逆転される
私ってどうして男を見る目が無いんだろう。
目の前の現状をぼんやりと眺めながら思う。
ピンク色の壁紙に大きな鏡。
誰も見ていないテレビからは、わざとらしい女性のあえぎ声が響いている。
見ないようにはしているが、テレビの前には私をこの部屋に連れてきた男がだらしない顔で寝そべっている。
この男とは今日会ったばかりだ。
結婚適齢期と言われる年齢である私は、大学時代の友人に誘われて合コンに行った。
そこで目の前に座って必死に喋りかけて来たのがこの男だったのだ。
話の内容はよくわからなかったが、必死に喋る様子は毎日通っている幼稚園の子供達を思い出させた。
つい癖で笑顔で相槌を打っていたところ、男に大きな誤解を与えてしまったらしい。
私達二人の様子に気づいた友人達が大いに囃し立てた。
会の終わりに男が誘ってくるのも無理はなかったのかもしれない。
飲み直そう、と言う男に連れてこられたのはホテルだった。
バーのような物があると思いきや、いきなり部屋に連れてこられた。
部屋のドアを締めた瞬間、男がすごい形相で襲ってきたのだ。
私は思わず手を突き出して抵抗した。
幼稚園児と言っても20キロぐらいある子もいる。
それを毎日持ち上げたり振り回したりしているのだ。
男の予想を裏切るほどに力はついていたのだろう。
男は後ろ向きに倒れ、テーブルの角に思い切り後頭部をぶつけて動かなくなった。
園児が倒れたときの対処法は心得ていたので、一応確認だけはしてみた。
気道確保
心音確認ーー無し
呼吸確認ーー無し
この後は人工呼吸と心臓マッサージになるが、今日は人工呼吸用のビニールを持ってきていなかったので、心臓マッサージのみ実施した。
人間に実際にやったのは初めてでお酒も飲んでいたので上手くできたかどうかわからない。
多分20分程やっていたと思うが、男の呼吸も心音も復活しなかった。
疲れたのでテレビをつけ、ぼんやりと眺めていたのが冒頭の部分だ。
それよりもどうしよう。
このまま一緒にいるのも嫌だし、放って出るというのもどうかと思う。
大体この男の住所や自宅の連絡先も知らないのだ。
私は取り敢えず合コンに誘ってくれた友達に電話した。
「もしもし、カナ?」
『これはこれは!本日一番のモテ女のサオ様ではありませんか。早速彼氏が出来たご自慢れすか?』
カナは酔っぱらって所々呂律が回っていない。
酔っていなくてもふざけてこんな感じになることはあるのだけれど・・。
「違うの。ちょっと大変なことになっちゃったの。ここまで来てくれないかな?」
『愛の巣にお邪魔しろと?さすが彼氏ができると人生にも余裕が生まれますね~!』
「ふざけないで!真面目な話なの。歌舞伎町にあるプリムローズって言うホテルの405号室に来て!お願い!」
私が少し声を張り上げるとカナは真面目なときの声に戻った。
『サオがそんなに言うのは珍しいわね。今度何か奢ってよね。』
「ありがとう。待ってるね。」
周囲の音からするとカナは飲んでいたようだ。
悪いことをしたが、こんな事を電話で話すわけには行かない。
カナがくるまでテレビをデタラメに見ながら時間を潰した。
コンコン
ドアにノックがある。
そっと開けてみるとカナだった。
「ありがとう。一人?」
「そうよ。こんなこところに一人で来させてどういうつもり?」
カナは不機嫌にドアを開け、部屋の中に入ってきた。
必然的に近くに転がっている人間を見ることになる。
「キャーー!!ど、どど、どういう事?寝てるの?」
「それがね・・・」
私はこれまでの経緯を説明した。
「警察に電話すべきじゃないかしら?」
「やっぱり?でも私逮捕されちゃうのかな?仕事もクビになって刑務所から出てもどの幼稚園も雇ってくれないんじゃないかな?刑務所に入ってた先生に子供を預けたいなんて誰も思わないよね?」
カナはう〜んと考え込んだ。
「樹海ね。」
「え?樹海?」
カナの唐突な言葉に私は驚いて聞き返した。
「富士の樹海は自殺の名所って聞いた事があるわ。そこに倒れていれば自殺と思われるかもしれないわ。」
「大丈夫かな?」
私が聞くとカナは自信たっぷりに答えた。
「大丈夫よ。私金田一耕助シリーズは全部読んでるから。」
「ふ〜ん。でもどうやって運ぶの?」
カナはわざとらしく歩き回ってから、手をポンっと叩いた。
「よし!わかった!私家からスーツケースを持ってくる。それに入れて運べばいいよ。サオ、明日幼稚園休める?」
その仕草、金田一耕助シリーズの中で頓珍漢な推理ばっかりする刑事じゃなかったかしら。
少し不安になりながら、職場の勤務表を思い出す。
「明日休む予定の人いなかったからたぶん平気。」
「じゃあ車も貸してあげる。あ、そうだ。事件が起きてからどれくらい経ってる?」
事件って!
これは完全に事故よ。まぁいいわ。
「カナに電話する前に心臓マッサージしたから1時間ぐらいかな?」
「ヤバイわ。死後硬直でスーツケースに入り切らなくなる。サオ!これを小さくするのよ!」
カナは男の手を持って引き起こし、前屈させた。
「サオ!何かで・・・そのシーツで縛って固定して!」
私たちは30分程奮闘し、なんとかこれ以上小さくならないところまで小さくした。
「これでダメならノコギリで切るしかないわね。一応ノコギリも持ってくるわ。サオはしばらくここにいて。」
「カナ、ありがとう。」
床についてしまった血を石鹸で掃除して待っていると、カナはあっという間に戻ってきた。
「考えてみたら私大きいスーツケース捨てたんだった。激安の殿堂で買ってきたよ。」
真新しいスーツケースを拡げ、シーツに包まった物を二人でなんとか持ち上げてしまい込む。
男が小柄で痩せていたことが幸いしたのか、なんとか閉めることが出来た。
「サオ、さっき思い出したんだけど、こういうホテルには監視カメラが付いてるの。これも買ってきたから着替えて。」
カナが差し出したのはパーティーグッズでよくあるカツラとサングラス、そして男物の服だった。
服は黒く、男が着ていたものによく似ていた。
「カナ、何から何までありがとう。」
「困ったときはお互い様じゃない。でも一言言わせて。サオはもうちょっと他人を疑わなきゃダメよ。男相手だったら特にそう。アイツ等の頭の中はやる事しか無いんだから。」
「そうだね。今度から気をつけるよ。」
私はカナが渡してくれた服に着替え、カツラとサングラスを付ける。
そしてスーツケースを持って二人でホテルを出た。
翌朝、幼稚園に休みの連絡を入れた後、カナから借りた軽で中央道を走る。
昨日は一睡も出来なかった。
運転は3年ぐらいぶりだったが、この際交通事故で死んだほうがましかも知れない、などという考えも起きた。
河口湖インターで降り、ナビの通りに進む。
ナビの終点に着いたのは朝の10時頃だった。
周囲はまさに森だった。
少し走って目立たないところに車を止める。
後からスーツケースを出し、獣道のような道に入ってゆく。
途中ふと不安になり、携帯を取り出して現在の位置をマークした。
帰りはこのマークを目指せばここまでこれるはず。
獣道を外れて本格的な森に入る。
スーツケースのタイヤが地面にめり込むわ木の根で引っかかるわで全く進まなかった。
それでも2時間ほど歩き続けると獣道から全く見えない場所に来ていた。
「もう駄目!疲れた!ふわぁ〜〜あ!」
疲れが限界に達し、座りこんでしまう。
「もうこの辺でいいかな?いいよね?」
スーツケースに向かって喋りかけるが、当然返事などあるわけがない。
視界の端で何かが動いたような気がしてふと前を見ると、ものすごく大きな人が目の前に立っていた。
「ヒャ!キャ〜〜〜〜〜!!!ななな何?なに・・・あぁ・・」
意識が薄れていく。
目の前の何かは多分鬼。
鬼がいるってことは鬼ヶ島って本当にあったのかもしれない。
意識が途切れる前、そんな事を思った。
背中にゴツゴツしたものが当たって目が覚める。
目だけを動かして状況を把握する。
そうだ、私鬼を見て気を失ったんだ。
驚きと今までの疲れ、寝不足が重なったのかもしれない。
股間に違和感がある。
そっと触ってみると濡れていた。
私、やっちゃったのね。
先程から馴染みのない匂いが鼻に入ってきている。
匂いの発生源は私に掛けられている砂色の布だ。
一瞬だったが、鬼の後ろにこんな色に何かが見えたような気がする。
鬼はどうしたかしら?
パチッ
と焚き火の中で木がはぜるような音がした。
音のした方を向くと鬼が枯枝を持って座っていた。
穴を掘って火を焚いているらしく、炎の先端がたまに地面の上に見えた。
「起きたか?」
突然鬼に話しかけられた。
今までじっと火を見ていたはずなのにどうして気づいたのかしら。
それにしても鬼って言葉が通じるんだ。
あ、でもここで浮かれてはダメね。
カナに言われた通り、知らない人には少し厳しくしなきゃ。
「あなたは誰?なぜここにいるの?私をどうするつもり?」
私が質問すると、鬼がこちらに向き直る。
顔は大きいけど端正な顔立ちをしている。
「俺はモーガンだ。気がついたらここにいたんだ。お前を・・」
モーガン。鬼にも名前があるんだ。当たり前か。
しかも外人っぽい名前。もしかして鬼じゃなくてただの背の高い外人なのかも。
「外人?それにしちゃ日本語が上手ね。どこから来たの?」
「生まれはビスコールだが、最近はアモルにいた。妙な事があって今ここにいるんだ。ところでここはどこなんだ?」
ビスコールなんて国あったっけ?
地理は不得意だったのよ。
どこって曖昧ね。
ナビでは山梨県って出てたけど、そう言うことじゃないわよね。
日本語をこれだけしゃべれるなら日本のことも大分知ってるはず。
「ビスコール・・・アモル?それってどの辺の国だっけ?ここは樹海よ。富士の樹海。聞いたことぐらいあるでしょ?」
「悪いが聞いたことがないな。フジという国もはじめて聞いた。」
知らない?って言うか日本自体知らないっぽい?
やっぱり鬼なのかな?
「フジは国じゃないわよ。富士山の富士。国の名前は日本よ。あなた日本語を話してるんだから知ってるでしょ?」
「とにかくわかった。ここは日本なんだな。言葉については俺は日本語とは思っていない。だがアモルの言葉と日本語が似ているだけだろう。」
とにかくって何よ!
名前も知らない場所に来て、たったそれだけで納得出来るものなの?
それに日本語に似てるなんてそんな国聞いたことない。
「日本以外で日本語をしゃべってる国なんて聞いたことないわよ。アモルはどっかにある国なのかもしれないけど・・私は知らない。」
「過去はどうあれ、今俺はここにいる。ここにいる以上は生活をしていかないといけないんだが・・そうだ!お前の家貴族だろ?俺を雇う気は無いか?」
切り替え早すぎ。ポジティブな人なのかな。
それにしても私のどこを見れば貴族に見えるの?
「貴族?!何言ってんのよ。そんなもの現代日本にあるわけ無いでしょ!あんた何時代の人間よ!っていうか仕事探すならハローワークにでも行きなさいよ。」
「ハローなんとかっていうのは?」
あ、ハローワークって日本独自だっけ。
いずれにしろ英語で言ってもわからなそうね。
「ハローワークよ。私も行ったことは無いけど、仕事がない人が行くみたいよ。」
「ハローワークとやらの場所を教えてくれないか?」
私だって知らないわよ。
携帯で調べるしかないけど持ってなさそうだな~。
一応聞いてみよう。
「携帯無いの?」
「質問をしているのは俺だ。」
はい、予想通り!
仕方ない、調べるか。
私が調べていると鬼が割り込んできた。
「ただで、とは言わない。多少なら金はあるし、それで不満なら何か仕事を受けてやるよ。そうだ。お前の家まで護衛するって言うのはどうだ?俺はアモルでは王国特別指名冒険者なんだぜ。」
広域指定暴力団?
それってヤバい組織の事じゃなかったっけ?
「・・・それ、あまり口にしないほうがいいわよ。今警察も相当厳しいからね。」
返したところで、この近くのハローワークを見つけた。
甲府の駅の近くだ。
でもこの調子だと甲府って言っても通じないだろうな。
「あなた日本には初めて来たのよね?」
「そうだ。」
自信たっぷりだけど自慢じゃないからね。
「この近くだと甲府にあるみたいなんだけど、・・・電車には乗ったことある?」
「デンシャは知らないが、馬に地竜、船に飛行船、マウンテンタイガーにグラスバッファロー、スタードラゴンまで一通り乗ったことはある。」
意味な~い!
でも聞いたことないものばっかり。
最後ドラゴンって言ってた気がするけど・・たぶんここで突っ込んだら長くなりそう。
もう5時半だしそろそろ帰らなきゃ。
鬼さんは私が車で送るしか無さそうね。
そうとなったら先ず着替えね。
森歩きで汚れるかもしれないと思って替えを持ってきたのが役に立ったわ。
「う~ん、仕方ないわね。甲府まで乗せてってあげる。あ、でもその前にちょっと待っててね。」
鬼さんから見えない場所に隠れ、汚れたパンツとショーツを替える。
と同時にカナに今までの事をラインしておいた。
『スーツケースは処分完了。だけどまた面倒に巻き込まれそう。』
『また?どんな?』
すぐにカナから返信があった。
『樹海を歩いていた外国人に会ったんだけど、その人日本のこと全然知らないの。取り敢えず甲府に行きたいみたいだから送ってくる。』
『男?』
『うん。結構カッコいい。色々と規格外。』
『連れてきて紹介しなさい。それが筋でしょ?』
何が筋だか知らないけど、一応連れていってやるか。
カナが気に入れば鬼さんも住むところが見つかるしね。イヒヒヒ。
着替えて戻ると鬼さんは火を消してすっかり移動する準備を整えていた。
立っているせいか表情が険しくなっているように見える。
「今の妙な音はお前が立てたのか?」
鬼さんが聞いてきた。
声も少し低くやっぱり怒ってるのかも。
でも何に?
「妙なって・・あ、ラインかな?」
私は音を選ぶ画面で着信音を鳴らしてみる。
「この音?」
「そうだ。その音だ。その板が音を出しているのか?」
板?
あぁ!スマホが板に見えてるのか!
「プ〜〜!ハハハハハ!!板?そうね!確かに板ね。あははははは!!」
思わず吹き出しちゃった。
鬼さんって幼稚園の子供みたい。
先入観が無いから発想が自由なんだ。
私が寝てるときにこの毛布も貸してくれたし、怖いのは見た目だけで中身は優しくてかわいいのね。
「笑ったりしてごめんなさい。え~っとモーガンさん。自己紹介がまだだったわね。私は鈴木さおり。よろしくね。あと、これありがとう。」
「よろしくな。スズキサオリ。」
自由だなぁ。
毛布だと思ってた物を返すと、鬼さんはそれをクルリと背中に巻いた。
マントだったんだ。
その後、車に乗って帰路に着いた。
鬼さんはモーガンと名乗っていたけど仲のいい人からはギルと呼ばれているみたいなので、私もギルと呼ぶことにした。
ギルは私の事をサオと呼ぶからお互い様だ。
ギルはどうやら地球で産まれた訳では無さそうだ。
でもギルのいう通り、来てしまったからには生活していかなければならない。
スーツケースの事を棺桶って言われた時はちょっとドキッとしたけど、ギルとの会話は楽しかった。
非常識な事ばかり言うので、昨日、今日であった嫌な事や大変なことを忘れさせてくれているような気がした。
決めた。カナが気に入らなかったら私の部屋に泊まってもらおう。
私はカナの部屋に泊まればいいし。
もし駄目なら二人で同じ部屋に泊まって・・・なんてね!
あぁなんか明日からの生活が楽しみ!
「逆転」で女が運んでいたスーツケースの中身が何だったのか、なぜ樹海にいたのか、などを忘れない内に書いておきました。