7-05. 帰省
今世に、王はひとりしかいない。王権とは並び立たないものだ。しかし、初めからそうだったわけではない。かつてには群雄割拠の時代があった。国の数は今よりも遙かに多く、その各国に王を名乗る者達がいた。並び立っていたその全てを制覇して、ただのひとつに集約されたのが現代の始まりだ。
恭順した諸王家は、今では侯爵家として、それぞれの土地を治めている。そうではない諸王家は、その殆どが根絶された。今の王家が滅ぼしたものもあれば、自滅したものもあるし、モンスターによって滅ぼされた国もある。
旧トゥラ王国。それもまた、本来の主を失い、名を変えられた国のひとつである。
どれくらいぶりの帰国だろう。ちょっと思い出してみようとしたセルバシアだったが、面倒になったので途中でやめた。何ヶ月ぶり、何ヶ年ぶりであったところで、別に大した意味などないじゃないか。
常人には進めない道なき道を通る。崖を登り、藪を飛び越え、木々の幹を飛び移る。王都からの殆ど最短距離で、彼等は生まれた土地に帰ってきた。
「さすがにこの辺りの吟遊詩人は、違う詩を詠っているわね」
宿場町の食堂で軽食を口にしつつ、少し疲れた笑顔を浮かべてエルシアが言った。
食堂は混み合っていた。だいぶ待たされて、簡単な料理がようやく運ばれてくる。
軽食以外は全て売り切れで、セルバシアは少し意外に思った。
なぜこの場所がこんなにも混み合っているのか。どうしてこんなにも人がいるのか?
「あと数日って気もするけどな」
その違和感を心に留めつつ、セルバシアが気怠げに述べた。人が多い事にではない。吟遊詩人についてのコメントだ。そして彼はいつも気怠げであるから、およそいつも通りの表情で、いつも通りの口調であった。
「そなたは今日から勇者である。共に戦う勇士を募り、かの竜王を屠って参れ」
古代竜アイスレクイエムの襲撃があって、学園の遠足は当然に中止となった。
襲撃を生き延びた他の学生達と共に、学園へと帰還したセルバシアだったが、ある日彼だけが唐突に、王城へと召喚された。
何事かと思えば玉座の前に引き出され、失礼はまずいと跪いたのだが、王は彼を一瞥するや、何を説明する事もなく、ただ重々しくそう勅を下したのである。
「もう! どうしてみんな、好き勝手な事ばっかり言うの!?」
そのように、最初の頃はプリプリしていたエルシアだったが、最近ではもう呆れ果てるばかりである。
勝手な事を言うのは、貴族達だし、王様だし、学友達だし、吟遊詩人達だ。特に吟遊詩人達はひどい。彼等はきっと、よかれと思った王様の差し金なのだ。共に戦う勇士とやらが募りやすいようにと、全国に喧伝をして回っているらしかった。
心底うんざりだというのが、セルバシアとエルシアの正直な心情だ。とはいえしかし、さすがに王命を嫌とは言えない。セルバシア自身は、或いは何とでもなるだろう。けれど家族一族かかる迷惑を考えないわけにはいかない。
「王命、謹んで。ついては支度のために帰国の許可を賜りたく」
だから、あの場ではそう応えるしかなかった。そしてセルバシアは、妹エルシアを伴って学園を出た。ひとまずの帰国。それからの事は、それからだ。
最初は、街道沿いを進んだが、途中で近道、そして領南端の宿場町に着いたのが一時間ほど前の事。予定としてはこの宿場で一泊し、朝の程々に出発すれば、翌昼頃には首都のトゥラーゼに到着できるはず。そんな感じだ。
「おい、あんたたち、王都の方からやって来たのか?」
エルシアが話す色々に、セルバシアが相槌を打ったり、首を傾げたりしていると、食堂にいた他の客、狩人と思しき向こう傷の中年男が、ふたりの席の側までやって来た。
顔だけ持ち上げ、セルバシアは不思議そうにその男を見上げる。この宿場町は、街道沿いにあって、セラト領の玄関口とも言える位置にある。王都から来た旅人がいて、何の不思議もない場所だ。何故そんな事を聞かれるのか。
「そうですが、それが何か?」
セルバシアが尋ねると、男は勢い込んで尋ねてきた。
「どうやってやって来た?! ザッカラン渓谷には、バケモノが居座っていただろ。どこか抜け道でもあったのか?」
ザッカラン渓谷は、この宿場町から街道沿いに、徒歩で何時間か進んだ場所にある。最短距離で人外的な山越えルートを選んだセルバシア達は例外として、本来真っ当に街道を通るなら、必ず通過しすることになる要所であった。
なるほどどうも人が多い気がすると思ったらそういう事情か。街道が厄介なモンスターによって塞がれてしまっているらしい。セルバシアは呆と考える。
さすがに領主の息子として、見て見ぬふりはまずいかな。
◇ ◆ ◇ ◆
黒猫、または黒猫擬きの密偵を放ったナタリアとフレデリカだが、しかしそう都合良く都合の良い話を拾って来れるはずもない。断片は知れても情勢の全体像が掴めない。
それでも、セルバシアという学生が時季外れの帰省をするらしいこと、彼はアイスレクイエム襲撃事件の生存者であるらしいこと、王城に呼ばれたらしいこと、帰省先がセラト辺境伯領らしいこと、は拾って来れた。かなり多くの学生が、その噂をしていたからである。
よりにもよってセラトかと思ったナタリアだが、他に宛もない。接触を図ってみるかと、彼女もまた帰郷を決める。旅支度の為に王都に来て、吟遊詩人が詠うのを聴いた。
誉れ高きはセラト卿! 四大騎士と讃えられしその偉業!
恐るべき魔王の国を制圧し、王土に安寧をもたらしたる勇者也!
栄誉ある騎士の血は、今代にも脈々と引き継がれている!
今、王の手より悪竜討伐の宝剣を賜りしは、かの偉大なる騎士の末裔!
卑劣なる悪竜の襲来! 友を喪い、正義に燃える怒りは天をも焦がす!
王土を脅かしたる魔の竜を見事に仕留め、その首級を持ち帰る!
この任務に、かくも相応しき人選が、果たして他にあるものか!
いざ、この立ち上がりし勇者に祝福あれ! 天に在す主は栄光を授けるだろう。
集え、共に戦う勇敢なる戦士達! 誰しもの頭上に、輝く勝利は約束される!
掴めなかった全体像、背景事情の方は、こうして知れた。
「フレデリカがいると、荷物運びは楽でいいな。だが、街道を車椅子で移動すると言うわけにも行くまい。騾馬の一頭でも買うか」
諸々を買い付け、車椅子のフレデリカに渡しつつ、ナタリアが言う。
王都からセラト辺境伯領へ向かうには、山岳地帯を迂回する必要がある。ひとまずは街道を西の方向へ進み、真っ直ぐには進めないのでやや南に下りて、その後北東方向にやや戻る感じだ。
義足のフレデリカに、長時間の歩行はやや辛い。しかし車椅子のちゃちな車輪は、石畳の街中であればそれで良くても、悪路も多い街道の往来には不向きなものである。そこで騾馬でも買ってフレデリカはそれに載せようと、ナタリアは考えた。
馬車を使う選択肢もある。王都からなら、トゥラーゼ行きの駅馬車も出ているはずだ。護衛もつくし、道に迷う懸念もまずない、悪くない案だが、しかし問題がひとつある。不特定多数の旅人が同席となる乗合の駅馬車では、テンテンを同行させられない。
「すまねェな嬢ちゃん、騾馬も驢馬も、生憎と今は切らしてる。そこの奴も既に売約済みでなァ。余所を当たってくれと言いたいとこだが、今はどこも品切れなんじゃねェか?」
店の主人がそのような事を言うので、何かあるのかとナタリアが尋ねた。
「さあなァ。ああほら、アレじゃねェのか? 最近よく吟遊詩人どもが酒場でやってるじゃねェか。竜退治がどうのとか。その関係じゃねェか?」
多少金銭があっても、物がないなら仕方ない。テンテンにはすまないが、やはり駅馬車で行くかと考えるナタリアに、問題ないとフレデリカが意思を表明した。
「まさかだな。馬までもを再現するのか」
ナタリアは、やや呆然として呟いた。
フレデリカがショゴスで馬の形に変形させて、自らそれに跨がったのを見れば、もはや苦笑する他ない。
ショゴスがかなり万能な能力を持った存在だったということを、ナタリアは話としては聞いていた。しかしまさかここまでデタラメなことが可能だとは。
見た目だけの事ではない。触った質感から仕草まで、まるで馬そのものだ。鳴き声は違うが。
ナタリアは既に、フレデリカが使役するそれがショゴスである事を知っている。しかし旧トゥラ王国に於いて、魔物遣いの一門が最高傑作として生み出したそれを、どうしてフレデリカが使役しているのか。それについては未だ、納得のいく回答を得てはいなかった。
道端に落ちていたのを拾った等と、さすがにその回答に納得はできない。仮に嘘でも誤魔化しでもないとして、ではどうして道端に落ちていたのかということだ。
「ギークなんて放っておけばいいじゃない。フレデリカがいれば転移できるんでしょう? 陰府に行くべきよ」
道中夜のキャンプで、テンテンがごねる。
「ちょっと、フレデリカ! 黙ってないで、なんとか言いなさいよ!」
テンテンがフレデリカの肩を掴んで揺らす。フレデリカは困ったように顔を傾げた。
石ころで以て、地面に文字を書く。
(捜索優先)
「うん? フレデリカは、テンテンとは会話ができるのではなかったのか?」
「そうよ! ちゃんと喋りなさいよ!」
その様子を見てナタリアが尋ね、テンテンが文句を言う。
フレデリカは首を横に振った。
どういうことだと考えるが、ナタリアには分からない。もちろんテンテンにも。だがどうやら、フレデリカとテンテンが会話をするにも、ギークが必要らしい。
ナタリアはそのように理解した。その理由まではさっぱりだったが、まあそういう物なのだろう。それでいい事にしておく。
フレデリカには、謎が多い。しかし妙な制限、条件があるギフトというのは、それほど珍しいものでもない。なぜを考えても分からない事というのは、諸々の原理が解明されていないこの世界において、ごく普通に転がっていることである。
どうして火は水の中では燃えないのか? 理由など分からない。でもそういう物だと知っていれば、それで困る事もない。
分からないよりは、分かった方がいい。それは確かだ。けれど分からないままでもなんとかなる事は多い。分かるまでは動けないと立ち止まってしまっては、身体は一歩も前には進まない。
「渓谷にモンスターだと?」
行く手方面からやって来た行商にすれ違いざまで忠告されて、ナタリアが聞き返した。
「ああ、参っちまうよ。折角ここまで来たんがね、だいぶ前から最寄りの宿場で往生している先客もいたし、まあいつかは解決するんだろうが、とりあえず俺は諦めて、別の都市に先に行く事にしたのさ。やれやれ、予定が狂っちまった」
「そうなのか。災難だったな。忠告感謝する」
ナタリアが礼を言うと、その行商はナタリア達一行を眺めて、そして尋ねた。ちなみに全員深々と外套を羽織っているので、性別年齢人種不詳の三人組だったわけだが、ナタリアが女性である事が声で知れて、それで興味を引いたのかも知れない。
「あんた達はどうするんだ? もし、宛が外れて途方に暮れてるって感じなら、なにか力になれる事もあるかも知れんが?」
「ああ、ありがたい申し出だが、こう見えても狩人なんだ。その、道を塞いでいるとか言うモンスターの討伐交渉、さて誰にするのが一番金銭になるかと考えていたところだ」
そう応じつつ、考えていたのは別の事だ。セルバシア公子はどうしただろう? 渓谷最寄りの宿場で立ち往生でもしていてくれれば話が早い。
「どうもダメだな。セラト領側がなんとかするべき問題だ。王領側からは金銭を払ってまでどうにかしようとは思わない。ここはそんな連中の溜まり場らしい」
鍋を火に掛けて、ナタリアが言う。宿場が近かろうと遠かろうと、野宿が基本の彼女等である。宿場について、聞き込みをして、そして少し離れた場所にキャンプを張った。
「ふーん?」
ナタリアが腰を下ろしたので、その膝の上に乗っかって、よく分からないけどそうなんだ? という顔をするテンテン。彼女にとっては、あまり興味のない話だ。
「セルバシア公子もいないようだ。よほどの寄り道をしていなければ、まだここまで到着していないというのは考えにくい話なのだが。公子がここを通過して、その直後にモンスターが現れたのか?」
鍋をかき混ぜるナタリア。それを見守るテンテン。食事不要のフレデリカは、ショゴス馬を枕に空を見上げていた。
「あれ? モンスターって、そういえば結局、正体不明なんだっけ?」
自分の椀に、小さな匙で好きな具材だけを優先でよそいつつ、思い出したようにテンテンが尋ねる。そのテンテンの椀に、好き嫌いは許さんとばかりにお玉でごっそり、刻んだ菜っ葉や根菜の具を注ぎつつ、悲しそうな顔になったテンテンに、ナタリアが応えた。
「良くわからんという感じだな。まともに観察しようとした者がいない。いや、居たのかも知れないが、そいつは喰われたのかな? 分かっている事としては、どうも相当に凶暴らしいという事だけだ」
そして翌日、赤魔法で体温を誤魔化し、物陰に隠れつつ渓谷を進むことにした。退治の仕事は請け負っていない。故に無理に退治する事もない。すり抜けができそうならそうしようと考えたナタリア達だったが、道を進んだ先がなにやら不穏だ。
軽い地響きに、木々が薙ぎ倒される音が聞こえる。どうやら誰か、先客がいるようだ。