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前口上

ただ純粋に小説を楽しみたい方はご遠慮ください。三部構成ですがどれも一話完結で、結果的に繋がってたねってだけです。どれから読んでも支障はないはずです。

 私は文字と会話することができない。


 文字とは一種の記号であり、意志疎通を図る手段の一部である。共通のルールにのっとって組み合わせることで、それぞれの文字が内容を持ち、また互いに補いながら、全体としての意味が発生する。

 文字たちの語る言語は、私にも理解できる。しかし会話することは、できない。

 理由は簡単で、まさにあなたが想像した答えが正解なのだが、如何せん充分とはいえない事情がある。後述する私と怪物との物語を、より深く理解していただくためにまず、言語とはなにかを根元的に説明するとこれから始めなければならない。

 もし退屈ならば、読み飛ばしていただいても支障はない。しかしこの物語自体、退屈なものである。すでに少しでも退屈を感じたならば、他の小説を読むことを強く勧める。すぐれた作家は他に沢山いる。

 言語学において、厳密にいえば文字は言語ではないとされている。 言語とは『ある社会集団における相互伝達の手段としての、音声による記号』のことであり、文字はその代用でしかないとするのが原則である。ここで注目すべきは"音声による"という点ではない。実際、発音を伴わない手話というコミュニケーションツールを言語として承認している国も多い。

 手話を含むほかの言語にはあって、文字にはないもの。

 それは"相互伝達"の機能である。

 文字は情報の視覚化により伝達する手段である。その際、耐久性のある媒体を用いることにより、本来相対しえない相手にも情報を伝えることが可能となった。しかし相対しない相手、例えば未来の人間に情報を伝えることができても、逆にみらいの人間からの情報を受け取ることはできない。これでは、互いに送受信し合う相互伝達とは言えない。

 聡明なあなたは「筆談というものがあるだろう。これなら文字による会話ができるではないか」と反論するだろう。口の代わりに手を、耳の代わりに目を使い、相互伝達することができる、と。

 この議論は蝸角の争いになるおそれがあるため、勝手ながら簡単に釈明させていただく。一度記された文字には、相対しない相手にも恣意的に情報を伝達してしまうという作用がある。

 十年後に筆談ノートを発見して過去のジブンの無分別に赤面しても、相手、つまり過去のジブンに苦言を呈することはできないのである。十年前のジブンにとって、筆談中の相手も、十年後の自分も、情報の受取人である。送信側の意思に関わらず、どちらも伝達の相手となってしまう。

 よって文字では、すべての相手と同等に、情報を交換することはできない。

 つまるところ、文字は言語ではないのである。

 では、文字の本質とは何なのか。なぜ会話することができないのか。 文字とは『主張する口はもっているが、意見を聞く耳は持っていない怪物』である。

 聞く耳を持たない怪物と、会話などしたくない。したくないからできない。

 これが、私の答えである。

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