3-01. 妖鬼に怯えて
私室にて。
燭台の明かりを頼りに本の文字を追っていた少女の目線が、ある章の最終項に辿り着く。輝く金髪の幼い少女は、ふぅー、と長く息を吐いて本の表紙をパタンと閉じた。
「恐ろしいです。人に化けて人を喰らう。そのような鬼がいるのですね」
少女が小さなその身を更に縮こまらせつつそう呟く。侍女のクラナスは、席から立つのだろうお嬢様の補佐として、スッと後ろに回った。
「鬼だということにして、嫌いな人間を集落から追い出したり殺したりした逸話じゃないのかって? まあ! どうしてミイはそう捻くれているのでしょう」
席を立った少女は、唐突に一人芝居の女優のような大げさな身振りを交えて嘆き始める。毎度のことであるが緩急の激しさには少し驚く。本当に、姿の見えない相手と会話しているかのようだった。そしてなかなかの穿った見方ですねと、クラナスは内心でちょっと呆れた。お嬢様は全般としては大変に微笑ましいのだが、時折悪戯好きな姿だったり斜な見解だったりを披露することがあった。
「クラナスは、どう思いますか? 鬼が人に化けて、街に潜んで普通の人々に混じって生活をするなどということが、本当にあることだと思いますか?」
恭しく丁寧に椅子を除けつつ、苦笑を堪えていたクラナスは、水を向けられたので少し記憶を辿る。そして、それはそれとして侍女に相応しいであろう回答をひとまずは返した。
「どうでしょう、家庭教師の先生に尋ねてみてはいかがですか?」
「クラナスは意地悪ね。あんなやつ嫌いよ。何の中身もなくて、つまらないのだもの。クラナスだって騎士学校で勉強したんでしょ? あ! もしかして、戦ったことある?!」
「戦った事は、残念ながらというか、ありませんね」
今度ははっきりと苦笑しながら、クラナスが記憶の片隅から知識を引っ張り出す。
「人に化ける鬼は鬼族の中でも珍しい種族で、妖鬼と呼ばれています。連中は、喰らった相手の生皮を被ることで、声と姿を奪うと言われていますね」
「や、やっぱり、実際に居る鬼なのですね! なんということでしょう。では、マダムレイヨーが実はそうだったりしませんか? だってとても恐ろしいのです。さっきクラナスが意地悪した家庭教師はどうですか? 時折視線からゾワッとしたイヤな感じを受けることがあるのですが」
後半が少し聞き逃せない感じだったが、ひとまずは保留にしてクラナスが応える。
「ご安心ください。所詮、鬼に人間の完全な模倣などできないのです。明るい場所でなら、即座に違和感を覚えるような、雑な変身だそうですよ? だから、妖鬼が題材になったらしいお話で、実は鬼だったとされるのは、夜道で出会う女であったり、御簾の向こうにいる人影であったりが多いと聞きました」
「それはその、髪の毛が元々より薄くなったりとか、目つきが鋭くなって声に迫力が増したりとか、そういう事ではありませんか?」
思わずクラナスは軽く吹き出してしまった。
そのまま、先にお嬢様が名前を上げた二人のことではないか。いや、目つきが鋭くなって声に迫力が、というだけだと、他にも候補はいるが。
「大丈夫ですよ、お嬢様。私も見たことはありませんが、もっとあからさまなモノだそうです。さ、もうだいぶ夜もふけてしまいました。また寝不足で怒られますよ? どうぞ、お休みください」
クラナスは、自分で自分の華奢な身体を抱きしめるようにしているお嬢様を、綺麗にメイキングしてある立派な寝台へと導く。
「ああ、もし私が襲われて、それで姿を奪われて、鬼がエデン辺境伯を弑する手伝いをするようなことになってしまったら、ああ、どうしましょう。そんなことになってしまっては悔やんでも悔やみきれません」
今の本が大筋、そういう筋の物語だったのだろうな、とクラナスは思った。
実際のところ、エデン辺境伯は、この愛らしいお嬢様に、ほとんどまともに会ったこともないはずだ。仮に妖鬼が完璧にお嬢様の姿を真似ることができたとしても、油断するようなことはないだろう。殺気を感じた瞬間、お嬢様の姿をした妖鬼を一刀両断にするに違いない。
権力を持った男というものは、誰も彼も勝手なものだ。娘なんて道具としか見ていない。壊れた道具には興味を示さないどころか、切り捨てにかかってくるのがあいつらなんだと、クラナスは暗く憂いた。
「知っている人間が、いつの間にかすり替えられている。こんなに怖いことはないですわ。今夜は恐ろしくて眠れなそう。クラナス、添い寝してくれますか?」
大切なお嬢様に縋られて、クラナスは少し困ったように微笑んだ。
「構いませんよ? でも、この前みたいに服を脱がせようとするのなら、お断りさせていただきます」
「え? あ、あれは違うの。ちゃんと説明したじゃない、ミイがいけないのよ。だってミイが、素肌同士だともっと全然気持ちいいハズなのとか、変なことを言うから」
それも結局はお嬢様ですよね、とクラナスは思った。




