くるり、はつじょうき!
僕はアル、アルスノー・ルメイ。
突然で申し訳ないが…僕は今、騎兵隊に追われている!
「アル、バカ! だからゼンマイは最後まで巻けって言っただろ!」
「だって、ベキベキ、バキバキ言うから…限界だと思ったんだよ!」
「もういい、言っても始まんない! 銃はオレが撃つから、とにかくアクセル全開で振り切れ!」
叫びながら、僕が握るエア・クラフトのスロットルを全開するよう命じ、騎兵隊の銃撃にライフルで応戦する少女は、操理という。
無数の銃弾が頬をかすめる中、ホバー・バイクに乗った兵隊を振り切るべく、僕と彼女を乗せたエア・クラフトは、駅馬車から奪った食料や金塊を満載にし、砂塵を上げて枯れた荒野を全速力で突っ走る。
「アル! 距離が詰められてっぞ! 蛇行すんな! まっすぐだ、もっとスピード出せ!」
「アクセル全開だって! 荷物が重すぎるんだよ! 半分捨てて!」
僕が悲鳴を上げると、繰理はあからさまに不機嫌な顔で唾を吐く。
「せっかく首尾よく行ったのに、勿体ないだろーが! この先いつ駅馬車襲えるか、分かんねーんだぞ!?」
「ここで捕まったら、それこそ次がないじゃないか! 略奪品を捨てなかったら、今すぐ止まって投降するからね!」
「バカかお前は! 強盗を裁判に掛けるほど甘い奴らじゃねーぞ!」
「だったら半分捨てて! 言っても始まらないんだろ!」
「く、またしても言い負かされた…やっぱし駆け引きじゃあ勝てねーか…」
切羽詰まった言い争いは、僕が勝利した。
繰理はブスくれた顔で、荷室に乱雑に積み込まれた金貨や食料をきっかり半分だけ、荒野にばら撒いた。
機械は嘘を吐かない。軽くなった車体は見る間に速度を上げていく。
そして人間の欲も嘘を吐かない。騎兵隊は金品をばら撒いた地点で追撃を止め、ホバー・バイクを降りて物色を始めた。
繰理はその光景を後部座席から仏頂面で睨み、不平に満ちた溜息を吐き出す。
僕は構わず、アクセル全開でその場から離脱した。
「ちー、またこのパターンかよ…強盗を捕まえたら賞金が、逃がしたら逃がしたで上前を撥ねる…まったく良い商売してるぜ、羨ましい限りだ…」
「でもまあ、いいじゃないか…おカネも水も食料も、これだけあれば次の町までは食いつなげるよ」
「まーな、悪党の取り分なんてこんなモノか。ほれ、水…ノド乾いただろ?」
「ありがとう、カラカラだったんだ」
僕たちは岩陰に身を隠し、日差しと追撃を躱しながら、強奪した品物を改めて検品する。
「今回も全部は取らなかったね…」
「まー、約束だからな。でも、お前が生きるギリギリの分はだけは、しっかりと頂くぞ?」
「ありがとう、助かるよ」
僕が微笑むと、繰理は顔を耳まで真っ赤にして、そっぽを向いて背中ごと丸まってしまう。
荒野は広い、赤茶けた平原が延々と続き、360度、どこを見渡しても山さえ見えない。
いつか見える筈の巨大山脈、それを越えて海を臨み、そこからさらに船を出して最果ての国を目指す。
僕は、僕たちは旅に出たのだ…強盗をしながら、と言うのが気になる所だが。
「もう一ヶ月か…ずいぶん遠くまで来たね」
「まだまだ、行程の100分の一も到達してねー…楽しい旅はまだまだ続く、覚悟してくれよ? 王子様♡」
「王子様はやめてくれって、何度言ったら分かるんだ…」
「ああ、悪い。つい嬉しくってな、お前らと旅ができる事がさ」
白い歯を輝かせ、繰理の見せる屈託ない笑顔が、僕を和ませてくれる。
こんな生活、想像もしていなかった…あの日、彼女が現れるまでは。
―――
この世界、人は孤独ではなかった。
クロノ・ノーツ。
それは、時を支配する神:クロノスが人に与えた忠実なるパートナー。
人が産まれては父母となり、幼少期には兄姉となり、少年期に弟妹となり、青年期には理解者となり、やがては恋人、伴侶、子供、孫となり、命の終焉と共に生命活動を停止する随伴者。人が生涯において孤独を味わう事なく暮らせるよう、神が与えた神造人間である。
少年はその幼少期を、使命を全うしたクロノ・ノーツを解体し、神の元へ返す仕事に就く老人のクロノ・ノーツとして育てられた。
老人の随伴者として少年が仕える事は珍しくなく、事実、少年は町の一員として普通に暮らしていた。
しかし、老人の死によって、少年の平穏な生活は砕かれる。
老人の死に寄り添い、生命を終えることが出来なかったのだ。
クロノ・ノーツに見せかけた、クロノ・ノーツではない存在。
随伴者を持たない存在…それは何者なのか?
街の人々の疑念は膨らみ、やがてある答えを導く。
悪魔だ。
老人が死を迎えたのは、彼のクロノ・ノーツを壊して居座った、悪魔のせいだ。
街の人間は口々にそう言って少年を排斥し、背徳の象徴として侮蔑した。
殺人の戒めを受けた町の人々は、少年の命を辛うじて取らず、機械の残骸が累積されたゴミ山に追いやる。
それから、彼の生活は荒んでいく。
昼間はゴミ山の瓦礫の中に身を潜め、夜になると糧を得るべく街を徘徊、食料の残滓や軒先に配達されたパンや牛乳を奪うと言った行為を続けた。
そんな惨めな姿になった彼を見捨てない者が、一人だけいた。
幼馴染のクロノ・ノーツ:ヴィータである。
少年がゴミ山に追われても、彼女だけは彼を見捨てず、日に一回、主人の許しを得て差し入れを送った。
人間らしい食事ができる唯一の機会。
少年はヴィータの施しに涙を流しながら、弁当を頬張った。
-――
僕には絶望しかなかった。
町を守る堅固な砦。
その先にある何処かへと消えてしまえれば、逃げ出してしまえれば、どんなに良いだろう。
僕がいなくなったら、ヴィ―タは悲しんでくれるだろうか? それとも厄介者がいなくなったと胸を撫で下ろすのだろうか? そんな事しか考えていなかった。
ゴミ山に廃棄物が運ばれる時間は朝晩二回。
僕はその時間に狙いを定めては、使えるモノ、食べられるモノを漁っている。
そして見つけてしまった。
背中にカギ穴を持つ、今まで見た事もない一体のクロノ・ノーツを。
「う、ゼンマイ…ゼンマイ…巻いてくれ…」
小柄な少女の姿をした「それ」は、息も絶え絶えに、譫言の様に繰り返す。
クロノ・ノーツの動力は確かにゼンマイだ。
それだけではない、この世の全ての機械の動力はゼンマイ式。腕時計から自動車まで、全てはゼンマイで動いている。
その動力は「オート・マキナ」と呼ばれ、活動を続ける限り自動でゼンマイを巻き上げ、動き続ける永久機関なのだ。
しかしながら、この少女は僕に「ゼンマイを巻け」と言っている。
彼女の背中に開いた鍵穴…円の中心に複雑な突起を持ったその穴。
僕は彼女を自分の住処に引きずり込むと、その鍵穴の型を取るべく、樹脂を流し込んだ。
「う…ゼンマイ…し…死ぬ…」
樹脂からネジを作り、彼女の背中に差し込む。
そのゼンマイは、驚くほど軽く回った。
「くっはー! 生き返ったぜー! あー、お前は?」
「アルスノー…アルって呼ばれている」
「アルか…呼びやすい名だな! で、お前のクロノ・ノーツは?」
「いないよ…僕は独りぼっち…このゴミ山で暮らしている」
「なんだ、残念だなー…」
「キミはクロノ・ノーツだろ、何でそんなこと聞くの?」
「なにって、お前のクロノ・ノーツをぶっ壊して、お前を自由にしてやるためだよ」
「僕を…自由に?」
「俺はゼンマイを巻いてくれた奴に忠義を尽くすカイロ・ノーツ、その最後の一体だ」
僕は耳を疑った。
時を巡る戦争…時神クロノスとカイロスが戦った古代の戦で、クロノスはカイロスを破り、時の支配者となった。その時にカイロスの戦士として戦った神造人間…カイロ・ノーツとはそういう者なのだ。それ故にこの世界でその名は禁忌であり、発してはいけない言葉だった。
「この町にはな…とんでもないモノが眠っているんだ、俺とお前の運命を変えるモノがな」
真剣な顔でそう言って、彼女は町の中心の塔を睨む。
「あのさ、訳が分からないんだけど、忠義を尽くすって言うのなら名前くらい教えてくれないかな?」
「ああ、悪い…オレはくるり、理を操ると書いて、繰理だ」
「漢字の名前…キミは東洋人?」
「人じゃねーよ、ゼンマイ仕掛けの…何だっけ?」
「カイロ・ノーツだろ? 自分で言ったんじゃないか…」
「おー、それそれ…まーなんだ、お前を幸せにするため、遠い島からやって来た救いの神って所だな」
繰理はそう言って、白い歯を見せてニッと笑う。
僕はますます混乱し、頭の中に?マークを何個も浮かべ、首を捻った。
「で、ゼンマイも満タンになったし、事をスマートに済ませてトンズラこきたいんだが…あの塔にはどうやって登ればいい?」
「キミはノープランで来たのかよ…」
「あー、とりあえず町に潜り込むので脳みそも体力も使いきっちまったからな…明日は明日の風が吹くって奴だ」
このロボット…と呼べばいいのか、確かにクロノ・ノーツとは違う。
クロノ・ノーツはもっと思慮深く聡明で、合理的かつ考えに無駄がない。
それに引き換え、彼女は…。
「まあいいか、夜陰に紛れ忍び込み、外壁を一気に登って目的を果たし…逃げる! 完璧だ!」
一人ごちして何度も頷く彼女の思考回路は、短絡的かつ場当たり的な楽観主義で…要するにバカなのだ。
「悪いけど、それは無理だよ…あそこはこの町の領主、ガイゼル様のお屋敷だから」
「ガイゼル…デスパー軍団の総統か! それは厄介だな…イナズマン呼ばねーと…」
「訳の分かんない事を言わないで…誰も分かってくれないよ」
突然やって来て、訳の分かんない事を言って、無謀な事をやろうとする…このままでは巻き込まれてしまう、ガイゼル様に手を出したら、ゴミ山追放どころじゃない、今度こそ殺されてしまう…。
「何を狙っているか知らないけど、僕には関係ないから、元気になった所でここから消えてくれないかな?」
「ナニ言ってんだよ…これはお前の運命に関わる事なんだぞ? もっと真剣になれよ」
「さっきから、運命ってなんだよ! 僕はこの町の片隅で一人で生きて、一人で死んでいくんだ…それが僕の運命なんだよ!」
僕の叫びに、繰理は深いため息を吐く。
「お前なァ…そんな運命で良いのかよ? 納得しているのかよ? これから何十年も町のゴミ扱い…誰からも蔑まれ、誰からも愛されず、ゴキブリみたいに残飯かじって生き続ける…それがお前の望んだ生き方なのか?」
「何とでも言えよ! どうせこの町からは出られない、出られたとしても一人じゃ生きて行けない…僕には何もできないんだ、放っといてくれ!」
「俺は来たぜ? 町の外から、砦を抜けて…入れたんだから、出られるだろ? それに…お前の後ろの、それは何だよ」
繰理はそういって、僕が瓦礫の中に隠した、それを指さす。
それは、トラック型のエア・クラフト…大陸を旅できるほど大型のホバークラフトだ。
僕がゴミ山の瓦礫を集めて作ったそれは、僕の心の支えであり、唯一の希望だった。
僕だって、今のこの生活に満足している訳ではない、いつかこれを使って旅に出る。
それが夢であり、希望だった。しかしそれは叶わぬ夢…この機械には動力…ゼンマイが無いのだ。
「そんなモノを作って…お前だって出たいんじゃないか、この町を。抜け出したいんじゃないか、この生活から」
繰理の言う事はもっともだ。僕は黙って俯くしかない。
ふいに、ゴミ山に近付く人の気配に気づく。
ヴィータだ。
「繰理、隠れて!」
「なんだよ、コレかよ…ぼっちとか言っといて…やる事はやってるって訳か」
小指を立てて下卑た視線を送る繰理の身体を瓦礫の下に突き飛ばし、僕は何事もなかったようにヴィータに手を振る。
「アル…誰かいるの?」
「あ、いや…独り言だよ、ちょっとムシャクシャしちゃってさ…」
後ろ頭を掻きながら、笑ってごまかす僕の顔を覗き込んで、ヴィータは心配そうな視線を送って来る。
「あんまり騒がない方がいいよ? また町の人にいじめられちゃうから…」
「ごめん、気を付けるよ」
何とかごまかせた…僕は胸を撫で下ろす。
「はい、これ…今日のお弁当」
「ありがとう! 助かるよ…これだけが楽しみだからね」
ヴィータが差し出したバスケットを受け取り、さっそく中身を確かめる。
いつもに増して豪華な内容に、僕は目を見張った。
「凄い…超豪華じゃないか、家の人が良く許したね…」
歓喜する僕の表情とは対照的に、ヴィータの表情は暗い。
「…ヴィータ?」
「あの、ごめんねアル…お弁当届けるの、今日が最後なの…」
「え?」
「ガイゼル様が、私を召し抱える事になって…お屋敷に上がる事になったの…」
「そんな、クロノ・ノーツが主人の元を離れるなんて…おじさんたちはどうなるの?」
「ガイゼル様のお屋敷にはたくさんのクロノ・ノーツがいるから…その一体と交換するんだって…」
ありえない事だ、クロノ・ノーツは大切なパートナー…交換することなどありえない。
「ごめんね、アル…ごめんね…」
涙を浮かべるヴィータの悲しげな表情。
それは僕との別れだけが原因ではないだろう。僕の胸は狂おしいまでに締め付けられる。
「ヴィータ、今までありがとう…キミのお弁当、本当に美味しかった…お屋敷に行っても元気で」
ロボットに対し、元気でとは…気の利いた台詞も言えない自分が情けなくなる。
「行くなとは、言ってくれないのね…」
暗く沈んだヴィータの言葉に、自分の冷淡さ、無力さを思い知らされる。
「ごめん…」
「いいの、ガイゼル様に逆らえる人はいないから…無理を言ってごめんなさい」
そういって、ヴィータは踵を返し、走り去っていく。まるで未練を振り切る様に。
「どうやらお前にも、屋敷に乗り込む理由が出来たようだな…」
瓦礫の中から体を起こし、繰理がニヤリと笑う。
「僕には訳が分からないよ…ガイゼル様がクロノ・ノーツを集めているなんて…」
「あの子の言った事は嘘じゃないぜ? 俺がどうやって砦を抜けたか…ガイゼルとかいう奴が他の町から掻っ攫ったクロノ・ノーツの中に紛れ込んだのさ」
「そんなことまで…」
「ま、計画ではそのまま屋敷の中に潜り込む予定だったんだけどな…選別で弾かれ、ゴミ山に捨てられたって訳さ」
繰理が自嘲する様に天を仰ぐ。
その視線の先にあるのは、塔の先頭だ。
「クロノ・ノーツを集めて、ガイゼル様は何をする気なんだろう?」
「ハーレムじゃない事だけは確かだ…なんだと思う?」
意地悪く口角を上げる繰理は、その訳を知っているのか?
これから何が起こり、僕の運命がどう変わろうとしているのか?
僕にはまだ、想像出来ずにいた。
-――
屋敷の広間に連れて来られたヴィータが見た物。それは異様な光景だった。
広間の一番奥、玉座とも言える豪奢な椅子に向かって敷かれた赤い絨毯。
その両脇に立ち並ぶ、百体は越えようとするクロノ・ノーツたち。
しかし、ヴィータが感じ取った異様さは、その荘厳さではない。
立ち並ぶクロノ・ノーツに精気がなく、まるでマネキンの様に無言で立ちすくんでいる事だった。
「よく来た、ヴィータ。さあ、こちらへ来て顔を良く見せておくれ…」
玉座に足を組んで座るガイゼルが手招きしてヴィータを呼ぶ。
ヴィータはクロノ・ノーツが立ち並ぶその絨毯を、怯えながらゆっくりと歩み始める。
「この度は私などをお召し抱え頂き、ありがとうございます、ガイゼル様…」
ガイゼルの前に歩み寄ったヴィータは跪き、恭順の意を示す。
「畏まらなくてもいい、立ち上がってごらん?」
ガイゼルの優し気な言葉に、少し気持ちを和らげ、ヴィータは立ち上がってガイゼルの微笑みを見やる。
「さあ、ヴィータ…胸を開いて、キミの心臓の鼓動を聞かせてくれ…」
「は、はい…」
カイゼルの言葉には逆らえない。
ヴィータは恐る恐る衣服を脱ぎ、小さな胸を晒す。
ガイゼルはその胸に耳を当て、ヴィータのオート・マキナの鼓動を聞いた。
「うむ、やはり素晴らしい…若々しく、力強い鼓動だ…」
「あ、ありがとうございます、ガイゼル様…」
ガイゼルの顔に浮かんだ狡猾な笑みを、ヴィータは見ることが出来ない。
彼女の運命は、破滅に向かってゆっくりと転がり始めた。
―――
「なんだって!」
繰理の言葉に、僕は耳を疑った。
「嘘じゃねぇよ…ガイゼルって野郎がやろうとしているのは、そう言う事だ」
「クロノ・ノーツから抜き取ったオート・マキナを集め、あの塔を動かすなんて…」
僕にはまだ理解できない。町の支配者であるガイゼル様は何不自由なく暮らしている。
何故そんな無謀な事をしているのか…そもそも、あの塔は何なのか?
「オート・マキナ…ゼンマイはクロノ・ノーツの心臓だ…それを取り外すのは不可能…」
言いかけて僕は思い出す、爺っちゃんのしていた仕事を。
「まさか…爺っちゃんは死んだんだ! ゼンマイを取り出せる人間はもういないはずだ!」
「その爺っちゃんが、人間じゃないとしたら?」
繰理の目は真剣だ、彼女が何を言おうとしているかは、おのずと分かる。
「そんな、まさか…」
「お前の考えは多分、合っている。お前はクロノ・ノーツとして育てられた。クロノ・ノーツの爺っちゃんとやらが人間に化ける為の隠れ蓑としてな」
繰理の推測はきわめて合理的だ。
「でも納得が行かないよ、爺っちゃんは何故、そんなウソを僕に…」
「それは直接会って聞くんだな。お前の爺っちゃん、あの屋敷にいるぞ? そしてクロノ・ノーツからゼンマイを抜き取っている」
「繰理、キミはどこまで知っているの? あの塔は一体…」
「知りたければ今すぐ行動しろよ、でないとあの小娘は…」
繰理の言葉に僕ははっとする。
…ヴィータが、ヴィータが危ない!
「でも、どうすれば…屋敷の防護は万全、高い壁だってある、僕にはどうにもできないよ!」
「安心しろよ、そのために俺が来たんだ…お前には無限の可能性がある、それを今から気付かせてやる…さあ、俺のゼンマイを巻け!」
カイロ・ノーツ…繰理が何者で、何を企み、何故僕と接触したのか、全く分からない。
でも今の僕には、ヴィータを助けるには、彼女を信じるしかない。
僕は意を決し、彼女の背中の穴に、自ら作ったカギを差し込んだ。
ガキガキ…ベキン! ガキ! ビキビキ! バキン!
繰理の背中から、凄まじい音がする。
「ねえ! これ何処まで巻くのさ! すごい音がするんだけど! 壊れちゃうんじゃないの!?」
「いいから、もっと巻け! 限界を越えて、カギが止まるまで巻け!」
繰理の叫びに応じて、僕はネジを限界まで巻く。正直、いつ壊れてもおかしくない…まったく生きた心地がしなかった。そして…。
ガキン!
何かが嵌るような音と共に、ゼンマイがビクとも動かなくなった。
次の瞬間。
「来た…来た…来た! キタァァァァァ!!」
繰理の感極まった気勢を聞きながら、僕はその変化に目を見張った。
燃えるように真っ赤に輝いた彼女の身体は見る間に成長し、小さな少女の形態から大人の姿に変ったのだ。
「シュウゥゥゥゥ…」
光が水蒸気のような煙で飛び散り、深呼吸した後、ゆっくりと振り向くその姿の美しさに、僕は思わず息を呑む。
繰理はそれまでの粗暴さが嘘のように僕の目の前に片膝を立てて跪き、胸に手を当てて恭しく頭を下げた。
「王子、ご無礼の数々をお許し下さい、ようやくお会いすることが出来ました…繰理、遅ればせながら御身をお迎えに上がりました」
「お、王子!? ボクが?」
「はい、王子はカイロス王族の末裔…その生き残りなのです」
なんだ、この突然の展開は…ただでさえ、やるべき事と出来ない事と任せろと言われた事がごっちゃになっているのに、それに輪をかけて繰理の変身、そして王子様と来た…混乱し過ぎてパニックに陥る事すらできない。
「や、繰理…ヴィータを助けてくれるんだろう?」
「はい、それは勿論。王子の願いはすべて叶える…それがカイロ・ノーツである私の務めですので」
「じゃあ、今すぐ行こうよ! 手遅れになる前に!」
「そうですか…繰理は、お懐かしいその姿をすぐにでも抱きしめたいのですが…」
繰理が潤んだ瞳で僕を見つめる。
ヴィータの事を思えばそんな事をしている暇はないのに、思わずドキッとしてしまう自分が情けない。
「あとで、後で好きなだけさせてあげるから…今は急いで!」
「分かりました。それではお掴まり下さい…全力で行きます、振り落とされないようにお気を付け下さい」
繰理はそのしなやかな腕で僕の身体を抱きかかえると、一瞬で大空高く飛び上がった。
「す…すごい! これなら壁なんて関係ない!」
「いえ、壁の上には電磁障壁があります…私はともかく、王子の身体は黒焦げになるでしょう」
繰理は静かな口調で僕を諭す。
「それじゃあ、やっぱり門を突破するしか…」
「雑作もいない事です」
逡巡する僕を尻目に、繰理はまっすぐ前を見つめながら、冷静に言葉を返して来る。
その静かな口調が妙に頼もしく、懐かしくさえ感じるのは何故だろう。
彼女が僕を知っていたように、僕は彼女を知っているのかもしれない、僕は本当に王子なのだろうか…。
「王子、到着です」
5メートルはあろうかと言う堅固な鉄の扉の前に僕らは降り立った。
ゴミ山から町の中心まで、誰にも気付かれる事なく、一瞬で。
『お前は自分の可能性に気付くべきだ…』
変身前に繰理が言った言葉を思い出す。
確かに、繰理が来た事で自分一人では知る事も出来なかったことを知り、絶対に出来なかった事が結果として出来るようになった。
繰理と共にいる事、それが僕の可能性なのか?
「王子…王子!」
いかん、考え過ぎて呆けてしまっていた…。
「警備の者がいないようですが…」
「この町でガイゼル様に歯向かう者はいないからね、屋敷の中までは知らないけど…」
「中には人間が?」
「ガイゼル様は極端な人嫌いだから、中にはクロノ・ノーツしかいないはず…」
「それを聞いて安心しました。クロノスの民とは言え、人は殺めたくないので」
良かった、子ども繰理なら皆殺しとか言い始めそうだが、おとな繰理は考えがまともらしい。
「では行きましょう、ヴィータ殿を助けに」
繰理はそう言って右腕を伸ばし、鉄の扉に掌を押し付けた。
―――
ヴィータは全裸姿で、手術台に磔にされていた。
小柄な身体で必死にもがき、何とか脱出しようとするが、拘束された手足はビクとも動かない。
ヴィータの傍らでは、背中を丸めた一人の老人が、様々な器具を揃えながら、手術の準備を進めている。
ふと部屋の上部に開けられたガラス窓を見上げると、その光景を冷徹に見つめるガイゼルの姿があった。
「やめて下さい…何故こんな事を…!」
ヴィータの叫びに答える者はいない。
「ガイゼル様はキミの心臓…オート・マキナを欲しておられる、この町でクロノ・ノーツを解体できるのは儂だけ…諦めなさい、ヴィータ…」
「あなたは、アルの…!?」
メスを片手に迫る老人を見て、ヴィータは愕然とする。
「あなたは、死んだ筈じゃあ…」
「クロノ・ノーツが死ぬる訳なかろう? アルには気の毒な事をしたが…クロノ・ノーツの解体は人間にだけ許された行為…儂がガイゼル様のお役に立つには、こうするしかなかったのじゃ…」
「まさか、あなたは…」
「察しが良いな…そう、儂がガイゼル様のクロノ・ノーツじゃよ」
老人の手がヴィータの胸元に伸びる。
「……!」
ヴィータは、声にならない悲鳴を上げた。
―――
「これは…!?」
僕は夢でも見ているのか…それは本当に信じられない光景だった。
繰理が扉に触れた途端、堅固な鉄の扉は見る間に錆び、朽ち果てて行ったのだ。
一陣の風が、風化した錆びの粉末を運び去っていく。
「繰理、何をしたの!?」
「カイロ・アーツです。私は物質の主観的な時間を操ることが出来ます」
「主観的な時間?」
「クロノスは、過去から未来へ連綿と連なる絶対時間を支配する神…対して私たちの主神カイロスは、物質の個体が持つ歴史としての時間を支配します」
「歴史としての時間…」
「私は右掌で触れたモノの時間を加速させて未来へ飛ばし、左掌で触れたモノの時間を逆行させて過去に引き戻すことが出来るのです」
信じられない…カイロ・ノーツはそんなことが出来るのか…だが僕は目撃してしまった、目の前で鉄の扉が錆びて朽ち果てていく姿を。
繰理は右掌を使った、という事は…。
「あらゆるモノが未来の果てに待つものは等しい滅び、果てしない過去に巻き戻れば存在自体が消滅します、勿論、加減は可能ですが…」
繰理が微笑む。
これなら、この能力なら必ずヴィータを助けられる。僕の胸が希望と興奮で一杯になった。
「申し訳ありません、王子…そう簡単に進ませては頂けないようです」
繰理が言うと、周囲を取り囲むクロノ・ノーツの集団が…。
「参りましたね…まだこんなモノが残っていたなんて」
繰理が舌打ちをする。
その異様さは、僕にも理解できた。
クロノ・ノーツは暴力を絶対に振るわない、従順で大人しい存在だ。
稀に主を守るために戦う事はあるが、その力はあくまで人並み、人を殺めるほどの能力は持っていない。
だがしかし、僕らを今取り囲む集団は違う。明らかな敵意とあらゆるものを破壊する狂気、そして人を殺める事に躊躇すらしない殺気が漲っていた。
「繰理、彼らは…」
「クロノ・ソルダート…時を巡る戦争でクロノス神の尖兵となった殺戮兵器です」
繰理の顔の険しさから、事の重篤さは理解できる。
「繰理…大丈夫なんだよね?」
「分かりません、一対一ならともかく、この数に一斉に攻撃されたら…」
「しっかりしてくれよ! ヴィータの命が掛かっているんだ!」
「善処します…ですが保証は出来かねます」
クロノ・ソルダートの包囲がじりじりと狭まる。
繰理は油断なく辺りを見回すと、一縷の希望を見出した。
「クロノ・ソルダートが一番密集している、恐らくあそこが屋敷の入り口でしょう、一点突破で行きます…私の背中から離れないで下さい!」
言うや否や、繰理はソルダートの群れに突進する。僕は全力でそれに付いて行った。
「王子…過去と未来、どちらをお望みですか?」
「時の戦争の遺物なんて、どれだけ生きているんだ…過去は論外! 未来一択でやってくれ!」
「流石は王子、ご理解が早い…それでは左腕は御身を抱かせて頂きます!」
そう言って、繰理は僕の身体を軽々と小脇に抱え上げた、僕は振り落とされないよう、必死でしがみ付く。
一斉に襲い掛かるクロノ・ソルダートの群れ。
繰理は疾風のような速さで包囲網を切り抜け、前方の一体の顔を掴む。
「カイロ・アーツ…右手で未来を!」
叫ぶと同時に、ソルダートの身体が朽ち果て、崩れ落ちる。
「次!」
崩れ落ちたソルダートの遺骸を追いすがる敵に投げつけ、次の一体に掴みかかる。
またしても、瞬時に崩れ落ちるソルダート。
「次! 次! どんどん来なさい…あなた方は邪魔なんですよ!」
正直、僕は恐怖していた…敵が恐ろしいのではない、繰理の強さが恐ろしかった。
もしも僕が本当にクロノ・ノーツだったら、このようにあっけなく滅ぼされていたのかも知れない、と。
「主を抱いたカイロ・ノーツは無敵! 過去の遺物が触れられると思うな!」
僕の恐怖にかまわず、繰理は次々と敵を薙ぎ払い、僕らは遂に屋敷の扉まで辿り着いた。
「さあ王子、突入します…心の準備を!」
繰理の右手が、屋敷の扉を朽ちさせる。
そして突入を済ませると踵を返し、僕を降ろすと…
「左手で…過去を!」
あっという間に扉を再生させる。
扉の向こうで、ソルダートたちがぶち当たる音が響く。
「扉は新品状態…しばらくは時間を稼げるでしょう」
「本当に何でもありだね、カイロ・ノーツ…」
「そんな、照れます…」
繰理が俯いて鼻の頭を掻きながら頬を赤らめる。僕はその仕草を純粋に可愛いらしいと思ってしまった。
「繰理、急ごう!」
「は、申し訳ありません、王子!」
僕たちは屋敷の通路を走り始める。
「ヴィータ、無事でいてくれ…!」
心の叫びが口をついてしまう。
だがしかし、ヴィータの居場所が分からない…この広い屋敷で迷っているうちに、ヴィータの命が終わってしまうかもしれない…どうしたら、どうしたらいいんだ!
「ご安心を、王子…ショッカー・デストロンの昔から、悪党の居場所は最深部と決まっています」
「こんな時に冗談はやめてよ! 何の根拠があってそんな事を…」
「王子の気を和らげようと思いまして…大丈夫、最深部から沢山のオート・マキナの鼓動を感じます、恐らくは心臓の保管庫…手術施設も近くにあると推測できます」
繰理の真面目な分析に、僕は彼女を叱責した事を反省した。
「ヴィータ殿が心配です…最速で行きましょう!」
繰理が膝をつき、床に左手を当てる。
「過去の…左手!」
「うわぁ!」
一瞬で消失する屋敷の床。その穴に僕らは吸い込まれていく。
「どんどん行きます! 私にしっかりと掴まって下さい!」
繰理はソルダート相手に無双したのと同様に、床を次々と消失させ、屋敷の最深部に向かっていく。
そして最深部に到達した僕たちの見た物は…。
「ヴィータ!」
底に横たわっていたのは、ヴィータの変わり果てた無残な姿。
胸を開かれ、オート・マキナを取り外された、亡骸だった。
見覚えのある、忘れもしない老人が、ヴィータの心臓を手に持ち、不気味な笑いを浮かべている。
「…爺っちゃん!」
僕の叫びに、爺っちゃんはゆっくりと僕の方を振り返る。
「アルか…どうした? こんな所に何をしに来た?」
「それはこっちの台詞だよ! 爺っちゃんこそ…クロノ・ノーツが何故、同じクロノ・ノーツを解体しているんだよ!」
僕の叫びに、爺っちゃんは感嘆したような顔で溜息をもらす。
「ほう、知ってしまったか…お前の背後にいる女の入れ知恵だな? 誰だ、そいつは」
「彼女は繰理…僕のカイロ・ノーツだよ」
「カイロ・ノーツだと!? はっはっは、冗談がきついぞ、アル…そんなモノこの世にいる訳がない!」
爺っちゃんは額に手を当て、馬鹿にしたようにカラカラと笑う。
僕は憤慨するのを抑えた、僕の事より大事なのは…ヴィータだ。
「爺っちゃん…ヴィータに何をした!」
「なにって、解体じゃよ…ガイゼル様の悲願達成のため、若く力強いオート・マキナを集める…ヴィータは記念すべき、最後の一体じゃったよ」
「ヴィータは…まさか、もう!?」
「なんじゃ、ヴィータを助けに来たのか…お前たちは仲が良かったからな…じゃが一歩遅かったな、ヴィータの心臓は…ほれ、この通り」
爺っちゃんが取り出したものを見て、僕は戦慄した、小さなオート・マキナ…ヴィータの生命を支える大事な心臓…それが爺っちゃんの右手に握られている。
「ヴィータ…う、うわあああああああああ!!!!」
僕は叫んだ、声の限りに叫んだ、間に合わなかった…繰理の力を借り、最速で助けに来たのに…僕は間に合わなかった! ヴィータ…ごめん、ごめん!
僕は天を仰ぎ、そこにガイゼルの姿を見つける。
ガイゼルは不敵な笑みを見せながら、僕と爺っちゃんのやり取りを傍観していたのだ。
「ガイゼル様…! こんなひどい事をして…あなたは何を企んでいるんですか!」
「無礼者が! アル、貴様がガイゼル様に口を利くなど10年早いわ!」
爺っちゃんが僕を叱責する。しかし繰理は何もアクションを起こさず、僕の傍らに黙って立っている。僕は子ども繰理の言葉を思い出した。
『それは、お前自身が会って確かめろ』
繰理は僕を試そうとしているのか? それとも黙って怒りを貯めているのか?
とにかく彼女が黙っている以上、僕は自分の力と判断で解を導き出すしかない。
逡巡していると、手術室のスピーカーから、ガイゼルの声が響く。
「まあよい、せっかくの来訪者だ、しかもカイロスの民とは…我が野望が達成する、めでたき日の来客としては、これほど適した者はおるまい…」
「は、ガイゼル様」
「その者等を広間に通せ、直に言葉を交わしてみたい」
ガイゼルに言われるまま、僕たちは広間に通された。
こんな事をしている場合じゃない、僕はヴィータを救いたい、繰理の能力なら、それを成し遂げられるというのに…繰理、なぜ黙っているんだ! なぜ爺っちゃんとガイゼルを倒し、ヴィータを救ってくれないんだ! 僕は焦りともどかしさで気が狂いそうになる。
だがしかし、繰理は黙っている。僕の傍から離れることなく、黙って立ち尽くしている。
「さて、カイロスの少年…私がなぜオート・マキナを集めるか…分かるか?」
「分かりません…僕には、ただの残虐行為にしか思えません」
「そうだろうな、私の壮大な野望など、今となっては理解できる者もおるまい…」
ガイゼルは玉座に座り、足を組んだまま、僕を見下して長く伸びた顎髭を弄び、不敵に笑う。
「少年…此処が何処だか分かるか?」
「恐らくは、屋敷の中心部だと思います」
「キミは聡明だな…その通りだ。ではこの上にあるものは?」
「…塔です」
「そうだ、そして私は、塔を起動させるエネルギーとしてオート・マキナ…クロノ・ノーツの心臓を集めて来た。クロノ・ソルダートを使い、近隣の町にいる若く生命に溢れたクロノ・ノーツを奪ってまで…」
「あの塔は、一体何なのですか?」
「キミには考えも及ぶまい…教えてやろう、アレは…兵器だ」
その言葉を聞いて、繰理がピクンと微かな反応を示す。
その所作を、ガイゼルは見逃さなかった。
「そこの人形には分かるようだな、私の塔の存在意義を」
塔の存在意義…繰理は知っている!? そう言えば、繰理は言った…。
『この町にはな…とんでもないモノが眠っているんだ』
繰理の言った、とんでもないモノ…それは兵器だったのか!
「これは時を巡る戦争、その残滓に終止符を打つものなのだよ、少年…」
「ICBM…核弾頭…狙いは、日ノ本…」
繰理が無機質に呟く。僕にはその意味が全く分からない…ただ繰理の反応から、それがとんでもなく危ないモノだという事だけは理解できた。
「この塔は気難しくてね…燃料を満載しながら、その点火には膨大なエネルギーを必要とする…そのエネルギー量は、クロノ・ノーツの心臓100個分だ…」
「その100個目の心臓が…ヴィータ!?」
「儂の技術は完璧…助手を務めたお前になら分かるじゃろう? あの子の心臓は儂が完璧に取り出し、塔の点火装置に移植した…」
「そんな、それじゃあ…ヴィータは!」
「死んだよ…」
爺っちゃんが冷徹に言い放つ。僕は怒りと絶望で、気がふれたように狂乱した。
「畜生、畜生! なんで…なんでヴィータを…畜生!」
僕はなりふり構わず、辺りにある物を手当たり次第に破壊しようと暴れた…だがしかし、僕に壊せるものなどたかが知れている…僕はすぐに身体の痛みに負け、情けなくもうずくまった。
そんな僕の背中をそっと支え、繰理が前に出る。
「ガイゼル殿…貴殿の野望、確かに承りました。私はこれより、その野望を全力で潰しにかからせて頂きます」
「カイロ・アーツ…だが無駄だ! この塔は完璧なる兵器! 貴様らカイロスの民が逃げ遂せた海の果ての島…それを完全に滅ぼす業火の鉄槌! 心臓が集まった今、塔の飛翔は確約された未来! カイロツアーは時を進め、後退させるのみ…確定した未来を覆すことは出来ない! 未来に飛ばせば日ノ本が、過去に引き戻せばこの地が確実に滅ぶ! 私はクロノ・ソルダートの指揮官として神の命令に従い、カイロノーツ最後の地を滅ぼすのだ!」
ガイゼルは高々に笑う。僕の疑念は今、晴れた…ヴィータを救うには、この男を滅ぼすしかないと。
「そんな昔の戦争に拘って、自分の治める町の人々をも脅威にさらす…狂っている…ガイゼル様、あなたは狂ってますよ!」
僕の叫びはガイゼルに届かない。彼は笑い続けながら、100個の心臓…その起動スイッチを押した。
「世界が…終わる!」
僕は溜まらず目を瞑る…しかし、事は平穏のまま、何事も起こらなかった。
事態を飲み込めないのは、ガイゼルも一緒だ。
「例えば、こういう仮説はどうでしょう?」
繰理がおもむろに話し始める。
「100個目のオート・マキナ、ヴィータ殿の心臓が取り出される瞬間、彼女が自らを機能停止状態にした…自殺したとしたら?」
そうか…! ボクの脳裏に、事態の解が浮かぶ。
それを補強する様に、繰理が言葉を継いでいく。
「結果として不完全な、99個の心臓で起動させた塔がどうなるか…」
「まさか、そんな事が…!」
繰理の言葉に、ガイゼル様…いや、ガイゼルは愕然となる。
程なくして、広間の天井が崩れ、轟音と共に激しい振動が屋敷を包んだ。
「残念でしたね、私の右手はこの結末を知っていました…ソルダート・ガイゼル、あなたの未来は既に確約されていたのです」
フッと、繰理の姿が消える。僕には分かっていた、繰理が何処に向かったか。
「ようやく見つけました、カイロス民族最後の脅威…私の左手で消失して差し上げましょう…過去の左手!」
塔の先頭で、眩い光が輝く。次の瞬間、塔は天に向けて発射され、不規則な軌道で放物線を描くと爆発する事もなく、赤い荒野の果てに消えて行った。
「さて、あなた方にはお仕置きが必要ですね…」
絶望に打ちひしがれるガイゼルと爺っちゃんの下へ、繰理がゆっくりと歩み寄る。
「まずは右手から行きますか…」
繰理は右手で爺っちゃんの頭を鷲掴みにする。
「右手に、未来を…」
言い残す言葉ももなく、朽ち果てていく老人の身体。
「そしてあなたは赤子となり、第二の人生を歩みなさい…左手に、過去を」
繰理に顔面を掴まれたガイゼルの身体が見る間に縮小し、赤子の姿に変る。
地面に寝かされ、泣き叫ぶガイゼル…その姿にかつての威厳は何処にもなかった。
「ヴィータ…ヴィータ! 繰理、頼む! 過去の左手で、今すぐヴィータを元に戻してくれ!」
「畏まりました、王子…」
僕の懇願に応じ、繰理が空っぽになったヴィータの胸の空洞に左手を当て、瞳を閉じる。
「過去の左手…この者に復活を!」
ドクン!
ヴィータの胸の傷が見る間に塞がり、心臓の鼓動が甦る。
「ヴィータ、ヴィータ…僕だ…アルだよ? 助けに来たんだ…起きて、ヴィータ!」
僕の声に、ヴィータは微かに反応を示す。だがしかし、彼女はそれ以上動く事は無かった。
「繰理、これは…キミの左手で、ヴィータは元に戻ったんじゃないの?」
「身体は元に戻しました…でも、心までは…」
繰理が俯いて、苦し気に言葉を吐き出す。
「心…?」
「彼女は心臓を取られる寸前、絶望で心を失ってしまったのでしょう…私は物質の時間を操ることは出来ますが、心の時間を操る事は出来ないのです…」
「じゃあ、ヴィータはもう…」
僕は恥も外聞もなく嘆きの声を上げた…せっかく助けたヴィータが、二度と目を覚まさない…そんな残酷な結末があるか!
「一つだけ、方法がない事もないです、あくまで可能性の域を出ませんが…」
繰理が苦々しい表情で言葉を絞りだす。僕は迷わずそれにすがり付いた。
「僕のエア・クラフト…その動力にヴィータを?」
「はい、ヴィータ殿の心は完全に閉ざされていますが、オート・マキナの機能は復調しています、王子のエア・クラフトの動力に据える事で旅に出て、彼女の心に希望と活力を与え続ければ…いつかは目覚めてくれるかもしれません」
「ヴィータを動力に使う…残酷な気もするけど、それしかないんだね?」
「はい、畏れながら…」
僕のやる事は決まった。
ヴィータの心を救うべく、僕が造ったトラックの動力に据え、エネルギーを循環させながら、ゆっくりと彼女を目覚めさせる…僕がヴィータにしてやれることは、それしかないのだ。
そして僕ら3人は砦を強行突破し、荒野に出た。
―――
「なんだよ? アル…ニヨニヨすんなよ、気持ち悪い」
「ああ、ごめん…少し昔を思い出していた」
繰理の質問に、僕は言葉をはぐらかす。
「今日も助けてくれたね…ありがとう、ヴィータ」
トラックのハッチを開けると、液体と配管に満たされたカプセルに包まれ、心なしか安らかな笑みを浮かべる、ヴィータの姿があった。
僕たちは西を目指す。
荒野を越え、山脈を越え、大海を越え、カイロスの末裔が住む島…日ノ本を目指し。
「強盗しながら…だけどな?」
繰理の余計な一言で、僕の高揚感はだいなしだ!
僕が怒ると、繰理は笑いながらおどけて見せた。
この物騒な旅が終わる時、王子と呼ばれる僕の身の上はどうなるのか?
そんな事はどうでもいい、ヴィータさえ目覚めてくれれば…僕はそれで良いのだ。
(完)