3-16. 組合への報告
「うん? 報告義務? ああそうだった、そうだった。下位竜くらいでも、規格外モンスターってことになるのか。まあ、場所が場所だしな」
街に戻ろうかで踵を返しかけたところで、カニ姉が立ち止まりました。ボクらには全く聞こえないのですが、背負っている甲羅の女の子から何か言われたのでしょうか。
「そうすると、なにか証拠があったほうがいいね。物証は、うーむ? なにかあるか? ああ、そこに落ちてるのでいいかね。最後の一矢が入った時に、内側から弾けたんだな」
カニ姉が、たぶん甲羅の女の子とだと思うけれど、何か会話をしながら竜が暴れ狂ったあたりに歩いて行きます。そして、何か小さめの盾のようなものを拾い上げました。
「しかし赤鬼に引き続いてだと、なにか痛くもない腹を探られたりしないかね。単に、ちょっと目立つくらいのことはまあ、ランク上げを目指すならば必要だろうから仕方ないとして、あの女がいるからこんな事件が起きるんだ、みたいな悪評は望むところじゃあないぞ?」
カニ姉が、ボクたちには声が聞こえない相手との会話を続けつつ、戻ってきます。ちょっと不思議な光景でしたが、ボクたちの目はカニ姉が拾い上げたものにこそ釘付けになりました。
それは、光沢のある、黒い、下位竜の鱗でした。
「……、……、ああ、そうするか。フィー、ウェナン、立てるかい?」
カニ姉に呼び掛けられたので、ボクは立ち上がって、大丈夫だとアピールします。ウェナンもです。
腰砕けで、生まれたての小鹿のようになっていますが、大丈夫です。立てます。
「とりあえず、今日は街に戻るよ。それで組合に干潟に下位竜が出たことを報告しないとね。物証はこの鱗でいいだろ」
本来この狩場は、下位竜が出現するようなエリアではありません。
人が沢山住んで暮らしている港町モーソンにも程近いので、もしダナサス川を遡上されてしまったら大変です。
そういう場所で危険な桁違いのモンスターを目撃した場合には、組合経由で領主に報告する義務が、ハンターにはあります。その結果として、緊急の討伐クエストが発行されたりするのです。
「あの、あの、カニ姉、大丈夫、大丈夫だから」
そうして、街に戻ってきました。その頃には体も乾いて、こびり付いていた砂も大分落ちました。
でも、ちゃんと洗っておいた方がいいとカニ姉が主張するので、公衆浴場に向かいます。断り切れませんでした。ボクらだけが、こんな贅沢をしてしまっていいのでしょうか。
孤児院の子供たちは、夏でも冬でも関係なく、体を洗うのはダナサス川です。ダナサス川は綺麗な川ではありませんが、飲むわけじゃないし、体を洗うくらいならそれで十分だと思います。お湯だなんて、もちろん使えません。川から離れた後に、火鉢にでも当たれればそれで充分です。
それをカニ姉は、ほとんど毎日、浴場には行かないのかいと誘ってくれます。頷いたらカニ姉のおごりになります。浴場でも食堂でも、一緒に行くとカニ姉は全て有無を言わさず全額を払ってしまいます。カニ姉にも他のみんなにも申し訳がないので、初日以外では街中での同行はなるべく謝辞していたのですが、今日は断り切れませんでした。
「ウェナンはダメだからね! ボクとカニ姉が上がってからだから!」
厳命します。絶対ダメです。コイツにこれ以上カニ姉のあられもない姿とか見せるわけにはいきません。
てゆうか、いいよオレは、入らないから! とウェナンが言っています。
フリじゃないでしょうか。疑わしいです。
「どうせ、お湯に浸した布で体を拭くだけじゃないか」
ボクとウェナンが言い合っていると、呆れたようにカニ姉が口にします。
行動を共にさせて貰えることになった初日、何のためらいもなく服を脱ぎ捨てたカニ姉がです。
断固拒否です。ダメに決まっています。服を着たまま拭うに留めるにしても、それを見たウェナンがどんな妄想を膨らませるのか、知れたものではないのです。この大恩人であるところのカニ姉をおかずにしようなんて許せるはずもありません。どうしてもというならお粗末なあれをチョン切るならば検討します。
公衆浴場には男湯と女湯がちゃんとあります。でも、それらはぺイラン人用です。ぺイラン人用の施設には、噂では湯船というものがあって、お湯に浸かれたりもするそうです。今一つ想像が難しいですが、冬でも暖かい川がこの建物の中に流れていたりするのでしょうか?
そうした施設は、非ぺイラン人であるボクたちには使わせてもらえません。公衆浴場には非ぺイラン人用のエリアというのが別に設けられていて、そこは残念ながら男女共用なのです。湯船なんてものもありません。お湯の入った樽がもらえるだけです。それをどう使うのは自由なようですが、服を脱いでそれで体を洗って、終わったら服を洗う、みたいなのが一般的なようです。洗濯兼用ですね。生活の知恵です。若い女性だと、布を別に持ち込んで、服は着たままという方もいます。
「ま、まってカニ姉、自分で、自分でやれるって」
ボクの顔は、今きっと真っ赤です。火照っているのが自分でも分かります。
ここに来る若い女性は大抵が男連れのようです。男連れでなくてここにいるのは、少なくとも今はカニ姉とボクだけです。カニ姉の美貌もあって、周りの人たちからの注目の的になっています。
というか誰もボクのことなんて見ません。カニ姉です。カニ姉が視姦されているのです。おのれ許せません。ああしかし! 怒りを覚えるより前に、嬉しいけど恥ずかしくてボクはもうなんだかどうしたらいいかわかりません。
だってカニ姉が、ボクのことを拭いてくれるって言って、それで後ろから抱き締めてくれて、優しく温かいお湯に濡れた綺麗な布で、あ、あ、そんな、カニ姉。だめ、だめ……、だめぇ…………。
「ぜってー、お前にどうのこうのと言われる筋合いはない」
ウェナンがなんか言ってます。知りません。
ボクは公衆浴場で気を失ってしまったそうです。体は綺麗になっています。思い出そうとするとまた気を失うかもしれないので、深くは考えないことにします。きっと、とっても幸せなことがあったんです。
「そういうわけなんで、報告は二人に任せるよ。二人の名前で報告をしておいてくれ。こういう物証付きで、ちゃんとした報告ができれば、組合の覚えも良くなるぞ」
カニ姉が、唐突にそんなことを仰います。カニ姉の方を見るだけで頬が熱くなります。不思議です。
「いや、体を洗っているときに、フィーには説明しただろう?」
ボクとウェナンが、なにがそういうわけなのだろう、で目をパチパチさせていると、カニ姉がそんなことを言います。ウェナンが僕の方を見ます。なんですか、こっち見ないでください。不潔です。折角カニ姉が洗ってくれた身体が穢れる気がします。向こうに行ってください。とりあえず蹴とばします。えい。
「なにすんだよ!」
ウェナンが抗議の声を上げます。知らないです。
「おいおい、ちゃんと聞いてなかったか? わかった、わかったからカニ姉ぇ、許して……、とかやけに雰囲気を出して、色っぽく応えてたじゃないか」
耳が熱くなったので、とりあえずもう一回、ウェナンを蹴ります。えい。えい。えい。
ウェナンが何か前屈みになりました。許せないです。踵落としも食らわせましょう。えい。
それから、カニ姉にいわれたことを思い出そうとしてみます。
カニ姉の、あんなにすごい戦いをする人なのに、あかぎれとか全くない、すべらかな肌触りの繊細な指先が、肉が乏しくて窪んだボクの太腿とか、浮き上がったあばら骨の隙間とかを布と一緒に優しく撫でて、それがとても快感で……、って違う! 今思い出したいのはそうじゃない!
「ダメか。まあいい、とりあえず報告は任せたから。これから行ってきてくれ。あたしはその間、ちょっと鍛冶屋の方での野暮用を済ませて来るから」
ブンブンと頭を振り回していたら、なんだかよくわからないうちに任されてしまいました。
任されてしまったので、ウェナンと一緒に組合に出向いて、受付の人に報告をします。
すぐそばの干潟に、下位の水竜が出現しました。
これが証拠です。怖かったです。
それくらいの報告しかできませんでした。それなのに、青ざめた組合の人が鱗を持ってバタバタと奥に引っ込んで、その後、大変だ! とか、よく報告してくれた! とか騒ぎになってしまいました。
それを見ていて気が付いたのですが、これってカニ姉の手柄を横取りしたみたいなことになっていませんでしょうか。もしそうだったらどうしましょう。ボクもウェナンも、なんだか思った以上に大事になってしまったので、蒼褪めます。
いや、重要報告の報酬とか受け取れないっていうか!
ああでもこれはカニ姉に後で渡せばいいとして、ハンターランクの評価ポイントは幾つになるからとか、あぅあぅ、ど、どうしようウェナン!
あ、ウェナンもこっちを途方に暮れた顔で見てるし! なんて使えない奴だろう。




