4-24. コロシアム六回戦の日
「長老個体なんて、そうそう見るもんじゃないんですがね。特に鬼というのは鬼族の軍勢に於いては雑兵ポジションのモンスターです。あれほどに老熟した個体が出るとは、俄かには信じられない」
「成程! やはりあれは普通の鬼ではないと。所謂ユニークモンスターというものなのでしょうか? バリードさん」
「普通でないのは間違いないでしょうね。そもそも戦闘技術の練度が高すぎる。モンスターが我流の研鑽であの領域まで、果たして至り得るものなのか、ちょっと疑問ですね」
丁寧語の会話というのは苦手だ。
バリードは慣れないことをしている気疲れでため息を漏らした。
「さて、そうしますとこれから行われます女性ハンター、クラナスさんとの狩り実演如何でしょう? バリードさんはクラナスさんとはお知り合いだということですが」
もともとはそれにだけ、こっそりと顔を出すつもりだったのだが。
万が一を考え、いざというときにはリングに飛び込める位置がいいだろうなと考えた。
だが、いわゆる齧り付き席およびその付近は完全に満席だった。
仕方ない運営側に掛け合ってみるかと考えたのが面倒の始まりだ。
取りまとめ役の禿頭曰く。
「丁度、モンスターの生態や戦闘技術に詳しい人間を、解説者として実況の側に招くのはどうかという案が出ておりましてな、試験的にご協力願えませんかな? 観戦料無料で場所は最前列も最前列、特等席ですぞ。予算外ですので若干にはなってしまいますが、こちらから依頼料も出させていただきましょう」
まあそんなわけで、こんな場所に腰を下ろして、拡声の宝具などという貴重品に向かって、慣れない口調での解説発言をする羽目になったバリードであった。
バリードとクラナスが知り合いだと知った上での、陰険で悪質な嫌がらせの一環なのではないか。
そんな勘繰りさえしてしまうが、考えすぎというものだろう。
向こうから指名依頼でバリードに依頼してきたというならともかく、運営側に相談を持ち掛けたのはバリードの意志なのだから。
うまく使われてしまっているようで、釈然としない気持ちはあるのだが。
「クラナスはこの実演、Bランクハンターへの昇進試験代わりで参加している。彼女は、十分にBランクハンターとしてやっていけるだけの実力者だと、俺は思う。多少苦戦することはあるにせよ、鬼如きに負けることはないだろう」
「おおっと成程! つまり今回、見事トーナメントを優勝した鬼は確かに普通ではない実力を有している。しかしそれでも、クラナスさんの敵ではない! ということですね? しかし彼女は盲目ということですが……?」
「クラナスはハンターになった時点ですでに盲目でしたよ。盲目のまま、ほとんど最短といえる期間でBランクを伺うまでになったんですよ。何の問題もないでしょうね」
確かに相手の鬼は得体が知れない。
しかしだからと言って、恐らく元は聖騎士なのだろうあの女を、どうこうできるとは思えない。
にも関わらずこんなところで俺は何をしているのだろうかね。
バリードは自分の意外な一面に呆れた。
ハンターになって大活躍。騎士に叙されていつかは王位を得るんだぜ? この俺は。
それがこんなところで、何をやっているのだろう。実はクラナス、聖騎士でしたのおまけで王女様だったりはしないものかね。
「さあ、皆さま! それではお待たせいたしました! これより昨日見事にトーナメントで優勝を決めた驚愕の鬼を獲物として、Bランク昇格間近、実力は既にBランクと言っても過言ではない盲目の女ハンター、クラナス嬢による狩り実演、始まりです!!」
コロシアムのリング上で、両者が見える。
草色の剽悍な体躯に腰布を巻き、棍棒を手にした鬼。
対するクラナスはいつもの白い軽鎧に、刃波打つ両手剣、フランベルジュを担いでいる。
試合開始の合図というものはない。普通、モンスターにそんなものは意味がないからだ。
だが両者、開始の合図を待つかのように、リング上で見つめ合って動かない。
実況が何か言おうと、拡声の宝具に向けて口を開こうとしたタイミングで、鬼が仕掛けた。
イィイイイイエエェェェェェヤァァァァァァァァアアアアア!!
咆哮。しかしそれは咆哮というよりも、裂帛の気合という風情の怒号だった。
気合を発して、しかし鬼の足はじりじりと間合いを探るのみ。
もちろん機と見れは飛び掛かるのだろうが。
剣の切っ先を相手へと向けて、クラナスが祈りの言葉を紡ぐ。
始まりは、誰しもが知る聖句から。
「御名が聖とされますように。御国が来ますように」
そしてギフト名に連絡する。
「加護有れかし。<<破邪顕正>>」
すると彼女の身体は清く輝いた。
騒々しかった観衆が、神気ともいえるその光に圧倒される。
光に照らされた誰も彼もが、口を噤んだ。
悪心を持つ者は悔い改めよ。
さもなくば神の許しを得て、断罪の剣が汝の首を刎ねるだろう。
この光輝が意味することは、つまりはそれだ。
咎人はこの光を正視できない。
この光の前に存在できない。
この輝きこそ聖騎士の証。
聖騎士のみに授与される、真なる恩恵である。
「隠す気ねえのかよ……」
バリードはひとり呟いて、苦笑した。
ザンッ と、聞こえたか。
まさに鎧袖一触。
クラナスのフランベルジュは吸い込まれるように、鬼の胸板を貫いた。
速やかに引き抜かれる。
驚愕の表情で、鬼はどうと斃れた。
波打つ刃はその優美さに反して、ノコギリの如く無惨に、呵責なく鬼の心臓を切り刻んだことだろう。
破邪の光が鎮まり失せる。
クラナスは、初めに立って位置から動いていないようにすら見えた。
もちろんそんな事はないのだろうが、静謐に佇む彼女に動の印象は全くない。
どういった奇跡か、クラナスが構えるフランベルジュの刀身には、血痕の一つ着いていない。
磨き上げられた鏡の輝きを保ったままであった。
実況も呆然としている。誰もが呆気にとられてリング上を見下ろしていた。
何が起きたのか、ほとんどの者には分からなかったはずだ。
ただそこには、結果だけがある。
胸の中央、心臓を破壊されて、血の海に沈む鬼の死体が、そこにはあった。
静止した時間が暫く流れ、クラナスが踵を返してリングを後にする。
バリードもまた、誰彼となく硬直している周囲に一言断って、それに続いた。
「ギーク! おい、ギーク、しっかりしろ!?」
聞き覚えのある誰かの声が、悲痛な色を帯びて聞こえた気がした。
バリードは一瞬足を止めて、僅かに振り返る。
頸を傾げる。気のせいだろうか?
戻っても面倒事しか有りはすまい。
そしてあれでクラナスが昇格試験に不合格ということはないだろう。
今の一戦で、トーナメントの試合は全て完了したはず。
後は閉会式がある位か。もうこの場に用はなかった。
報酬金を受け取る必要はあるが、それはあくまで組合経由だ。
出張仕事なら依頼達成の証を貰うところだが、ここはまあ、王都だしな。
バリードはそう考えて、再度クラナスの後を追うことにした。
任務を達成した場合、ハンターはそれをどのようにして証明するか。
モンスター討伐なら、討伐したモンスターの死体そのものを組合事務所に持ち込めば有無もない。
しかし当然に嵩張るわけで、象徴的な部位を切り取って持ち込むという形が一般的である。
契約書を作成した仕事の場合、依頼主から完了のサインを貰う必要がある。
契約書を何で作るかは色々だが、正式なものなら羊皮紙だ。
しかし羊皮紙はそれなりに高価なものであるから、簡易薄給な仕事には使えない。
自然、木板や粘土板で代用されることが多くなる。
同じ理由で、ハンターが携行するための書面の写しも、滅多な依頼でなければ作られない。
だからと言ってオリジナルの書面を、契約の当事者の手に預けるわけにもいかない。
従って城内の仕事であれば、ハンターが依頼を達成した後、後日依頼主が自ら組合に赴いて、契約書にサインをする。それを以て受注者であるハンターに報酬が支払われる。そうした仕組みが一般的であった。
仕事の達成を主張するハンターがいる場合、期日までに依頼主が組合を訪れなければ、依頼時に組合が預かった依頼料はハンター側に支払われる。組合が作成する契約書には、その旨が必ず明記されている。
逆にハンターの主張が完全に虚偽だった場合、窃盗の罪で衛兵に引き渡されることになる。
依頼主が満足しない結果に終わった場合、示談又は裁判沙汰となる。裁判は双方ともに面倒なものであるから、大抵は示談で終わる。必要に応じてその辺りの調停をする代わりに、組合は手数料を徴収するのだ。




