それは燻ったままの、
「メリッサが……」
死んだ。
耳にした話に、僕はその場に崩れ落ちた。
噂話をしていたメイドたちが顔面を蒼白にして頭を下げ、従僕が慌てて走り寄る。普段なら仕事中にそのような私語はしない者たちであるけれど、昔から出入りしていたよく知る令嬢が、ということで衝撃を受けたのであろうことは理解出来る。
視界は暗く明滅し、力が入らない、殴られたように頭が痛む。使用人たちの呼びかけ。支え、引き上げようとする腕。立ち上がらなければとは思うのに、身体がすべての機能を停止したかのように動かない。
ただの噂です、と誰かが言う。そうだ、きっと誰が言い出したかもわからない戯言に違いない。そう考える一方で、これは本当のことなのではとの予感に襲われる。
メリッサ。かつての婚約者。大切だった人。
人生をともにするのだと信じて疑わなかった、幸せだった日々が頭の中を駆け巡る。
艶やかな蜂蜜色の髪も、淡い青灰色の瞳も、華奢ですらりと長い手足も、そっと微笑む表情、先回りした気遣い、ひとつひとつが愛おしかった。
エリー・キャンベル嬢に対して引き起こした事件の数々は許されるものではなかったが、いつか元の穏やかな性格に戻ってくれたならと、その時隣にいるのが僕ではなかったとしても、一連の出来事から独り身で生きることになるとしてもそれでもゆるやかな日々を得てくれたならと、願っていたのに。
事故でも病でもない、自ら命を絶っただなんて――。
嘘だと言って欲しかった。だけどすぐに動いてくれた周囲の人間によって、その噂は多くの人間の知る話であり、メリッサの両親が慌てた様子で領地に向けて出立する様子を目撃した者がいたと知る。
「オスカー様が気に病まれることはありませんわ」
見舞いにやって来たキャンベル嬢がやわらかに微笑んだ。メイドが窓を開け、暖かな光が部屋に射し込む。
メリッサの訃報を聞いたあの日、僕は結局自力で立ち上がることが出来ず寝室に運び込まれた。しかし、起き上がれないのに眠ることもままならず、医師が呼ばれたところで精神的なものが原因だろうと診断されただけ。
数日が経過した今もまだ、枕を背に起き上がるのがやっとだった。侯爵家としての仕事も任されるようになってきたところだったけれど、家族の配慮により休ませてもらっている。
「……僕は彼女を見捨てたようなものだ」
「あの方もお気の毒なことですが、原因はご自身の行ないなのだもの。オスカー様はオスカー様の幸せを考えないといけないと思うわ」
こちらを心配そうに覗き込むキャンベル嬢は、メリッサに虐げられていると訴え出てきてからの付き合いだったが、婚約者の行為を把握も出来ていなかった僕を責めることもなく、屈託のない笑顔を向け続けてくれている。
優しい子だ。自分こそが嫌がらせどころか危ない目に遭ったというのに、周囲を気にかけ明るく振る舞う。僕のことも心配だからと、寮暮らしの中で授業の合間を見て顔を出してくれている。令嬢らしくはないかもしれないが、悲しければ泣き、楽しければ笑い声を上げる、おおらかな土地で育ったと言うだけあり素朴さが愛らしい子だ。
だけど彼女の笑顔が罪悪感を刺激するとともに和らげるという、複雑な感情をもたらし、そう感じていることがさらに後ろめたさを呼ぶ。
「無責任な話を騒ぎ立てられることには辟易しているので、オスカー様とお会いするのもしばらく控えようかとは思ってたんですけど……やっぱり心配で」
あれからそろそろ一年が経つ。事情が事情とはいえメリッサを醜聞に晒すことも出来ず、侯爵家の力の及ぶ範囲で可能な限り規制を敷いた。それでも目撃者もいる、人の口に戸は立てられない。キャンベル嬢の計らいで大きな処罰もなく領地での謹慎となったメリッサとは違い、公の場に出続けていた僕たちは衆目に晒されてきた。
痴情のもつれだなどと、根も葉もない噂。僕が二股をかけていた、キャンベル嬢が色目を使った、下衆の勘繰りとはこういうことかと身をもって知った。
急に婚約者がおかしくなったのだから疑うのはわからないではない、それでも今でこそ親しくはなったが当時は出会ったばかりであったし、それこそ被害発言を疑っていたくらいだ。調べた結果事実であることが確認され、メリッサの行ないを正すために行動をともにするようにはなったが…。
「ありがとう、そしてすまない。関係のないあなたを振り回してばかりだ」
「まあ。関係がないだなんて悲しいことをおっしゃらないで」
キャンベル嬢は青い瞳にうっすら涙を浮かべ、僕の手を取る。
「あたしはオスカー様が一人で苦しまれる方がつらいです」
……ああ、すべて。すべてが夢ならよかったのに。
目を閉じ、もう何度目とも知れないことを思う。そのたび現実を突きつけられるというのに、繰り返し、繰り返し。
「そうだオスカー様、あたしお菓子をご用意しましたの。数日お会い出来なかったから、何か差し上げられるものはないかなと思って作ってきました。特別おいしくなる魔法をかけてるのよ!」
他愛のないおしゃべりは、普段なら息抜きになっていいかと話すに任せているけど、
「すまないが今日は、いや……しばらく一人にしてくれないか」
深く漏れ出たため息とともに言葉を吐き出した。
今は何を話しかけられたところで耳に入らない。小鳥が騒がしく囀っているかのように、神経だけを逆撫でていく。
キャンベル嬢は傷ついた表情を見せ、それでもすぐに笑顔を作って受け入れた。
「わかりました。また日を置いてから遊びに来させてもらいますね! その時はお元気な姿を見せてくださいね!」
あえて明るく振る舞ってくれているんだろう、申し訳なさもうっすらと湧くが、今は一人になりたかった。静かに思いを馳せたかった。メリッサの冥福を祈りたかった。……きみのことを、ただただ想いたかった。
使用人も全員下がらせた部屋は静かで、気だるさを自覚しながらも横になる気にはならなかった。
目を閉じれば浮かぶのは、あの頃の穏やかな日々。この部屋にも何度も遊びに来ていたから、思い出もたくさん残っている。心地好かった控えめな笑い声が耳によみがえり、けれど次の瞬間には婚約解消を告げた際の弱々しい声が責めるようにこだまする。
メリッサの実家である伯爵家からの連絡は届かない。訃報も、葬儀についても、出した便りについての回答も、何も。
婚約解消後も家同士の交流はないではなかった。世間に何事もなかったと見せているのに突然疎遠になれば怪しいからと、しかしそれも次第に減っていったのは当然のことなのだろう。
彼らは、メリッサの無実を主張していたし、心から信じていた。対外的に、領地での謹慎としただけで。
こんな時にも、知らせひとつない関係になっていたのだと、突きつけられた。
不祥事あってのこととはいえ、繋がりを断つような判断を下したのは僕だ。メリッサの手を離したのは、僕なのだ。




