1-01. ミカン泥棒、なの
暗いけれども、とても眩しい。
閉じた瞼の上から、陽光が被さってきたのだろう。
掌で遮るなり、体を起こして影を作るなり、して欲しいところだ。
まずはミアに起きてもらわないと。
(ミア、ミーアー、起きるのー!)
いつものように、僕は呼び掛ける。何か雑音。記憶の齟齬。
無駄なことをしている錯覚を覚える。
いいや、そんなのは、気のせいだ。
起きてくれない。ダメらしい。
ミアはあまり寝起きが良くない。アレが始まってから、ミアはずっとそうなのだ。
眩しい感覚はシャットアウト。我慢我慢。
すると別の感覚に気づく。
足が何やら冷たいような。
腰から下が浸かっているような。
……、えー?
ミアさんまさか。まさかそんな。
確かに何か、溺れる夢を見たような。
呼吸ができず苦しくて、ジタバタしたけどどうにもならず。
そんな記憶もあるような。
そんな、十三歳にもなって、いまさらですか。
ああこれはまずい。侍女のクラナスには言い含めておかなければ。
そうするように、ミアには助言をしなければ。
ちょろちょろと、水の流れる音が聞こえる。
待ってくれ。現在進行形はないだろう。それはない。
(ミア! 起きてって! 起きなきゃダメなの!)
いろいろとおかしい。いやな予感がする。悪寒がする。違う、違う、違う。
何かを思い出す。悪い夢。酷い夢。あり得ない出来事。
これは違う。それも違う。
ああ、なぜ背中が、ジンジンと痛い?
ジャリジャリするの? まるで砂利原の上に、直に寝そべっているかのようじゃないか。
この水音は一体なに。生臭い匂いは何の冗談。
どこかの小川で、一旦起きて、おなかが空いてて、再度倒れた。
誰の記憶? 僕の夢?
僕は小鬼で、それはミアではなくて、いいやそんなのあり得ない。
焼けた鉄が押し付けられて、嫌な臭いが立ち込めて、僕はずっと、ずっと許しを乞うていた。
神様お願いします。神様お願いします。神様お願いします。
もうやめてください。もうやめてください。
それでもミアは、ミアはそれで。
「ギ……、グ、ギゥ?」
朦朧とする靄を振り払うように、ミアであるはずだった体は、乱雑に頭を振って起き上がった。
上半身が起こされる。地面の砂利が喰い込んで、掌と尻とが僅かに痛い。
「……ナンダ、イマノハ? ウ、誰ダ?」
途中から、僕はずっと喚いていた。叫んでいた。コイツが意識を取り戻したのは、そのせいか?
(あ、あぁッ)
見たくない現実。認められない現状。目に入ってきてしまうのは自分の体。
それがミアの女の子な肢体ではなく、濃い緑色をした醜悪な肌の小鬼であることだった。
(ああああああああぁぁぁぁッ、ミア、そんなッ)
つまり何も、夢ではなかった。僕は絶望に沈む。
僕は暗闇に沈む。ああもうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ!
ミア、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!
「ナンダ? ミア? ナンダ、オマエハ」
ミアは、あんなに好い子だったのに。神様を信じていたのに。
ああ、ああ、あの中年太りの司祭の得意気な死刑宣告が。
知った顔だって混ざっていただろう観客どもの歓声が。
厭らしい手付きで身体検査をしてきやがった性犯罪者の侍祭ども。
虫けらを見る目で最後に一瞥くれやがったお父様。
ミアの柔肌に鋭いものが突き立てられて。血がどくどく溢れダメだよ死んじゃうよって。
僕が喚いて。情景がぐるぐるぐるぐる、巡り巡って狂わせる。
「オイ! 出テコイ、ドコニイル!」
助けてはもらえなかった。殺されてしまった。死んでしまった。
神様、神様どういうこと。
どうしてなのか。僕が悪いのか。
ミアが悪いはずはない。
やはり僕のせいなのか。ああしかし神様、ならば打擲すべきは僕だろう!
これを罰だと、これが罰だっていうのか。
知らないよそんなこと。
知らないよそんなこと。
知らないよ。知ったことじゃないよ。
「オイ、コタエロ」
情景がぐるぐる回る。ぐらぐら揺れる。視界は開けているけれど、世界からは色が遠ざかる。
そうして今や、真っ暗だ。意識は遠のき、底なしの闇に沈む。
暗転する。
暗転する。
唐突な甘味に、意識が呼び起こされた。
これはミカンだ。ミカンの味だ。ミアの大好きだった、僕も大好きなミカンの味。
夢? 夢だった? ミカンおいしい。そうだよね! 世界がぱっと開かれた。
左手は木の幹に添え、そして右手を伸ばす。
枝からまだ少し緑な実をもぎ取って、丸ごと頬張る。
えーと? ミカンいっぱい。樹に生っている。
甘い。甘い。とってもジューシー。
本当は、もう少し熟させたのが食べ頃だろう。
けど大丈夫、全然いける。何の話だ。
ミカンおいしい。だって甘いし。なにこれ天国? ミカン天国?
手当たり次第に貪って、手に当たらなくなったら次の樹へ。
地面に飛び降りて、また器用にするするよじ昇って、手の届く範囲にあった蜜柑を次から次へ。
もぎ取ってぽいぽいぽいと呑み込んで、全身ポカポカ。なんだか漲ってきた感じ。
あっと、誰かが来たみたい。
襤褸を着たのがぞろぞろと。フォークとか、松明とかを、持っている。
「おい! なんてこった、ああ神よ!」
「猿じゃないぞ、ありゃあ、、、モンスターだ!」
分からない。何がどうしてどうなった?
「ああ畜生ッ、小鬼だ! もう大分やられてる!」
「ああそんなッ、もうすぐ収穫だったってのにッ」
うん、そうだよね。ミカンの果樹園とかだねココ。
畝とか整備されているし、柵とか立ってるし。
「くそったれが!」
「ええい、ぼさっとしてねえで弓ッ、早くしろッ」
なんというか、色々やばいんじゃないかなぁ?!
僕の体。両足で姿勢を保持、右手で青いミカンをもぎ取って食べている。
左手では緑なミカンをもぎ取って食べる。
青いやつはさすがに少し酸っぱいな。
ああいや、そうじゃなく。
よく分からないけど何かキケン。
雰囲気剣呑。
えーと、だから、僕はモンスターで、此処は畑。
作物を貪っていて、眼下では農民さんたちが怒っている。
うん。
(逃げなきゃなの! 早く!)
「ギ、マタ、、、オ前カ。ナニ、ヌ、ニゲル?」
小鬼の、ミカンをもぐ手がようやく止まる。
まだひとつ握っているけど。足下を睥睨して、ようやく包囲されつつある現状を認めたらしい。
だめだこいつ、間抜けすぎる。
「……、コレハ、オマエの手引きか?」
(わけあるかーッ。早く逃げなさいよ! 捕まったらやばいでしょ、見りゃ分かるでしょ、袋叩きにあってぶつ切りにされてフォークの先に飾られる未来しか見えないでしょ、何やってんの!!)
矢が飛んできた。ひゅーん。ひゅーん。ぷす。
あ、痛い。刺さった! この馬鹿ちゃんと避けろ。
舌打ち一回、歯ぎしりしつつ最寄りの樹に飛び移る小鬼。
飛び移る。地面に飛び降りて走る走る。
農夫さんたち、悪鬼の形相で追いかけて来る。
まあ、当然ですよね!
(あー、もう、そっちダメ! 柵があるでしょ! もうちょい右なのッ)
「ウヌ、、、ギイ、コッチカ」
(走って走って!! あ、そこでジャンプなの)
ダッといって、ガッと飛んで、ザンッだよ!
(ジグザグにダッシュ! 矢ッ、矢が来てるッ ほら右ッ 左なのッ)
ザンッ、ザンッ、と地面に矢が刺さる。
(走るのーッ! 逃げるの、死ぬのーッ!)
ゆっくり何かを考える暇もない。
僕の意識は、ミアから小鬼に移ってしまったようだ。
つまりは、何もかもが絶望的だということが、わかったような気がするだけだった。
[INFO] 小鬼の、蘇生を試みます。
[INFO] 小鬼は、蘇生しました。
[INFO] ギフト「不死の蛇」は、レベルが上がった!
[INFO] ギフト「不死の蛇」は、Lv2になりました。死後治癒活性期間が延長されます。
[INFO] ギフト「唆すもの」は、現在再編成を実施中です。
[INFO] 果物「ミカン」を、取得しました。
[INFO] 果物「ミカン」を、摂食しました。
[INFO] 果物「ミカン」を、取得しました。
[INFO] 果物「ミカン」を、摂食しました。
[INFO] 果物「ミカン」を、取得しました。
(中略)
[INFO] 果物「ミカン」を、摂食しました。
[INFO] 永劫の飢餓により、摂食物は魔素に変換されました。空腹状態は維持されます。
[INFO] 小鬼は、レベルが上がった!
[INFO] 現在の状態を表示します。
名前なし
小鬼 Dランク Lv1→Lv2 空腹
【ギフト】
不死の蛇 Lv1→Lv2
唆すもの Lv--
地図 Lv1
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【種族特性】
永劫の飢餓(継承元:餓鬼)
暗視(小鬼)




