喪失感
やがて俺は、ある部屋の前で立ち止まった。里菜ちゃんを保護していた部屋だが、今はもうここにはいない。俺が寝ている間に、里菜ちゃんを含めニーベルングとの闘いで救出した子供達は、真冬が信頼の置ける施設に預けたそうだ。やむを得ない状況だったとはいえ里菜ちゃんには怪我をさせてしまったし、最後に一言謝りたかったな。
ちなみにニーベルングという組織に関しては、存在自体が世間から完全に抹消されていた。例によって支配人の手が入ったのだろう。子供達も虐待を受けていたことや闘いの道具として利用されていたことは記憶から消えていたそうだ。トラウマとしてずっと傷を残すよりは完全に忘れてしまった方が、子供達にとっては良いことなのかもしれない。子供達を救うことができただけでも、あの闘いは無駄ではなかったと言えるだろう。
気が付くと、俺は別の部屋の前に来ていた。千夏がいた部屋だ。そして俺の右手は無意識にドアをノックした。分かっている、こんなことをしても何の意味もないことは。だけどもしかしたらこの間の出来事は全部夢で、千夏がいつもの優しい笑顔で出迎えてくれてくれるのではないか――そんなことを考えてしまう。
だが、やはり返事はなかった。時間を置けば喪失感も少しは和らぐと思っていたが、むしろ大きくなる一方だ。しばらく俺はその場に立ち尽くし、千夏を失ったことの悲しみに苛まれていた。
「あっ、おはよ秋人! 体調はどう?」
朝食の時間になったのでリビングに向かうと、台所では春香が料理を作り、真冬が食器類の準備をしていた。
「おかげ様でだいぶ良くなった。俺も何か手伝おうか?」
「病み上がりなんだから無理しなくていいわよ。もうすぐできるから座って待ってて」
「……ああ」
春香のお言葉に甘え、椅子に腰を下ろした。真冬がテーブルにコップを並べていく。
「……あっ」
四つ目のコップを置こうとして真冬の手が止まった。もう、それは必要ない。このアジトには三人しかいないのだから。真冬もついやってしまったようだ。
「……ごめん」
「あ、いや、俺に謝らなくても」
「さっ、できたわよ!」
テーブルにバターロールが並べられる。やはり昨日から食欲が湧かないが、食べないのは春香に申し訳ない。
俺は黙々とバターロールを咀嚼する。春香が作ったので美味しいはずなのだが、味が全く分からない。真冬も俺と同じく一言も話さない。春香は色々と喋っていたようだが、全く頭に入ってこなかった。
「……俺の、せいだな」
無意識に、俺はそう口にしていた。
「俺は千夏を助けられなかった。だから千夏が、あんなことに……」
「そんな……秋人は何も悪くない」
真冬が悲しげな顔で口を開いた。
「元はといえば、ニーベルングに潜入すると言い出した千夏を、私が止められなかったのが悪い。だから責めるなら自分じゃなくて、私を責めて」
「それこそ真冬は悪くない。子供達を助けたいという千夏の意思を尊重した真冬を、責めることなんてできない」
「それでも、それでも私が、あの時千夏を止めていれば……」
「俺が敵に手こずってなければ、千夏を助けに行くことができたはずなんだ。だから悪いのは俺だ」
「敵に手こずっていたのは秋人だけじゃない。とにかく悪いのは私」
「いや俺だ」
「私」
「うるさああああああああああーーーーーーーーーーい!!」
春香が椅子から立ち上がって叫び、俺と真冬の声を掻き消した。
「さっきから二人ともネチネチネチネチ!! 朝ご飯が不味くなっちゃうでしょ!! 大体そんな不毛なことを言い合ってどうするんのよ!! どっちも悪くない!! 以上!!」
「「……はい」」
俺と真冬は沈黙した。やがて春香が溜息をつく。
「まあ、気持ちは分かるけどね。アタシだって千夏ちゃんのことは残念よ。だけどいつまでも引きずってたってしょうがないでしょ」
春香の言う通りだ。千夏が俺達のもとから去っても、転生杯は続いていく。こんな精神状態で勝ち残れるほど転生は甘くない。俺は自分の頬を思いっきり叩いた。
「ありがとう春香。おかげで目が覚めた。もう大丈夫だ」
「そう。それはよかった――って秋人!? 何飲んでるのよ!!」
「何って……ああ、これタバスコか。案外いけるな」
「えっ……嘘でしょ?」
朝食を終え、皆でテーブルの片付けに取り掛かる。
「春香、今日は学校行くのか? 昨日まで休んでたんだろ?」
「そうね。秋人も目覚めたことだし、今日からまた高校生活を満喫させてもらおうわ。アイドル部の皆にも迷惑かけちゃってるし。秋人は?」
「春香が行くなら俺も行く。またいつ転生杯の参加者が現れるか分からないからな。それじゃ準備するか……」
俺はリビングを出ようとドアの前に立つ。が、何故か開かない。
「変だな、この自動ドア壊れてるのか?」
「いつから自動ドアになったのよ! 普通のドアでしょそれ!」
「えっ? ああ、そうか。ってあれ、このドアいくら押しても開かないぞ」
「そりゃそうでしょ、引き戸なんだから!」
「ああ、そうだった。はは……」
「本当に大丈夫なの……?」
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