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きみを愛していた。

「あの子は毒を呷って自殺を図った」


 告げられた事実に、その声音に、心臓が絞られるような痛みが走る。


「娘は我々にも何も話してはくれなかったよ。君に婚約解消について相談されて確認した時にも、解消となった後も。君に、我々に、申し訳ないと謝るばかりだった。……泣きたかったろうに」


 伯爵はこの一年のメリッサを思い浮かべているのだろう、歯を食いしばり感情を抑え込む。


「婚約解消に応じなければよかったと悔いているよ。目撃者が何人いようとあの子を信じていたのに、調査が遅れた、無実を証明してやれなかった」


 握り締めたこぶしが震えていた

 伯爵があの手この手で調べようとしていたことは僕も知っている。ツテを辿り、使えるものは使おうとしていた。しかしそれが、娘の悪行を伏せるための根回しをしているのではと勘繰られてしまった。伯爵家に対する噂までもが飛び交って、そうしてすべてが後手に回ることになった。


「……あの時は、ほとぼりを冷ますのが先決だと」

「ああ、こちらもあの子をあのまま晒し者にしたくないと思ったから同意した。……目撃証言が多かったのも事実だ」


 まさかそんなはずはないと、メリッサの潔白を信じようとした気持ちは同じ。

 しかし目撃証言は次々と出た。メリッサはキャンベル嬢を見かけるたびに睨みつけたし、飲み物をかけ、突き飛ばした。キャンベル嬢が盛られた毒物が部屋から見つかり、それを販売していたと思われる異国の商人とやり取りしていたと証言のあった令嬢の容姿は、まさに彼女そのものだった。


 いつからか僕の知るものと異なる様子を見せていたメリッサ。

 それでも信じ続けた伯爵が僕を憎むのは仕方がないことだ。


「……よりにもよって元凶と縁づこうなどと……」


 苦しげに、憎々しげに。伯爵の吐き出した言葉こそ聞き取れなかったものの、その響きと雰囲気にたじろぐ。


「あの……?」

「……部屋はそのままにしてある。案内は必要ないだろう」

「はい、失礼します」


 一礼して伯爵に背を向け、迷うことなくメリッサの部屋に向かった。

 時折使用人とすれ違う。向けられる不躾なまでの視線はどれも刺すように感じられたが、僕には抗えるはずもない。


 部屋は伯爵の言う通りそのままにされているのだろう、入ったことは数える程度だったけど、どこからか「お待たせしました」と聞こえてくるような気がして、そんなわけがないのに思わず振り返る。

 もちろん誰がいるはずもなく、主人のいない部屋に一人立ち尽くしている現実に足が竦んだ。


 メリッサ。


 名前を、呼ぶ。

 誰に呼びかけるより多く口にしてきた名前。それひとつで記憶と感情がぐるりと僕の中で渦巻いて膨れる。


 メリッサ。メリッサ。


 返る声のないことに、喉の奥が熱く痛む。

 メリッサは僕の人生においてとてつもなく大きな存在だった。

 知っていた。ともに過ごした時間の長さも、思い出も、比較出来るような相手など他にいない。

 後で悔やむからこそ後悔なのだとはよく言ったものだ。失って、もう戻らないとなってから、何があったにしても手放すべきではなかったのではないかと後悔が押し寄せる。


「……もう遅いというのに、」


 好きだった。愛していた。強く強く、自覚する。


 パラ……と乾いた音がして、窓が開け放たれていることに気づく。

 そのままにされた部屋でも、掃除は生前通り行き届き、空気の入れ替えも頻繁に行われているのだろう。奥にはカーテンが下ろされたベッド、僕からのプレゼントは大切にしまってあると見せてくれた飾り棚の付いたチェスト、語り合った本が整然と収められた本棚、窓辺の机には主人を偲んでか、彼女が好む凛と美しいローゼンタスの花が花瓶に挿されていた。


 パラ……と乾いた音がして、机の上には花瓶だけでないことに目を留める。

 机に設えられた棚には本が何冊か、そして一冊は誰かが開いたままだったようで、窓からの風にページが繰られていく。


 部屋はそのままにしていると、伯爵は言った。

 ならば。……それならば、これを開いていたのは本人なのではないのか。

 毒を呷る、その寸前までの様子が浮かぶ。いや、もしかすると備え付けのこの椅子に腰掛けたままで倒れたのかもしれない。


 引き寄せられるように、机に近づく。

 パラパラと静かな音をさせているそれに、ためらいがちに手を伸ばす。一度閉じ、最初のページを開く。

 懐かしい筆跡が、目の前に広がった。――それは、日々の出来事を綴ったもののようだった。


 メリッサが毎日の習慣としていることは本人から聞き知っていた。続けるコツは無理をしないことだと言っていた。もしかするとこの机に設えられた棚に収まっているものはすべてそうなのかもしれない。


 どくり、と胸が大きく鳴った。

 他人の秘密を覗く行為に後ろめたさを覚え、それでも知りたいという感情、知れば戻れないような焦燥感による葛藤に、浅くなる呼吸。

 震える手でページを繰る。


 メリッサの視点で、立場で記された記録。

 一枚、一枚と進むたび、丁寧にペンを運ぶ姿が目に浮かび、何気ない日常さえもがとても愛おしく描き出される。二人で重ねてきた思い出、積み上げてきた過去。

 言葉数が少なくとも彼女の気持ちは伝わってきていると思っていたけど、受け取りきれていなかった愛を知り、そうして訪れる苦しみと絶望を知った――。

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