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つきひかりにてらされて。

 未だに収まらない鼓動を抱え、俺は彼女が残した香りが漂う部屋の扉を閉め、ピンク色の空気にやられきった肺から溜息を零す。


「はぁ~……、あ~もうっ、メリッサのあれはいったい何なんだよ……」


 先程までの非現実的な状況を一人愚痴りながら、火照ってしまった頭と頬を冷やすために顔を振ってから深く息を吸い込むと、鼻孔いっぱいにメリッサが広がった。


 そのせいで落ち着きという言葉を何処かに投げ捨ててしまった心臓が、ここぞとばかりに益々落ち着かなくなる。


 自らの胸に手を当てると、先程まで触れていた彼女の柔らかさを、慈愛に満ちた擽ったくなるような視線を思い出してしまう。


「メリッサのバカ野郎……、こんな事されたら意識するなってのは無理だぞ……」


 照れくささで頭を掻いて視線をずらすと、頬を緩ませたブルックリンの情けない顔が鏡に写っており、それが自分の今の表情だと理解した瞬間にストロベリった感情は一気に醒め、代わりに来るのは死にたくなる感情だった。


「うぎゃあ!初めて恋をした中学生みたいに頬染めてどーすんの!俺は馬鹿かなの?死ぬの―!? アンタいい年なんでしょ~、しっかりしてくださいよ~」


 鏡よ鏡よ鏡さん、この世で一番バカなのはこの私だ!俺が俺こそが馬鹿でしたぁっ!


 今の状況を女慣れした奴らが見たら、随分ガキっぽくて情けない行動に見えるんだろうが、こちとら厳しい訓練を乗り越えたエリート高齢童貞だぞ。


 俺達の惚れっぽさを舐めんなよ?この歳になって現実を知っても、心のどっかに女に幻想を持ってんだよ。


 優しくされたり、軽く手が触れた位で相手を意識して気になる程なんだぞ?そんで、勝手に相手の後ろに男の影を見たりして、勝手にがっかりする位は日常茶飯事だぞ?


「アカン、マジアカン……、情けなくてまた死にたくなってきましたわー……」


 羞恥と自らの馬鹿さ加減が脳みそを支配して、本日二回目の悶絶ローリング大会を開催しようとして、俺はベッドに飛び込んだ。

 

「あっ……、まだ、メリッサの温もりが残ってる……」


 シーツに残されたメリッサの微かな温もりと香りに包まれて、そのせいで余計に恥ずかしくなり、彼女が残した可愛い人という言葉が蘇り、勢い余って俺はベッドから転げ落ちる。


「ウガアアアア~、もうダメだ、俺は生きておられん!」


 思わずそのまま気が狂ったように床に頭を打ち付けたくなるが、こんな真夜中に頭で床に恥ずかしさを込めた激しいビート刻んだなら、その慟哭のような重低音でたちまち周囲の部屋の住人が集まってくるだろう。


 それは事態を余計にややこしくする、そう自分に言い聞かせながら、彼女の香りに支配された部屋で深呼吸を繰り返していく。


 だがそんな俺の自重を無視するかのように、彼女の指が触れた触れた頬が更に熱くなったような気がして、自分の頬にそっと手を寄せてしまう。


 まるで初めて恋をした乙女の様な自分の有り様に、恥ずかしさを通り超えた呆れが湧いてきて、やっと自分の心の暴走にブレーキを掛けることが出来た。


「なにを馬鹿な事をしてるんだ、俺は……。もうガキじゃないだろ……」


 馬鹿みたいな自分に自虐的な突っ込みを入れて立ち上がると、さっきは全く役に立たなかった脳内議員が嬉しそうに『まぁごく一部は無事に純粋な子供のままなんですけどね』などと突っ込みを入れてくる。


  漸くセルフツッコミが出来る程度に回復したので、これ以上の被害を避けるため彼女の香りも追いだそう、この空気は童貞を殺す成分が入っているに違いない。


 そう思い窓に視線を向けると閉められたカーテンの隙間から、銀の色を纏った月光が床を照らしていて、その光に導かれるように俺は窓を開けた。


 開いた窓は、夏の終わりを示す仄かに肌寒い風を招き位入れ、俺の火照った身体と心をゆっくりと冷やしていく。


「……、今の季節を考えれば、お嬢様を何とかする時間って、きっとシーズン迄なんだろうな……」


 空の頂点を僅かにズレた少し欠けた月を見上げ、俺はアルテミジアと自分に残された時間について独りちた。


 この世界が彼女の破滅によって終りを迎え、その度にブルックリンの中身を変えて繰り返しているという現実。


 このどう考えても突拍子もない馬鹿な話から目を逸らす事は、今の俺にとっては緩やかな自殺に過ぎない。


 シーズンになると攻略対象が夜会を始める、その時までに何とかアルテミジアとアリス嬢を友人にしておかねば、きっと世界は、子供な我儘お嬢様を頭上の月が厚い雲に隠されていくように、立派な悪役令嬢に仕立て上げるだろう。


 そうして月が隠されて仄暗くなった庭のように、俺の運命も連座して閉ざされていくのだろう。


 夏の終わりの空気に冷やされた身体が、絶望的な未来に心が震えた。


「おっと……、どうやら身体を冷やし過ぎたらしいな、そろそろ寝よう。明日から忙しくなりそうだしな」


 そんな怯えを隠すように、震えは身体が冷えたのだと強がって、俺は窓に手を掛けて暗い未来予想と一緒に閉じてしまう。


「初日からこれだったんだ、きっと色々問題が起こるんだろうなぁ……」


 そう言って飛び込んだベッドにはもう彼女の温もりも香りも残っておらず、あるのは冷えたシーツの感覚だけだった。


「とにかく今日は寝よう……、パト○ッシュ、ぼくは、もう、疲れたよ……」


 その言葉を最後に俺は微睡みの中に思考を放棄して、この世界で最初の夜は終わりを告げていくのであった。

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