4-19. コロシアム四戦目の日、なの
星がひとつ、天から地上へ落ちてくるのが見えた。
この星には無限の深淵に通じる穴を開く鍵が与えられていた。
星が底なしの淵の穴を開くと、大きな竈から出るような煙が穴から立ち昇り、天を覆い尽くして太陽も空も暗くなった。
天魔アバドンの伝説だ。それは、この世の終末の預言なのだという。
言中で示される煙とは蝗である。蠍の力を与えられた、金冠を戴く無尽蔵な飛蝗の群れだ。
その毒は、害された人々が殺してくれと喚き暴れる程の激痛を、五ヶ月間に渡って与え続けるらしい。
四回戦目、トーナメント準決勝。
ギークの対戦相手は、その蝗によく似ていた。
昨日、三回戦目の終わり際に近寄ってきた、胡散臭い男が連れていたモンスター。
そのモンスターが、今ギークの眼前に居る。昨日勝って、今日の対戦相手となったのだ。
Cランクモンスター、毛髪蝗の変異種だと、アナウンスされた。
しかしこれは本当に、そのようなものなのか?
人の顔と、女の髪と、獅子の歯と、そして蠍の尾までも持つのだとなれば、後は金冠だけじゃないか。
なんだこれは。なんなんだこれは。誰も皆、これに何とも思わないのか?
(なんなのアレは、なの。フレデリカ、アレが何か、知っているの?)
何だか怖い。怖い、蝗の体に貼り付けられている人の顔を模したかのような頭部に表情は無い。その目は朱く閃く複眼で、とにかく只々悍ましい。悍ましい、悍ましい、耐えられない。
キチキチキチキチ、キチキチキチキチ、キチキチキチキチ
(横のナタリア氏が、ひどい異常個体もあったものだと呟いているのであります。だから、一般にはそう表すべきものかと考える次第であります。この距離では分析に限界が有るのでありますが、しかしあれは実際には自然発生個体ではなく、生体融合施術によって作製されたキメラ個体と推定するのであります。かなり強引で未熟な技術によるものと見えるでありますから、寿命は相当に短いはずであります。保有魔素量で言えばCランク程度ではありますが、恐らく基礎種が備えない種族特性を複数有している可能性が高いと指摘するのであります。例えばあのキチキチという鳴き声には、相手の平常心を失わせる効果が含まれているようなのであります)
うーんと、良く分からないけれども、やっぱりまっとうな存在じゃないってことだね? ギークー、ヤバイよー、きっとヤバイ相手だよー。僕も手伝っていいー? てゆうか一刻も早く視界から抹消したい不気味悪さなので、もう邪眼全力開放でボコりまくる方針でいいですかー?
試合が始まった。あ、ダメだこれ。
早すぎる、早すぎる。相手の動きが早すぎる。
気が付いたら、ギークの身体は三回? 四回? 五回か六回かも知れないよ。
とにかく四方八方から跳ね飛ばされていた。
相手の姿を視認できない。
何処にいるのか<<地図>>で捉えた時には、もう違う場所にいる。
僕の処理速度が追い付かない。僕には全然手が出せない。
ボンッ ドガッ ドガッ バシッ
衝撃があって、痛みがあって、混乱だけがあった。
幸いというべきか、相手の攻撃一発一発は軽い。
霧霞豹に比べれば、耐え難く痛いわけでもない。
もとい、ギークはある程度相手の攻撃に対応できている。
完全ではないが、打点をずらして受けるダメージを軽減する努力をしている。
ギークは辛うじて戦えるのかもしれない。
僕がダメだ。
なんてこった。
僕が役立たず。足手纏いでこそないだろうけれど、何の慰めにもなりはしない。
それは単に僕がこれという実体を持たない身だからであって、僕が有能だからでは全くない。
反省。ごめんなさい。これから僕も頑張ります。
どういう努力をどうやってしていけばいいのかは、今時点では何とも言えないけれども、とにかく遺憾なので善処します。
この程度の相手にこの有様では、まずもって僕が聖騎士との戦いには付き合えません。
ギークを鍛えるとともに、僕自身も鍛えないといけなかったね。当然と言えば当然か。
かつての僕は単なる観客で、賑やかしの女の子で、なんだかよくわからないけど凄いねって言っていればよかった立場だったのだ。
暴力方面では、訓練らしい訓練なんて受けたことがないし、戦いらしい戦いに臨んたこともない。
岡目八目でなら色々言えても、こういうシンプルに早いとか、シンプルに強いとかいう相手には、実際のところどうしようもないのである。
とりあえずは、動体視力? の訓練から。
この試合が終わるまでには、この忌まわしい謎蝗の動きを目で追えるようになっているといいな。
あまりまじまじと見たい相手ではないけれど。
はい、頑張ります。
集中する。
集中する。
集中する。
離欲深正念、浄慧修梵行、志求無上道、、、
否、
集中。
集中だ。
ギークが巧みに身を捻って、毒針を避ける。
大して痛痒でもない体当たりなど、急所に貰うのでなければ放置しておけばいい。
くらっては不味い攻撃だけを冷静に見極めて、それは確実に回避する。
ギークはまさにそれを実践していた。
偉大で可憐で色っぽかった師匠の薫陶にちがいない。
「一方的! 三回戦に引き続き、一方的、そして圧倒の展開となっております! 蝗、俊敏です! 圧倒的なスピードです! 鬼は一切抵抗することもできず、翻弄される一方となっております! さあこのまま終わってしまうのか!? これは嬲り殺しの展開かぁーーーー!!?」
ギークはちゃんと躱していますよ?
まあ目が節穴なスピーカーのことはどうでもいい。
なんて早さだろう。おまけに単に直線的に真直ぐ飛んでくるばかりではない。
弧を描いたり、上下にぶれたり、右から来るかと思わせて左から飛んできたりする。
そうした攻撃を織り交ぜることで、攻撃の軌道を予測されることを巧みに避けているようだ。
ドグンッ!
ついにギークは、真正面から胸板に、蝗の攻撃を受けてしまう。
肋骨とか、砕けたかもしれない。
強い衝撃に、心臓が不整脈を起こしたかも。
息ができない。苦しい。苦しい。
くそぅ、分かっていたのに、苦しいぞ。
「同胞だと?」
昨日、寄ってきた胡散臭い男の呼び掛けに、ナタリアが不審気に応じた。
「お前は……、まさかロルバレン人の、ハーフか? こんなところで、こんなイベントに参加しているとは。もしや魔物調教師の一門の出なのか?」
ナタリアの問い掛けは、男にとってやや意外なものだったようだ。
その胡散臭い男は首を傾げ、そして胡散臭く呟いた。
「おや? そういう聞かれ方をするとなると、同胞様はそうではあらせられない? ほう、、、ふむ、、、これは少し、見込み違いですか」
所作の全て、言動の全てがもうとにかく胡散臭い。
胡散臭い罪でしょっぴいて牢屋にでもぶち込みたい。
「うむ、そうとなれば余計に交わす言葉は持ちません。いや、準決勝進出、おめでとうございます。世を支える偉大なる獣に祝福あれ。支えられしその恩義を忘れることなく、お互いに健やかならんことを」
そんなことを言って、男はそそくさとナタリアから離れていこうとする。
あからさまに怪しいわけで、ナタリアとしてもそのままでは行かせない。
「待て! この興行、お前たちが何か関与しているもなのか? 何故だ!?」
ナタリアにしては珍しく、語気が強かった。
「はてさて、お前たちとは、誰彼を指しての表現ですかな? ちょっとわかりかねますな。ワタクシは一参加者にすぎませぬよ。次の試合の開始に遅れてしまいます故、申し訳ありません、ここは失礼を」
その男はそのように胡散臭く、ナタリアの側から離れていった。
魔物調教師?
横でやり取りを聞いていた僕は考える。
モンスターに芸を仕込んで、火の輪でも潜らせようというのだろうか。
ちんちんとか。
それを可能にするギフトがあると言うのを、僕は知っている。
昔、曲芸師の一座が、飼い馴らした小鬼に芸をさせる、というのをやっていた。
そんなことができるものなのかと、当時は驚いたものである。
後で聞けば、あれはインチキに近いものだ、と言われた。
恐らくは<<支配>>系統のギフトによるものだろう、ということだった。
<<支配>>系統のギフトの基本は、支配した相手を意のままに操るということだ。
意のままにとはつまり、基本は相手を直接操縦するということである。
それを以てすれば、相手がモンスターだろうと、芸をさせるくらいは朝飯前だろう。
直接の操縦。具体的な操作方法はギフトによって差があるらしいのだけれど、口で命じたことを、念じたことを、支配された相手が佳きに計らって、その実現方法を自分で考えて、最適な形で実行してくれる、というわけではない。
鳥を支配下に置いたとして、飛べと念じて鳥を飛ばすことができるわけではない。翼をそのように操り切ってこそ、飛ばすことができる。そして大抵は操り切れず、墜落させてしまうことになるのだ。
だから、この胡散臭い男が、<<支配>>系統のギフト持ちで、それでモンスターを操って、コロシアムを勝ち進めさせているのだとすれば、それは大したものだ。賞賛に値する技能だろう。
まずあり得ないと思うので、その可能性は除外するとして、さて後は、他には「魔物」を「調教」できるようなギフトなど、何かあっただろうか?
ギークのように、意思の疎通が可能な相手に対してであれば、<<魅了>>系統のギフトでという可能性もあるかもしれない。
でも魅了というのは、基本的に諸刃の刃だ。痴情の縺れで刃傷沙汰というのは人間同士でも珍しくないが、まして価値観の異なるモンスター相手となれば、最終的には掘られるか喰われるかの二択に行きつくに違いない。
他には? どうだろう。それくらいしか思い付かないが。
「あの男はなんだ? お前とは、どんな関係になる?」
準決勝の前日夜、三回戦で満身創痍だった傷が早くもほとんど塞がったギークが、城外に設置したテントの前で、夕食のシチューが出来上がるのを待つ傍らに、ナタリアに説明を求めた。
ナタリアの膝枕でゴロゴロしていた犬耳が、ガバッと身を起こして悲鳴を上げた。
「男!? 男と関係ですって!? そんなッ! ナタリアッ?!」
いや、そうではなくてだな。
「ふむ、あまり変に勘繰られたくはない。答えられることは答えよう」
テンテンの所作で危うくひっくり返りかけた鍋を、ナタリアが素手でハシッと抑える。
火傷は? しないの? しないのか。
「まずあの男個人の事は、我は知らん。初対面だ。前に言った我の同志でもなければ、その関係者でも無いだろう。最後のは願望でもあるがね」
放っておくとギークが際限なく喰うということを学んだナタリアが、自分とテンテンの分を取り分けてから、鍋掬い用の匙をギークに渡す。
後は好きに喰え、である。
「あの男を指して、魔物調教師と言っていたな。それはなんだ」
匙を受け取りつつ、ギークが言う。
ナタリアがウムと頷いた。
「そうだな。どういったものか。我の故国については、前に話したな? トゥラ王国は理念としてモンスターとの共存を掲げていた。だが実際で言えば、モンスターは善きサマリア人ではない。瀕死で倒れている旅人がいれば、十中八九は喰われるだろう」
ナタリアがテンテンにシチューを取り分けた椀を渡す。
犬耳は嬉しそうにそれを受け取った。尻尾がパタパタだ。
この話題、きっと君も無関係ではないですよ……?
「王国の国是はもともと、モンスターと敢えては敵対すまい、程度のものだった。建国神話にベヒモスが登場するのだがね、始まりの王が、そいつ分かり合って友となる、みたいなストーリーがあるのだ。モンスターと言えども話せばわかる相手も中にはいる、みたいな話さ」
ベヒモス? 完璧な獣のベヒモスですか?
最強の生物と共に海に住んでいたら、体がデカくなりすぎて海が溢れたとか。そのせいで大地が水没して地上に暮らしていた数多の獣たちが嘆いたから、その声を聞き届けて大地の下に住処を移すことにしたとか。以来地上が水没しないように下から押し上げ支え続けているとか。
そのベヒモスですかね? いやそれ、友達とかそういう規模の相手と違くないですかね?
(ベヒモスでありますか。懐かしいのであります。我らがまだ人間たちと言葉を交せていた頃の話なのでありますね。あのバハムートはきっと今でも元気に働いているに違いないのであります)
河童が何かすっとぼけた事を言っている。お前は誰だ。
今しているのは神話の話だ。そしてメガフレアは関係ない。
「王国のそれは消極的な友好の姿勢だったが、もっと積極的にモンスター達と交誼を結ぼうと言う者達を生み出す土壌にもなった。魔獣調教師達というのは、つまりはその中でも特に急進的な連中だな。そのままでは良き隣人足り得ない凶暴なモンスター達を捕らえ、調教して、友人に仕立て上げようとまで振り切れた、最左翼ということだ」
(前略)
[WARN] ギークは、外敵からの攻撃を受けています!
[WARN] ギークは、外敵からの攻撃を受けています!
[WARN] ギークは、外敵からの攻撃を受けています!
[INFO] 現在の状態を表示します。
ギーク
妖鬼 Bランク Lv11 変身
【ギフト】
不死の蛇 Lv3
唆すもの Lv--
地図 Lv4
引戻し Lv3
制圧の邪眼 Lv2
<---ロック--->
<---ロック--->
<---ロック--->
【種族特性】
永劫の飢餓(継承元:餓鬼)
暗視(継承元:小鬼)
忍耐の限界(継承元:鬼)
手弱女の化粧




