4-20. 兄弟の誼でお願いごと
小さな講堂の壇上に立った白衣の男が、二つの昆虫の標本を示して、研究の成果を発表していた。
「こちらが螇蚸、こちらが蝗である。興味がある向きは寄って見てくれていいのであるが、それほどでもないであろうから口頭で説明させてもらうと、蝗は体色が暗く、翅が長く、足が短い。そして螇蚸であれば食べないようなもの、綿の服なども食べてしまうのである。明らかに別種なのである。しかしその実、螇蚸から蝗が生まれることがあり、蝗から螇蚸が生まれることがあるのである。この現象を相変異と呼ぶのである」
聴衆席の人数は、両手の指の数を少し超えるほど。
そしてまた壁際にずらりと人影。講堂には空席があるが、直立不動の聴衆が並んでいた。
「あるモンスターから違う種のモンスターが生まれるというのも、これと似たような現象と考えられるのである。蝗と螇蚸の関係では、前者が上位種、後者が下位種だと思うのであるが、しかしあまり明確ではないのである。これに対してモンスターの場合は、かなりはっきりと上位と下位で能力に格差が付く場合が多いのである」
聴衆席に座している者たちの中には、生真面目そうな者が居り、個性的な外見の者が居り、眠っているかのような者が居り、起きてはいるが明らかに聞いていなさそうな者が居り、十人十色である。
壇上に立つ白衣の男は、それら聴衆の態度にはさして注意も払わず、黒板にチョークで何か書き付けつつ喋り続ける。
「モンスターに於いて上位種が発生する条件としては、まず親個体が上位種に匹敵するランクに達していることが必要である。通常であれば、長老個体であることが条件、ということになるのである。しかし、それだけではないようである。モンスターのレベルやランクは単純に時間経過でも上昇するものであるが、穀物を食って時間経過だけで上り詰めた個体からは、上位種は非常に生まれ難いようである。逆に戦いに明け暮れ、他のモンスターの肉を喰らって登り詰めた個体、特に共食いが望ましいようであるが、そうした個体からは上位種が比較的に生まれやすいと観察されるのである」
黒板に描いたのは蠱毒の絵。
それは、甕の中に毒を持った数多の生き物を詰め込んで相争わせ、最後に生き残った一匹を用いて敵を祟るという民間呪法だ。
「つまり、上位種でなければ自分の子孫は生き残れないぞという危機感が、親となる個体側に必要なのだと吾輩は考えるワケである。父体側の影響が大きいのではないかと予想しているのである。が、今のところは立証できていないのである。どちらにしろ確率の話で、確実にそうなるわけではないところが、実験の難易度を上げているワケなのである。ンン? なにかねガド、質問かい?」
聴衆席に居た一人が軽く挙手をした。
それに目を留めて、白衣の男が尋ねる。聴衆席の様子を見ていなかったわけではないようだ。
「ルベン、結局、すでに生まれてしまった個体が、上位種に進化することはない、というのが今のところの結論なのか?」
ルベンと呼び掛けられた白衣の男は、壇上で手を顎下に添えて、ウムと頷いた。
「こういう研究は何よりも根気が必要なワケである。あまり結論を急いで欲しくないものであるが、まあ答えよう。相変異とは次世代に対する影響として顕在化するもの、結果が反映されるのは個体の発生時、つまり生まれる時であり、生まれた後に変異を起こすことはないと観察されるのである」
ガドと呼ばれた男が、食い下がる。
「しかし野熊が血染熊に変化したり、巨大魚が水虎に変化したりという事例があるはずだ。こちらも長い間の研究対象だったはずだろう?」
「その通り、長らく研究を続けていたし、現在も細々とではあるが続けている研究テーマなのである」
ルベンはそう言って、黒板に野熊と血染熊のデフォルメ画を描く。
ルベンには中々の絵心があるようだった。
「野熊が血染熊になるというのは、モンスターとは呼ばれないものがモンスター化するというのは、あれは言ってみれば汚染である。堕落という言い方でもいい。吾輩が最も適切だと思う表現は<発症>である。つまりあれは進化というより、モンスターになるという不治の病に罹患した状態とみるのが正しいようである。肉体は強化されるが、理性は損なわれ、繁殖を行うこともない。同じモンスターという枠で括ってしまっているが、生まれながらのモンスターとは、本来は別物とみるべきものである」
「繁殖を行うこともない? そんなことはないだろう。血染熊の上位には鬼熊や棘鎧熊等々が居るはずで、熊族というモンスターの一群を形成しているではないか」
ガドが席に腰掛けなおし、腕組みをして疑問を呈した。
「いい指摘である。野熊から血染熊に変じた例で行くと、そのような形で生じた血染熊のほとんどの個体は、生殖の意志を持たないのである。しかしながら、その能力がないというワケではないようである。だから無理やりにでも交尾をさせれば、出産させることはできるのである。野熊の牡が暴れる血染熊の牝を強姦する形でもよいとは思うのである。そんな事例が実際にあるのかどうかを、残念ながら吾輩は知らないのであるが」
ルベンと呼ばれた白衣の男は、いったん発言を区切り、部屋の隅に移動した。
設置してあった水差しからグラスに水を注ぎつつ、説明は継続する。
「出産しても子育てはしないし、それどころか子熊が視界に入った瞬間喰い殺そうとする。自然繁殖の成功率は相当に低いはずである。だが生まれた側の子熊は? 血染熊でありながら、親個体とは違い、他のモンスター同様に繁殖の意志を持つ、ようである」
再び発言を区切り、水を注いだグラスを軽く呷る。
「そうでない個体の存在も確認されているので、確実とは言えないのであるが、一定の確率でモンスターであることが<定着>する、恐らくはそういうことなのだと、吾輩は考えているのである。つまり偶然に繁殖が起きて、その結果生まれた子熊が偶然に生き残り、晴れて熊族というモンスターの族が形成されるに至ったのだろうと、まあそう考えられるワケである」
飲み干したグラスを台に戻し、更に説明を続ける。
「ガドの言った通り、吾輩は今まで長きに渡って、その事象の研究に多くのリソースを割いてきたのである。先の<<洗礼>>の改良は、まさにその過程で成し得たものなのである。しかしこの<発症>を、人間で起こすことにはついぞ成功しなかったのである」
まあ、研究とはそうしたものであると、ルベンは述懐した。
「熊はモンスターを喰らうことで、一定確率で<発症>する。そして重要なこととしては、人間を喰らってもそうである、という事実である。そしてモンスターがモンスターを喰らっても<発症>することはないのである。つまりそこから推測されることは何か、ということである。吾輩の口からは断定も断言もしないのであるが、要は熊を血染熊にする方法では、我らの宿願を果たすことはできなそうだ、ということである」
ガドと呼ばれた先の質問者とは別の男が、口を開く。
「であればやはり、少なくとも今のところは宛がついていない、という報告か」
ルベンはやや大仰な身振りでため息をついた。
「気の短いことであるな、ユダ。そんなことでは実入りが少ないのであるぞ? まあいい、皆忙しい身の上であろうからな、話を巻かせてもらうのである」
部屋の隅から、壇上の中央の中央に戻って、ルベンは言う。
「つい先日のことだが、死んだ鬼が蘇生して、別の正体不明なモンスターに変態するという事例が観測されたのである。遺憾なことに、その正体不明モンスターは行方知れずである。現場に<<地図>>持ちが居ればよかったのだが、実に生憎なことである」
やれやれ、と首を左右に振る。
「しかし<<千里眼>>ギフトで行方を追えないのだから、明らかに姿を眩ます何らかの能力持ちである。妖鬼が最有力候補であるが、断言するには情報が足りていないのである。この正体不明モンスターを捕えたいので、諸君らに協力を請いたいワケである」
「正体不明とやらを捕まえたい、その理由は?」
不審げに、ユダと呼ばれた男が眉間に皴を刻む。
「貴重なサンプルである。実に貴重なものである。我等の宿願にブレイクスルーを齎しえるだろうと期待せずにはいられないのである。同一の個体が、死して後に蘇ることで、もしかして上位種に生まれ変わることが可能なのではないか! つまり推測されることはそれなのである」
ルベンは壇上から一同を見渡して、やや興奮した口調でそういった。
「分かってもらえるだろうか諸君。それが事実であるならば、それを可能とする方法があるならば、これは大変なことなのである。このテーマは長年に渡る研究であるし、多くの懸案事項を抱えている諸君に対して、最優先での協力をとまでは言わないのである。着想だけでも研究は進められるし、実際に進めてもいるのである。だがそこを押して、優先度は高めで頼みたいのである。吾輩たっての願い、任されてほしいのである」
金髪を長く伸ばした男が起立して、応じた。
「成程、確かにそれは為されなければならないことだ。良い話が聞けた」
真直ぐにルベンを見て、賞賛の笑みを浮かべる。
「もちろん協力しよう。異論のある者などいまい? 未来に希望が持てるのは喜ばしいことだ。ついてはその正体不明に関する、分かっている限りの情報をもらえるだろうか」
ルベンもまた、満足の笑みで応じた。
「感謝するのである、シメオン。情報は現在、集めたものを整理をさせているところである。後日、全員の書斎に届けさせるのである。では兄弟たち、吾輩はこの件に関する研究に暫くは没頭させてもらう予定である。サンプルの捕縛に関しては、諸君等からの朗報を首を長くして待たせてもらうので、よろしく頼むのである」




