第7話「一に訓練二に訓練、三四がなくて五に実戦!?」
「ほらほら! 足を止めるんじゃないよ!」
深夜0時過ぎの公園。
ラフィーの声が響いた。
対する俺は、ひたすらに走っている。
そう。
ひたすら、走っているのだ。
ラフィーとリアンに協力すると約束してから、すでに1週間。
俺はひたすらトレーニングさせられている。
「とにかく筋肉をいじめ抜け! 筋繊維を切りまくれ!」
俺は普通の人間なんだってば。
もうすでに50kmは走ってるの!
フルマラソンよりも距離走ってるんだから、足止めたっていいでしょうが!
「足を止めるなウジ虫!」
ウジ虫て!
鬼軍曹かよ!
「よぉし!」
ようやく、お許しが出た。
「こっちに来い!」
だから、なんで口調が鬼軍曹なんだよ。
こわいよ。
ちなみに、夜中にこんな大声を出していても通報はされない。
ラフィーのスキル【結界】だ。
この【結界】の中に入れるのは、ラフィーが許可したモノだけ。音は外に漏れない仕様らしい。
「死ぬ」
足はガクガク、息も絶え絶えで、ラフィーのところへ移動するのすらギリギリの状態だ。
「死なない」
「分かってるけど」
死なないってことは分かってるけど、本当に死にそうなんだってば。
「ほら。こっち向いて」
「はい」
言われてラフィーに向き直ると、ジャージの胸ぐらを掴まれた。
初めてのときは、殴られると思った。
でも、そうじゃなかった。
柔らかい感触が、俺の頬に触れる。
そう。
ラフィーの唇が、俺の頬に触れたのだ。
その瞬間、俺の体が一気に熱を持つ。
心臓が信じられないようなスピードで脈打ち、全身を猛スピードで血液が駆け巡る。
ピキピキと音がしていると錯覚するほどに、俺の筋肉が形を変えていく。
【回復】は、数秒で終わった。
「……いい加減、慣れなさいよ」
「……それは、無理」
俺の顔を見たラフィーが、気まずそうに目線を逸らした。
いつまで経っても慣れることができない俺の顔は、──真っ赤っかだ。
「他の方法ないのかよ」
「ない。スキル【回復】は、対象の頬への口づけが条件なのよ」
「でも、さあ」
「じゃあ、【回復】なしでもいいの?」
「ごめんなさい」
「わかればよろしい」
最初の夜、俺の傷を綺麗さっぱり回復させたのがラフィーの【回復】だったというわけだ。
傷も疲れも睡眠不足も、きれいさっぱり【回復】してしまう。
俺はこの1週間、『完膚なきまで身体を酷使してから【回復】する』という地獄のサイクルを続けている。
つまり、俺の筋肉は『筋繊維の破壊』と『超回復』を、数時間という短いスパンで繰り返しているのだ。
実は、ムッキムキだ。
どれくらいかっていうと、本気でやれば人間を殴り殺せるくらいにはなってる。
見た目が大して変わってないのは、リアンの【MOD】のおかげだ。
俺の『称号』に『着痩せするマッチョ』が追加されている。
服を着ている時はマッチョには見えないというわけだ。
わざわざ『幸運』を消費してまでこんなバカみたいな改変をしているのは、目立たないため。
変に目立つとよくないらしい。よくわからん。
「ラフィーさん!」
休憩していた俺たちに声をかけてきたのは、もちろんリアンだ。
公園の隣の高層マンションから飛び降りてきたらしい彼女は、俺たちの前にシュタッと着地した。
……かっこいいんだよな。
これは、できるようになりたい。
「来ましたよ。今日の獲物が」
その言い方。
なんとかならんか?
「飛んで火にいる夏の虫ってやつね」
なんで悪っぽい感じで言っちゃうんだよ。
「普通に『魔物』が来たって言えばいいじゃん」
「真面目なのはいいことだけど、つまんない男にはならないでよね」
「そういう問題か?」
なんて話している内に、あの足音が近づいてきた。
ラフィーの【結界】は、『魔物』の侵入を許可している。
「さあ。これで5体目よ。今日こそは一人でやんなさいよ」
「……努力はする」
この訓練をはじめてから、アレに襲われるのは5回目。
ラフィー曰く、俺を狙っているらしい。
その理由は、まだ教えてもらえていない。
『そのうち話す』
そう言ってたけど、理由もわからずに襲われる方の身にもなれよ!
──ドシーン、ドシーン。
足音は、だんだん近づいてくる。
今日の相手は、重量級だな。
「今日は、どう戦う?」
「今日はっていうか、俺には選択肢ないだろ?」
俺にはリアンみたいなカッコいい剣もないし、身体強化系のスキルもない。
もちろん、魔法も使えない。
あるのは、(無理矢理)鍛えられた筋肉だけだ。
俺は、拳を握りしめた。
「分かってきたじゃない。戦い方ってヤツがさ」
「……うるせぇ」
確かに、そうだ。
俺は慣れてきている。
戦うことに。
「ま、私がいるんだから死にはしないわ。踏ん張りなさい」
「おう」
──ドシーン!
一際大きな足音と共に、それは姿を現した。
相変わらずの黒い巨体。
今日の『魔物』は、4本足だ。
ゾウみたいな形。
ただし、ゾウは背中からイソギンチャクは生えてない。
「キモ」
ラフィーがつぶやいた。
確かに、キモい。
背中から生えたイソギンチャクみたいなものが、モゾモゾとこちらに迫ってくる。
同時に、4本足で猛ダッシュをかけてきた。
「うわっ!」
思わず、飛び退る。
前足が持ち上がって、そのまま地面に叩きつけられる。
──ズズーン!
地面がヘコんだ。
比喩なんかじゃない。
文字通り、地面がヘコんだのだ。
アレに踏まれた死ぬ。
ラフィーの【回復】があるとかないとか関係ない。
即死だ。
「さっさと攻撃! 死にたいのか!?」
ラフィーの怒声。
「だから、その鬼軍曹ごっこやめてくれって」
「なんで?」
「気が削がれる!」
「知らん! さっさと殺れ!」
「はいはい!」
話す間も、巨大な足をかわし続ける。
俺の足腰はかなり鍛えられてるから、これくらいのスピードで捕まることはない。
1週間前の俺には無理だっただろうけどな。
鬼軍曹もどきの命令に従うのは癪だが、攻撃しなければ倒せないのは事実だ。
「よし!」
前脚による踏みつけ攻撃を避ける。
そのまま、避けた前足を殴った。
──ボコォ!
そう。
今の俺の武器は、この拳だけだ。
「ギャー!」
叫び声が耳を擘く。
同時に、黒いイソギンチャクが襲ってきた。
──ボコッ! ボコッ! ボコッ!
そいつを一つずつ殴る。
「バカ! 避けろ!」
リアンの声と同時に、イソギンチャクが俺の足を掴んだ。
「うわっ!」
全て殴るには、数が多すぎたんだ。
そのまま、宙吊りに持ち上げられる。
「最悪だ」
宙吊りになった俺の真下にはイソギンチャク。
その真ん中に不気味な黒い空洞が空いていて、白い歯が並んでいる。
コイツの、口。
この光景は、あの日と同じだ。
「明智!」
リアンの声。
「大丈夫だ!」
まだ、助けは必要ない。
あの日の俺とは違うんだ!
──スルン。
イソギンチャクが、俺の足を離した。
口の中に放り込むためだ。
俺はそのまま落下の勢いを乗せて、拳を振り下ろした。
狙いは、その歯の根本。
──ベキィ!
歯が折れる感触が、俺の拳に伝わってくる。
「いってぇ」
当たり前だ。
歯を殴ってるんだから、俺の拳もズタズタだろう。
これはまあ、後で【回復】してもらおう。
──ベキィ! ベキィ!
俺はそのままイソギンチャクにマウントポジションを決めて、殴り続けた。
──ベキィ! ベキ! ベキィ!
「ギャー!!!!!!」
──ドシン! ドシン! ドシン!
ものすごい揺れ。
4本足で地団駄を踏んでいるようだ。
背中に取り付けば、当然4本の足には成す術がない。
触手は俺を狙ってはくるが、殴られた痛みでそれどころではないらしい。
『魔物の弱点は口だ。歯は硬いから、噛まれたらもちろん死ぬ。それでも、恐れずに口に飛び込め。拳しか武器がない今のお前の勝ち筋は、それだけだ』
リアンが教えてくれた、『魔物』の倒し方。
──ベキィ! ベキ! ベキィ!
俺は殴り続けた。
そうこうしている内に、黒い体から黒いモヤが立ち上ってきた。
これが、『魔力』だ。
「あと一息よ! いけいけ!」
ラフィーの声。
最初から、そういうカンジで応援してくれればいいのにな。
「殺っちまいな!」
台無しだよ! もう!
──ベキィ! ベキ! ベキ! ベキィ!!!!!!
「ギャー!!!!!!!!!!」
最後の一発が、決め手だったらしい。
ついに、黒い巨体が弾け飛んだ。
弾け飛んで黒いモヤモヤが広がって、グルグルと回りながら収束した後、消えてしまった。
跡形もなく。
「お疲れさん」
「おう」
「一人でできたじゃん」
「だな」
はじめて一人で倒した。
無我夢中ではあったけど、俺はちゃんと強くなっているらしい。
「ほら。確認してみなさいよ、『幸運』」
そうだった。
昨日までに倒した4体は、リアンに手伝ってもらって倒した。
そういう場合は、報酬となる『幸運』は貢献度によって分配されるらしい。
合計で『20』しか回復しなかった。
今夜は一人で倒したんだから、それなりに増えたはずだ!
手の甲を確認すると、数字が更新されていた。
「99」
ぜんぜん少ない。
少ないけど、『27』だったことを考えればかなり増えた。
今夜で『52』増えたことになる。
「まあ、ボーダーの200にはぜんぜん足りてないけど。まあまあね」
「そうだな」
「よかったな」
「おう」
二人とも喜んでくれてる。
「これなら、スキルも解禁できるわね」
今日までは、『幸運』の消費が怖くて使えなかったスキル。
だけど、『魔物』を倒して回復することも加味すれば使ってもよさそうではある。
ただし……。
「【セーブ】って戦闘でどうやって使うんだよ」
「……ま、それは追い追い考えましょ」
無責任なんだよなぁ。
自分で与えたスキルだろうが。
「それより疲れたわ。帰りましょ」
勝手だ。
とにかく、自分勝手だ。
やっぱり性悪なんだよな、こいつ。
「帰って、ユーキのごはん食べましょ」
訓練をはじめて1週間。
それはつまり、俺たち3人が共同生活をはじめて、1週間経ったことを意味する──。