3-02. 下宿屋の受付
「おいおい、待ってくれよカニーファ、そいつは濡れ衣ってもんだぜ」
剣呑な目付きで睨まれたので、面倒臭えなあと思いながら、俺は弁明を口にした。正直なところでいえば、いまさら何をバカなことを言っているのかという感じだ。貧民窟がそういう場所だなんてことは、コイツだって十分承知のはずだろうに。
「確かにお前さんの言う通り、出入り口はここにしかねェからな。部屋から盗まれたってんなら、盗んだ連中もここを通って行ったのかもしれねえよ。だが俺だって四六時中見張っているわけじゃねェ。そもそも俺が見張っているのは入ってくる客の候補どもだ。出ていく連中のことは大して気に留めてねェんだよ。わかんだろ?」
おざなりな管理だといえばそうなんだろうが、誰だって面倒事は御免なはずだ。俺だって御免だ。荷物を運び出そうとしている連中を呼び止めて、それで絡まれてしまっては単なる絡まれ損である。
特に今回カニーファの荷物を盗み出していった、集金ノルマに追われている働き蟻共が相手ならなおさらだ。荷物はどっちにしろ奪われるだろうし、俺は大怪我を負うことになる。下手をすれば建屋を壊されてしまいかねない。
見て見ぬ振りが最適解だったのは間違いのないところ。盗まれるようなものを部屋に置き去りにしていたカニーファの間抜けである。何をお上りみたいな初歩的なミスをしてやがるのかと思う。
カニーファは元々うちの常連客だ。だが昨日こいつがうちに部屋を借りに来たときは、最初それとは気付かなかった。
どころか、貧民窟をうろついていちゃ拙いだろってレベルの美人が入ってきたと思って、一瞬惚けちまった後に普通に商売女向けの応対をしてしまった。
「おい、姉ちゃん。ここはそういう店じゃねェ。ここじゃ客は取らせないぜ、とっとと失せな。そしてもしも、そういうつもりじゃねェ、アンタ自信がここの客だってんなら、ますますダメだ。ロクでもねェ目に遭う前に、今すぐ城内の家に帰んな」
そんな感じだ。
うちは貧民窟じゃあマシなほうの下宿屋だと思う。保安的な意味での管理がザルなのは、貧民窟ならどこだって大差ない話だ。マシかマシじゃないかってのは、商売女を始め、部屋での男女の営みを認めるかどうかっていう基準でのことである。
こいつを認めちまうと、当然だが部屋が汚れる。一応、客が入れ替わるタイミングで軽く掃除はするわけだが、箒で履いて物の配置をちょっと直すくらいが何処の宿だって関の山だ。城内じゃどうしているのかは知らないが、貧民窟の宿ならどこだってそんなものだろう。
そんな程度の掃除で、寝藁だの床だのに染み付いちまった不衛生の元、全部を取り除けるはずがない。おまけに夜喧しいしな。だからそれがないってだけで、そういうことをさせないようにしているってだけで、貧民窟の宿としちゃあマシな部類ってことになるわけだ。
そういうことがしたければ、屋外で好きなだけやればいいのに、なんだって他人様から借りた部屋の中で、次の客だの周りの客だのの迷惑も考えずに盛ろうとするのか、そこが理解できないところだ。
故に、うちでは商売女の営業は認めていない。そして貧民窟はそもそもそんな場所だ。まともな若い娘が気軽に寝泊りするような場所じゃあない。
「何を寝ぼけたことを言ってんだか知らないが、いつもの部屋を五日だ。別の客にくれちまったというなら、同じくらいのマシな部屋をよこしな。ほら、払いはこれで合ってんだろ?」
だが、この俺のありがたいだろう忠告の言葉に対して返ってきたのは、そんな返事だった。そしてカウンターに、馴染み客向けのレートで適正価格となる鋼貨がじゃらりと置かれた。俺としちゃあ目を白黒させるしかない。
改めて相手を見直す。着ている服は薄汚れていて、襟口袖口には擦り切れが目立ち、随所に血の染みを洗って落としたのだろう痕跡が見受けられる。ここまではいい、ここまでは別に珍しい外見というわけじゃない。問題は中身だ。
黒髪、白い肌。典型的とまでは言えないが、よくいるパルロ人の特徴だ。それはいい。俺だってパルロ人だ。黒髪ではなく茶髪だがな。
だがしかしこの女の髪は艶やかすぎる。そして肌は綺麗すぎる。こんな女、貧民窟に限らず城内にだってまずいないだろう。毎日侍女に体を磨かせているどこかの貴族か、上流どころのお嬢さんが、格好だけ貧民窟の住人の真似事をしているのじゃないかと疑わせる。
大体、容貌も整いすぎだ。教会に飾ってある聖杯の女神だって、ここまで端正な顔立ちだったかどうかの自信がない。いや、ちょっと待てよ。
「……、オメェ、まさか、カニーファ、か? いや、そんなバカな、、、」
近頃姿を見なくなった賞金稼ぎの女ハンター。あいつから古傷だの痘痕だの、ああ勿体ねェなあと思わせていた部分を全部とっぱらったら、もしかしてこんなようにもなる、のか? 凡そあり得る話じゃあなかったが、俺がそう口にした瞬間、その美人が微笑んだ。まて、俺を誘惑するんじゃあない。
「ようやく頭に血が回って来たのかい? ああ、死んだと思われていたのか。残念だったね、見ての通り五体満足だよ。で、部屋だ。どうなんだい、空いているならとっとと鍵を出しな」
「……、いやちょっと待ってくれ。オメェよ、何があったか知らねえが、そんな容姿でこんな場所にいちゃ、攫ってくれ、襲ってくれと言っているようなもんだぜ?!」
俺は心からそう忠告した。微笑みかけられたせいで心臓が踊っている。おいおいマジかよ。俺はどこの青少年だ? そしてそんな女がここのような貧民窟の下宿に泊まるだと? 冗談じゃない。
「暫く会わないうちにボケたのか? Cランクの賞金首ハンター相手に何言ってやがる。札付きが向こうから来てくれるってんなら、むしろ歓迎してやってもいいくらいだぜ」
そういわれちゃあ言葉に詰まる。元々、女である自分をエサに獲物を引っ掛けるということを、カニーファが時々やっていたらしいのは知っていた。大して興味もなかったが。貧民窟で暮らしていくなら、使えるものはなんでも使うのが当然だし、別にこれまでそれをどうだと思ったこともないのだ。確かに、今更何をバカなことをという話である。
「……、うぬ、チッ、俺はどうなっても知らんぞ。暴れて部屋だのドアだの壊したら弁償はしてもらう。いいな?」
「あたしが壊した分だけな。それ以外は知らないよ、襲ってきた奴から勝手に剥ぎな」
「……、それと、その背負っているのはなんだ? うちは基本的に一人一部屋だ。女同士だろうと、、、」
「拾いもんだよ。あんたこれが人間に見えるのかい? まあよくできちゃいるが、人形だよ」
そんなやり取りがあったのが、昨日の話だ。
昨晩は取り立てて何も起きなかったようだが、今日出掛けたと思ったら、どうやら部屋に武器だのその人形だのをあり得ないことに置きっぱなしにしていて、そして当然に盗まれたらしい。
バカどもが手を出してくるならむしろ歓迎だと言っておいて、それで何をやっていやがるのやら。他の物ならまだしも、ハンターが武器の盗難に遭ったとなっちゃあ間抜けも過ぎるってもんだろう。
俺は知らん。




