抱きかかえるエイガー一等兵へと向けられた。
……残念だけど、そろそろ時間だろう。
せっかく一等兵のおかげで奇襲をしのげたのに、こんなところでグズグズしているわけにはいかない。
だからボクは、彼の遺体を雨でグシャグシャになった泥の上へとそっと横たえる。
敬礼の代わりに、そっと触れる程度の口づけをした。
「……もう大丈夫です」
立ち上がり、軍曹と少尉殿に向かってうなずく。
「ようし! 行軍再開!」
少尉殿の呼びかけに従い、みんなで歩き出す。
ボクが歩く場所は隊の中央部。
最も安全な場所だ。
周囲を、男たちに……戦友たちに守られて歩く。
それが、戦場におけるボクの立ち位置だ。
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