7-13. 借り物、なの
アギーラちゃんは、ちゃんと生きている。
原理なんて知らない。
僕が取り憑くことで、息を吹き返した。
それが事実だ。
心臓も動いている。
何も問題はないはずだ。
きっと今は、疲れて眠っているだけだ。
大怪我をしたのだもの。無理のないことだと思う。
僕は今、アギーラちゃんに取り憑いている。取り憑いて、アギーラちゃんの身体を動かしている。
ちょっと印象の変わったところがあるが、アギーラちゃんの身体で間違いない。
頭に鹿の角的な、以前には存在しなかったオプションが追加になっているのだが、ギークが言うには目の前でニョキニョキと生えてきたらしい。
、、、なぜだろう? 成長したのかな。
アギーラちゃんの同族な皆さんで、角が生えている人はひとりも居られなかったように思うのだけれど、手入れして隠すのがマナーだとか?
そのギークだが、僕の知らないうちに、何か知らないが酷い目に遭ったらしい。
具体的には、身動きひとつ出来ない状態で、全身が燃え上がるという拷問じみた目に遭ったらしい。
何だそりゃという感じだが、同情する気にはまるでなれない。この最低野郎、僕がアギーラちゃんに乗り換えたと理解するや、急に踵を返してひとりで何処かに居なくなろうとしやがったのだ。
呆気にとられて、トゲトゲ二体の死体を引き摺りつつ立ち去るギークの後ろ姿を眺めていた。
その姿が完全に見えなくなって、そしたら突然、僕はギークの中に居た。さっきまでアギーラちゃんの目を通してギークが立ち去った方を見ていたというのに、唐突に戻ってしまった。
極めて厭そうな顔をして、肩を落として溜息までつくギークを叱り飛ばし、慌てて元の場所に帰らせると、アギーラちゃんの身体は地面に力なく倒れていて、倒れたときに地面にぶつけたらしく、額に怪我をしていた。
僕がギークを鬼畜生の鬼畜野郎と罵ったのは当然である。
「距離が開くと、勝手に俺の方に戻ってきちまうって話か? どうにかならんのか。別に、その身体に永住すればいいだろう。そいつが目を覚ました後もな」
苦虫を噛み潰したような顔で低く唸りつつ、腕組みをしながらギークが言った。
そんなこと言われてもね。
アギーラちゃんの方に移りたい、と思ったら簡単に移れた。
怪我をした額がズキズキと痛む。
跡が残ったら大変だ。僕は左の掌を額の傷口に添えて、治れと念じた。
何も起きない。何やってるんだ僕は? 何かちょっと混乱している。
落ち着こう。
僕はアギーラちゃんの顔でギークを睨み付け、そして何も言わずに歩き出す。
肩をすくめて、ギークもついてきた。
ギークが立ち去るときに引き摺っていき、僕がギークの内に舞い戻った際に取り落とされた、トゲトゲ二体の死体が見える位置にまで歩いて来た。
「ギーク、あれ、食べたかったら食べてもいいの」
指を指して言う。
「ああ? 絶対に食べちゃダメなのとかほざいていた口、は違うが、で何を言いやがる。討伐の証明として、集落まで持っていくんだろ?」
ギークが聞いてきた。
斃しても食べちゃダメだと、狩りの前に口を酸っぱくして言っていたのは、確かに僕だ。
一応ちゃんと覚えていたらしい。感心しておこうか。
「集落には、寄らない方がいいと思うの。付き添いだったふたりが死んでしまったから、それにアギーラちゃんの状態も説明できないし、寄ったら面倒なことになるの。面倒はごめんなの。だからそれ、食べないなら捨てていくの」
「はン、そうかよ。つーか、寄らなくてもいいんだったら、なんでわざわざあの集落に寄ろうとしてたんだ?」
え? それは、何でだっけ?
アギーラちゃんが案内してくれたからだ。それ以外に、僕は理由を持っていない。
向かう先に集落があるというから、ごく当然の流れで立ち寄ろうとした。何でというか、むしろ避ける方に理由が必要な話だろう。
そして今は、避けるべき理由がある。だから避ける。
うん、何もおかしくはない。
「ああ、ギーク。アギーラちゃんも空腹なの。ちょっとお裾分けをプリーズなの。サーロインとランプ部位の提供を所望するの」
火を熾しながら、トゲトゲのトゲを大鉈で打ち払っているギークに言う。
俺が喰っていない方から「勝手に持っていけ」と返ってきた。淑女に対するサービス精神が足りないと思う。
僕は刃物の類いを持っていないのだから、勝手に持って行けと言われても困るのだ。どうやってだと言う話である。
「じゃあギーク、ちょっとその鉈貸してなの」
食らい付くのに邪魔なトゲの処置を一通り済ませたギークに言う。
ギロリと睨みつけられ、それけら「ほらよ」と鉈が差し出されてきた。
この野郎、、、ひとに刃物を手渡すときに、刃の側を向ける奴があるか。
受け取ろうとして、差し出された刃の峰の方を掴む。
ビリッときた。慌てて手を離す僕を、ギークが不審げに見る。
「何やってる。とっとと受け取れ」
「う? うん、、、」
何だ今のと不審に思いながら、再度手を伸ばした。やっぱりビリッときた。
拒まれている? 誰に? ギークに? 他に居ない。恨みがましくギークを睨む。
「、、、なんだ? 早くしろ。腕が疲れる」
「触れないの! 何の嫌がらせなのギーク!?」
「あァ?!」
僕が抗議すると、ギークはスッ惚けて逆に凄んできた。自分でやっておいてのこの対応。ヤクザだ、まさにヤクザの手口そのものだ。
何だァ、文句あんのか、ちゃんと約束通り、貸してやるっつってんだろーが。井戸はそこだぜ。だが釣瓶は別だ。そいつは貸し出しの対象外だ。変なもんを投げ込もうと考えんじゃねーぞ。この井戸が使えなくなったら大変だからなァ。そんな感じ。
さて、喉がカラカラだった物語の主人公、聖騎士アデスが、その窮地にどうしたかというと、、、はこの際別にどうでもいいとして、この小癪な嫌がらせをしてくるギークを、どうしてくれよう。
「僕に鉈を貸したくないなら、それはいいの! やっぱりギークがその辺の肉を切り取って、僕にくれれば済む話なの!」
わけのわからん嫌がらせをするな。
「何の話だ。つーかよ、解体用のナイフくらい、アギーラだって持ってるんじゃねーのか?」
解体用のナイフ?
言われて少し、アギーラちゃんの身体をパタパタと撫でてみる。
身に付けているのはショゴ君のみだ。
あれ? そういえばアギーラちゃんて、他に何も荷物って持ってなかった?
そんなことはなかったはずだ。
背負い袋を持っていた。
何処に行った?
僕の血の気が引く。いけない! 置いてきちゃった!!
すぐにでも探しに戻りたかったが、食事を始めたギークが頑として動こうとしない。
ソワソワしながら待つ。
いつもはあっという間に平らげるくせに、こういうときに限って喰うのが遅いぞギーク。嫌がらせか。さっきから僕への嫌がらせが酷いなこの野郎!
食べ終わるまでギークはこの場を動こうとしないわけで、気もそぞろではあるが、僕も食事を摂る。
トゲトゲの肉、結局ギークに切り取らせたそれを、火で炙る。そしてギークとは違い、気持ち上品な感じに食べる。
槍に刺して炙った肉に齧り付くスタイルの、どの辺に上品さがあるのかだと? ギークと違って焼いているし、道具を使っているあたりです。何か?
トゲトゲ2体を、骨を噛み砕き髄まで啜ってギークが平らげた後、僕らは再び先の場所に戻って来た。
同じ場所をウロウロして、端から見たら何をやってるのかという感じだろうが、仕方ないだろう。
アギーラちゃんが目を覚ましたときに、荷物がなくなっていると知ったら、悲しませてしまうかも知れない。何としても見付けなければ。
荷物は、アギーラちゃんが飛び降りた樹木の梢の上で、木の枝にひっかけられていた。
なかなか見付けられなくて僕は結構泣きそうだった。見つかって良かった。
アギーラちゃん、ごめんなさいと謝って、中身を検める。
革紐。
干し肉。
何かの骨を削って作ったらしいナイフ。
何かの骨を削って作ったらしい針。
小袋に入っていた、綺麗な石。
同じく綺麗な貝殻。
火打ち石。
「火打ち石?」
僕はふたつの石を手に持って、固まった。
あれ? 何かおかしいぞ。
「火打ち石がどうした」
僕がアギーラちゃんの荷物から取り出した綺麗な貝殻を摘まんで、表裏を眺めていたギークが話し掛けてきた。ヒマらしい。
「さっき、僕、どうやって火を熾したっけ、なの」
ギークに切り分けさせた肉を、当然のように火で炙って食べたんだけれど、はてさっきの場所に火種なんてあったっけ?
自分でやっておいて何だけれども、殆ど無意識に火を熾していた気がする。
あれれ? どうやったんだ?
「アギーラに火を熾す能力があるんだろ。さっきも言ったが、お前が目を覚ます前に、急に燃え上がったからな。酷い目に遭ったぜ」
燃え上がった?! 何それどういう事?
僕が尋ねると、どうもこうも、そのままの意味だとギークが答えてくる。
抱きかかえていたアギーラちゃんの身体が唐突に燃え上がり、そのせいでギークは両腕に大火傷をしたらしい。見てくれは直したものの、まだ全身が怠いんだとか。
なにその話。
火を熾す能力ねえ。
褐色痴女のナタリア女士と被りますが、、、ホントかな?
ここ数日一緒に居て、アギーラちゃんがそんなの使うところ、見たことない。
大体それならそれで、火打ち石を持ち歩いているの、おかしくない?
落ちていた適当な木の枝を拾って、「燃えろー!」とやってみる。
燃えない。何も起きない。当たり前だ。そしてわからん。
いやいや、ちょっと待とうか。
覚えたばかりのギフトを発動させるために必要なこととは何だろう。
ギフトというのは、取得したその瞬間から使えるものなのか?
答えはイエスだが、ノーでもある。ギフトを授かるというのは、許可を得ると言うのに近い。使っていいよと言われる感じ。使い熟せるかどうかは本人次第なのだ。
種族特性的な能力とギフトでは色々と違うのかも知れないが、、、
僕には火が熾せるのだと信じる。それがまず第一歩。
結果をイメージする。ナタリアがやっていたことを想像すればいい。
この小枝が、煙を上げて燻り、パチパチと弾け、そして赤い火を纏うのだ。
どうだ!
拾った枝をポイと放り捨て、アギーラちゃんの荷物の物色に戻る。
ダメでした。まあいいや、分からんことはとりあえず保留にして、後でまた考えよう。
他には何もないのかな? 背負い袋をひっくり返し上下に振る。
何か詰まっているんだけどな。ああ、これは毛布か。