1-18. 希望の朝と微かな不安
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夜が明けて、窓から差し込む陽光に、部屋中が輝いている。
輝かしい祝福の朝。まばゆき光、希望の訪れ。朗報を齎したのは愛すべき弟だ。
「おお、おお! それは真か!? 血染熊を見事に屠り、ミカン畑を荒らした小鬼も討ち取ったと!」
どれ程振りのことか、クァボ男爵は喜色に頬を綻ばせた。ほんの少し若返ったようにさえ見える。ミカン絶望と熊モンスター化の報せで急速に老け込んだのが、少し回復したという程度ではあるが。
「はッ、左様でございます。怪我をしたハンターを森の外まで送り届けた後、熊が万が一にもアンデットとして蘇ることがないように、念のための木杭を刺しに現場へと戻ってみたところ、小鬼が居りましたので弓で射殺した仕儀となります。腑に落ちないこととしては、熊の遺骸がなくなってしまっていたことですが、どうも小鬼が喰らったようでして」
応えてイリーニは、男爵の執務机の上に藁半紙を敷き、その上に少し血のしみた布袋を置く。
「こちらが血染熊の口吻と、小鬼めの角となります。小鬼があの巨大な熊を一匹で食い尽くすなど、あることなのかと疑問には思ったのですが、餓鬼であれば自分より大きな牛や馬でも食い尽くすと聞きますので、同じ鬼族ですし同じようなものなのかと。こちら、討伐証明と、お認めいただけますか?」
やや震える手つきで、男爵は布袋の口を開け、中身を検めた。
「うむ、うむ、間違いはあるまい。儂の目利きなど大してあてにもならぬが、普通の熊のものとこれは明らかに違っておる。角は、さて、これだけを見ても判断は難しいが、この辺りに居る動物のものとはやはり違っておるようだし、間違いないだろう。もちろんそなたの言を信じてもいる」
男爵は、再び布袋にそれらを仕舞い、そして申し訳なさそうに弟を見る。
「ああ、だがすまないイリーニよ。本来であれば、儂はおぬしに討伐報酬を払う身である。だが」
「分かっております。そのために私が出たのです。ハンターたちの手には負えないと思ったのも、その通りではありましたが、もし彼らが狩ったのであれば、報酬を支払わなければならなかったわけですから」
男爵は感涙で目を潤ませて、そしてイリーニに握手を求める。
「ありがとう、ありがとう弟よ。このような不甲斐ない領主である私を許してくれ。いつの日か、必ず報いる。我々の努力を、血と汗を、主はやはりいつでもご覧になっているのだから」
兄弟は固く、お互いの手を握り合った。
ハンターは狩人組合の組合員という位置付けになるが、ハンターが賞金首やモンスターを狩った場合には、本来は領主がなすべき仕事を肩代わりしたという扱いで、領主に報酬の支払いの義務が生じる。
配下である騎士がそれを行った場合には、臨時報酬を渡すのが慣例である。ただしこちらは義務ではない。
領内に狩人組合を誘致する場合、領主は一定期間内で予算枠を設定するのが普通である。組合には予算枠の中で、可能な限りのモンスターや賞金首をハントするやりくりが求められる。
クァボ男爵領には金がないため、そもそも狩人組合を誘致すらしていない。
モンスターも滅多に出ない土地柄であるため、それでもなんとかやってこれた。
今回のように、Bランクにもなりえるモンスターが発生することなど、そしてまた同時に複数のモンスターが目撃されるようなことなど、これまでは一度もなかったのだ。
「しかし、結局負傷したハンターは亡くなってしまったか。これで、我が領にいるハンターは、残り2人だけということになってしまうか」
組合がない土地にもハンターが住み着くことはある。
この場合は基本的には討伐報酬目当てではなく、引退した後の永住の地としてである。
それでもクァボ男爵領のようなところには、落ちぶれた三流ハンターであっても、有事の際には貴重な戦力であった。
「そうですな。狩人組合の組合員ではない、木製の弓や竹槍を扱って獣を追う程度のものであれば、他にも幾人かは居りますが」
一般人の武具の所有は、原則として認められていない。
例外が、国家や領主の戦力である騎士および従軍者たち、そして狩人組合の組合員たちである。例外といっても、騎士以外については、人々の居住区に刃物や鈍器を持ち込むことは許可されないのだが、クァボ男爵領のような田舎であれば、その辺りはかなり緩い。というか取り締まる者がいない。
かといってでは武装し放題かといえば、そもそも従軍者でもハンターでもない彼らには武具を入手する伝手もないので、手作りレベルの武器であれば所有している人もいる、という辺りに落ち着くのである。
「ふむ、そうした者らは、金属製の武具の所有は認められんからな。モンスター相手となると戦力には」
「なりませんな。今回の野熊がモンスター化した原因でもあるのではと思われますが、獣や弱いモンスターに襲われて、それらを恐るべき存在に育ててしまう、その餌ともなりかねません」
男爵はため息をつく。不安も不満もあるが、すぐさまどうにかできることでもない。
「なんにせよ、この度はまことに大儀であった。久しぶりに笑ったように思う、弟よ」
「光栄です。それでは、武具の手入れがありますので、ひとまずはここで」
敬礼をして、イリーニが踵を返す。
その背中を、男爵は頼もしそうに見送った。
この部屋はこんなにも明るかっただろうかと、煌めく埃の欠片を眺めつつ、男爵は思った。
男爵邸の扉を閉めた後、イリーニの胸にふと不安がよぎる。
血染熊を仕留め、望外にまとめて小鬼を葬ることができた。その吉報に気が急いて、そういえば小鬼の骸に木杭を突き立てておくのを忘れただろうか。
片手落ちであったか。だが今からでも遅くはないだろう。
やや疲労に重い体を引きずって、イリーニは男爵邸の隣の小屋へと戻る。
疲れたな。
まともな戦いは本当に久々だった。騎士見習からの昇格試験以来かもしれない。
そうだな。
倒した骸への杭刺しは、どうしても自分がやらなくてはいけないことでもない。
誰にでもこなせる単なる作業。そもそも本来は、随行する狩人なり、従騎士なりの仕事である。
村人の誰かに、ミカン畑の守り人らにでも、頼んでおけばいいか。
大切に育てていたミカン畑を荒らされた、その良いうっぷん晴らしにもなるだろう。
血染熊は倒し、小鬼も退治した。
もうさすがに、新たなモンスターが森に出ることもないだろうしな。
イリーニはそのように考え、家事手伝いに来ていた少年へ言伝を頼んだ。
瞼が重かった。久々に酷使した体が、休息を欲していた。