スキル発現
「はあっ……はあっ……!!」
向井から必死に逃げていた千夏は、気付けばビルの屋上まで来ていた。まるで更地のような、何もない殺風景な場所である。夜風も穏やかで、不気味なほどの静けさが漂っていた。
「やあ、待たせたな」
その数分後、向井が屋上に姿を現した。途中で秋人の乱入があったことを考慮すると、あまりにも到着が早い。
向井の右手には携帯が握られている。ビル内の人感センサーが反応すると、その位置が向井の携帯にも通知されるようになっていた。つまり向井は携帯を通じて千夏の居場所を常に把握することができたのである。
千夏は後退る。地上からの高さは約二百メートル。もはやどこにも逃げ場はない。
「そう怖い顔をしないでくれ。せっかく良い報せを持ってきてあげたのだから。君の仲間達が今、このビルに来ている」
「秋人さん達が……!?」
きっと私を助けに来てくれたのだろうと千夏は推測する。だが千夏にとっては安堵よりも悔恨の方がずっと大きかった。子供達を助け出すつもりが、結局また皆に迷惑をかけてしまったと。
「しかし残念ながら誰一人としてここに辿り着くことはない。私の優秀な側近達が相手をしているからな」
「……!!」
自分のせいで皆が危険な目に遭っている。それを思うと千夏は胸が苦しくなった。
「君も災難だな。一般人であるにもかかわらず仲間達に利用され、こうして危機的状況に追い込まれてしまうなんて。まったく酷い連中だ」
「利用されたのではありません!! 私は私の意志でここに来たんです!! 貴方達と一緒にしないでください!!」
秋人達を悪く言われたことで、思わず千夏は叫んだ。
「そうか。まあそんなことはどうでもいい……」
ゆっくりと、向井は千夏に近づいていく。
「そろそろ鬼ごっこも終わりにしようか。もはや君に用はない。君にはここで……消えてもらうよ」
向井が残酷に宣言する。だが不思議と今の千夏に恐怖心はなかった。恐怖を通り越して感覚が麻痺しているだけなのかもしれないが、むしろ好都合だ。
「消えるつもりはありません。貴方はここで……私が倒します」
「……ふっ。ははっ! あははははは!!」
向井は足を止め、腹を抱えて笑い出した。
「いやあ、こんなに笑ったのは久し振りだ! 何の力も持たない一般人のお前が、この私を倒すだと!? 本気で言っているのか!?」
「はい。本気です」
すると向井は笑うのをピタリとやめ、冷たく千夏を睨みつけた。
「……今のはただの冗談として聞き流してあげよう。もう一度聞く。本気で言っているのか?」
「はい」
ハッタリなどではない。千夏にはこの窮地を打開する方法が一つだけあった。
「そうか。よっぽどこの私を怒らせたいらしいな……」
その時向井は、千夏の右手にスプレー缶が握られていることに気付いた。
千夏はただ闇雲に逃げていたわけではない。必死に走りながら、真冬から託されたスプレー缶を吸飲していた。秋人のスキル因子が入ったそれを。
「……なるほど、そういうことか。そういえばお前達も、他者のスキルを取り込む方法に行き着いたのだったな」
里菜に仕掛けた盗聴器によって、向井もそのことは把握していた。
「だが兵藤の研究によれば、その方法でスキルが発現する確率は、一般人の場合40%弱だという。さて、お前はどうかな……?」
確率など関係ない。千夏は信じていた、秋人が必ず私に力を貸してくれると。千夏は深呼吸をした後、右手を前にかざした。
「いきます!!」
千夏の声に呼応するように、頭上に氷の塊が出現した。秋人の【氷結】だ。
「これが……スキル……!!」
初めての感覚に千夏の心が震える。だが今は成功を喜んでいる時ではない。目の前の敵を倒すことが先決だ。
「ほう、成功したか。面白い。ただ始末するだけでは芸がないと思っていたところだ。どうやら少しは楽しめそうだな……」
千夏は意識を集中させ、氷塊を放つ。それは惜しくも向井の頬を掠めた。千夏のコントロールに問題はない。問題があるとすれば――
「次は、当てます。痛い目に遭いたくなければ、今すぐ降参してください」
「ははっ、それで脅しているつもりか? 実に可愛らしいな。それに今のはわざと外したのではない。思わず外してしまった、そうだろう?」
「何を……!?」
「お前は他人を傷つけることを怖れている。おそらく誰かと闘った経験すらないのだろうな。そんな奴がこの私を倒すだと? まったく、荒唐無稽にも程がある」
向井の言う通り、千夏には向井を攻撃することに迷いがあった。それもそのはず、誰かを傷つけたことなど今まで一度もないのだから。
「お前には覚悟がない。そんなザマでは誰も救えない」
「……!!」
「少しは楽しめそうだと思ったが、期待外れだったな。何もできなかったと後悔の念を抱きながら、あの世へ逝くがいい」
千夏は何の覚悟もなくここに来たのではない。千夏は意を決し、向井を標的として生成した氷塊を勢いよく放った。
「ほう。どうやら少々お前の覚悟を見誤っていたようだ。だが……無駄だ」
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