遠ざかる、思い描いていた未来
僕が親に決められた婚約者に別れを切り出したのは、致し方ないことだった。
幼い頃から一緒で、僕だって大切に想っていたけど、だけど、だからこそ、許してはいけないのだと思った。
「メリッサ、お父上から聞いたかな」
二人の時間を何度となく過ごしたガゼボ。
ひさしぶりに顔を合わせたメリッサは、赤い目をしていた。
きっと冷やしたり化粧で覆ったりしているんだろうけど、充血した目は隠せるはずもないし、そもそも長い付き合いの僕には隠しきれるものではない。
「……オスカー様、私は、」
昔から小さな唇が、曖昧に動く。
いつもは艶やかな蜂蜜色の髪はくすみ、唇にさした紅だけが嫌に鮮やかに見えた。
「婚約を解消しよう」
これは彼女のためでもある。そう自分に言い聞かせるものの、今にも泣き出しそうな顔に、胸が痛んだ。
だけど、こうした事態になったのは彼女が原因なのだ――。
僕、オスカー・ラグラスと、彼女、メリッサ・シルドは、王女の友人を作るためのお茶会で出会ったのをきっかけに婚約した。集められたのは、幼い王女に合わせた近い年頃の子供たち。割と幅広く、しかし多くなりすぎても困るからと一定の基準は設けられていたようだったけど、当時同じく幼かった僕には当たり前だけど知る由もない。
王女の話し相手に選ばれた僕たちは、繰り返される集まりのたびに自然と仲良くなった。婚約してからは定期的にデートをしたし、パーティーなどへの参加はもちろんエスコート、家族ぐるみで食事をする機会もたくさんあった。領地は離れていたけど、王都にいる間は距離の問題はなかったし、領地同士も国が設置している転送門を使えばあっという間。
時には意見が合わずにぶつかったりもしたけど、お互いが納得出来るまでいくらでも話し合った。
ありきたりだけどあたたかで穏やかな、そんな日々を二人で積み重ねて夫婦になっていくのだと思っていた。
それが壊れだしたのは、そろそろ結婚の日取りを考えようかと話していた矢先のことだった。
「――メリッサ?」
気がついた時には、メリッサは人が変わってしまったようになっていた。どうにも苛々と落ち着きがなく、周囲の様子に過敏になっているようだった。
どうしたのかと、何があったのかと問いかけても、彼女は物言いたげな目をしながらも、
「なんでもありませんわ」
とぎこちなくも薄く微笑んで、口を閉ざしてしまう。
もともと朗らかな性質でも口数が多いわけでもなかったけど、僕には見せてくれていたやわらかな表情さえかげりをみせた。
誰よりも近くにいたのに、今もそばにいるというのに、なんだか遠い。
悩みがあるなら力になりたい、そんな気持ちさえ拒まれているのかと、何も話してくれない彼女に寂しくなる。
「あのっ!」
とある令嬢に声をかけられたのは、メリッサの変化に戸惑い始めてしばらくした頃だった。
メリッサをパートナーとして伴い参加した、学生時代の友人のパーティーでのこと。
「メリッサ様のご婚約者のラグラス様でしょうか……!?」
ミーツ子爵領のエリー・キャンベルと名乗る令嬢は、慌てていたせいで足をもつれさせて倒れ込む。
受け止めた身体は小さく軽い。年若いと見える彼女はまだ学生ではないだろうか。
こちらをまっすぐ見つめる青い瞳は涙を堪えるように潤んでいた。
「ご無礼を承知でお願い申し上げます、どうか、どうか助けてください!」
令嬢は震える声で、挨拶も忘れてしがみついた。
崩れ落ちそうになる身体を支え、通りかかった給仕に声をかけ会場が用意している休憩室へと促す。令嬢のためにも醜聞になってはと、ドアは締め切らずにおく。
そうして聞いた話は、到底信じられるものではなかった。彼女はメリッサからの嫌がらせを受け、理不尽な言いがかりをつけられているのだと言う。だから婚約者である僕に助けを求めてきたのだと。
「メリッサがそんなまさか」
「っ、いいえ、いいえ、」
僕とメリッサとの付き合いは幼少の時分からと長く、そのような馬鹿な真似をする人間ではないと言い切ることが出来る。どちらかと言えば寡黙なために誤解されることは時折あるものの、……そう、誤解でしかない。
「きみは学生でしょう。メリッサとの面識は以前からあったの?」
僕とは初対面でも、メリッサの交友関係をすべて把握しているわけではない。
令嬢は小さく頷いて、数ヶ月前からお茶会などで顔を合わせるようになったのだと話す。この国では学生生活も中ほどになれば社交の練習が始まる、その一環として出会っていてもおかしくはない。メリッサは卒業生としてそういった行事には積極的に参加しているから。
「嫌がらせを受ける理由や、そうだな、きっかけみたいなものに心当たりはあるのかな」
「わかりません……。でもきっと、あたしが何かしてしまったのだと思います」
絶対にそんなはずはない。
しかし令嬢は現に白い顔をして震えている。となれば可能性として考えられるのは、メリッサを貶めようとしてか名を騙った何者かの仕業であるかもしれない。
侯爵家夫人の立場が約束されていて、さらには王子と面識があり、自身も伯爵家の娘。本人が何をどうしていなくとも身勝手な逆恨みなどされることもあるだろう。
「あたしを、助けていただけますか……?」
もしそうであるならば、見過ごすわけにはいかない。
この令嬢の周辺を警戒してメリッサの名誉も守られるのであれば、それは僕にとっても好都合といえた。
「僕で力になれるなら」
こうして、僕と彼女は知り合ったのだった。
この出会いが僕の思い描いていた未来を変えていくものだとは、もちろん気づくはずもなく。