7-09. 寿命
ある日、神は言った。「お前等長生きをすると碌な事をしないな」
そうして神は宣った。「お前等の寿命、八分の一に縮めとくから」
さて、そんなわけであるから、ギフトには寿命を延ばす類いのものがない。
長寿は寿がれるべきものだが、それを実現するギフトは存在しない。
寿命とは神が定めたものである。しかも長生きはダメだと切り詰めまでくらっている。
それを台無しにするようなギフトが、まさか恩恵であるわけがないだろう。
陰府の底に行けば、もしかして。
ナタリアはかつてテンテンにそう語った。嘘をついたわけではない。
古い時代。トゥラの王は不死と不老を願った。
ひとりの魔術師がそれに応え、ついにその秘奥を得た。
しかし王を裏切り、自らが不死となったのだとされる。
錬金術師は地の底に封じられ、今でも苦悶と呪詛とを撒き散らしている。
異説では、陰府の主となり、死者を従僕として地下世界に君臨しているとも言われる。
その元を訪れて秘密を授かれば、もしかして延命も叶うだろう。
伝承というなららしくも聞こえるが、荒唐無稽なおとぎ話だ。
信じているのかと言えば、まさかである。
ただ事実として、そんな言い伝えがある、それだけの話なのだ。
「だから、わたしたちは陰府を目指しているの。このままナタリアを、むざむざ死の呪いで死なせたりなんて、絶対にしないんだから!」
出会ったばかりの少女の膝の上に乗って、テンテンが熱弁を振るっている。
だいぶ人見知りな娘なはずだが、珍しいこともあるものだ。ナタリアは困り顔だ。
よりによっての相手なのは、なにかの皮肉だろうか。
「え!? ナタリアさん、呪われちゃっているんですか!?」
たいへん! とテンテンの言葉に同調する少女。
ショートカットの彼女は、セラト辺境伯の長女、エルシア=セラトと名乗った。
今は亡きトゥラの王国、これを滅ぼした騎士セラト。
彼の卿は王国の姫君を妻に娶ったとされる。以来辺境伯の家系には、ロルバレン人の特徴である銀髪、または浅黒い肌を持った人物が、時折ながら生まれるのだという。
金髪の妹と、銀髪の兄という時点で、気付いても良かったかも知れない。すこし迂闊だったかと思うナタリアだ。
ダダダダダッ ダダダッ ダダダダダッ
銀髪、ポニーテールの青年が、カタツムリの怪物に攻撃を加えていた。
戦闘の音を聞きつけ、駆け付けたナタリア達が見たのは、そんな光景だった。
銀髪の青年、つまりセルバシアが掌から打ち出す無数の光弾。実はその一発一発には、地面を穿き木立を抉る程度の威力があった。
しかしそれでも、カタツムリがその身に纏う、青い燐光さえも貫けないでいた。
カタツムリの怪物、Bランクの上位モンスター、騎士喰らいだとナタリアが推定したそれは、いわゆる防御特化型。高い体力、回復力、堅牢不壊の防御力を誇る、厄介な化け物である。
一人前のハンターであっても尻尾を巻いて逃げるような難物だ。討伐を志すなら難敵。しかし動きは鈍重。逃げようと思えば逃げられる相手。
まさか領主の子女ともあろう兄妹が、護衛も付けず戦っているような相手ではない。ナタリアですら、常識に眼を曇らせたと言うべきだろう。
セルバシア達の身元に気付かなかったことで、ナタリアは幾つかのミスをした。それは総じて言えば、手の内を見せすぎた、ということである。
テンテンの存在は知られたくなかったし、フレデリカの存在は知られたくなかったし、ショゴスの存在も知られるべきではなかった。
何より本名がバレたのが問題だ。名乗りはしなかったのだが、テンテンに大声で呼び掛けられては、白も切れない。
いずれも後の祭りだ。とりあえずこれ以上はということで、はしゃぐテンテンをエルシアという同調者の膝の上から摘まみ上げる。
可愛がる相手を奪い取られて、エルシアが唇を尖らせ不満顔。当のテンテンはびっくり顔だ。よほど愚痴る相手に飢えていたらしいと察せられる。ともあれ困った親友である。
その一方で。ガリガリと、フレデリカが地面に文字を書いている。貴方は人?
セルバシアが同じく地面に文字を書いて応える。そういう貴女は?
フレデリカは音が喋れないだけで、他人の喋る言葉の音は聞こえている。
セルバシアが筆談で返す必要はまったくない。
あれは相手の流儀に合わせているということなのだろうか?
管理者補佐、貴方は? とフレデリカ。
騎士見習い、改め勇者。とセルバシア。改めをわざわざ取消線と矢印で表現している。
セルバシアが地面に書き付けた単語を拾い、ナタリアが非難を口にした。
「君等が相当に鍛練を積んでいて、大層な実力があるのは理解した。それでも領主、おまけに国主の御子息が、騎士のひとりも連れずにモンスター討伐? 正気の沙汰とは思えないな。勇者とは無謀者の別名か?」
面を上げて、眠そうな顔でセルバシアが応じる。
「そちらも、女性だけの旅路は危険ですよ。そうでなくてもこの土地は、貴女が表立って行動するには問題が多い。そうでしょう? 火の巫女姫?」
まあ、当然に身元は露見しているわな。ナタリアは肩を竦めた。
勢力的に考えると、セルバシアは体制側の人間で、ナタリアは反体制側。敵対関係にあると言っていい。そしてお互い、直接の面識はなかったが、名前くらいは知っていた。
火の巫女姫、ナタリア=トゥラ。トゥラ王国王族の末裔を名乗る彼女は、しかしセルバシアからすると、生きていたのか、という類いの人物である。赤と黒の魔術を操る、ロルバレン人の邪悪な魔女。彼女の犯行だとされる事件は、どれもが二十年以上前、彼が生まれるより前のものばかり。本人であるなら、相当な高齢になるはずだ。どういう事だろう。
しかし女性に歳を聞くのも不躾か?
「てやーッ」
セルバシアの間断ない攻撃に、しかしまったく揺るがないカタツムリの怪物。その怪物ににむかって、かけ声と共に強烈な一発が撃ち込まれた。
衝撃音が森に響く。目も眩む光の塊による会心の砲撃。エルシアが撃ち込んだその一発は、燐光の護りを抜いて、カタツムリが背負う殻に命中した。
「堅すぎる! なにこれ!?」
さすがにその一撃はカタツムリの巨体を揺るがせた。
しかしそれだけだった。
ダメージらしいダメージが通らなかったのを見て、エルシアが驚きの声を上げる。
彼女が放った砲撃には、建物の壁を打ち抜き、閂をへし折るほどの威力がある。それを手加減なしで命中させて、それがまさか無傷とは。
反撃をしようというのか、カタツムリがより強く燐光を輝かせた。何かしてくるなとふたりが身構えた瞬きの間の刹那に、火柱が巻き起こりカタツムリの全身を包み囲む。
「手を貸そう」状況を伺っていたナタリアの参戦。火柱はナタリアの赤魔法だ。
「貴女は?」とセルバシアが尋ねる。
「ハンターだ。ランクはB」声の届く距離に寄ったナタリアが応えた。
ナタリアには、セルバシア達が戦っている隙に、その脇を抜けるという選択肢もあった。そうしなかった理由は、多分に打算的なものだ。
戦い振りを見れば、セルバシア達の実力の高さは明らかであり、騎士喰らいの破格の防御力に手こずることはあっても、勝ち戦であることは揺るがないだろうと思われた。ならば手を貸して貸しを作っておいて損はないと考えたのだ。
この時期に、こんな場所に手練れがいる。その理由は何だろう。名高い勇者一行に同行するためという可能性もある。もしそうであれば隠れ蓑として都合がいい。そんな期待もあった。それがまさか当人であるとは、よもや思わなかったのだ。
カタツムリは火柱の熱を嫌がり、軟体を捩らせて殻に閉じこもった。
殻に籠もったカタツムリを観察しつつ、火柱を維持するナタリア。相手が防御に徹するつもりならこの時点で勝負は付いたも同然だ。このまま焼き殺せるか?
だが、そう容易い相手ではなかった。カタツムリの貝殻には大量の毛が生えていたが、その先端が白く輝く。そしてそこから一斉に、幾本もの熱線が迸った。それに触れた木々は燃え上がり、地面にあたれば其処が赤熱する。
「なんだと?」「……っ」「わあああああ!」
対応は三者三様。セルバシアは眼前に銀色の盾らしきものを出現させて反撃を防いだ。エルシアは慌てて物陰に待避している。火柱の維持に注意を裂いていたこともあって、ナタリアの反応は遅れた。
咄嗟に腕を交差させて目だけは守ったが、その身体には容赦なく熱線が突き刺さる。カタツムリの殻を炙っていた火柱が掻き消えた。
「やああああ! 流星脚!!」
空からテンテンが降ってきて、にょっきり顔を出そうとしたカタツムリの殻を蹴り飛ばした。殻はゴロリと転がり、テンテンは空中でバク転した後、ナタリアの隣に着地する。
「ナタリア! 大丈夫?! 怪我してない?!」
ここで名バレ。とりあえず隠れていろと言われていたテンテンなのだが、ナタリアが熱線の反撃を受けたのを見て、堪らずに飛び出してきてしまったのだった。
テンテンの飛び蹴りには、大地に小さなクレーターを作るくらいの威力がある。しかしカタツムリの殻にはこれと言ってダメージを受けた跡がない。とにかく堅い相手である。
テンテンに心配されたナタリアだが、全くの無傷だった。炎熱による攻撃は、<<断熱の纏い>>の加護に守られた彼女に何ら痛痒を与えない。もっともこれは、分かっていて敢えて避けなかったわけではなく、運良くそうだったと言うだけなのだが。
「平気なようだ。しかし今のは何だ?」
騎士喰らいがこんな攻撃能力を持つとは聞いたことがないぞと驚くナタリア。その問い掛けに答えはなく、「その子は?」とセルバシアがテンテンの事を尋ねてきたので、仕方なくナタリアが応える。なるべく短く、簡潔に。
「問題ない、味方だ」
「余りダメージが入っている感じじゃないですね」
にょっきりと顔を出したカタツムリの化け物を観察して、セルバシアが言う。ナタリアも頷いた。軟体生物の分際で、火に耐性でもあるのだろうか。
熱光線で反撃してくるくらいだ。あっても不思議はないか。
「何か手はあるか? 火が効かないとなると、我としては少々手詰まりだ。逃げるというなら、目眩ましくらいは出来るがね」
ナタリアの言葉に、セルバシアはすこし考え、それから尋ねた。
「ナタリアさん、火柱ではなく、熱風も出せますか?」
騎士喰らいの堅牢さは、貝殻の物理防御に燐光による攻撃の軽減効果が合わさり、さらに尋常ならざる回復力によって成立している。
防御の方は、切り裂ける。セルバシアは考えた。ただしそれは、既にやっている。出会い頭に一度、初手で両断を試みたのだ。
確かに断ち切ったはずだったが、そのまま再生で癒着されてしまった。高い回復力を備えた軟体相手に、切断系の攻撃は相性が悪い。切断の方法が何であれ、それは同じことである。斬るだけでは、ダメなのだ。
「出せはするが、火柱よりもその方が有効なのか? なぜだ? 騎士喰らいとは初見でね、どうにも勝手が分かっていない」
「僕らも初見ですよ。でも見た感じスライムの親戚のように見えます。なら、火の付かない水気の塊を炙るよりも、熱風を当てて乾燥させる方が効くでしょう」
セルバシアがアイディアを説明する。
「いいだろう。だが、それこそ殻に籠もられては効果が薄いぞ」
「切り刻みます。ただ切っても、すぐくっついてしまいます。しかし乾燥させながら斬るのであれば、その内にくっつかなくなるでしょう」
どうやってだとは訊かず、いいだろうと頷いて、ナタリアはギフトを発動させた。草木を枯らし、苔を塵とし、土を砂と変える焦熱の乾風をゴウと繰り出す。
これならいけると判断し、セルバシアはエルシアと次に打つ手を打ち合わせる。
「りょーかい。お兄は右?」「お前はこっち、俺はあっち。OK?」
指で割り振りを指示するセルバシア。左右を間違えたりなんかしないわよと、ふくれっ面をする妹に、左の掌を差し出す。右の掌で叩くエルシア。そして二人は左右に散った。
暫くは様子を窺う。殻に引っ込んで閉じこもり、顔を出さないカタツムリ。その体表が十分に乾いたと見て、セルバシアが合図をだす。
エルシアは手の棒杖をくるりと回し、セルバシアは手の小剣を軽く一振り。
「想起せよ。百の眼を持つ不休の巨人、アルゴスの首を刎ねたるそのイデア」
「想起せよ。捧ぐは骨か、血と肉か。神と人との取り分を定めしそのイデア」
セルバシアが構える小剣の刃を、燃え盛る銀の焔が包み込む。
エルシアの棒杖の先端より、煌めき弧を描く銀の光が延びる。
「<<鎌剣:ヘルメス>>」
「<<断刀:プロメテウス>>」
そして兄は銀光の大剣を持ち、妹は銀光の大鎌を構えた。
セルバシアが殻に閉じ籠もるカタツムリを袈裟懸けにする。一太刀の銀炎が万物を断つ。
エルシアが殻に閉じ籠もるカタツムリを逆袈裟で切上げた。一薙ぎの銀光が万象を断つ。
役目を終えた銀色が霧散していく。
堅牢なはずの分厚い貝殻が断ち割られ、薄い青緑色の体液が吹き出した。
しかしそこまでだ。傷口は癒着し、燐光は一瞬だけ弱まって、またすぐ元に戻った。
軟体の身体の方はともかく、堅い貝殻までもが何事もなかったかのように接着されてしまうのは、果たしてどんな仕組みなのか。
だが体液は零れている。零れた体液は熱風に晒され、即座に干涸らびた。セルバシアとエルシアが、再び武器に銀色を纏わせた。これは持久戦、消耗戦である。