ビル潜入
「先日はどうもありがとうございました!」
「いえいえこちらこそ。彼とはその後どう? 上手くいってる?」
「うっ。その、ちょっと色々あったりして、上手くいってるかというと……」
「んー、なかなか苦戦してるみたいね」
「悪いのは全部私なんですけどね。私が先走りすぎたせいなので。あはは……」
苦笑する千夏を見て、エミリアは申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「私のアドバイスが逆効果になっちゃったみたいね。ごめんなさい」
「そんな、エミリアさんが謝ることでは……。あっ、そういえばあれから一日五回は歯を磨くようになりました! エミリアさんから歯槽膿漏になると言われなければ危機意識を持つこともなかったと思うので、凄く感謝してます!」
「そ、そう……。それなら心配なさそうね」
これには罪悪感を覚えるエミリアであった。しかしあれは咄嗟に出てきた嘘だったなんて今更言えるはずもない。
「ところで、こんな時間からお出かけ?」
「えっ!? それは、ちょっと遠くに用事があるといいますか……」
いきなり聞かれたので、適当にしか返せなかった。本当の目的など言えるはずもない。
「……どうしても行かないといけないの?」
先程までとは打って変わり、真剣な声色でエミリアが尋ねる。エミリアは占い師。もしかしたらこれから千夏がやろうとしていることも見通しているのかもしれない。だがそれでも千夏はこう言った。
「はい。とても大切な用事なので」
「……そう」
エリミアはどこか悲しげに目を伏せる。
「これも、運命なのかもしれないわね。かつての私がそうだったように……」
自らの右腕をさすりながら、エミリアは呟いた。
「エミリアさん……?」
「いえ、何でもないわ。千夏さん、ちょっと右手を出してくれる?」
「? はい……」
言われるまま、右手を差し出す千夏。すると何を思ったのか、エミリアは千夏の右手を両手で強く握りしめた。
「エミリアさん!? 突然何を……!?」
動揺する千夏を余所に、エミリアは目を閉じる。そして数秒後、静かに目を開けた。
「ごめんなさい。驚かせてしまったわね」
「あの、今のは……?」
「ちょっとしたおまじない、かな。気休めにしかならないだろうけど。あっ、私この駅で降りなくちゃ」
電車が止まると同時にエミリアが立ち上がる。降りる直前、エミリアは千夏の方を振り向いた。
「私の本名、南条絵美っていうの。もしまた会えたら、私のことは絵美って呼んで」
そう言い残し、エミリアは千夏の前から去っていった。しばらくの間、千夏はエミリアに握られた右手を静かに見つめていた。
時刻は午前三時。ついにニーベルングへの潜入を決行する時が来た。現在千夏はニーベルングのビルの入り口前に立っている。
『千夏。準備はいい?』
真冬がスマホで千夏に確認をとる。真冬の役目はいつも通り、アジトから指示を送ること。ただし秋人の時と違って戦闘が目的ではないので、確実性を優先してインカムではなくスマホで連絡を取り合うことになった。
「はい。いつでも大丈夫です」
『……やめるなら、今の内だけど』
「言ったはずです。覚悟はできていると」
『……ん』
千夏から揺るぎない意志を感じ取った真冬は、これ以上止めようとはしなかった。千夏は大きく深呼吸し、イルカのキーホルダーを強く握りしめる。
「秋人さん……どうか私に力を……!!」
千夏は祈るように呟くと、キーホルダーをポケットにしまい、歩き出した。
なんだか不思議な気分だった。少し前の千夏なら、こんな勇気ある行動は絶対に無理だっただろう。秋人と出会って千夏は変わった。秋人が千夏を変えてくれた。そんな秋人の為にも、この作戦は絶対に成功させなくてはならない。
第一関門はビルへの潜入。千夏は真冬から貰ったニーベルング組員専用のIDカードを手に取る。それを入口のカードリーダーに挿入し、扉を開けた。
『警備システムは黙らせてあるから、そのまま入って大丈夫。だけどできるだけ音は立てないように気を付けて』
「……はい」
千夏は息を殺しながら足を踏み入れる。時間が時間なので人は見当たらない。まずは第一関門クリアだ。
『ビル内部の様子は監視カメラを通じて私にも見えてるから、何か異変を発見したらすぐに伝える。だけど死角も多くてあらゆる場所が見えてるわけじゃないから、決して気は抜かないで』
「分かりました」
第二関門は子供達の所在の特定。しかしこれは既にクリア済みである。居住フロアは一階から二十階まであり、その全ての部屋を見て回るのは現実的ではないため、真冬は事前に子供達の所在まで突き止めていた。
『四階の平面図を見て。一際大きな部屋があるの分かる?』
「えっと、はい」
千夏は昨日真冬から渡されていたビルの平面図を見ながら頷く。
『その部屋に子供達が収容されているはず』
「分かりました。行ってみます」
千夏は小型の懐中電灯で前方を照らしながら、平面図を頼りに歩き出す。
本当は怖い。今すぐ逃げ出したい。手足は震えるし、心臓は破裂しそう。だが絶対に子供達を救い出すという使命感が、そういった恐怖心を打ち消していた。
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